妖怪と人間の境界線
こっちに仲間がいるから、と、月読の手を軽く引きながら歩いていく。彼女は戸惑ったようにしていたけれど、特に抗わずついてくる。つい先ほどまで戦闘をしていたからか彼女の手は酷くあたたかかった。
間もなく森を抜けて、視界が開ける。雨が止んだからか月が覗いており、植物に残った雫が煌めいていて美しい。
待たせていた寒露の姿が目に入り、おれは空いている手を挙げて彼に存在を知らせた。
「久遠サマ! ……と、月読……? 何で二人してそんなぼろぼろなんですか!!」
半ば悲鳴を上げるようにしながら寒露はすぐに駆け寄ってきた。
「うーん。敵が雨女だったのはちょっと、ね」
「雨女……!? 酸ですね?」
すぐにおれたちの傷が何によって負ったものなのかを察してくれたようで、まずおれを治療してくれようとする。それを留め、月読を示した。
「おれは一先ず大丈夫だから、月読を先に治してあげて。女の子の顔に傷なんて残ったら嫌だろ?」
その台詞に寒露は大きなため息をつく。
「ったくどっかのクソ烏みたいな台詞……そんなとこは似なくていいんですけど、まあいいです。ご命令とあらば」
風巻に対する扱いは相変わらずであるが、とりあえずは従ってくれるようで安心した。
しかし、月読は「いや、あの……」と少し抵抗を示している。まあ巫女が妖怪に治療してもらうなど聞いたことはないし、無理はない。
「使えるものは使って、ね? 痛いんでしょ」
酸で焼かれたところは熱を持っていて、このままだと本当に痕が残ってしまうに違いないのだ。そんな姿を見るのはこちらとしても忍びない。
「ほら、早くしろっつーの。その分だけ久遠サマの治療が遅れんだよ」
「おれはほっといても治るよ、霊力で焼かれたわけじゃなし……」
それでも浮かない表情をしている月読と押し問答となりかかったところで、雨の匂いに紛れて気づくことのなかった馴染み深い匂いが鼻を刺激して顔を上げた。『彼』がすぐ近くにいる。
「クソで悪かったな頭でっかち蛟ー。ただいま帰りましたよー、と」
上空から緩やかに降下してきて、寒露の後ろに着地した人影。
「風巻!!」
「……うげ」
おれの声と嫌そうな調子の寒露の声が重なる。月読は突然新たな妖怪が登場したことで、警戒したように一歩下がった。
「歓迎されてんのかされてねーのか分かんねぇなぁ。まあ、とりあえず久しぶりー……と、初めまして?」
いつも通りにけらけらと明るい笑い声を上げる風巻。久しく姿を見ていなかったが、相変わらず元気そうだ。
雨の中を来たのか髪の毛は濡れており、張り付いた前髪を掻き上げている。いつもなら雲の上を飛んでくるというのに、そういう気分だったのだろうか。
「少なくとも俺は歓迎してねぇよクソ烏」
ますます嫌そうな顔をする寒露を見て更に警戒してしまっているのか、月読は無言でおれたちを見渡している。そうそう簡単に信用されるものでもない。
「おれは歓迎してるよ? お帰り、風巻。紹介するね? 第一幹部でおれの義兄の風巻。見ての通り烏天狗ね。で、こっちは第二幹部の寒露。蛟だよ」
風巻に笑顔を向けてから説明すると、彼女は大きく目を見開いた。
「猫又と烏天狗が……義兄弟……?」
ぽかん、という効果音が似合いそうな顔である。初対面の時にも思ったが、通常は生真面目な表情しか見られないから物珍しい。
「まあ、驚くかー。でも、巫女がうちの団長と一緒に来たってことは、この猫又の変わり者っぷりは知ってるんだろ? 中央はそんなんばっかりだしな。……霊力からして、月読……ってとこか? 疑いようないくらい、遠くからでもびしびし伝わってきたし」
風巻も月読の様子が可笑しかったようで、楽しげに笑いつつ尋ねる。
「……如何にも、私は当代の月読ですが。まさかそこまで変わり者だとは思っていませんでした」
