桜舞い散る中、二人
何かを始め、そしてそれに夢中になると、だいたいにおいて時の流れというものは早く感じられるものである。
それはおれも同じで、団を創ってからの毎日は充実していて、幸せで――とても早く感じられた。
とりわけ、『彼女』と出会ってからは、ますます。
「久遠さま。桜が綺麗に咲いていますよぉ」
廊下ですれ違った玻璃に呼び止められ、彼女が指し示した方向を見遣る。すると確かに今が盛りとばかりに咲き誇る薄紅色が見えて、目を細めた。
「ほんとだ。そのうち見に行こうか」
「そうしましょう。流石の寒露も桜の情緒は解するみたいですものねぇ?」
悪戯っぽく科を作るその様子に笑い、おれは彼女の頭を撫でる。
「そうだな。流石に此処を空にはできないから、何組かに分かれて行くことになりそうだけど」
「えー。だったら私、久遠さまとがいいですぅ」
半ば冗談半ば本気という感じで腕に纏わりついてくる玻璃。おれは特に気にしないのだけれど、しっかりと見咎める者はいるもので。
「玻璃!! 貴女いったい何してるのよ、久遠さまにべたべたとくっついて!!」
背後からそんな声が聞こえたので振り返ると、長い銀髪をきっちり結い、きりりと真面目な顔をした女性がそこには立っている。
雪水――玻璃の加入から五年ほど経った頃に我が中央の団へと加わった雪女で、第四幹部だ。
茹だるほど暑いとある日、そのせいで弱っていたところを助けたら、懐かれる形となったのである。ためしに誘ってみたらついてきてくれて、その妖気の大きさを鑑み、彼女にも幹部の称号を与えることにした。
それまで寒露が一人で背負っていた家計のやりくりを手伝ってくれるようになり、細やかな仕事ぶりで助かっている。
そして彼に勝るとも劣らない真面目な人柄なので、寒露とは仲がいいのだが、あらゆることに関して緩やかな態度しか取らない玻璃とはあまり馬が合わないようだ。毎日何かしらで言い争いをしている。
「なぁんだ雪水じゃなぁい」
「その言い草は何よ! だいたい貴女、そのだらしない格好もどうにかならないの!? 胸元ぐらいちゃんと閉じなさい!」
「やーよ、何でアンタにそんなこと言われなきゃならないのよ」
今回もその範疇である。玻璃は鬱陶しそうにしつつおれのうでから離れて、雪水が現れた方向とは逆方向に向かっていく。でもおれに対してひらひらと手を振るのを忘れない辺り、彼女らしい。
「だから主に対してそういう軽い態度はどうなのかしら、っていつも言ってるでしょう! お待ちなさい!」
彼女を追いかけながらも、おれの前を通り過ぎる時はきっちりと一礼していく雪水も、やはりいつも通りだった。
ちなみに雪水は、風巻がいつも女の子に対して叩く軽口も相手にしない――と言うよりは、だいぶ辛辣に扱う。逆鱗に触れて氷漬けにさせられたこともあった。風巻の方は全く気にしていないようで、毎度けらけらと笑ってはいるけれど。
それにしても、元気がいい。いや、元気があるのは何よりなのだが、たとえばこのまま実力行使に発展して建物を壊さないかどうかは若干不安になる。
一度、あの二人が大乱闘になって廊下の半分が消し飛んだことを思い出し、頭を抱えた。
火事になるのも家の中で大吹雪になるのも困る。これは止めた方がいいのだろうか。
「賑やかですね」
「本当に」
思案していたところに、庭で作業をしていた二人が苦笑交じりに話しながらやってくる。
「黒鉄、鈴菜。ご苦労さま」
「ありがとうございます」
綺麗に声を揃えたのは、第五幹部の黒鉄と、第六幹部の鈴菜。黒鉄は鉄鼠、鈴菜は鈴彦姫――人間の神事に使われる鈴が時を経て付喪神と化した妖怪――である。
どちらも、雪水が加わってから間もなく仲間に加わって、やはり妖力の大きさに鑑みて幹部としたのだった。
「庭、めちゃくちゃ綺麗になったな。ありがとう」
