傷痕は深く横たわる
捕らえた猪を担ぎ直し、玻璃を本拠地へと連れ帰った頃には、すでに日暮れを迎えていた。
「久遠サマ! 遅かったじゃないですか」
どうやらかなり心配させてしまっていたらしい。寒露の顔は曇っていた。
「悪い悪い。ちょっと、色々とあってな」
彼に笑みを向けてから、今日の調理係の団員に猪を引き渡す。受け取った彼らは大きな戦利品に嬉しそうにしているが、おれの後ろを明らかに気にしていた。男どもは大部屋から争うように顔を覗かせているし、玻璃の美しさは早速団員たちを虜にしているようだ。
「……久遠サマ。さっきから気になってるんですけど、その女は誰ですか」
しかし、寒露は相変わらずの堅物というか、彼女の容姿には全くと言っていいほど興味を示していない。それどころか『その女』呼ばわりである。
「失礼だろうが。皆! 一旦出てきてくれ!」
寒露の頭に軽く手刀を入れてから、屋敷中に散らばっているのだろう団員たちを呼び寄せた。
その声に一瞬で反応する辺り、寒露の指導の賜物と言うべきか。屋根に上っていたり、陰に隠れるようにしていたり梁にぶら下がっていたりと様々だが、ちゃんと全員が集まってくれたようだった。
「妖気で知らない人が来たのは分かったと思うけど。今日から仲間に加わってくれることになった、玻璃だ。風巻と寒露に続く、第三の幹部になってもらう。異存はないな?」
ぐるりと全員の顔を見渡すと、反対の声は全く上がらなかった。
「玻璃です。よろしく」
妖怪の世界は実力主義。彼らにも分かっている。そう言って軽く頭を下げる彼女が、幹部となるに相応しい実力を備えていることを。だから異を唱えないのだ。
「じゃあ、解散!」
「久遠サマ!」
そう。たった一人を除いては。
「何だ、寒露」
彼が強張った顔をしているのを見て、思い思いに散らばろうとしていた団員の何人かが振り返る。おれは寒露を見つつも、そんな面子にひらひらと手を振って気にしないよう伝えた。
「そんな得体の知れない女、何で招き入れるんですか」
「寒露」
「もしかしたら裏切られるかも、」
「寒露!」
鋭く制する。そのまま言葉を続けようとしていたらしい彼は、しゃっくりのような音を漏らして黙った。
恐らく彼は、玻璃が自分に近い妖力を持っていることから、もしこれが罠だったら、と危惧しているのだろう。
確かに、警戒していなかったからとはいえ、彼女は出会いの折におれをあっさりと幻術へと取り込んだ。それを考えても、反乱を起こされればひとたまりもない。
だけど。
ちらりと玻璃を振り返ると、彼女は表情を崩してこそいないものの、無意識か僅かに後ろへと下がっている。無理もない。先住の者にこんな態度を取られては、おれだって多分似たような反応をする。
「お前の心配はありがたいと思う。この団を誰よりも大事にしてくれてるって感じられて、すごく嬉しいよ。でも、理想を忘れないでくれ」
この団は、虐げられる者を守るためにも存在する。
彼を仲間へと誘ったのは、寒露のように妖怪によってヒトによって傷つけられる妖怪を守りたいと思ったから。それにはまず、彼にこそ幸せになってほしかったから。
「玻璃は、お前とおんなじことを言ったよ。殺してくれ、って」
これには寒露どころか、横目で見た玻璃も驚いた顔を見せている。
彼女には先ほど「同じことを言った奴がいる」と言ってはいたものの、まさかこの人物がそうだとは思わなかったのだろう。
寒露の方は口をぽかんと開けていて、少し間抜けだ。
でも、きっとこれは出会った直後の険しい表情しか見せなかった彼からすれば、ものすごい進歩で。此処にいる間に彼はこんな顔もできるようになったのに、玻璃からはその可能性を奪ってしまうというのか。
「おれはこの子に加わってほしいと思った。お前のことも仲間にしたいと思ったからそうした。それじゃ駄目なのか?」
たとえば何かがあったとして、総ての責任は招き入れた張本人であり団長であるおれにある。
「団員の皆はおれが護る。そこには玻璃も――お前のことも含まれてる。約束したろ? おれは最初から、変わってない」
固まっている寒露の肩を叩き、玻璃を彼女が使うことになる部屋へと案内するために歩き始める。少し躊躇うような様子を見せたが、玻璃は大人しくついてきた。
寒露はもう何も言おうとしなかったから、了承を得られたものだと思っていた。思って、いたのだが。
それは夕飯の後に起きた。
「てめえ今何て言った……!?」
女の子たちと一緒に子供たちを寝かしつけていたおれは、そんな声を聞き取って顔を上げた。
妖怪というものは基本的に人間よりも耳がいい種がほとんどなので、寝かしつけようとしていた者たちはもちろん、寝ようとしている子供たちも起き上がって不安げにしている。
「……皆はもう寝な。おれが行くから」
猫又ということで更に耳のいいおれは、その後の争うような物音も、心配したらしい男衆が声の方へと向かう足音もしっかり聞こえていた。
大部屋を出て、出所である幹部の寝室の方に向かう。一般の団員とは違い、団長のおれや幹部たちには個室があるのだ。
耳を澄ませると、どうやら音は玻璃に使うよう指示した部屋の方から聞こえるということが分かった。
だが先ほど響いた声は寒露のもの。彼には新入りの玻璃の世話係を頼んだのだが、何かが起こったらしい。
野次馬とも心配性故の訪問者ともつかない団員たちが襖の前に群がっている。足を速め、その人垣の後ろに立った。
「何してんだ」
よく通るように腹からの声を出す。
