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忘却の先にいた少年

 日の光は 覆い隠される

 世界は暗闇へと沈んでいく



   ● ● ●



 どうして、どうして、どうして。意味のない問いが頭の中で繰り返しリフレインする。

 胸から大量に出血した月読を片手で抱え、空いた右手で錫杖を持ちつつこちらに歩いてくるのは――庸汰にそっくりな男。彼の前世である双念。久遠の記憶が示した最大の手がかり。


「鶫くん?」

 記憶の中と同じく、庸汰は柔らかな微笑みと共に近づいてきていた。彼とは間合いを保持しなければならない。誰に言われたわけでもないが、鶫の本能がそう警告してくる。

「鶫くん、どうして逃げるの?」

 鶫が一歩下がると、庸汰は一歩追ってくる。下がると追われ、追われれば下がる。数回そんなことを繰り返したが、とうとう塀に背中がぶつかった。

 瞳を揺らしながら、じりじりと距離を詰める庸汰から目を離すまいと鶫は懸命に努力する。

 理由など分からない。月読の遺体を抱えていたという映像が浮かんできただけなのだ。分かっているのに、なぜこれほどまでにも危機感を覚えているのだろう。

「僕、何かした? 何でそんな、まるで怖いものを見てるみたいな目をしてるの?」

 口調は柔和で、絶えることなく微笑みを浮かべている庸汰。けれど、その瞳には何も映っていない。

 いや違う。確かに映っているものがひとつだけある。

 冷え冷えとした殺気。

「――ッ!!」

 反射的に変化へんげする。目の前に迫ってくる光の槍をギリギリのところで横に跳び回避すると、耳を劈くような音を立てて塀に大きな穴が開く。焦げ臭さが辺りに漂っていた。

「君に穴が開く代わりに、塀に穴が開いちゃったよ。でも、流石は久遠だね? これぐらいなら余裕でかわせるか」

 庸汰はにこにこと人懐こい笑みを浮かべながら、ブレザーのポケットから何かの紙を取り出した。和紙に何かの印が描かれているようだ。

「君は、誰……」

 芯から震える鶫の声。

 知らない。こんな庸汰など知らなかった。彼はいつだって穏やかに笑っていて、人懐こくて、優しい人で。優しい目を向けて会話してくれる人だったのに。

「妙なことを訊くね? 最初に名乗ったでしょ。僕は水無月庸汰だよ」

 器用に片方の眉を上げて困ったように笑ってみせた瞬間、和紙を持った彼の右手がまばゆい光を発する。それが掻き消えた瞬間、庸汰は錫杖を手にしていた。

「でも、そうだね。鶫くんが訊いてるような意味で答えるなら、僕は双念だよ」

 振り下ろされた錫杖から光の玉が飛んでくる。避ける鶫を追い詰めるかのように、大きさも速度も増していく。

「っ嘘だ! 庸汰が、君が言ったんだろ!? 関わりは薄くて、だからぼくたちに君の記憶がないんだって!! 双念は協力しようとしてたって!! それなのにどうして攻撃してくるんだよ!!」

 嘘だと思いたい気持ちが、つまらない質問を紡ぎ出す。気づいているのに、現実逃避をしようとする。目の前の状況は変えられやしないのに、幻や見間違いだと脳は判断したがっている。

「やっぱり君、馬鹿? 久遠の時も阿呆みたいに無邪気な笑顔を向けてきて。今世では少しは用心深くなったみたいだけど、根本は変わらないんだね?」

 せせら笑う庸汰と言葉の出てこない鶫。雨の匂いを孕んだ風が向き合う二人の間を吹き抜けた。


「僕自身が――双念が、君たちの記憶を消したんだよ。呪いをかけてね」


 今日起きた出来事を話すかのような気軽さで、彼ははっきりと告げた。

「生まれ変わったとき、君たちにもう一度近づきやすいように。もう一度、君たちを殺せるように」

 錫杖の先が鶫の顎を持ち上げる。揺れていた視線が強制的に庸汰の目へと定められた。遊環ゆかんの揺れるしゃらしゃらという涼やかな音が鼓膜を揺らして、金属の冷たさは鶫の肩を僅かに跳ねさせる。

「もう、一度、って……」

 ほとんど無意識に吐き出した言葉を聞いた瞬間、庸汰がゆるゆると口角を持ち上げた。そして体を震わせて笑っている。鶫は言葉を失い、ただただ呆然と彼の笑顔を眺めた。

 それが引き金だった。

 ――久遠さま。『  』と約束したんでしょう? 紅葉狩り、行きましょう。弔うためにも。

 ――行かない方があいつは怒るんじゃないですか?

 強い頭痛と共に耳の奥で鳴ったのは、玻璃と寒露の声。

 そうだ。あの日、久遠は紅葉狩りに行ったのだ。大切な人の弔いのために。でも、大切な人とは誰だったのか。寒露の言う『あいつ』とは? 大きな音に掻き消されてしまう名前は、紅葉が風で飛ばされてしまうかのように勢いよくどこかに追いやられていく。

 ――美しいですね、久遠さん。

 ――うん。『  』と会った日も、こんな風に紅葉が舞ってたんだ……。

 痛みと共に思い出した出会いとは、誰とのものだったのか。いつも慈愛に満ち溢れていた彼女の笑みを曇らせていたものの正体とは、いったい何だったのか。

 ――あれ? 月読は……?

 見失ってしまった月読の姿。久遠はまた奪われるような心地がして、懸命に彼女を捜して、それで。

 ――久遠殿!! 月読殿が!!

 あの声を聞いたのだ。

 ――つ、く、よみ……?