一旦玻璃と雪水の喧嘩のことは横に置いておいて、庭の掃除をしてくれていた二人をねぎらう。たったそれだけのことで嬉しそうに笑う様子が見られて、おれまで嬉しくなる気がした。
「いえいえ、草取りなら任せてください」
鉄鼠の特徴である鉄の歯を見せて笑う黒鉄は、本当に気がいい奴だと思う。
「わたしは黒鉄のお手伝いをしただけですから」
のんびりとした性格の鈴菜の言い方には和むが、これで彼女、おそらく幹部の中でも怒らせると一番に怖いから注意しなければならない。風巻ですら「鈴菜は怒らせてはいけない」と零すほど。
しかし、そんなふうにのびのびと生きられるようになったのはとても喜ばしいことで。
彼女は付喪神であり、元々ヒトに使われ、ごく近い場所にいた。しかし結局は捨てられた形となり、おれと出会った当初は複雑な感情があったようだ。ヒトを見るたび、何とも言えない表情をしていたのである。
――ヒトがいなければわたしは生まれなかった。だけど、不必要だと捨てたのもまた、ヒトなんです。
団に加わった頃、常に俯きがちだった彼女が、一度だけそう零した。おれは何も言えなくて、ただ傍にいて、おれの生きざまを見てもらうことにした。
鈴菜は鈴菜なりにそんなおれを見て何かしら感じてくれたのか。徐々に表情は明るくなっていったし、冗談だって言えるようになってきた。にこにこと人の心を和ませる笑みを浮かべて、いつでも誰かの傍に寄り添っている。そんな様子が見られておれはほっとしていた。このままいい方向に変わっていっていくのを願うばかりである。
鈴菜の方は大方の団員と同じように弱っていたところを助けたのだが、黒鉄だけは特殊だ。当初は南の団の構成員で、おれの命を狙って攻撃してきたのである。それを返り討ちにしたら、数日後に南の団を抜けてきて、「中央の団に加えてください」と頭を下げてきた。
数か月は平の団員として働いてもらって本気かどうかを試した末、幹部として正式に迎え入れた。つまり、異例も異例なのである。
「鈴菜は今日飯の当番か?」
「うん。雪水と一緒だから呼んでくるね。ついでに喧嘩も止めてくる」
「頼もしー」
けらけらと声を上げて笑えば、「末席とはいえ幹部ですから!」ときりりとした雰囲気になって、雪水たちが消えていった方向にぱたぱたと駆けていく。
「オレはこれ片付けてきますね」
掃除の用具を掲げて見せて、黒鉄も去っていく。皆それぞれに忙しそうだ。
幹部たちは皆、よく働いてくれている。おれの働きなんて霞んでしまうのではないかというぐらい。
創った当初は風巻と寒露しかいなくて、そこに玻璃が加わって、今はそこに更に三人が増えて、幹部は六人になった。その他の団員も順調に数を増やし、今や七十人ほどにもなる。おれの思想が同じ数だけ受け入れられているということで、本当に嬉しい。
しかし、まだヒトとの対話が進んでいない。最終目標は共生するということなのだから、そろそろ何か手を考えなければならないだろう。
そのためにまず大きな障害となるのは法師や巫女。
団の創設から三十年近く。諜報員たちが集めてきた情報によると、もちろん担当の人物は変わりつつも、巫女はずっと監視を続けているらしい。
だが言ってみればそれだけで、表立って攻撃を受けたことは一度もなかった。
こちらの目的が何か分からず、そしてヒトに手を出していない以上、巫女の方も行動を起こせないでいるのだろう。
そして法師の方だが。近くに社があるということで、この辺りは巫女の影響力が強く、法師も彼女たちを差し置いては中々手を出せないようで、こちらからも未だ大きな攻撃は受けていない。幸運に恵まれているように思う。
「そろそろ、巫女の誰かと話してみたいところだな」
食事を終え、夕暮れ空を眺めながらひとりごちる。
そのためには、ある程度の危険は承知でも会わなければならない。さて、どうするか。
夕暮れ空がやがて夜空に変わり、月が世界を照らす時間になっても考えたが、なかなかいい案は浮かばない。頭をがりがりと掻いて、気分転換でもしようと立ち上がった。