真顔でさっくりと言ってくれる。おれは少し苦笑いして肩を竦めた。
寒露は会話に参加する気はないようで、今の隙にと月読の怪我を治療し始めている。一流の毒使い――つまり一流の薬使いでもある彼にかかれば、あっという間に跡形もなく火傷は消滅していった。
「あ……」
月読の表情が若干固まったが、おれたちは全員それを黙殺した。
「こればっかりは流石だよなぁ」
「てめえに褒められても微塵も嬉しくねえな」
寒露も寒露でざっくりと返し、完全に月読の治療は終わったようだった。正直、こういう状況を危惧して連れてきた部分が大きかったので、文句をほとんど言わず治してくれたのは本当にありがたいと思う。
「久遠サマ……は、問題なさそうですね」
「うん。だから言ったじゃん、ほっといても治るって」
そもそも妖力に裏打ちされる治癒能力。霊力や法力にさえ負傷させられなければ、怪我なんてほとんどはあっという間に治るのだ。
「風巻はまた何となく察して来てくれたの?」
にこりと笑って風巻を見る。
「いやー、特に危ない気はしてなかったけど。まあそろそろ帰らないとほら……鈴菜が……な?」
やはり彼は、今回のことについては脅威を感じていなかったらしい。幹部に語ったことが嘘にならなくてよかった。
ものすごく声が潜められた鈴菜のくだりに、おれは再び苦笑いする。
「いつだか、大量の鈴をしゃらしゃら鳴らしながら迫られたもんね……」
彼女を怒らせるととても怖いことは、団員の皆が知っている。第六幹部のことを怒らせてはいけない、と不文律になっているのだ。風巻が一度怒られて以来、誰も彼女の逆鱗には触れてはいけないと思い知ったのである。
「一年も団を空けるてめーが悪いんだろ、いい気味だ」
珍しいほどに口角を上げる寒露。そういうことを言うとまた口喧嘩が始まりそうな気がするので、「さてと!」と大袈裟に声を発して会話をぶった切った。
「これから月読を団に連れてくんだ。というわけで寒露は先に行って、互いに攻撃を加えないって条件で連れてくって伝えてきて」
風巻と交えて三人で話がしたいから体よく追い出すだけなのだが。
「え、巫女を!?」
目を剥く寒露の尻を蹴るような形で「さっさと行く!」と押し出すと、「後で文句言いますからね久遠サマ……」と言いながら彼は走り出した。すぐに背中が遠くなる。
「ふう。うるさいの追い出した」
「え」
笑顔で額を拭ったおれを月読はまじまじと見てくる。おれ、そんな表情をされるようなことをしただろうか?
風巻は風巻で「やーいいい気味」とおどけたように子供っぽく言っていて、何だかとても楽しそうであるが。
「怪我の調子は大丈夫?」
「あ……はい。ありがとうございました」
まだ少し気にしているような素振りを見せるけれど、軽く頭を下げてくれた。もう治ってしまったものはどうにもならないし、諦めたらしい。
「後で寒露に会った時にでも本人に伝えてあげて。多分、『久遠サマの命令だからだっつーの』って言われると思うけどね。ね、風巻」
けらけら笑って風巻に同意を求めた。
「そーだな。まああいつはほら、素直じゃないだけ。天邪鬼だから。なー?」
本人がいないのをいいことに言いたい放題である。笑っている時点でおれも同罪に違いないけれども。
おれと風巻の間に挟まれた形の月読は、神妙な顔で「そうなのですか」と頷いている。真面目な彼女には少し冗談が過ぎたかもしれない。
「驚かせないように言っておくと、団には今、七十人と少しぐらいの妖怪がいる。種族は様々だけどね。猫又はおれしかいないけど、天狗は風巻の他にも何人かいるよ。蛟と妖狐が割合的には一番多いかな」
「七十人」
話題を団のものに切り替えると、彼女は驚いたように目を瞬かせた。
