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桜の君は月夜に激す

 月の光は眩いばかりに

 直視してもらうことが叶わなくて



   ● ● ●



 当代の月読に会った――それが周知された途端、俄に周りが騒がしくなり始めた。

「久遠さま。よくお考えになってください。確かに人間との融和を目指す以上、いつか巫女とは話し合わなければならないでしょう。でも、いきなり敵意を剥き出しにしてくるような相手と交渉できるとはとても思いません」

 真剣な瞳で語る雪水ゆきみずは、比喩でなく冷気を纏っている。おれに霊力が向けられたと知って静かなる怒りを湛えているようだ。そのまま近づいてこられるから、少し寒い。

「今回会ったのは本当に偶然だし、いきなり彼女の交渉しようとはおれも思ってなかったよ……だけど、いい機会だとは思う」

 宥めるように両手を上下させつつ、ちらりと雪水以外の幹部を見遣った。

 寒露は雪水に完全に同意するような目をしているし、黒鉄くろがねは難しい顔、鈴菜すずなは迷うような表情をしている。玻璃はいつも通りに傍観の様相だ。

「いい機会とは、まさか」

「うん、彼女と交渉してみようと思って」

「だから先ほどから申し上げていますように、そのご意見は一度立ち止まって再考願います!!」

「えっと、ちょっと聞いて、雪水。あと冷気抑えてくれると嬉しい……寒いから」

 怒りのままに強さを増していたことを彼女もようやく気づいたようで、冷気は間もなく消える。そして不満そうな顔のままながらも座り直した。とりあえずは聞く体勢になってくれたらしい。

 おれはほっと一息つき、雪水を含めた幹部全員――ただし風巻は常の通りの放浪癖でいなかったけれど――を見渡した。

「まず、おれが楽観的に見てることを皆は不安に思ってそうだからさ、ひとつ言うと。風巻が帰ってきてないことも、月読の存在が脅威じゃないってことの根拠のひとつになるとは思うんだけど」