「寒露」
声をかけるとすぐに返事があって、隣の部屋との仕切りになっている襖が静かに開く。立ち上がりつつ、普段通りにきっちりと正座している寒露を振り返った。
「ちょっとすぐそこの桜の木まで行ってくる」
「え。お一人で、ですか? 俺も、」
「何かあったらすぐに来てくれるようにしといてくれればいいから」
遮って、次の言葉を吐かせる暇を与えないのが一番。おれは一気に外へと飛び出した。
「久遠サマ!!」
寒露の怒りに満ちた声が聞こえたけれど、後で謝るとしてとりあえずは無視。
裏の森にある、しかも北の団側でなくてこちら側にある桜を見に行くだけだ。本拠地は目と鼻の先なのだから、そこまで心配しなくてもいいというのに。
木の根元に立って花を見上げると、この木はもうそろそろ散り始めの時期らしい。まるで空中で踊っているかのように花弁が降ってくる様子に、感嘆のため息が漏れる。
その時だった。
「そこで何をしているのです。妖怪」
凛とした声。ほぼ時を同じくして、何かが強烈な光を発しながら飛んでくるのが横目に見えた。
おれは反射的に跳び上がり、桜の木の枝に着地する。
「あっぶねえ……せめて、桜を見て物思いに耽ってる時ぐらいは攻撃しないでいてくれると嬉しいんだけど? 巫女殿」
背中に冷や汗を感じながら、おれは攻撃の主を見下ろした。
「馬鹿を言わないでください。猫又ということは、貴方が久遠ですね。退治します」
相変わらず澄んだ――しかし、その分冷たくも感じられる声は、緋色の袴に白小袖姿の女性から発せられたもの。
そんな姿をしている者など巫女以外にはいない。しかもしっかりと鏡が構えられている。その面が月光を反射して白々と光っていて、少し眩しい。
地面からは焦げ付いたような臭いが感じられることからして、まず間違いなくさっきほどの光は彼女が発した霊力である。
年の頃はまだ二十歳にはなっていない。高い位置で結い上げられた巫女たちに共通の長い髪は、風でさらさらと揺れている。強い意志の込められているような大きな瞳が印象的だ。
じっと目を見つめると、睨むように視線を返される。
それを見て確信した。大人びた外見だし、先ほどの攻撃も相当に強いものだったから勘違いしかかったけれど、この巫女はまだ年若い。十五、六といったところに違いない。
だがそれにそぐわない強い力を感じるのも事実で、油断せず注意深く観察する。
「おれを、殺すの?」
そのままで、にいっと口の端を持ち上げた。
おれに敵うような妖怪は滅多にいないし、最近は巫女とも戦いになっていなかったから、久々に命のやり取りに近いものを感じてぞくぞくする。団長がこんなところで死ぬわけにはいかないから、浄化されてしまうことを覚悟して戦うなんて真似は実際のところできないが。
「……噂通り、腹の立つ様子ですね」
腹の立つ、と言いながらも、その声は冷静だ。揺らぐところを見せることのない辺りは、流石は巫女、といったところだろうか。
「怪しげな集団を作り、妖怪を集めているそうではありませんか。しかもそれに倣ったかのように其処此処に似たようなものが生まれている――元を断たねば終わりません」
彼女が霊力を込めたのか、今まで白かった鏡の光は青へと色を変え始めた。どうやら桜の木諸共おれを吹き飛ばす気らしい。それは困る。
「言っておくけど。おれたちの後に生まれた『団』は全部、おれたちの真似をしただけの紛い物だよ」
言っている間に、爆発するように鏡からは巨大な霊力の玉が放たれ、おれに向かってくる。
話をさせてくれる気もないらしい。肩を竦めて、おれは両手から爪閃斬を放った。
昔よりずっと力を増したその技は、完全に彼女の技を相殺して掻き消える。
見下ろした先にいる彼女は驚いたようにしつつも、次なる攻撃を放った。大きな一撃より小さく畳みかけることを選んだのか、矢のような霊力が次々飛んでくる。おれは桜にそれが当たらないように躱すのに中々苦労した。
