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記憶の鍵を握る少年

 瞳子と鼎が深刻な様相で話し合っているさなか、鶫はそんな二人に気づくことはなく、記憶が蘇ってくるままに未だ任せながらふらふらと神社の敷地内をうろついていた。

 磨き上げられた社殿、歩くと耳に心地よい音を立てる玉砂利。敷石は美しく、しっかりと鶫の足を受け止めてくれる。

 ここが瞳子の育った環境なのだ。

 彼がつい最近まで触れることなく、触れていないことに特段違和感を覚えていなかった場所で彼女は生まれ、成長してきた。その時点で大きな差が開いている気がしてたまらなかった。

 鶫は一般家庭で育ち、自分自身が『普通』だと信じて疑わなかった。足元を支えるものが大きく変わり、戦う覚悟を決めたとはいえ、未だに慣れない部分が大きい。

 一方、自分が何者であるのか迷いがなく、それ故に強く立っている瞳子。鶫にはそんな彼女が酷く眩しく思えた。

 先日、宏基が完全変化をして倒れた時にしてもそうだ。鶫は狼狽えるばかりであったのに、瞳子は冷静に状況を見て最善のことをしてくれた。予想より早く宏基が回復したのも彼女のおかげと言ってもいい。

 せめてもう少し強く在りたいのに、瞳子は一歩先を歩んでいる気がして。

 こういう思考に至るとき、たとえ生まれ変わりであっても久遠と己は別物であると鶫は痛感する。

 久遠は迷い戸惑う中でも、一本の芯が通っていた。今の鶫にはそれがない。正確に言えば、何を芯に据えたらいいのかが分からなくなっている。

 久遠の中核を成すものは、「妖怪と人間の共生を果たす」ことであった。人間になりたいと思っていたわけではなく、妖怪として、別の種族である人間と共に生きたいと思っていたのだ。

 だが、今の鶫は人間でしかない。たとえ妖怪の力をその身に宿し、使うことができたとしても。久遠の目標を果たす機会は永遠に失われてしまった。

 これから進んでいくために、自分にはそれに代わるだけの存在感を持つ『芯』が必要だ――鶫は参道を下りながら鶫は思った。

 そこでふと、彼の視界の端に祠が映る。前回初めて訪れた折、後で誰が祭られているか確認しようと思ってそれきりになっていたもの。鶫はゆっくりと距離を縮めた。

「最強にして、最も神への信仰の厚かった巫女……」

 立札に書かれた短い説明に目を通しながら、鶫は小さく呟いた。


 霊力と呼ばれる不思議な力を昔の神職たちは持っており、その下で働く巫女たちにも持つ者がいたと言われています。この末社に祭られているのはその戦国期の巫女にして、歴代で最も強大な力を誇りつつも、それを疎まれために妖との戦いで殺されたと言い伝えられています――。


 まず間違いなく、この巫女というのは瞳子の前世である月読だろう。彼女の遺体はここに葬られ、それが現代までこうして守られてきたのだ。

 読み進むに従って、鶫は表情も身体も硬くしていく。目は大きく見開かれ、驚きを全身で表していた。

 妖、つまり妖怪に殺された、と記してあることについては、悲しくはあっても驚かなかった。瞳子が初めての体面の時に退治しようとしてきた理由は、この伝承に裏打ちされていると今は知っていたから。

 鶫が雷に打たれたような気分になったのは、その後に綴られていた文章に、だった。


 後日談として、その仇を当時協力関係にあった法師が討った、という伝承も残っています。その妖が従えていた者たちを殲滅し、地域に安寧をもたらしたのです。


「そんな、こと……」

 そもそも月読を殺していないのに、どうして仇を討ったなどと言われねばならないのか。

 こうしてあからさまに法師を讃えるような文面が残されていると、鶫の中の疑念はますます強くなっていく。

 ――月読殿の力の強さを僻んだり、その『共生』の意見に反感を持ったりする人が、特に法師に多かったのは事実。そういう人たちの策略に、月読殿も久遠殿たちも嵌められたのかもしれない。

 庸汰の言葉が脳内で反響する。

 月読はきっと、法師に殺されたのだ。生まれ変わりたる瞳子が何も思い出してはいないのに、鶫はもはや確信していた。

 また、ずっと確認することを避けていた事実を思いもかけず知ることになってしまったのも、彼の精神に大いなる影響を及ぼしていた。

 それは団がどうなったのかということ。鼎に聞けば何か分かったかもしれないし、たとえ彼が知らなくとも、蔵の中にあるという膨大な資料のどこかにはきっとその記述が多少は存在したはず。だが、確認することを避けてきた。