「おれや風巻が勧誘した奴が多いよ」
にこりと笑う。
「そこで並べるか? 半分以上お前の勧誘だろ。オレが声かけた奴だって、最終的には団長に会って決めろって伝えてあるし」
雨雲を眺めたのか天を仰ぐ風巻。おれも釣られて見ると、完全に雲は流れていったようだ。もう一度降ってくるということもないだろう。
「総じて言えるのは、団員という人たちは総て変わり者ということですね」
視線を戻したところ、相変わらずの生真面目な表情で彼女が言うから、おれは思わず吹き出してしまった。
「そりゃ違いないな」
風巻も吹き出して、肩を震わせて笑っている。それを見てしまうとおれもこらえきれなくなって笑い声を上げてしまった。
「何でお二人ともそんなに笑っていらっしゃるのですか……?」
不可解そうな彼女には申し訳ないが、しばらく笑い治まりそうにはない。
「なんつーか、ちゃんと年相応だな……」
「ねー、何か癒される」
笑いの余韻を残しつつも何とか治まってきて大きく深呼吸した。
おれたちは見た目以上に年を取っているし、こういう『若い』部分を見ると微笑ましくてたまらないのである。
「もう十六なのですが……?」
『微笑ましい』本人の方は、眉を顰めますます以て不可解そうであるけれど。
「あー、うん、気にすんな。で……その『変わり者』の妖怪についてはどう思うわけ? 今のところの感想として」
このまま話題を長引かせてもきっと彼女は更に表情を曇らせるだけである。風巻の方もそう判断したようで、手をひらひらしてから改めてといった感じで尋ねた。
「敵意……というよりは攻撃を向けたところで一切反撃をしてきませんし、妙としか表現できませんが。話ぐらいは、聞いてみてもいいのではないかと。残念ながら、『月読』としてではなく、個人的にはなってしまいますが」
納得していない様相を見せつつも、実直な性格通りに問いにはしっかりと答える月読。
「いいんじゃねぇの、まずは個人的だってさ。月読って名乗ってたって、感覚そのものが人間だってのは他と変わらないわけだから、その言葉が聞けただけでも大きい収穫だ」
その言葉に笑顔を見せた風巻に「なー、団長?」と話を振られ、大きく頷いた。
「だからさっきも言ったでしょ? そこにいる人をただの一人の存在として受け止められたらそれでいいんだって。だから、『巫女の代表たる人』じゃなくて……さっき見せてくれたみたいな優しい『君』の目で見てくれれば、それでいいんだよ」
ちょっとだけ一人で先に進んでから振り返って笑う。
何故か風巻がこちらを何となく呆れたような目で一瞥してきたようだが、気のせいだろうか。すぐに月読の方に視線を向けてしまったし、気のせいかもしれない。
「……、ええと」
月読の顔には戸惑ったような表情が浮かび、ほんのりその頬が桜色に染まっている――ような気がする。
「……?」
首を傾げると、風巻が大股でこちらに近づいてきて思いっきり頭を叩かれた。
「痛った!? 何!?」
頭を押さえて抗議する。何で突然に暴力を振るわれなければならないのだ。
「いやぁ、つい、何となくー? お前ほんっと根っこは変わんねー……」
「何となくで叩かれるとか理不尽極まりないんだけど」
だが『いい笑顔』の風巻に勝てる気はしないし、すぐに痛みが消えたからまあよしとする。彼がたまに突然こうして怒るのはいつものことだから。
「っていうか……風巻。気づいたんだけどさ。二里ってつまりさ、一刻かかるよね?」
それはさておきということで、先ほど頭をよぎったことに話題を切り替える。
「人間の足でってことか? お前思いついたまんま喋るの悪い癖だぞ。つーか、話をするのにわざと歩いてるんだと思ったんだけど、オレ」
「それはもう諦めてよ、どうせ分かるんだし? いや勿論それはあったけど、でも流石に一刻も待たせたら寒露がそれはもう……烈火の如く怒りそうで……」
