護り抜くと誓う少年
所変わって、瞳子が痛みと共に記憶を取り戻しているのとやはりほぼ同時刻。
ひな子は、途方に暮れていた。
「真田先輩、雨宮先輩……!!」
鶫や瞳子の許へ急ごうと共に神社へと続く石段を上がっていた宏基と透が唐突に立ち止まり、頭を抱えて蹲ってしまったのだ。
「どうしたんですか!?」
そのまま動かない二人にどうしたらいいか分からず、とりあえずすぐ隣にいた透の傍に膝をつき、顔を覗き込む。
「雨宮先輩……!」
その顔色は真っ青で、しかも額に脂汗が滲んでいた。更に驚いて、助けを求めようと宏基を見たが、彼もまた似た状態であると知って彼女はますます途方に暮れる。
「ヒヨコ、うるさい……思い出してるだけだよ」
しかし、それを見かねたのか透が絞り出すように呟いた。ひな子は目を瞬かせるが、更に痛みが増したのか呻く彼を見て反射的に背をさする。常の彼なら文句を言いそうなところであるが、構っていられないのか荒い息を吐くだけだった。
よくよく見てみると、震えるほど握り締められた透の両手は石段に強く押し付けられている。傷が出来ては治っているのにも気づいていないらしい。頭の痛みの方がそれほどの強いのか。ひな子はますますどうしようか思い悩み、誰かを呼んで来ようと立ち上がろうとした。
「余計なことすんな」
だが宏基の声がそれを制した。
「え、どうしてですか……誰か呼んでこなくちゃ二人とも、」
「じきに治まる。そういうもんだ」
遮るように掠れた調子で言って立ち上がる宏基の足元はふらついている。見ているひな子からすればはらはらしてたまらないほどだ。
前回に会った時の一件で、宏基は自分のことを軽んじて無茶しがちな人間であるということを彼女も知っていた。ここで止めなければきっと鶫が悲しむであろうし、それを見た姉もきっと辛そうな顔をするに違いない。ひな子は瞳子のそんな様子を見たくはなかった。
もちろん彼女にとっては姉が一番だけれども、鶫のことが気にかからないわけではない。不服ではあったが、彼がとても優しい人であるということは短い関わりの中でもよく分かった。その『優しい人』の隣では、瞳子がとても柔らかい表情をすることも。
だから、瞳子や鶫が表情を曇らせるようなことをしてほしくはなかった。けれども、会うのが今日でたった二回目の相手にそれをどう上手く伝えたものか分からない。
「真田先輩、無茶ですってば!! ふらついてるじゃないですか!!」
「俺と狐がこうなってるってことは、鶫も巫女も一緒だろ……誰か呼ぶって言ったって無駄だ」
「だからって! もう少しちゃんと立てるようになってからにしてください!!」
透のことも気になるけれど、まずは宏基を止めなければ。ひな子は再び石段を上がり始める彼の腕を掴もうとするも間に合わず軽く舌打ちした。
ふらふらとしながら駆けて行ってしまう彼の背中を追いかけようか迷ったが、すぐ傍で人が動く気配がして振り返る。予想通り、それは透だった。
「雨宮先輩も! 足元がおぼついてないそんな状態でどこに行こうっていうんですか!?」
倒れそうになったところを何とか受け止める。透は自分を支えるひな子の腕を掴み、掠れた声で呟いた。
「行かなきゃ……また、久遠さまが殺される……」
彼の手の力が強まったのを自覚したのとほとんど同時だった。不意にひな子の前に広がる景色が一変する。
どういうことか分からずに目を瞬かせた。
つい先ほどまで毎日上り下りを繰り返している石段の途中にいたはずなのに、周りには木々が生い茂っている。見慣れぬ山の中なのだ。しかも今の季節は初夏だというのに、紅い葉が舞っていた。いったいどういうことだというのだろう。
ひな子のすぐ傍には背の高い男性がいる。着物を着て、猫耳を生やしている鶫に面差しがよく似た青年――そこまで確認し、ひな子は愕然とした。これは久遠ではないのかと。
傍にもう一人、男性がいる。黒い髪に群青色の瞳、宏基とよく似た顔。寒露だ。
どうしてこの人たちがあたしの目の前に? 理解できないまま彼女は何度も目を瞬かせた。