 護りきることができなかったのだということを、知るのが怖かったから。

 自分の中で久遠が泣き崩れているような気がして、鶫は震えるほど強く拳を握り込んだ。

「せめて……誰が団を滅ぼしたのかぐらい、知りたい」

 伝承だというのならば、真実とは違うことが伝わっている可能性も大いにある。団はしばらく存続し続けたかもしれない。やはり伝承通りに滅ぼされているのかもしれない。それを判断するためには、調べなければならない。

「鼎さんに相談しないと……」

 鶫は住居の方へと体の向きを変えた。

「鶫くん」

 と、まるでタイミングを計ったかのように、そんな声が鼓膜を揺らす。

 ゆっくりと振り返った先には、見覚えのある姿があった。

「庸汰……?」

 驚きで目を瞬かせた。

「偶然だね。どうせ明後日には会うことになってたのに、ここでも会っちゃうなんて。僕はちょっと早めの合格祈願に来たんだけど、鶫くんは遊びに来てるの?」

 長い石段を上ってきたからか少し気だるげな雰囲気があるものの、微笑はいつも通りに柔らか。

「うん、そうだよ。でもほんと、すごい偶然、――ッ!?」

 鶫も微笑みを返して言いかけた。しかし、唐突に強烈な頭痛が襲いかかってきて頭を抱える。

「鶫くん? どうしたの?」

 あまりの激しさに、庸汰の声が歪んで聞こえた。だがこの痛みに似たものは何度か経験している。記憶が蘇ってこようとしているために引き起こされるもの。庸汰によって刺激され、再生が始まろうとしているのだ。

「何、でも、ない……だ、い、じょうぶ、だから……」

 懸命に笑顔を作ろうとしても、激痛がそれを叶えさせてはくれない。鶫はしゃがみこまないようにするのが精一杯だった。

「頭が痛いの?」

「うん、でも、すぐ治まるから」

 近づいてくる庸汰の足に、誰かのものが重なる。

 草鞋を履いた足。地面に突かれた何かの棒。視線が持ち上がる。棒が錫杖だと分かる。法師だ。彼はそれを手にしているのと反対の手で、誰かを抱いている。血塗れの誰かを抱いている。緋袴に白小袖、長い黒髪。その姿は、巫女。彼女は誰だ、誰なのだ。

 なぜか鶫の心臓が強く強く脈打ち始める。まるで第三者の意思が働いているかのよう。いや、久遠の意思が働いているに違いなかった。

 視線がどんどんと移動していき、巫女の顔を捉える。彼女は、瞳子と瓜二つの顔をしていた。

 月読の最期だ。

 庸汰と初めて会った日にも、やはり彼女の最期を思い出した。しかし今回の記憶の再生はその時以上にリアルで長い。

 映像の視点はどんどんと移動していく。心臓はますます早鐘を打ち、衝撃や喪失感が一緒くたになって鶫を襲った。

 とうとう、法師の顔が久遠の視界に入る。

「鶫くん、どうしたの?」

 ほぼ同時、庸汰の声が響く。

 鶫は動けなかった。言葉すら忘れたかのように、立ち尽くした。

「何か、思い出したの?」

 庸汰の声にも反応できない。

 はっきりと法師の顔を視認するのと同時に映像は途切れ、痛みも急速に引いていく。分かっていても、縫い付けられたかのようにその場から足が剥がれない。

「思い出したのは辛いことだったのかな。たとえば、そうだね……」

 心配しているような言葉遣いで尋ねる声は、なぜか明るい。

 その異様さに、ようやく鶫は顔を彼に向けることができた。


「――月読の最期、とか?」


 庸汰は微笑んでいる。いつものように人なつっこい様子で。

 庸汰は微笑んでいる。虫けらを見つめるような目を向けながら。

 思い出せ。思い出せ。今まで記憶が蘇ってきたのはどういう状況だったのかを。

 最初に大枠の記憶を取り戻した時に傍にいたのは、宏基。だが、それ以外は総て、とある二人に関わった時にのみ、断片を取り戻すことができた。

 一人は瞳子。もう一人は――庸汰だ。

 そんな彼が、本人の語るように「些細な関わり」であったはずがないのに。その可能性にはもう、気づいていたのに。

「…………よ、うた……」

 絞り出した鶫の声は、無様に震えていた。

「何? 何か、あった?」

 この状況でもなお、彼の声はとてもとても明るい。


 血塗れで絶命している月読を抱えていた法師は、庸汰と瓜二つの容姿をしていた。


「どうして」

 どうして、と繰り返すことしかできない鶫。そんな彼に向かって、庸汰はたたただ笑んでいた。

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