呆れた様相で髪を掻き上げる義兄にけらけら笑う。
寒露の名前を出しただけで、あっという間に彼が何を言うのかまで想像がつくから嫌だ。「だったらあんなに早く行かせる必要性なかったじゃないですか!! 尻蹴ってまで!!」とかだろうか、今回は。
月読はおれたちの応酬をそれぞれの顔を見つつ見守っている。
「尻蹴ったもんな。じゃあちょっと急いだ方がいいんじゃん?」
にやりと笑う風巻にも想像できたらしい。そして多分、この予想は外れることはないのである。このまま行けば。
「言わないでよ……ってことで、ちょっとごめんね、月読。風巻も走るなり飛ぶなりして追っかけてきてねー」
「っきゃああぁ!?」
ひょいっと抱え上げた瞬間驚いて悲鳴を上げる月読は黙殺し、勢いよく走り始めた。
「お前さ、距離の取り方とか相手に合わせるとかって知ってる?」
翼を広げた風巻は、低空飛行をしながら笑顔でついてくる。その笑顔はどういうわけかとても穏やかであった。
走ったら当然すぐに本拠地まで辿り着き、おれはそっと月読を降ろした。
「……死ぬ、かと、思った……」
小さく吐き出しながらぐったりと肩を落としている月読。おれ、何かしただろうか。
いや、妖怪の速さで移動するなんて初めての経験だろうから動揺しないわけはないのだけれど、何だかそれだけとも言い切れない疲労困憊の具合なのだ。
「お前なー、突然抱えて驚かないのなんか玻璃くらいだって。許可とれよせめて。心の準備ってもんがあるだろうが」
呆れ顔の風巻に軽く頭をはたかれて合点がいく。
「えっと……ごめんね?」
目線を合わせつつ謝った。眉が自然に下がっているのが何となく自分でも分かる。謝っても許してもらえるかどうかは分からないから怖い。
「いっ、いえ……! それよりあの、えっと!! 近いです!!」
ぐいっと押し返されて頬が潰れる。
「駄目だーーーーこいつオレにも何ともできない! おーい寒露、着いたぞー!」
風巻はもはやこちらを振り返らず、屋敷の方に呼びかけている。
「おっせえ!!」
怒鳴る声と共にどやどやと足音が聞こえてくる中、月読が「見捨てないでください……!!」とおれの頬を潰したままで悲鳴を上げていた。地味に痛いから離してもらえるとありがたいのだが。
「てめえは烏じゃなくて亀か何かだったのか?」
苛々を隠そうともしていない寒露は相当不機嫌である。その脇から雪水が現れて、月読を見咎めて驚愕の様相を見せた。
「貴女久遠さまに何を……!」
ぷるぷる震えている。怒りだろうか。
「多分、あの子じゃなくて久遠さまが悪いとあたしは思うわよぉ?」
逆の隣からは玻璃。苦笑いの黒鉄の後ろには鈴菜が隠れて様子を伺っていた。幹部勢揃いである。
「巫女? あれが月読?」
「見えねー邪魔だお前!!」
「そう言ってるお前が邪魔だよ!」
他の団員たちもわらわらと姿を現し、騒がしいことこの上ない。
「ていうか寒露さま、風巻さまが帰ってきてるなんて一言も言わなかったじゃないですかー!! お帰りなさい風巻さまー!!」
声を揃える団員にけらけら笑っていると、自分への注目が少し逸れたからか、月読は小さく吐息を吐き出してようやくおれから手を離してくれた。一気に情報が押し寄せたための放心が解けたらしい。
「ただいまー……って何、こいつ一言も言ってなかったのかよ! 一言で済むだろ! 一言ぐらい面倒臭がるんじゃねーよ!!」
流石の風巻でも文句のひとつも言いたくなったらしい。寒露は寒露で、「てめえの名前を口にするだけで蕁麻疹出そうだわ!!」とか応じているし、もうわけが分からない。
「一発くらいひっぱたきたくなるけどまあ……今はなしだな。なしなし。それよりほら、そこの頬っぺ潰されて貫録もなかった団長から言うことないんですかー」
