何か影を背負う少年
そろそろ戻ろうと家の方へと二人は踵を返した。
随分と日が伸びてきている。もう6時を回ったというのに、外はまだ薄明るい。
鶫は沈みかけの日にちらりと目を遣った。
最近夕焼け空を見るたび、頭の奥で何かが疼く気がする。もやもやと、ざわざわと。ちくりちくりと脳を刺されているような、嫌な気分だ。
だがその正体は掴むことができず、むしろ掴もうと努力すればするほど逃げて行ってしまう。
「鶫さん?」
立ち止まってしまっていた鶫を、怪訝そうに瞳子が振り返る。
「あ、ううん」
気のせいだと振り払い、後を追った。
縁側にいた透とひな子が二人に気づいて顔を上げる。
「朝比奈さん! ねえどうなってんのあなたの友達!! 人のことヒヨコヒヨコ呼ばわりして!!」
近づくにつれて、言い合いをしているらしいというのは分かったが、激しい応酬に何を言っているのか分からないでいた。が、その言葉で総て判明する。
「え、と……透、そんなことしてたの……?」
「だってピーピーうるさいから」
未だぎゃあぎゃあと騒ぐひな子を避けて耳を塞いでいる透は、盾にするように鶫の背後に回った。自然、それを追いかけるように騒ぐひな子の声を鶫が諸に受けることになる。
「あの。二人とも落ち着いて、ね……?」
「これが落ち着いていられますか!!」
「オレじゃなくてそのヒヨコに言ってよ」
「だからヒヨコじゃないっつってんでしょこの女男!」
「ちょ、あの、ねえ」
「ごめんねアンタより綺麗な顔してて」
「はああああぁ!? 自意識過剰すぎ!」
止めようと奮闘する鶫を真ん中に挟んで言い合いをする二人。瞳子も妹に対し「いい加減にしなさい」とたしなめているが、何分透が言い返すものだからなかなか止まらない。
なお止まらない罵詈雑言の嵐に、とうとう鶫の堪忍袋の緒が切れた。
「……ねえ。二人とも、うるさい」
ぴたり、と場の空気が凍る。瞳子は目を瞬かせて、ひな子は真ん丸に見開き、透は「しまった」という表情で口を閉じる。
何故なら、いつもおどおどと自信なさげである鶫が、迷いの色も見えない満面の笑みだったから。
「……どういうことです?」
「多分、怒ったんだと思うけど。久遠さまも怒らせたときはあんな感じだったよ。笑顔で怒るから……」
瞳子がこそこそと透に尋ねている最中も、縁側へと上がってくる鶫をひな子は唖然と見ている。今までの言動から、ひ弱そうとしか思っていなかった彼の意外な一面に驚いているらしかった。
「何だか賑やかだな?」
そんな反応をつゆ知らぬ鶫は、足音と共に聞こえてきた声に顔を上げる。
にこやかにこちらへと近づいてくるのは、鼎と――宏基だった。
鶫は弾かれたように走り出し、透たちもはっとしたように立ち上がって、現れた二人の方に駆け寄っていく。
「宏基兄!」
「……んだよ、その顔」
鶫があまりにも情けない顔をしていたからか、宏基は彼の額を軽く小突く。
「だっ」
「あれぐらいでどうにかなるわけねぇだろ」
間もなく痛みは消えたが、鶫は宏基から目を逸らすことができなかった。彼の言葉が本当であるのか、真贋を見極めたかった。
一瞬かち合った目線。
宏基の群青色はいつも通りに感情が読めない。鶫はそれでも答えが欲しくて逸らせなかったが、間もなく宏基の方から外されてしまった。
「もう日が暮れる。帰るぞ」
脇を通り抜けて玄関の方へと向かっていく彼の背を、鶫は何とも言えない気持ちを抱えながら追いかけた。後ろから数人がついてくる気配がする。
普段の鶫なら宏基の隣に並ぶところだが、今は何となくそういう気分にならなかった。
確かめたかったのかもしれない。彼が決して消えてはいかないということを。その確証を得たかったのだ、恐らく。
「あの。鼎さん、ありがとうございました。いろいろと……」
玄関を出たところで深く頭を下げる。
「いいや。だが、心配は心配だ。彼はどうやら無理をする人のようだしな?」
苦笑する鼎に釣られ、鶫も苦笑する。
「……庇われなくてもいいぐらいに、護られなくてもいいぐらいに、強くなりたいです」
何も戦闘に限らず、精神においても強く在りたかった。いや、そう在るために努力をしなければならない。
鼎は何も言わず、そんな鶫の頭をぐりぐりと撫でた。
「道場ならいつでも貸してあげられる。この神社には瞳子によって結界が張られていて、君たちの他には物の怪の類も入ってこない。あの子の許可なしには、な。今日の式神は残念ながら物の怪ではないから、防ぐことができなかったようだが」
だが今回のこともあって、条件にその式神も入れ直して結界を張り直したという。
「そうすると、ここは恐らく一番安全だから。君がその力に慣れるための訓練をするなら、場所は貸す。ただ、使い過ぎは禁物だぞ。それと、念のため一人で出歩くのは控えること」
式神がどうして差し向けられてきているか分からない現状では、それが一番得策である。宏基が「一人で帰るな」と言ったのは、間違いなくこういう状況を危惧していたがため。
「……はい」
頷いて、お邪魔しましたと言い残してから鶫は歩き始めた。瞳子とひな子がついてくるのは見送りらしい。
少し先で待っていた宏基が何かを言いたげにしているのに気づいて、顔を上げる。
「……お前は、」
「戦わなくていい、とか言わないでね。自分は捨て身になってまで護ろうとするくせに、そんなこと言わせない」
