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花は綻び、春を呼ぶ

 月読と分かり合っていくのは、当たり前だが生易しいことではなかった。

 そもそも根本からして違うイキモノなのである。一時いちどきに総てを理解するなんて不可能だ。おれが彼女に教えたことはたくさんあったし、彼女がおれに教えたこともたくさんあった。

 人間たちはどうして妖怪を恐れるのか。拒絶しようとするのか。何を楽しみに生きるのか。巫女が抱える苦しみ、痛み、悲しさはどんなものなのか。そういうことを教わった。

 翠子にもたくさんたくさん教えてもらったけれど、彼女が生きていた時代からはかなりの年を経てしまった。今を生きている巫女から、そして巫女の中に在ろうとする巫女から、彼女たちがどう思っているのかを聞くのはとても新鮮なことだった。

 妖怪たちがどうして人間を襲うのか。何故馬鹿にして嗤うのか。襲わない者はどんなことを考えながら人間たちを見ているのか。何に傷つき、何に笑うのか。おれは代わりにそんなことを伝えた。

 それを聞く彼女の目は真剣で、たまにしっかりと「それは誤解だ」とか「それはおかしい」と反論してくることはあったけれど、それも真面目に聞いてくれているが故だと思うと嬉しかった。

 真摯に向き合ってくれている以上、それよりも真摯に向き合わなくてはいけない。おれはどんなに答え難いようなことを訊かれても、なるべく正直に答えるように努めた。彼女もそうしてくれていると見ていて分かったから。

 月読は玻璃や鈴菜ともよく話していた。

 玻璃は巫女の協力者であった二人の男に翻弄されて生きてきた人だったし、鈴菜は神職の使う鈴が打ち捨てられ歳月が経ち付喪神と化した妖怪。彼女にとって『身内の恥』のようなものを一番感じさせられる存在であっただろう。

 内側にいたらきっと一生知ることがなかったであろう巫女の恥も知らなくてはいけない、と。

 だからおれも、未開の地で行われていることについては正面切って批判した。

 あの時風巻が言ったことがおれの胸には刻み込まれている。「何が正しくて何が間違いなのかは考えなくてはいけない」。

 おれたちだって、人間と同じように悲しむし、苦しむし、痛みは感じる。家族だっている。それを無視してほしくはなかった。

 おれたちが不条理にヒトを殺すことで憎まれ巫女や法師に退治されるのなら、どうしてその反対のことが許されるだろう?

 完全に風巻の受け売りではあるけれど、傷つき苦しむ者たちを団員に迎え入れるにあたって何人も目にしてきたから、身に染みて思うようになった。

 彼女もそういうことが分かったからこそ、「妖怪と人間の境界とは何なのか」と尋ねたのだろう。

 『未開の地』という言葉を出した時、月読の顔は曇った。

 ――あの場所で訓練を受けた身である以上、ひたすら謝ることしかできません。本当に、申し訳ありません。

 法師と共に為されていることだから、簡単に断たせることは難しい。だが巫女をあの訓練に参加させないことはできるかもしれない。自分もできるだけ手を尽くしてみる、と彼女は言ってくれた。

 団員たちも最初は月読を不審がる者たちが大多数だったが、真正面から向き合ってくれようとする彼女を自分の縄張りの中に入れることをだんだんと厭わなくなってくれた。

 もちろんおれも説得したけれど、月読が真面目な姿勢を崩さなかったことも大きいと思う。

 そうして過ごす一年弱は、三百年というヒトからすれば気が遠くなるほど長いだろう時間を生きてきた中で一番密度の濃いものだった。

 おれたちにとって、人間が感じるほどには一年という期間は長くない。何気なく過ごしていればあっという間に過ぎ去ってしまう。月読と会ってからはそれだけ、「何気なく過ごす」ことができなかったのだ。

 一年弱も時間がかかるとは思っていなかったが、月読は常におれたちのいる辺りの地域にいるわけではない。『月読』として諸国を回っていることで基点にしている社を空けることも多く、それで余計に時間がかかったということもある。

 だけどその総てが必要なものだったと思うし、苦ではなかった。


「月読」

 呼びかけに振り返った彼女は、とても柔らかい笑顔をおれに向けてくれた。

「久遠さん。こんにちは」

 おれもそれに笑みを返して、彼女の隣に並ぶ。

「もう梅が開きそうだね」

「ええ、とても」

 おれたちが見上げた先には、梅の木があった。もう今にも綻びそうなほど蕾が膨らんでいて、新たな季節の訪れを知らせてくれている。あともう少しで花開き、目を楽しませてくれるに違いない。

 陽光も日に日にあたたかくなってくるし、耐え忍ぶような冬が過ぎ、生物が息を吹き返す春がやってくる。

「桜も、きっと今年も美しく咲いてくれるでしょうね」

 まだまだ硬いままの蕾をいっぱいにつけた枝を伸ばしている桜の木に視線を移し、月読は嬉しそうに目を細めた。

「うん。戦いで枯らさなくてよかっただろ?」

 傍にあったのはあの時の木である。にやりと笑ってみせると、「あの時のことは忘れてください」と表情を曇らせる。だがその頬は僅かに朱に染まっているから、多分照れ隠しだ。

 それが可笑しくて吹き出してしまったら、不服そうな空気が流れてくる。慌てて真顔を作れば、今度はそんなおれに月読が笑ってしまって、おれが不服な顔を作って――なんていう、馬鹿みたいな遣り取りもできるようになったのだ。