 色々なところにふらふらと出かけて行ってしまう風巻だけれど、団に何かしらの脅威が訪れれば、まるでそれを見透かしたかのようにして絶対に帰ってきていた。

 たとえば他の団が出来初めの頃、縄張り争いが起きそうだと緊張が走っていたとき。北の団との交渉がいい例だ。予見していたとでもいう様子の素晴らしい時期に姿を現す。

「そ、れは、今までの実績から言えばそうですけど! でもそんなの、根拠にするのには弱すぎます!」

 鈴菜の床を叩きながらの抗議に、寒露と雪水も激しく首肯している。態度の変わらない玻璃を除けば、それもそうか、という表情をしてくれたのは黒鉄だけだった。

「他にも俺たちを納得させられるだけの根拠があるなら挙げてみてください! さあ!!」

 寒露がじりじりとこちらとの距離を詰めてきて苦笑いする。

「あとはおれの勘。あの子なら分かってくれそう」

「勘!?」

「おれの勘は外れたことないよ」

 真顔で頷けば、寒露と雪水が一斉にため息をついた。鈴菜はどうしたものかと言いたげだ。やはり、この三人を説得するのは中々に難しいようで。

「それに。危ないからって避けてちゃ、おれの理想は永遠に叶わない」

 せっかく繋がったえにしだ。誰かとの関わり合いに無駄なものなどない。彼女とおれが出会わされたのも、何かしらの理由があるはずなのだ。

「あちらの誠意を得たいなら、こちらからも誠意を示さなきゃならないと思う。多分、一度は派手な戦いになる。でも、おれには彼女を傷つけるつもりは一切ない」

 社がある方向を見遣りながら、淡々と語る。

「戦い、って……!」

「ぶつかることもなく考えを分かってもらおうなんて甘すぎるだろ。おれたちは現在敵同士ってことは事実なんだから」

 雪水の上げた声を遮る。

「死ぬような真似はしない。おれが護らなければならないのは、この団であり、お前たちだから」

 だから、信用してほしい。そんな思いを込めて、全員の目を真っ直ぐに見つめた。

 言葉を失う雪水。寒露も同じのようで、鈴菜は助けを求めるように黒鉄を見ているが、彼は首を横に振るだけだった。

「久遠さまが此処まで我儘を言うなんて珍しいんじゃないかしら。それぐらい、今いない風巻を除いても五人の幹部がちゃんといるんだから叶えてあげましょ?」

 ふと、玻璃が声を上げる。いつものように袖口を口元に当てつつにこりと笑って。

「巫女一人から久遠さまを護れないほど、あたしたちは弱くないわ」

 彼女の微笑みに応じて口角を上げた。

 寒露は玻璃の発言に反論する気はないのか、またも大きなため息を吐き出したもののもう何も言わない。鈴菜も無言のまま、ただ気合を入れ直すように両手を握りしめる。

「貴女に言われるのは気に食わないけどね!」

 唯一、雪水だけは悔しそうに吐き捨てたが、異存はないようだった。

 風巻がいないということを挙げた段階で納得してくれた黒鉄を含め、とりあえずは幹部に承服してもらえたということでよさそうだ。

「話し合いができそうなときは、おれ一人で行く。一対一じゃないとそもそも話し合いにならなそうだから。でもいつでも来られるように待機しておいてくれ。ただし、おれが合図するようなことになるまでは来るなよ」

 先手を打って告げて、これで解散と言う代わりに手を打った。おれはその足で桜の木に向かうことにする。寒露と雪水はついていきたそうに腰を浮かせかけたが、玻璃と黒鉄にそれぞれ止められたらしかった。

 木までさほどの距離はない。あっという間に辿り着き、もう半ば散ってしまった花を見上げた。

 最初に会ったのはこの場所だった。此処にいればそのうち彼女が現れる気がしていた。

 妖気を探ると、団の方から警戒しているようなものが感じられる。確実に幹部たちだろう。

 さて、どうしたものか。四半刻ほど待ってみて誰も現れなければ、今日のところは大人しく戻った方がいいだろう。

 木の枝に跳び載ったところで俄に強い風が巻き起こる。辺りにあるものを攫っていく。おれは反射的に目を閉じて凪ぐのを待った。

 ざわざわと騒がしかった音が止んだその時、覚えのある匂いを感じて振り返った。

「妖怪……懲りませんね。どうして此処に現れるのです」

 こちらを見上げ、鏡を構えてくるのは、月読。

 おれが最初に出会った月読である翠子みどりこと同じく、何者にも屈さないと告げているような瞳をしている。

 巫女は迷わない。強くなくてはならない――口癖のように彼女が言っていたことを思い出す。

「桜が好きだからだよ。あと、君に会いたかった」

 静かに着地すると、月読は怪訝そうに眉を顰めた。

「会いたい……? 言っている意味がよく分からないのですが。それともわざわざ退治されに来たのですか?」

 硬い声で紡がれた言葉に苦笑する。

「そんなわけないじゃん。純粋に、話がしたいと思っただけ」

 答えにますます不可解そうにしている月読。おれが何を言いたいのかが本気で分からないらしい。まあ、こんな態度を取ろうとする妖怪は今までいなかっただろうから、そうそう簡単に理解してもらえるとはこっちも思っていない。

 少しでも彼女の不審が和らいでくれればいいと思い、おれは笑顔を向けた。

「巫女の基本理念って、『ヒトに仇なす妖怪を許すな』だよね? どうしておれを殺そうとするの? おれ、人間を困らせるような行動を取った覚えはないんだけど」

「貴方たちが妙な集団を作り始めてから、近隣の村の人々から毎日のように訴えが来ます。荒くれ者たちが一か所に集まり始めた、何かをしようとしているのかもしれない、と。不安でたまらない毎日を送らせ、人々の安寧を奪っている。その時点で充分退治の対象とは成り得ます」