「そういうこと言うなよ……」
苦笑してから月読を招き寄せようとしたが、少し躊躇った様子を見せている。仕方なく、軽く手を引いておれの隣まで誘導し、「一回静かにー!」と呼びかけた。
静まり返ったところで一同を見渡す。
「寒露から連絡が行ったと思うけど、当代の月読。月読の意味が分かんない奴は流石にいないよな? ってわけで、少しの間だけだけど団のこと見てもらうことにする。まあ『月読』としてじゃなくて一人の人間として、だけど。危害加えるなんてことは有り得ないと思うけど、もしも加えたら……分かるよな?」
最後に笑顔を作ってみせると、団員の空気が一気にピンと張りつめた。これでまず、触れようとする者もいなくなりそうだ。
「久遠さまの手久遠さまの手久遠さまの手――」
ぶつぶつ言っている奴がいる、と思ったら、雪水だった。何かと思えば、未だおれが取ったままの月読の手を凝視している。
「あ。ごめん、月読」
「いえ」
それで気づいて手を離したが、何だか先ほどよりも更に消耗したように見える月読。大丈夫かと声をかけようとしたところで、彼女は深く一礼する。
「ご紹介に預かりました、月読です。ご迷惑かとは思いますが一回りさせていただけると幸いです」
月読にとっては未だ適地である場所ですら朗々と、そして凜と響く声は、彼女が『月読』であることを確かに証明するもののひとつであるように思えた。
「よろしくお願いします」
団員たちの口調が月読の丁寧なものに釣られていて、少し笑ってしまう。
ちらりと確認すれば、風巻はお得意の軽口が発端で雪水と言い争っている。というより、じゃれている。毎度の挨拶のようなものだから気にせずに月読を振り返った。
「まあ一回りって言ってもそんなに見るところはないと思うけどね。大部屋行ってみる? ちびっこもいるよ」
「え……子供までいるのですか?」
「うん。虐げられる者を護るのが目標のひとつだし」
そんな会話をしている間も、おれの足にまだ寝ていなかった子供がじゃれついてきたり、風巻と雪水の争いに玻璃と寒露がそれぞれ味方に加わっていたりして、わけの分からないことになっている。何だろうかこれは。
「賑やかですね」
「うん。むしろ五月蠅いかも」
その腕に子供の一人を抱かせてやると、彼女はやはり年相応な表情を見せる。小さい子を見つめる目がとてもあたたかい。巫女はそもそも慈愛に満ち溢れた存在であるし、当然と言えば当然かもしれない。
子供の方も、彼女が怖い人ではないと分かったのか安心して甘えている。人間と見ると怯えるような子が多いのに、懐くのが早い。
「風巻、ちょっと月読頼んでいいー? ちびっこ部屋に運んでくる」
争いが終わったのを見届けてから、周りにいた子供たちをいっぺんに抱え上げて呼びかける。すると、六尾を抱えたままの月読は呆気にとられたようにこちらを見た。まあ十人を一時に持ち上げたら、人間にとっては中々に驚くべき光景だろう。
「オレは……いい、ですけどー」
呆れたような目をしながらも、風巻は確認するかのような目で彼女を窺う。
「あ……はい。お願いします」
はっとした様子で首肯し、離れたがらずにぐずる子供をおれに預けてきた。彼も抱え上げた中の一人に加え、おれは大部屋の方に向かう。
「あのおねえさんナカマになるの?」
「うーん、団員にはならないと思うよ。でも、力を貸してもらえないかどうか、ゆっくりと話し合いしようと思ってるんだ」
「そうなの? おねえさんやさしそうだから、そうなるといいなぁ」
子供たちの無邪気な言葉に笑い、そっと布団へと戻す。子供たちは気が高ぶっているのかなかなか寝付かなかったけれど、疲れていたのは事実のようでしばらくするとようやく眠りに落ちた。