「久遠さん」

 笑い治まった月読の表情が、ふと真剣になる。今までのような冗談を交わす雰囲気ではないと思ったら背筋が自然と伸びた。

「何?」

「今日はお話があって、わざわざ呼び出させていただきました。すみません」

 おれが此処にやってきたのは、月読から伝言を任されたらしい蝶の式神が飛んできたから。それ自体は全く構わないのだが、詳しくは会ってから話す、という意味深な言葉もあったので気になってはいた。

「うん。どうしたの?」

 彼女の身に何かあったのだろうか。心配になって自然と眉根を寄せてしまう。

「昨日、ようやく説得しきることができました……それを、早くお知らせしたくて」

 説得? 何のことだか分からなくて首を傾げると、月読はこちらに向き直っておれの目を真っ直ぐに射抜いた。


「この武蔵国むさしのくにの巫女は、全面的に貴方がた『中央の団』へ全面的に協力させていただきたく存じます」


 深く頭を下げ、聞き間違いようがないほど朗々と放たれた言葉。

「え……?」

 戸惑いの大きさに声が出てこなくて、ぱくぱくと口を開閉させる。

「私個人としては、もう相当前から協力したいと思うようになっていました。貴方のおっしゃる理想が叶えば、きっと友人の身に起こったようなことはもう二度と起こらなくなる。でも、私は一人の人間である前に『月読』で……簡単に、協力するなんて言い出せなかった」

 相当前というよりは、きっと出会ったあの日には思っていたかもしれません――先ほどまでの堂々とした言い様とは違ってとても言いにくそうに、月読は訥々(とつとつ)と続ける。

「此処一月(ひとつき)、私は武蔵国にある総ての社を回って説得に当たっていました。貴方たちのような妖怪が存在すること。私が目指したいと思っている世界。今のようにただ憎み合うのではなく、『共に生きる』という選択肢があるのだと」

「……月読」

 未だ衝撃から脱せず、彼女の名前をただ呼ぶことしかできない。協力したいと言われただけでも驚きなのに、彼女が仲間を説得してくれていたなんて。

 月読はそんな反応など初めから見越していたように照れ臭そうに笑って両手を組む。

「私たち巫女から、人間に伝えさせてはいただけませんか。妖怪を恐れることなく、友人として接することができる世の中ができるかもしれないと」

 おれを見る月読の瞳は、僅かに揺れていた。不安げに。

「最初はあれだけ拒絶していた私が、と可笑しく思われることでしょうが、」

「ううん!」

 彼女の言葉を強く遮る。あまりに気分が高揚しすぎて、目を丸くする彼女の肩に掴みかからんばかりの勢いになってしまった。

「『月読』がそういう姿勢になってくれたのは本当に嬉しい……!! 嬉しいよ!! ありがとう!!」

「え、でもまだ武蔵国の範囲内しか、」

「それでも! 大きな一歩だよ。おれにとっては」

 風巻という義兄に出会い、寒露という右腕が加わって、玻璃、雪水、黒鉄、鈴菜という幹部たちを含めたたくさんの仲間たちができた。でもそれは妖怪という範囲内から脱することはなく、人間の協力者ができたのは初めてなのだ。

 それなのに、この武蔵国中の巫女が同調してくれる状態にあるなんて、素晴らしすぎる。

 おれのあまりの喜び様に月読は少し気圧されていたようだった。

「改めて。よろしくお願いします」

 それを見てどうにか気分を鎮め、深く頭を下げる。

「こちらこそ! よろしく、お願いします」

 慌てたように月読も頭を下げてくれた。

 少ししてほぼ同時に顔を上げて視線がかち合うが、今までと立場が少し違うとなると何となく照れ臭い。笑い合って、また梅の蕾を見上げる。

「そういえば、久遠さん。先日、隣国で面白い法師殿に会ったのです」

「面白い法師?」

「はい。双念殿という方なのですが、久遠さんのことを話したら、とても興味を持ってくださったのです。こちらが拠点のようなので、あと一月ひとつきほどで戻られると」

 妖怪に対する攻撃は一歩引いている巫女ならばあるいは、と思っていたので、法師と話ができるのは随分と先だと思っていた。だが、共生に興味を持ってくれるような人物がいたとは驚きだ。

「へえ……どんな人?」

「いつでも微笑みを湛えていて、仏に仕えるとはこういうことなのだろうと感じさせてくれるような、穏やかな方です」

 微笑む月読に釣られて笑う。

「そっか。会ってみたいなあ」

 一月ひとつきということは、桜がもう見頃だろうか。そういう、明るい気持ちにさせてくれるような雰囲気の中で会うことができるというのは、その関係に大きな希望を見出せる気がする。単純すぎるかもしれないが。

「きっと久遠さんも打ち解けられると思いますよ」

「それは楽しみだ」

「ええ、私ももう一度お会いするのが楽しみです」

 恐らく、彼女が弾けるような笑みを浮かべていたことも大きかったのだけれど。


 思えばこの頃から、少しずつ何かが狂い始めたのである。

 たとえば団同士のぶつかり合い。創設の時期には多くて、完全に縄張りが確定した後もちょくちょくはあったものの、それほど数は多くなかった。それなのに、目に見えて増え始めたのである。おれたちに喧嘩を売ってくる他の団の者たちが。

 おれがその意味を知ることは、しばらくない。

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