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鼓動の意に悩む少年

 かなえを手伝って宏基を客間へと運ぶ透を見送った鶫は、小さく嘆息していた。

 ――そんな足がぶるぶるの状態で運べないでしょ。オレが手伝ってくるから、鶫はそこにいて。

 ついさっき言われたばかりの台詞を思い出し、またため息。

「どうして」

 心中で留めていたはずが、どうやら口に出していたらしい。

「……朝比奈さん」

 心配そうな声が聞こえ、そちらを見ると瞳子がいた。

「雪代さん」

 力なく笑う鶫に対して何を言うべきか迷っているのか、彼女は唇をきゅっと引き結んでいる。

 沈黙が流れた。

 中途半端な距離を空けたまま、廊下に立ち尽くす二人。

 気の利いたことのひとつでも言わなければ、と思うのに、鶫の頭には何も浮かんでこない。何かを考えようとすると、先ほどの宏基の青い顔が浮かんだ。

「少し、庭に出ませんか」

 やがて、控えめに微笑みながら瞳子が言う。

「……うん」

 気を遣われているのかもしれない。鶫にも分かってはいたが、彼女の厚意をありがたく受け取ることにした。

「こちらにどうぞ。縁側から出られます」

 幾分ほっとしたように表情を緩め、瞳子は鶫を導いていく。

 それについていきながら、彼は先ほどの宏基の様子を思い出していた。


 青い顔。吐いた血が彼の顔の辺りに水たまりのようなものを作っている。揺さぶっても反応がなく、脂汗を浮かべて呻いているだけの宏基。

 倒れてもなお変化は解けず、彼の顔色は青色を通り越して土気色になり始めていた。

「宏基兄……! 嫌だ、起きてよ!!」

 鶫は頭の中が真っ白になって、繰り返し名前を叫ぶことしかできない。

 彼にとって、宏基は何があっても揺らがないでいると存在だった。鶫が迷い、立ち止まっても、いつも手を引いてくれた兄のような人。鶫が転ぶことはあっても、宏基はいつだって強く立っていたのに。

「宏基兄ッ!!」

「朝比奈くん、落ち着きなさい」

 見かねたように鼎が宏基から引き剥がし、今まで鶫のいた場所に瞳子が膝をついて座る。

 何をするのかと思えば、目を閉じて彼の手に触れる。瞬間、彼女に宏基の妖気が引き寄せられていくのが分かった。

 瞳子は、宏基に触れているのとは逆の手で、床に置いた鏡に触れている。いつも彼女が携帯している和鏡に引き寄せられた妖気は、吸い込まれて消えていくようだった。

 いや、違う――鶫はすぐに思い直した。

 清らかな光が見える。瞳子の霊力によって浄化されているのだ。

 彼女の眉間には少し皺が寄っている。鶫がふと不安になるが、宏基の変化へんげが徐々に解けていくのに気づいて目を見張った。

 どうやら彼女は宏基の状態を安定させるために変化へんげを解除しようとしているらしい。

 しばらくようやく完全に妖気が消え、瞳子はゆっくりと立ち上がった。

「もう、大丈夫でしょう。もちろん完全に変化へんげしたことの影響がどれぐらいに及んでいるのかは分からないですが……私ができるのは、ここまでです」

 瞳子が鏡を手にして呟く。鶫はへたりと座り込み、這うようにして宏基の方に向かった。顔色は先ほどよりも好転しているように見え、また力が抜ける。

「ひな子、客間に布団を敷いてきてくれ。急いで。それと二人……いや、雨宮くん。真田くんを客間まで運ぶのを手伝ってもらってもいいか? 瞳子は血を拭いてくれ。朝比奈くんは休んでいなさい」