 双念に抱きかかえられてこちらへと連れて来られる月読。胸元から大量に出血していて、白い小袖が真っ赤に染まっている。その瞳は虚ろで、もう二度とあの優しい眼差しが久遠に向けられることはないと一目瞭然だった。

 ――私が見つけた時にはもう……。

 双念が悔しそうな顔で言う。差し出された彼女の体を引き寄せる。つい先ほどまであたたかかったはずの手も、頬も、どんどんと冷たくなっていく。

 衝撃で上手く働かない頭でも、気づいた。彼女の傷口のふちがまるで焼かれたかのように爛れていることに。

 感じた法力の残滓ざんし。その主は、よく見知った相手のもの。

「――お、まえ、が」

 頭痛が薄らいでいく。

 もう恐怖は感じていない。戦慄のせいではなく体が震える。それよりももっと強い感情が鶫を支配していたからだ。


「お前が月読を殺したのか!!!!」


 錫杖を勢いよく払いのけた。先ほどよりも派手に遊環が鳴る。彼の武器たるものに触れたせいで分かった法力の特徴は、双念と完全に同じ。体が覚えている。これは彼の法力の感覚だ、と。

 それと同じ。月読の傷口からは、双念の力が感じられたのだ。

「そうだよ。月読を殺したのは双念」

 何が楽しいというのか、かつて双念だった人は腹を抱えながらますます笑い転げる。

「ここを貫いて、抉って、傷口を法力で焼いて、血の海に沈めた。何が起きたか分かってない間抜けな顔。今思い出しても笑えるけど、でも血の気が失せて青白くなってく様は綺麗だったなあ。『え?』なんて驚いたような声で言っちゃってさ」

 しかし突然その声が止んだと思えば、次にはどこかうっとりとした表情になった。ぞっとした鶫の背中には、寒気の這い上がる感覚が襲う。

「月読はお前の仲間だったのに!? あの子はあんなにもお前を信じて、考えに共感してくれたのを喜んでたのに!!」

 揺るがせない記憶を取り戻してもなお、彼は否定したくてたまらなかった。予測していたとはいえ、やはり信じたくはない。月読が仲間たる者の手で殺されていたなど――


『違うだろ?』


 思った瞬間、久遠の声が頭の中で鳴った。記憶の再生ではない。鶫の中にいる久遠が何かを訴えようとしている。

『お前が月読の死の真相を受け入れたくないのは、そんな理由からじゃない。本当は、』

「誰が。あんな、簡単な掟ひとつ守れないような女。月読って呼ぶのだって反吐が出そうだったよ」

 吐き捨てるようにして振られた錫杖の音が久遠の声を掻き消してしまう。もう一度耳を澄ませようとしても、無理だった。庸汰が再び錫杖で鶫の顎を強制的に持ち上げたことに気を取られたからだ。

「私たち法師にももちろん存在したが、絶対的で唯一と言ってもいい掟が巫女にはあった。お前も知っているだろう?」

 口調が完全に双念とリンクする。目も、今までのような揶揄するようなものではなく、塵芥を見るかのような蔑む色をたたえていた。

「『決して、妖怪を愛してはならない』」

 鉄の掟。久遠が出会った月読の二人ともが言っていた。根拠があるかどうかは分からないが、妖怪を恋い慕えば霊力が低下するとされているのだと。

「あの女は、月読という『巫女の模範』の存在でありながらその掟をおかした。許されていいはずがない。だから断じた。それだけのことだ。だからお前も、殺した。同じところを貫いて、な」

 顎を持ち上げていたものが外れたと思えば、庸汰は錫杖を鶫の胸へと移動させた。そう、ちょうど心臓の位置へと。なぞり上げられた皮膚にじわりと鳥肌が立っていく。

 脳の中心から再び湧いてくる激痛を感じ、鶫はきつく唇を噛みしめた。

 月読の死の衝撃に襲われて、久遠が周りに気を配ることができていなかったのは事実。だがその隙を確実に突かれることになってしまう。後ろに控えていたはずの幹部二人が倒れたのが視界の端に映ったのだ。

 一気に二人の妖気が潰えたのに更なる衝撃を受け、閃光が飛んできた方向を勢いよく振り返ろうとした。が、それは叶わず――久遠の胸には熱が走った。

 ただただ、熱かった。痛みは感じられなかった。

 目の前が急速に暗くなる。熱も遠のくはずなのに、いつまでも焼かれているようだった。紅葉の海に鮮血の河ができる。久遠のもの。彼の命が失われていく証。そして視界が完全にブラックアウトし、久遠の記憶はそこで終わりを告げる。

 地に伏す寸前に見た双念の笑顔が目の前でちらついた。

「月読を殺したのも、大事な腹心たちを奪わせたのも、団を滅ぼさせたのも、全部君の愚かさだよ」

 同じ微笑みが今眼前にあって、ようやく完全に頭痛は治まったが、今度は胸がずきすきと痛んでいる。

 分かっているからだ。誰よりも一番。


「君が愛さなければ、たぶらかさなければ、妖怪を護ろうとさせるなんてけがれを背負わせなければ、彼女は誰よりも素晴らしい月読として、巫女からも法師からも惜しまれながら死ぬことができたはずなのに」


 遊環が沈みかけた夕日を反射して煌めく。目頭が熱いのは、その光が眩しいせい?

 違う。

「あ、ああああぁ、あああああぁぁぁあァ……っ」

 頭を抱えて体を折る鶫を、庸汰はただ無表情に見ていた。

 久遠がまたも鶫に訴えかけてくる。

『お前が、……おれが、あの子の死を受け入れたくないのは――愛おしく思っていたからっていう、それだけの理由じゃない。こんな終わりを導いたのが、他でもないおれ自身だったからだよ』

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