決して許されぬ過ち
柔らかな月の光に
総てを救われたはずだったのに
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己から流れ出る血液が、まるで川のように紅葉の上を流れていた。
死の縁に立ちながら見上げる青い空と舞い散る紅葉は、目を見張りたくなるほどに美しい。
もうすぐ死ぬというこの時にも世界はこれほど輝く。ならば、何も知らず、何も持たずにこの世界に落とされた誕生の瞬間は、どれほど世界は煌めいて見えたのだろうか。
そんなことに思いを馳せても意味がないことぐらい、よく分かっている。罪深いことも。
だって、おれのせいで大事な人たちが死んだ。
「月読……」
生涯でただ一人愛した人は、腕の中ですでに絶命していた。
あんなにあたたかかった手は驚くくらい冷たくて、悲しいほどに現実を思い知らせる。
――せめて好きだと伝えておけばよかった。
後悔の念が押し寄せてくるが、もう遅い。
細く長い指を握ろうとするも、己の手ももう力が入らず、役に立たなかった。
何とか視線だけを動かして、地面に倒れた自分の後ろを見る。
「……寒露、……玻璃……」
共に様々な戦地を乗り越えてきた仲間たちもまた、地に伏している。出血量からして、もはや死に絶えていることは明らかだった。
おれだけがこの圧倒的な死の空気の中生き残っている。罪深い、愚か者のおれだけが。
「紅霞……」
死に目にあうことすら叶わなかった義兄弟の名前を呼んだ。
呼んだところで届かないのに。もう二度と声を聞くこともなければ、その大きな手で頭を撫でてくれることもない。
お前ならもっと上手く護れたのかな――なあ、紅霞?
手を伸ばしてもそれは幻影で。触れようとしたら掻き消える。ずっと一緒だったのに、大好きだった義兄はもう何処にもいない。
なあ、どうしてだよ。どうしてあいつは、おれを裏切った?
皆は知っていたのか、おれだけが愚かだったのか。あいつの本性も見抜けず信じ込んで。そして、皆を死なせた。
だったら、皆を死なせたのも、自分自身を死なせることになったのも、おれのせいじゃないか。
おれがもっと強ければ、賢かったら、皆を守れたのだろうか。
「ごめん……」
弱くてごめん。馬鹿でごめん。守れなくて、ごめん。
無意味な謝罪をする前に、おれは行かなきゃならないのに。
鉛のように重い自分の体。地面に手をつき、そのまま進む。だが、すぐに体力が尽きて再び紅葉の海に倒れ伏した。
行かなきゃ。護らなきゃ。
気持ちばかりが先走って、体が追い付かない。
血が、止まらない。
「いかなきゃ……」
ああもう、指先にすら力が入らない。
声が届かない。苦しさに咳き込んででも這おうとして、また倒れる。それを繰り返すことができたのも数回だけだった。
「――……おわり、か」
唇の端が持ち上がっているのかどうかは分からないが、自分を嘲り笑った。
護ると言って仲間を集めたのに、このざまか。何ひとつ果たせず、総ての約束を反故にした。
情けなくて、くだらなくて、しょうもない。
だけどそれでも、幸せだった。
笑いかけてくれる愛しい人がいて、頭を撫でてくれる兄がいて、何をしてもついてきてくれる仲間がいて。
おれには勿体ないくらいの生涯だった。
もしも生まれ変わることができるのなら、そのときこそ彼女に好きだと伝えよう。今度は彼と本当の兄弟として生まれよう。大事な仲間たちと、再び仲間になろう。
そして何より、騙されることのない賢さを持とう。
もう誰も傷つけないように。
ああ、随分前に亡くした妹も、死ぬ時はこんなふうに苦しかったのだろうか。
死にゆくときは走馬灯を見るというのは本当だったようだ。駆け巡っていく記憶の数々。紛れもなくおれが刻んできた足跡たち。
正義のためという大義名分を掲げても、おれはたくさんの者たちを殺してきた。きっと地獄に堕ちるだろう。だとしても、おれは笑う。笑ってやる。
自分は幸せに生きた。大好きな人に囲まれて、たくさんの喜びを受け取った。
心残りはたくさんあるけれど、己の弱さに打ちひしがれてもいるけれど、無様だときっと多くの人は嘲るだろうけれど――それでも。
あれ、地獄に堕ちたら転生はできるのかな? 出来なかったら困るな、とか、楽観的過ぎて自分でも笑える。今まさにおれは死のうとしているのに。
考えることすら億劫になってきた。
もう最期は近いらしい。
寒露、玻璃。あの世でも仲間になってくれるか?
月読、おれももうすぐ追いつくから、もう少しだけ待っていて。
そして。
「さきにいった、ばか……まってろ、……紅霞……」
皆みんな大好きだ。大好きだった。
意識が完全に立ち消える。
後に残ったのは、幸福に包まれた記憶の欠片たちだけだった。