寝言を言っている子の頬を微笑ましく思いながら軽く撫で、立ち上がって月読と風巻の方へと戻っていく。風巻に任せたのは大正解だったようで、だいぶ彼女の纏う空気が柔らかくなっているように遠目からでも見えた。
近づいていくと二人も気づき、顔をこちらへと向けた。
「どんな話、したの?」
「まあ初対面だから、当たり障りない話題ってやつ? あと、お前の突っ走りっぷりを代わりに兄として謝っといた」
「流石にーちゃん頼りになるー」
風巻に話を振るとからかうように言われたので棒読みで返し、ちらりと月読を見る。彼女は楽しげにくすくすと笑っていて、やはり緊張は解けたようだ。
「面白い方ですね」
「でしょ? おれのにーちゃんだからね」
満面に笑みを浮かべると、「関係あるのですか?」とますます笑い転げる月読。
「そうかぁ、オレはお前の義兄だから面白いのかぁ……」
「違うよ風巻が風巻だから面白いんだよ!」
「いや、文脈から言えばそうとしか取れませんよ?」
月読はもう口を利くのも苦しいという感じで笑い声を上げている。
「で、団内見せるんじゃなかったのか?」
しかし風巻が話題を修正してくれたおかげで、忘れかけていた本来の目的を思い出すことができた。
「そうだった。じゃ、行こっか。風巻も一緒に来るでしょー?」
とりあえず大部屋の方に足を向けながら一旦振り返る。
「一回部屋に荷物置いたら合流するわ。雨だったし、色々乾かしてからじゃないと錆が怖いからな」
「じゃあ大部屋にいるからねー」
頷いて歩き始めた風巻を見送ってから、月読を連れて大部屋に向かう。小さい子たちは寝ているが、起きている大人たちは月読へ興味津々に視線を向けている。促すと、彼女は数人と話をし始めた。
それをすぐ傍に座って眺めていると、風巻が帰ってくる。彼は月読を眺めつつおれの隣に腰を下ろした。
「とりあえず鏡は仕舞ってくれてるだけいいかなー」
ひとりごちるように呟く。
「こんな敵地とも言えるところで攻撃するやつはいないだろ」
「まあ……うん」
そもそも攻撃しないことを前提に来てもらったことだし、それはそうなのだが。防御のためにも鏡を手放さない巫女は多いと聞くから、かなり誠意ある対応をしてもらっていると思う。実際、翠子も死ぬまで鏡は手元から離さなかった。
「それに、さっきのお前の目を見て本気だと思わないやつはいないだろうな」
「へ?」
くすりと笑う声が聞こえて風巻を見遣る。
「月読に危害加えんな、って言ったとき。つーか、お前が言ったことを理由もなく破るやつならそもそも中央にはいねぇよ」
背中を叩かれる。たいして痛くはなかったが、大きな音が出たので数人が振り返ったぐらいだ。
「まあ破ったらどうなるかは分かってるもんな」
頬杖をついてけらけら笑った。
「なんつーか、いつも通りの団長だよなぁ」
「久遠さまがいつも通りじゃなかったらむしろこの団終わってますよ風巻さま」
振り返った者たちとそんな会話をしているのが、おれには何についてそんな表現がなされているのかよく分からなかった。
月読の方に視線を戻すと、和やかな雰囲気で会話できているようである。回ると言っても他は幹部の部屋ぐらいだし、さっき言い争っていた面子はもうしばらく間を置いた方がいい気がする。特に何故か殺気立っていた雪水などは。
「お前が何考えてんのか大体分かるから何とも言い難いわ……」
「へ?」
二度目の間抜けな声が漏れ出た。風巻はしみじみとしているのみであったが。
● ● ●
「今日はお邪魔しました」
社の建つ山の麓まで送ると、彼女はそう言って頭を下げた。
「いや、こっちこそ来てもらってありがとう。あと何かおれ、色々やらかしてたみたいだし? ごめんね」
「あ、いえ……私が勝手に混乱していただけですから」