 問いかけには真面目な調子で返される。なるほど、そういう理屈かと納得してしまいかけた。が、それでは駄目だろうと思い直してもう一度問う。

「でも、それなら何で、今まで五十年以上もの間、おれたちのことを監視するだけで留めてたの? いくらでも機会はあったはずだろう」

 初めて、月読の瞳が僅かに揺れた。そして瞬きひとつの後、眩い光がおれを襲う。

「こっちは無暴力で話し合おうとしてるのに、これはあんまりな仕打ちじゃないかな? しかも答えも貰えてないし」

 何とか躱して、当たっては嫌なので桜の木から距離を取る。そうすれば彼女が追ってくることは知っていた。

「貴方たちが集団を作り始めた頃、月読は私ではない別人が名乗っていました。彼女が決めたのです。ちょうど襲名したばかりの頃で、無駄な争いを起こしたくなかったのもあるでしょう」

 彼女から数本の光の縄が四散する。硬化の術で足場を作り、空中を跳び上がって躱す。そのまま右足から技を放って縄を切り刻み、一回転して着地。そのまま後ろに跳んで間合いを取る。

 防戦一方だが、こちらに傷つける意思がない以上仕方ない。気がかりなのは幹部たちだ。流石にいきなり飛びかかってきたりはしないだろうけれど、おれに傷のひとつでも付けられれば、殺しはしなくとも反撃はするに違いないから。

「それから彼女は私が社に預けられる日まで、ずっと月読を名乗り続けていました。彼女の考えは変わらなかった。貴方が言うように、その『団』とやらは人間を傷つける意思がないようだから、と」

 月読はおれの速さに追いつけないのを埋め合わせするかのように、縄の本数や太さを増させて襲いかかってくる。その速度は正直、全力を出す気のない現在のおれのものに相当する。

「じゃあどうして――」

「ですが私は違います! 私はそのような生半可な考え方はしません。法師殿に全面的に同意します。私は貴方がたを滅ぼす! 最後の一匹まで総て!!」

 訊こうと発した言葉は、鋭い叫びに遮られた。

「……っ、」

 少し驚いたことが隙を生む。足首を縄の一本に巻き取られ、地面に引き倒された。真上から霊力の雨が降ってくる。

「久遠サマ!!」

 寒露の声に、雪水と鈴菜の匂い。たまらず駆けつけてきたらしい。合図があるまで待機、というおれの言いつけは無視されたようだ。

「来るな!!!!」

 忠義には心から感謝するが、皆が此処に来たら逆効果。

 全開にした妖力はおれを中心とした巨大な圧力を生み、三人の足を止めさせた。足音が掻き消える。

 それを確認しながら使える両手で力を放って霊力の雨を相殺し、次の瞬間には次の縄を断ち切った。もちろん総てを防ぐことは不可能だったから細かい傷がいくつもできたが、致命傷となるようなものはひとつもない。

「ごめん。理不尽だって分かってるけど、今来たら、お前たちを団員とは認めない」

 三人を無表情に一瞥してから、次の攻撃の構えを見せている月読と向き直る。

 彼らがどんな顔をしているのかは分からないが、息を呑む微かな音は聞き取ることができた。

「どうしてそこまで妖怪を恨む」

 でも、今は月読に語りかけることを優先する。

「恨んでなどいません。それが私たちの使命です」

「私情を挟むのは巫女として相応しくない、って? でも君だって人間だろ。それに、何かしらの思いがなきゃ覚悟なんてできるはずないと思うんだけど」

 腕を伝ってくる血が鬱陶しい。気が高ぶっているからか痛みを感じないが、二の腕の辺りが切れているらしい。

「何かあったとして、どうしてそれを貴方に語らなくてはならないのですか」

 低い声と嫌悪の目で吐き捨てられた直後に、霊力の球体が信じられないほどの速さで襲いかかってくる。目が眩むような輝きであることからして、今までで一番の威力であると断言できた。