宏基は僅かに目を見張る。幼い頃より一緒にいた弟分が、『鶫』としては一度も見せたことがないほど強い目を向けたことに、驚いているようだった。
「ぼくがすることは、ぼく自身が決める。その報いも自分で受ける。誰にも肩代わりなんてさせない。もちろん、宏基兄にもさせない。そして、宏基兄に言われたぐらいで曲げるような決意なんかじゃ、ないから」
はっきりと告げ、二の句が継げないでいる宏基をしばらく見てから、また歩き始める。
長い石段を下りる間、透は隣にいたが、宏基は数段を空けてついてきた。何かを考え込むように黙っている。互いに知らないことなどないと思っていた幼なじみが、つい先ほど見せた知らない一面。言われたことの意味をよく考えているのかもしれなかった。
「ここまででいいよ。ありがとう」
完全に階段を下りきったところで、鶫は振り返り、ここまで送ってくれた二人に笑ってみせる。
「いえ。今日は色々と申し訳ありませんでした。こちらがお招きしたのに、とんでもない事態になってしまって」
深く頭を下げる瞳子と、それに倣って軽く一礼するひな子。神社の結界を守っている瞳子の方は、式神の一件には責任を感じているのかもしれない。
「ううん。瞳子のせいじゃないよ……でも、早いところ、誰が何のために差し向けてきてるのか、確かめないと」
「はい。こちらでも心当たりを探してみます。……お気をつけて」
彼女の言葉に軽く首肯して、手を振ろうとした時だ。
「あれ? 鶫くん。偶然だね」
自分の名を呼ぶ声。
そちらへと顔を向けると、有名私立高の制服姿の少年――庸汰がいた。
「え、よ、庸汰……! どうしたの、こっちの方だったっけ……?」
「うん。といってもバスであと三つぐらい行った先だけど。最近受験勉強ばっかりで体が鈍ってるから、ちょっと健康のために歩こうと思ってさ」
2回目の対面だが、柔和な微笑みは初めての時と変わっていない。人見知りをあまり発揮しないで済むのも、その穏やかさ故だろうと鶫は思う。
「……鶫」
そして、訝しむような宏基の声に皆の存在を思い出して、「ああ!」と声を上げる。
「宏基兄には一昨日話したよね? 前世で双念っていう法師だった人に会ったって。他の法師とは違って、久遠の『人間と妖怪で共生したい』って考えに賛同してくれようとしてたらしいんだ」
まだ思い出せていないから、伝聞の形になってしまうのが心苦しい。
「そうなのですか……初めまして。雪代瞳子と申します。すみません、『双念』という方の記憶はなくて……」
瞳子もやはり鶫と同じく覚えていないらしい。それだけ関わりが薄かったのだろう。
「初めまして。いいんだよ、だって下っ端も下っ端、ぺーぺーだったから。今の名は、水無月庸汰って言います」
庸汰の方も予測していたのか気にしてはいないようだ。手をひらひらと振って見せ、申し訳なさそうな彼女に対して笑ってみせる。
「寒露殿と玻璃殿の生まれ変わりさん……と、そっちの子は瞳子ちゃんのご姉妹かな? そちらも初めまして」
言ってから、「前世で遠くからだけど見たことあるから、こっちはあんまり初めましてって気がしないんだけど」と言う庸汰の顔は明るく、相変わらず柔らかい。
「……初めまして」
「雪代ひな子です。瞳子は姉です。初めまして」
透とひな子は軽く一礼するが、宏基は短く名乗るだけだった。
「そっか。『雪代』さんってことは、この神社の娘さんなんだね。僕もよくお参りに来るよ。じゃあ、月読殿は今世も巫女さんなんだ」
彼のそんな不躾な反応にも庸汰は特に拘泥した様子がなく、朗らかに笑って瞳子に話しかける。
「ええ。水無月さんの方は……」
「僕は普通の人間だよ。残念ながらね。受験戦争に追われてる、ただの高校3年生。ああでも、前世の記憶があるからちょっと『普通』とは違うか」
冗談めかした態度に、瞳子はくすくすと笑っている。鶫も笑うが、他の3人は特に何も反応を見せない。
不思議に思って振り返ると、宏基の眉間には数本の皺が寄っている。彼が初対面の者を警戒することはいつものことであるのだが、透とひな子も何となく浮かない表情をしているのが気になった。
「今回は瞳子ちゃんのおうちにみんな揃って遊びにでもきたの?」
「え。ああ、うん……ちょっとね」
鶫が曖昧に笑う。誤魔化したのはバレバレであろうが、庸汰は敢えてつつかないでくれたようだ。
「そっか。そのうち僕も混ぜてもらってもいい?」
「もちろんだよ。今度皆で庸汰と会おう、って宏基兄と話してたんだ」
「ほんと? やったぁ。じゃあ中間が終わったぐらいにしよっか」
目を輝かせる庸汰を見て、鶫も思わず笑ってしまう。
「連絡するね」
「分かった。じゃあ、そろそろ行くね。庸汰も勉強無理しないで」
足の向きを変えると、庸汰も鞄を持ち直した。
「ありがとう。鶫くんも、無理しないでね」
笑顔を残して、ローファーの靴音を響かせながら去っていくその後ろ姿を、鶫は見送った。いや、少し戸惑っていたために、見送る形になってしまった。
最後の笑い顔が、どこか影を背負っているように見えたから。
「……、行こっか。じゃあ、またね」
宏基と透に言ってから、姉妹に手を振って歩き始める。
――庸汰、何かあったのかな。
そんなことを考えていた鶫は、気づいていなかった。
宏基と透、ひな子が、こっそりと目配せを交わしていたことを。




