抗う力を持たざれば
おれが生まれたのは、人間の言う鎌倉時代。源頼朝が樹立した幕府が政権を握ったが、その頃にはもう、北条氏が権力の中心にいた。
正確に言うと、後鳥羽上皇が起こした承久の乱からしばらく。そして間もなく、幕府が力を衰えさせる一因である文永の役・弘安の役のふたつの元寇が起きる。そういう時期だ。
おれのいた武蔵国は、将軍家が一族や有力御家人を国司とさせていた、関東御分国と呼ばれる国のひとつ。確かに鎌倉殿の影響力がとても強かった。
しかしそれはあくまで人間たちの間の話。
人間から隠れるようにしていたほとんどの妖怪と同じように、おれたちもまた息を潜めて暮らしていたので、まるで別世界の話だった。人間たちはそういうわけもいかなかったのかもしれないが。
出身は、猫又の群れを取りまとめる長の一族。父が長で、母はその奥方だ。気のいいお調子者の父と、彼をどやしながらも上手く手玉に取っている肝っ玉の強い母という両親の許に生まれた。
おれが産まれて間もなく――といっても、人間にとって五十年はそれなりに長い月日であろうが――妹が産まれた。
父と母、妹、そして猫又の仲間たち。それが幼い頃のおれの世界の総てだった。
「兄さま!!」
飛びかかってきた小さな体は意外に勢いがついていて、受け止めきれず後ろに倒れ込む。ばたん! とものすごい音がして、おれはしこたま板間に頭を打ち付けた。
「きゃあ!! 兄さま、だいじょうぶですか!?」
その音に驚いたのか、飛びかかってきた幼子はおろおろと起き上がる。
「だ、大丈夫……ごめん、月影。一度どいてくれる?」
おれに月影と呼ばれた彼女。心配し過ぎて今にも泣きそうである。はっとして頭を撫でた。
「大丈夫だよ。ほら、もう治った」
頭の後ろにできた大きなたんこぶに触れさせる。数瞬の後にそれは完全に消え、月影の表情が安心のそれへと移ろった。
猫又を含めた妖怪たちはみな、妖力の大きさに合わせて強力な治癒能力を持つ。
おれは生まれた時から両親のどちらをも凌ぐような大きさの妖力を持っていた。つまり、このくらいの傷であれば負ったとほぼ同時に治る。
「兄さま、あそんで?」
腕にぎゅうっとしがみついてくる彼女に笑って頷き、「何して遊ぶ?」と尋ねた。
「すごろく!!」
「そっか。じゃあ、やろうか」
小さいながらしっかりとした造りの屋敷。おれたちの先祖が人間の攻撃から逃れるようにして山奥に建て、代々守り抜いてきたものだった。
妖や妖怪、といえばヒトにとってはよくないものという印象しかないようだ。
仕方がないことなのかもしれない。妖怪は皆、多かれ少なかれ人間にとって迷惑な行為をする。同じ世界に生きている以上、お互いに全く無関係というわけにはいかない。
化かして驚かすだけならまだしも、人を食う者、快楽のために殺す者、死体を食す者、農作物に悪影響を及ぼす者もいる。それぞれの種族が人間に対して取る態度を挙げたらきりがない。
もちろん、自分の種族である猫又のことも正当化をするつもりはなかった。仲間の中には人間を殺して食らう者も存在する。
ただ、おれたちの群れは人間殺しを是としなかった。そういう群れや妖怪とは一線を画していた。父の方針だ。
祖父の頃から彼らを殺して食すことを渋っていたことには違いないが、父の代になって全面的に禁止されたのである。
殺し合いからは何も生まれない。ヒトを殺せば当然ながら憎まれ、いずれ自分たちに反りがくる。対話を目指すことで、共に生きるきっかけを模索しよう。
父は毎日のように跡取りとなるおれに言い聞かせた。群れの皆にも。
ときには他の群れの猫又や別の妖怪たちに腰抜けと言われることもあったが、父は決してそれを曲げることはなかった。それこそ、死ぬまで。
優しく、歴代最強と謳われるほど強かった父。彼をおれはとても尊敬していた。当然、人間に対する考え方にも、群れの中で一番と言っていいくらい魅せられていた。
だって実現したら、これ以上に素晴らしいことはない。
そんなおれだったから、人間に興味を持つようになるのも――また、将来とある野望を抱くことになったのも、自然の流れだったのかもしれない。