 正直、彼女の実力を舐めていた。冷や汗を感じながら後悔する。

 下手をすれば、一般の巫女の数倍――いや、数十倍の力があるかもしれない。

 両手に今持てる総ての力を集め、全身を使って爪閃斬を放った。一度では勢いを殺せない。あと数寸で衝突というところで何とか地面を蹴り、もう一度技をぶつける。

 玉は爆散し、辺りに散らばった。破片のひとつが飛んできて、おれの頬や脚を焼く。

 流石にお互いに息が上がっているけれども、彼女は余力があることを示すがごとく数度目の構えを見せている。

「何故、攻撃してこないのです」

 不可解そうに訊く彼女に、荒い息を宥めながら肩を竦めた。

「言っただろ。おれは、中央の団の団長。目標は人間との共生。ヒトを絶対に傷つけないって決めた」

 勢いよく振って右手に伝っていた血を払う。ところどころ今でも焼かれているように痛いが、気にならなかった。

「どうして」

「もう、自分と同じような人たちを増やしたくはないから」

 怪訝な表情。彼女からすれば遠い昔の出来事だ。知らなくても無理はない。

「おれは、生まれ故郷を滅ぼされた。法師たちによってね。おれが今掲げているのと同じ理念を持って生活してたのに、一瞬で奪われた。憎んだよ。恨んだよ。でも復讐するのは嫌だった。第二第三のおれを生み出すだけだから」

 距離を詰めていく。月読は警戒して間合いを取るが、構わず歩み続けた。


「――君も、同じなんじゃないの?」


 びくり。彼女の肩が僅かに跳ねる。

 正解だとそれを見て確信した。彼女は多分、身近な人を妖怪によって殺されている。だからこそこんなふうに激情を見せるのだ。

「だったらおれは、君とこそ話したい。共生の話を……おれがやろうとしてることを、君と話し合いたい。人間側がどう思うのか確かめたいんだ」

 手を伸ばせば届く距離に来たけれど、月読は動かなかった。ただ俯いている。

 話を聞いてくれるかもしれない。淡い期待を抱き、口を開きかけた。しかし、「……ん、なの、」という呟きが耳に届いて首を傾げる。

「え?」

「そんなの、詭弁じゃないですか!!」

 叫びと共に光の暴発。初対面の時と一緒だ。

「久遠さま!!」

 仲間たちの悲痛な叫びが背後に聞こえる。

「痛って……」

 反射的に飛び退いて最悪の事態は免れたが、左腕が大きく爛れてしばらくは役に立たなそうだ。しかし言ってみればそれだけで、問題はない。ひらひらと手を振って、生命維持に全く支障はないことを幹部たちに知らせた。

 こちらを鋭い目で睨みつける月読の鏡がきらきらと輝いている。こんな状況なのにそれを綺麗だと思ってしまうおれは、相当呑気なのかもしれない。

 だけど、聞き捨てならない台詞にはちゃんと反応する。

「詭弁だって何で言い切れる? 君はまだ、何にも知ろうとしてないだろ。知ることすら拒絶してるんだろ。目の前の状況に目を閉じてるのに、どうしてそんなことが言い切れる」

 翠子に言われたことが頭の中で反響した。「自分の限界から目を背けている者には誰も救えない」。確かに目の前に存在するものから逃げているのも同じことではないのか。

「……ッ!」

 彼女は唇を戦慄わななかせ、鏡を握り締める。

「君は、無抵抗の相手を一方的に殺せるほど、鬼にはなれない。違う?」

 その言葉が、彼女にどんな影響を及ぼしたのかは分からない。

 ただ、刹那に見せた迷い子のような表情は――巫女ではなく、年相応の少女のものだった。

 もう口を利こうともせず、回れ右をして社の方に駆けていく。見送ることしかできなかったが、彼女の背中は何だかとても頼りなさげに見えた。

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