間もなくひな子の視界には更にふたつの人影が映り込む。視線が移動し、焦点がその二人に当てられる。袈裟姿の男性と、その腕に抱えられた緋袴の女性。
「い、やああああああぁぁあぁ!?」
彼女の顔をはっきりと視認した瞬間、ひな子は悲鳴を上げて足元から崩れ落ちた。
その容貌があまりにも瞳子と瓜二つだったから。
「……っヒヨコ、見たの?」
驚いたような声が聞こえ、突き放された感覚がしたと思ったら、またも景色が一変する。震える肩を抱えるひな子は、元通り石段の途中に座り込んでいた。
「今、の……」
唇が震えるせいで言葉が上手く紡ぎ出せない。それでも何とか口にして見上げると、彼はとても渋い顔をしていた。
「思い出すのに釣られるようにして軽く変化してたから……幻術。あれは――」
「雨宮先輩の……いや、『玻璃』の記憶なんですね? 姉さんとよく似た人が、血塗れで、出てきました」
法師に抱えられた巫女は生気のない虚ろな目をして、身に纏う白い小袖は真っ赤に染まっていた。
よく似た顔が示すのは、今見た光景がひな子がずっと慕ってきた姉の前世、月読の最期であるということ。それを透の幻術があたかも現実であるかのように見せたのである。
「そう、玻璃の記憶。……でも、その先は見てないんだね?」
今の続きがあったというのか。ひな子は目を瞬かせつつ頷くと、透はどこか安心したように表情を僅かに緩ませた。
「その先は知らない方がいいよ。見なくてよかった。寒露と玻璃が、死ぬ場面だから」
心ここにあらずといった様子で透は独白して踵を返し、先ほどよりはしっかりとした足取りで石段を上っていく。ひな子は言葉が出てこないがために後ろ姿を呆然と見送りかけ、慌てて立ち上がって追いかけた。
座り込んだ拍子に擦り剥いたようで膝がずきずきと痛むけれども、気にしていられない。透を一人で行かせてはいけない気がしたのだ。
「今まで一度も思い出したことなかったんですか!?」
「うん。多分、真田先輩もだと思う……オレたちは、久遠さまを護れないまま、死んだんだ。月読の死体を見て、動揺して……気を取られて……一番護りたかった人を、護れなかった」
ひな子が知る限り彼は飄々として掴みどころのない人物であったのに、問いに応じる今の透の背中には酷く余裕がない。しかもいつもよりずっと饒舌だ。それほどまでに動揺させられるとは、ひな子が見なかった先の光景にはいったい何が繰り広げられたというのだろう。
――玻璃と……寒露が死ぬ場面だから。
つい数分前に訊いた台詞が耳の中で反響する。
見なくてよかった、と心から安心したように呟いた声。それほどまでに凄惨な死に方だったのだろうか?
少し前に駆け出して行ってしまった宏基はすでに石段を上りきってしまっているらしく、姿が見えなくなってしまっている。透がふらつかないか気を配りつつひな子も走るが、慣れているはずの長い階段に苛々する。
二人に釣られて気が急いているのだろうか。それだけではない気もする、とひな子は眉を顰めた。
ごく弱いとはいえ、ひな子も霊力を持つ巫女だ。邪気や妖気の類いはしっかりと見分けられる。
彼女は先ほどから肌で感じていたのだ。瞳子が結界で守っているはずの神社の敷地内からその『邪気』を。そういったものは近づくことや、たとえ入ったとしても長居ができないように、と姉がいつも気を配って張っているものなのに。
嫌な想像が頭の中をぐるぐると回る。
「雨宮先輩、もしかして急いでるのって」
「分かってるなら急いで。先を越されて、また喪うなんて御免なんだから」
きつく握り締められた拳。まっすぐに前を見つめる目。その視界には、いったいどんな景色が見えているというのだろう。
「今度こそ、護り抜く。久遠さまも……風巻との約束も」
シマキ? と聞き覚えのない、恐らく名前だろう単語にひな子は目を瞬かせた。だが尋ねられるような雰囲気ではなく、スピードを上げた彼をただ追いかけた。心に浮かんできた言葉は口に出せないまま。
――変わらないのは、あの馬鹿だけで充分だよ。
そう語ったくせに、そういう貴方こそ変わっていないんじゃないですか、と。