とにもかくにも、月影にこうしてじゃれられていたおれはまだ、百年を生きた頃。肉体的に言えば、人間に換算してだいたい六歳ほどだろうか。
ヒトのその年齢の者よりだいぶ多い年数を生きているため、様々な知識なり経験なりは多く持っていた。精神年齢も高い。
しかしそれぐらいでは、父の言う言葉を真に理解するには少し足らなかった。
半端な覚悟ではできない、強靭な決意の上にしか成り立たない考えなのだとは、ちっとも。
「兄さま!」
木の上にいたおれは、下から聞こえてくる声に気づいてそちらを見た。予想通り、そこには小さな妹がいて、おれを見上げていた。
「月影。どうしたの?」
「月影ものぼりたいです!!」
それに笑って、自分のいた高い枝から一度勢いよく飛び降りる。
「わあ、にいさますごいです!」
「月影ももう少し大きくなればできるようになるよ! おいで。兄さまがおぶってあげる」
月影は嬉しそうにしておれの背中にしがみつく。しっかり捕まっているように言ってから、もう一度木に登り始めた。
自分が元いた場所まで登り切る。
「月影、静かに降りろよ」
「はいっ」
言葉通りにそろそろと降り、木の枝に腰かける妹を確認して、おれもその隣に座る。
すると、傍の枝にいたらしい仲間たちがおれと月影にすり寄ってきた。
彼らは一見普通の猫だが、その尻尾は二本に分かれている。正真正銘の猫又だ。
「ねえねえ兄さま。どうして兄さまや月影のようにニンゲンのようなかたちになれるネコマタと、そうではないネコマタがいるのですか?」
そのうちの一匹の首の辺りを撫でてやりながら、月影が不思議そうに首を傾げている。
「それはね、妖力の大きさの違いだよ。ヒトの形になれるのは、上位って言われる妖怪たちだけなんだ」
それに微笑んで答えてやると、ますますきょとんとする彼女。
「うーんとね、妖力っていうのは妖怪が生きるための力なんだ。分かる? この力がなくなっちゃうとおれたちは死んじゃうんだ」
その面では生命力と言い換えることも可能だ。
頷く月影の頭を撫でて、続きを紡いでいく。
「その力の強さは生まれつきなんだけど。強ければ強いほど、使える範囲も大きくなるんだよ」
おれを興味津々の様子で眺めている月影が可愛い。
「その中に、ヒトの形をとれるかどうかとか、傷を治す力も含まれるんだ。つまり、月影も兄さまもその力が強い」
こくんと頷く彼女に、おれ自身父や母に教わった言葉を続けた。
「でもね、強いおれたちは力が弱い仲間を守るためにいるんだよ。分かった?」
「わかった!」
元気に頷いた彼女だが、恐らく本当は分かっていないだろう。無理もない、まだ幼いのだから。
そんな妹を苦笑混じりに見ながら、おれも膝の上にいる猫の顎を撫でた。
「兄さまはほんとうにここがすきですねっ。父さまも母さまもきっとここだろうっておしえてくれました」
どうしてですか? と首を傾げる彼女。おれはそれににこりと笑って遠くに見える人里を指差した。
「あれが見える、月影? 人里。おれはあれを眺めるのが好きなんだ」
「ひとざと……」
目をぱちくりとさせながらおれが示す方を眺めている。
「でもヒトザトには、こわいこわいミコやホウシがいるのでしょう? 母さまがおっしゃっていました」
眉根を寄せる月影は、不安そうに瞳を揺らしていた。
「そうだね。でもおれはいつか行ってみたい、人里に。父上がおっしゃっているように、妖怪が人間とたくさんお話をして仲直りしてからね」
気が遠くなるほど長いおれたちの生涯だ。いつかはそんな日が来たっていいじゃないか。そんな日が来るという幻想を抱いていたって、いいじゃないか。
「月影もいってみたいです!!」
目をキラキラ輝かせて、おれの肩を掴んでゆさゆさと揺さぶる。そのせいでぐらぐらと木の枝が揺れ、一緒にいる猫又たちが不服そうに唸った。
おれも少し目が回りそうな気分だったが、いつものようによしよしと頭を撫でることで宥める。
「じゃあ、一緒に行こう」
その時は兄さまが連れて行ってあげるから、と笑むと、月影は嬉しそうにはにかんだ。
「ありがとうございます、兄さま!!」
――そんな願いも、叶えてあげることはできなかったのだけれど。
それだけじゃない。