一斉に振り返った場の面々は、皆一様に何とも言い難い表情になる。気まずさや焦り、不安のようなものが顔からは感じられるが、おれに向けられた感情ではないとも思う。
「そういうところがアンタは鬱陶しいって言ってるのよ!」
「それこそてめえに言われる筋合いなんぞねぇ!! あの方の手を取ったなら、黙って久遠サマの命令に従ってろよ!!」
こうしている間も、彼らの声は廊下にまで響き渡っている。
「ちょっと通してくれ」
隙間を縫うようにして部屋へと足を踏み入れたら、二人の幹部は至近距離で睨み合うようにして立っている。どちらから先に仕掛けたのかは知れないが、幹部同士で争ってどうするのだ。
「二人とも、やめ。何だよ騒々しい」
自然に眉根が寄っていく。
「久遠サマ……」
「久遠さま」
二人の声が重なった。少し引き締まったものの、どちらも未だに不満を湛えた表情をしている。
何をどうしてこんな状況になったのかが分からないから、とりあえずは二人ともの話を聞かないとならない。
「何があった。話してみろ」
寒露は唇を噛み、玻璃は少し俯く。黙り込むだろうとは予測していたが、さてどうしたものか。頭を掻くと、背後から「あの……!」と言う声が聞こえた。
「ん?」
「わたし、見てましたけど……寒露さまも玻璃さまも、どちらも悪くなんかないです……あの、考え方が、違うんです。きっと」
此処に来た時には声を失って何も話せないでいた蛟の少女だ。最近は声を取り戻し徐々に口数が増えていたけれど、おれと寒露以外もいる場所では言葉を発することがなかったというのに。それだけおれに彼らを叱ってほしくないのだろう。
「分かった。ありがとう。皆、二人とはおれが話すから大丈夫だよ。休むなり見回りや見張りに行くなり、それぞれのやることをやってくれ」
この子は嘘をつかない。分かっているからこそ、笑って頭を撫で、肩を押して廊下へと出す。
少女が振り返り振り返りとしつつも歩き始めたのを見て、他も去っていく。おれはそれを確認してから、静かに襖を閉めた。
「どうした?」
どちらのことをも恐がらせることのないよう、なるべく柔らかい声で問う。二人は反射的にか一度顔を見合わせ、すぐに俯いた。
「あたしが。ヒトをそう簡単には信用できない、って言ったら。寒露が『この団の理想を聞いた上で入ったんじゃないのか。だったらそれはおかしい』って言ってきて」
意を決したかのようにして玻璃が顔を上げ、はっきりとした口調で話し始める。
話の流れで、どうしてこの団に入ることになったのかということについてのものになったのかもしれない。それで口論になったのだ。
寒露は盲目的なほどにおれを尊敬してくれている。それは素直に嬉しいけれど、他の考えが見えなくなってしまうということと紙一重で。
「あたしは、確かに共感はした。目指したいとも思った。でも、すでに二度、ヒトには裏切られてる……すぐにもう一度信用しようなんて無理な話だと思いませんか?」
玻璃の言うことは正しい。
「だけど! この『団』は久遠サマの考えの下で創られたものでしょう!? だったら、貴方の考えに完璧に沿ってなけりゃおかしい……! ましてや、幹部ならなおさら! 俺だってヒトに裏切られた。でも、久遠サマの思想を守っていきたいって思ったから、だから、ヒトを信じようと思った……!!」
でも、寒露の言うことも、間違ってなんかない。
おれは二人ともをしっかりと抱き寄せた。
「玻璃。こんな甘ちゃんな考えに、それでも共感してついてきてくれてありがとう」
まず、右手で彼女の長い金の髪を梳く。彼女が勢いよく首を横に振るのを見てから、寒露の目を覗き込んだ。
「寒露も。いつもいつもおれを信じてついてきてくれてありがとう」
彼の美しい群青色の瞳におれの姿が映っている。その写し身は、しっかりとした形を留めず揺らいでいる。
「だけどな。おれがこの世の総てじゃない。それは分かってくれるか? 玻璃は玻璃なりにいろいろ考えて、その上で此処に来てくれたんだよ」
少しの間を置いて、彼は小さく頷いた。
寒露の頭の回転は決して遅くはない。短気だが、ちゃんと色々と考えている。そうじゃなきゃ、ほとんど不在にしている第一幹部の仕事を肩代わりする第二幹部なんて務まらない。
「玻璃も、こいつはこういう奴なんだ……何にしても、おれを真っ先に考えてくれる。いつでも。どんなことがあっても。他の団員にもそう在ってほしい、って願ってくれてるんだ。悪気があったわけでは、絶対にない」
今度は玻璃の金色におれが映っている。だが先ほどと違って揺らぐことはなく、しっかりと見つめ返された。
「……はい」
小声でも充分だった。
二人を再び抱きしめて、その背を軽く叩く。
「寒露も、玻璃も。傷つけられるのは怖いよな。……おれだって怖いよ。だから、おれを逃げ道にしていい。団を逃げ道にしていい。そうして自分の弱いところを自覚すれば、ちゃんと強くなれる。逃げられる人は、苦しい人を逃がしてあげられる方法も分かるから」
おれが月読に自分の脆さや驕りを気づかされたおかげで、その先に色々なことが分かるようになった。導く者は、逃げる者を護るためにいる。
またも小さくながらきちんと返答する幹部たち。
「すみませんでした……」
二人同時の台詞に、おれは笑った。今はどっちにも譲れないものがあるせいで争っているけれど、打ち解ければ案外馬が合うのではないのかと思う。
「お前ら、絶対に仲良くなれるよ。絶対な」
戸惑う様相を見せる二人にますます笑みを深めた。
絶対は、絶対なのだ。外れたことのないおれの勘がそう言っているのだから。