このままでは埒が明かないので、彼女が反射的に防ぐことができるだろう速さでまたも技を放つ。結界が張られたのを確認するのとほぼ同時、地面を蹴った。
「……ッ!」
巫女が息を呑んだ。目と鼻の先の距離におれがいるという状況ならば無理はない。残念ながら、張られた結界は強力で、おれはこれ以上近づくことができないが。
「何の真似ですか……!」
彼女の方も分かっているようで、結界に力を更に注いだのか輝きが増した。この周囲を昼間のごとく明るく照らしている。
それはともかく、わざわざ近づいた目的を果たさなければ。
「此処での戦いはやめよう? 桜、傷つけるから」
中央の団の皆が見に来るし、おれも毎年咲くのを楽しみにしているし、この近くに住んでいる人間たちもそれは同じだ。毎年この桜が見事に咲き誇るのを心待ちにしている。枯れてしまったら、皆が悲しむ。
おれのちょうど真後ろにある桜を指すと、今度は呆気にとられた表情になる巫女。話についていけていないようだ。
「こんなにも綺麗に咲かせてるのに。おれたちの戦いのせいで枯れちゃったりしたら、もう二度と咲かない。勿体ないだろ」
その時、風が吹いてまるで吹雪のように花びらがおれたちの周りを舞う。幻想的な空気の中、目の前の巫女は放心したかのように固まっていた。
「……、珍妙なことを言う妖怪ですね。よろしいでしょう、この場所以外で滅して、」
「うん。でもごめん、それも無理そうだ」
一拍の後にようやく彼女は口を開いてくれたが、おれは小さく笑みを浮かべつつ気配を感じて一歩下がる。と、それに合わせたかのようにおれの後ろに着地したような足音がふたつ。
「俺、言いましたよね。だから一人で行かないでほしいんですよ……!」
「久遠さまが自由なのなんて今に始まったことじゃないじゃなぁい」
苛々した声と、楽しげな声。対照的だが、その根っこに感じるおれを護ってくれようとする心は同じ。
「うん。ごめんね、二人とも」
振り返らずとも分かる。きっと巫女に対し牽制するような視線を向けていること。おれの危機を察して二人とも駆けつけてくれたらしい。
いかに力の強い巫女だろうとも、一度に三人もの最上級の相手をするのは難しいはず。案の定、顔色は変わらないながらも、結界の輝きがますます増している。
「……じゃあ、おれは行くよ」
「なっ、逃げるのですか!?」
「そんなこと言ったって、君だって流石に一人でおれたちを殺せるとは思ってないでしょ?」
体を二人の方向に向けていたおれは、顔だけで彼女を振り返った。
寒露と玻璃が殺気を放ったのか、ざわりと植物がざわめく。それを感じたらしく、初めて巫女の顔が苦虫を噛み潰したような様相になった。
「お察しの通り、おれは久遠だよ。中央の団の首領。おれたちの目標は、『ヒトと共生すること』。つまり、君たちに狙われなきゃならないようなことは何もしていない。故に、逃げることもない」
もう一度にいっと口角を上げる。
「でも。おれを殺そうとするなら、それより先に手強い六人を倒さなきゃならないよ」
こうして二人が駆けつけてくれたように。
相変わらず殺気を放ったままの二人は、確実に巫女を威圧している。
巫女は静かで何も言わない。納得してくれたのだろうか、と歩を進めようとした瞬間だった。
「――――ふざけた、ことを」
低い声と共に、彼女を中心として光の爆発。
おれの技と寒露の毒気、玻璃の炎という咄嗟の反応で何とか殺すことができたが、おれたちの手前までの地面は月明かりでも分かるほどにくっきりと焼け焦げている。
「当代の月読として、私は貴方たちを滅します。覚えておきなさい」
冷静さの中に激情を湛えた瞳。決して緩むことのなかった表情に、張り詰めた声。
これが、おれが生涯で会うことのできた二人目の『月読』――母代わりの人でなく、後に瞳子として生まれ変わることになる月読との出会いだった。