月影に教えたこと、彼女が分かっていないと苦笑いしたことを、おれもきちんとした意味での理解なんてできていなかったのだ。
思い知らされる日が、刻々と近づいていた。
「若さま。わーかーさーまー! 何処にいらっしゃるのですかー!?」
聞き慣れた呼び声に先ほどと同じく木の下を見れば、そこには父の側近の姿があった。
「何ー!?」
「長がお呼びです! すぐにいらっしゃるようにとおっしゃっていますよー!」
そのままで応じると、早く降りてこいと催促するように叫び返された。
「父上が? 今行くー! ……月影、残念だけど降りよう」
「えー……もうすこしいたいです」
手を差し出し、ぐずぐずとしながら唇を尖らせている彼女を再び背負って、枝から飛び降りた。
「な、姫さままで木の上にいらっしゃったのですか!? 奥方さまからそのようなことはさせないようにきつくおっしゃられているのでは……!」
驚いたように、というよりは焦ったように目を瞬かせている側近に笑って、妹をおぶったまま屋敷に向かって駆けていく。
「若さま! 後でしっかりと報告させていただきますからね!!」
げ、となりつつも、片手を挙げるだけでそれに対する反応は留め、父の元へと向かった。
「遅い!」
慌てて入った屋敷。その庭に仁王立ちした父が待ち構えている。
「ごめんなさい」
素直に謝ると、背負った月影が嬉しそうにきゃあきゃあと声を上げている。
おれの反応に目を細めて頭を撫でてくれた後、娘を溺愛している彼は目尻を少々だらしなく下げながら月影を抱え上げた。妹もますます楽しそうにはしゃぐ。
「今日も稽古つけてくれるんでしょっ?」
「もちろん。そのために呼んだんだからな。月影、母上のところに行っていなさい」
嬉しくて満面の笑みを浮かべた。
父に稽古をつけてもらうのがおれの毎日の楽しみのひとつだった。彼も「毎日強くなってくお前を育てるのが楽しい」と笑ってくれる。
おれは強くなることが好きだった。戦うことも。自分自身、稽古をつけてもらうたびに強くなっていくのが分かって楽しかったのだ。
おれの成長を見て喜ぶ父の顔を見るのが嬉しくて、毎日没頭している部分もあった。
「はーいっ! 兄さま、おけいこがんばってください!」
月影はいい返事をして屋敷の奥に消えていく。
「ありがと!」
おれはそれを見送ってから履物に足をもう一度突っ込んで、父の元へ駆ける。
「今日は何を教えてほしい?」
「爪閃斬!」
その技とは、父親がいくつか持っている技の中でも最も難しいものだった。
妖力を込めて伸ばした爪に更に妖力を込め、その力自体を飛ばす――という様子がまるで閃光のように見えることから名づけられた、らしい。直接攻撃がほとんどのおれたち猫又にとって唯一、遠隔からも攻撃が可能なものだ。
手練になれば、手の爪だけでなく足の爪からも飛ばせる。現在おれたちの群れで両方を使えるのは父だけだが。
父が使っているのを遠目から眺め、とても格好良くて、憧れた。おれもあんな風に戦いたいと。
先ほどの妹のようにきらきらと目を輝かせ、随分と高い位置にある顔を見上げた。
「また難しい技を注文してくるなあ、お前は。分かった、教えてやるよ。ただ、そう簡単にはできないからな?」
面白そうに声を上げて笑う父。
「今は難しくても、絶対に身につける。おれは父上を越える! 絶対に!」
にいっと唇の端を吊り上げる。父が戦いの前によく見せる表情をしたのだ。
「……言ったな?」
彼の表情が、おれが今まさに真似してみせたものと同じものに変化した。興奮すると同時に、背中にぞくりと悪寒が這い上がる。恐怖ではない。が、彼にある種の『畏れ』を抱いたのは間違いなかった。
「残念ながら俺は大人気ない。手加減はしてやるけど、覚悟しろよ?」
分かってる、と言う間もなく、父が爪閃斬を決めてみせる。食らった木がばらばらと崩れた。
父にまず伸ばした爪への力の込め方を教わり、その飛ばし方のコツを教わる。
そしてある程度おれがそれをモノにした後は、宣言通りにほとんど容赦なかった。ぼろぼろにされたけれど、それも楽しかった。
「あなた! まーたぼろぼろにさせて!! 子供相手に手加減もできないのですか!」