小さく笑って首を振る彼女は、出会った日からするとだいぶ印象が変わった。
あの時は激流のようだったのに、その『月読』という名の通り、柔らかな雰囲気を纏っている。
警戒や不審を完全に解いてくれたわけではないと思う。その証拠に、ふとした瞬間気まずい沈黙が舞い降りる。まだぎくしゃくとした空気が残っている証拠だ。
多分月読をどう捉えたらいいのか迷っているのは団員も一緒で、こればかりは仕方ない。おれ自身何度も言い聞かせてきたが、おれたちはあくまで敵同士なのだから。
おれが誘い、彼女がそれに応じてくれて、しかも武器を手にすることなく団員たちと会話してくれた。それだけでかなりの進歩である。
「どう感じた? 団を見てみて」
無言を破って首を傾げた瞬間、彼女の口元に残っていた笑みが剥がれ落ち、中途半端に残る。
それに目を瞬かせた。
「――分からなく、なりました」
「え?」
「ヒトと妖怪に、いったいどんな違いがあるのか……」
天を仰ぐ月読の髪が、風に吹かれてさらさらと揺れる。
「私は今まで、数えきれないほどの妖怪を滅してきました。殺してきました……それが正しいのだと、疑いもしなかった。妖怪はあの子の命を奪ったのだから、奪い返すことが一番の弔いになるのだと」
おれは口を挟むことができなくて、ただただそんな彼女を見ていた。
「友人が、妖怪退治の最中に死んだのです。一番仲が良くて、何処に行くにも一緒でした。しかし、彼女は死んだ」
強い瞳で月を見上げる彼女は、何を思っているのだろう。今はもう会うことのできないその人を見ているのだろうか。
月を見るたび、おれが月影を思い浮かべたように。
「巫女である以上、自分が死ぬかもしれないことも身近な人間が死んでしまうかもしれないことも、ある程度覚悟はしていました。でも実際に喪うのとは違い過ぎた。のめり込みました。誰ももう人が死ぬことはないように」
――ですが私は違います! 私はそのような生半可な考え方はしません。法師殿に全面的に同意します。私は貴方がたを滅ぼす! 最期の一匹まで総て!!
彼女の叫びは心から発せられたものだった。思い入れがなければ、あんな咆哮はできない。
「だけど」
「はい。分かっています。私が狩った妖怪にも家族がいて、友人がいたでしょう。貴方たちのような存在が妖怪の総てだとは思っていません。けれど……命であることには、違いなかった」
ねえ久遠さん? と初めて呼ばれた自分の名前に少し驚きつつも、再び首を傾げる。
「……ん?」
「妖怪と人間の境界線とは、いったい何なのでしょうね?」
体は社の方に向けながら、顔だけをこちらに向けて作られた微笑みは――とてもとても、悲しげだった。
「月読、」
「天狗は人間が妖怪に変移した存在で……私たちも、奇妙な力を使うことには違いないのに。それがヒトに有用であるか否かというだけで」
彼女はそんな言葉を残して、おれに言葉を発させる隙を与えないようにか、速足で歩いていく。
「月読!」
こちらを見てもらえないことは分かっていたけれど、声をかけずにはいられなかった。
「おれにも、分からない。分からない、けれど! 一緒に探すことはできる。だから……!」
だから何だというのだろう。自分でも正体の掴めない感情が胸の中でぐるぐると渦巻く。
ひとつだけ分かることは、彼女に消えてほしくはない。今日は満月がこんなにも明るく世界を照らすのに、今の月読はまるで今にも揺らいでしまいそうな真昼の月のようだった。
「――貴方はやはり、おかしな妖怪です」
山に少し入ったところで振り返った彼女の台詞は、団を訪れる前と同じだったけれど。
「私の力を求めている人がいる限り、私は決して死にませんよ。……また、お会いしましょう」
穏やかに微笑んだその顔は、初めて見せるものだった。