日暮れが訪れ、今日は此処までとなった時。聞き慣れた母親の声が響いておれは振り返った。隣には月影もいた。
「母上!!」
駆け寄ると、彼女はおれをしっかりと受け止めて抱え上げてくれる。
「だ、だって、本気でやれって本人が言うから……」
さっきまでおれが『格好いい』と感じていた男は何処に行ったのやら。母の前では小さくなってしまう父である。
「母上、おれが父上に言ったんだ、越えたいって! だからいいんです」
怪我は確かにしたが掠り傷だし、すぐに治った。そして強くなるためなら屁でもない。
力いっぱい言うと、母は肩を竦めた。「仕方がないわね」とでも言いたいのだろう。
「でもな、本当にこいつはすごいぞ。俺なんてあっという間に追い越されそうだ。今日だけでほとんど爪閃斬を会得した」
にっと笑う父に、母は目を細める。
「そうですか。あなたに似たのでしょうね」
「だな! よし、飯にしよう」
「あなたは服を着替えてきなさい」
どかどかと父は屋敷の中に入っていった。おれに言い残してから、母はそれを追う。
しばらくそれを見送ってから、おれは別方向に足を向けた。
「兄さま、すばらしかったです! 兄さまはつよいのですね!」
一度着替えるために歩き出したおれを追いかけてくる小さな足音。
「まだまだだよ。父上の方がずっと強い。もっともっと強くなりたい」
拳を握りしめると、月影は不思議そうな顔をする。
「兄さまはどうしてそんなにつよくなりたいのですか?」
「分かんない」
即答すると、妹はますます混乱したような表情になる。当然だが。
「皆を守りたいし、戦いも好きってこともあるし。傷つけようとする他の妖怪たちから、人間たちを守りたいって理由もある。でも今は、ただただ強くなりたい。力が欲しい」
きっとそれは本能的なもので、父も母も仲間の全員が通ってきた道なのだろう。
だけど月影は、違った。
「……では月影は、兄上をささえます。うしろから。だめなこと、かもしれないですけど。月影はたたかいたくありません。キズつけるのはきらいです」
「え?」
今度はおれが目を瞬かせる番だった。
「兄さまがキズつくところをみるのも、きらいだけど。兄さまがたたかいをえらぶのなら、月影はそんな兄さまをささえることをえらびます。サクセンをつくったり、テアテをしたり」
たどたどしい、幼い言葉だった。だが、伝わってくるものはしっかりとあった。
傷つけたら傷つけた分だけ反りが来る。
月影はそれが嫌だったのだろう。幼いなりに、皆が戦いで傷つくところを見てきたから。
だけどただ目を背けるだけは嫌で、作戦を立てることや手当てをすることに回りたいというのだ。
「ニンゲンたちとも、たたかいたくない。にげるのははずかしいのかもしれないけど、キズつけるくらいならそうします。……月影はずるい、ですか?」
不安そうにしている妹をぎゅっと抱きしめた。幼い子特有のあたたかい温度が伝わってくる。
「大丈夫。狡くないよ。そういう戦い方もある。それでいい」
おれの心からの笑顔にほっとしたのだろう。月影は嬉しそうに笑った。
「ほんとうですか? 父さまと母さまもほめてくれますか?」
「褒めてくれるよ。絶対。絶対な」
力を込めて言う。
おれにはできない考え方をこの子は持っている。もちろん父母にもない。尊い考え方だ。
「これから先、兄さまが誰かと戦うことがあったら、月影に助けてもらうな」
ぱあっと表情を輝かせた妹。
「月影でも兄さまをたすけられますか?」
「もちろん。当たり前だろ」
ぽんぽんと頭を撫でると、ぴょんぴょんとお転婆にはしゃいでいる。それにけらけらと笑うおれの手を取って、跳ねたままぶんぶんと上下に揺する月影が可愛かった。
おれは気づかなかった。気づいていなかった。月影の言葉に込められた覚悟が、どれほど重いものだったのか。
たとえ誰かに傷つけられても、受け入れてなおかつ赦すなんて、普通はできることじゃない。
ぶつけられた悪意には悪意で応じてしまう。それが大概なのに、月影は「傷つけたくない」と厭った。おれは強いと軽い口調で言ったけれど、何より難しい。
気づいていなかったからこそ言えたのだ。
守ることを理由に戦うよりも、同じ理由で逃げる方が、ずっとずっと苦しくて辛いなんて。