 ひな子は慌てたように廊下を走って消えていった。てきぱきと指示を出した鼎は、宏基を起き上がらせる。

「え、ぼくも……!」

「そんな足がぶるぶるの状態で運べないでしょ。オレが手伝ってくるから、鶫はそこにいて」

 慌てて立ち上がるけれども、おかしなぐらいに膝が震えていている鶫。その肩を透が叱咤するように叩き、鼎に手を貸して宏基を運んでいった。

「雑巾を取って参りますね……朝比奈さんは居間に。その襖を開ければ居間ですから」

 瞳子も気に掛ける素振りを見せつつも皆とは逆方向に消える。

 しいん、と静まり返った廊下。遠くから人の動く音は聞こえるが、それだけ。隣には、傍には、誰もいない。鶫は一人、取り残された。

「……っ!」

 拳を近くにあった柱に叩きつける。その痛みが腕を這い上がり、血管を伝って髄液を伝って、この頭の中のぐちゃぐちゃとしたものを消してくれればいいと思った。

 だがそんなことは有り得ず、治癒能力のせいで痛みはあっという間に消え、混乱だけがますます増した。

 腕の力が抜け、だらりと情けなく垂れ下がる。もう一度座り込みそうになるのは何とかこらえた。

 どうしてそうまでして守るのだ。一瞬そんなことを思ったけれど、鶫はすぐに自分を引っ叩きたくなった。

 いじめっ子に靴を隠され、どん臭いと笑われ、そのたびに宏基は助けてくれて。テストで苦しんだ時も、転んで泣いた時も、川で溺れかけた時も。全部全部宏基が助けてくれたのだ。

 ずっと頼りっぱなしで、自分自身の力で戦おうとしてこなかった結果だ。護られる原因は鶫自身にある。

 ようやく気づく、その事実。

 ――護られるままになるかは、アンタ次第じゃないの。

 その通りだ。

 護られたくなければ、自分が強くなるしかない。それしかないのだ。

 ため息をついたところで瞳子がやってきて、話は冒頭に戻る。


「気にして、いるのですか?」

 瞳子の声に、思考から現実へと引き戻された。庭の植物に全く目が行っていないことに気づいたに違いない。

「……そりゃ、ね」

 ぎこちなく笑うと、瞳子も同じような笑みを向けてくる。

「真田さんは昔からああなのですか?」

「ああ、って?」

「貴方のことを護ろうとする、と言いますか」

 言葉を選ぶようにしている瞳子。どうやら相当に気を遣わせているらしい。

 男として何となく情けなくなって肩を落とすも、ここで自分勝手に落ち込んでもそれは更に情けないだけだ、と思い直し、頷いた。

「ぼく、昔からどん臭くて……よく転ぶし、よく泣くし。親が忙しくて小さい頃からあんまりいなくて、寂しくてまた泣いて。そのたびに宏基兄は、ぼくを起き上がらせたり怒ったり、傍にいてくれたり。ずっとそうしてきた……」

 熱いものが込み上げてきそうになって、懸命に押し留める。ここで泣いたら、まるで宏基に悪いことが起きるかのようではないか。

「宏基兄のお父さんとぼくの父親は同級生で、幼なじみで、家を隣に建てちゃうぐらいの仲良しだったんだ。だから家族ぐるみの付き合いで、昔からずっと一緒で」

 思えば、宏基が同級生と一緒にいるところを鶫はあまり見たことがない。

 彼は鶫と違って勉強も運動もよくできたし、人を惹きつけるような魅力もあった。それなのに彼は好んで一人でいたし、そうでなければ鶫と一緒にいたのである。

 今なら分かる。それは総て、鶫のことを守りたいがためだ。きっと、「鶫以外に時間を割く」という考えを最初から持たないぐらいに。

「いじめっ子によく色んなもの隠されて泣いて、でも宏基兄は絶対に見つけ出してくれるんだ。一度体育倉庫に閉じ込められた時もあっという間に見つけてくれて、いじめっ子たちはボッコボコにされて。あれ以来近づいてこなくなったなぁ」

「それは、すごいですね……お兄さん、みたいな感じですか?」

「うん。宏基兄もぼくも一人っ子だから、互いがきょうだいみたいな感じ。ぼくは、いつだって守られてた」

 足が止まり、俯く。瞳子もそれに合わせて立ち止まり、鶫を見上げた。

「……情け、ないよね。いつだって守られてばっかりで」

 へらりと笑うが、思った以上に上手く笑えていなかったらしい。瞳子は少し切なそうに眉根を寄せる。

「そんなことないですよ。それを言うなら、私だって守られてばかりですから」

 しかし、間もなく割にあっさりとした答えがやってきた。

 目を瞬かせると、彼女は柔らかく微笑む。鶫はそれに見とれかけるも、「私もひな子に守られていますよ」という言葉に再び戸惑った。

「御存じの通り、私はどちらかというと猪突猛進型で」

「ああ、うん……」

 思わず肯定してしまい、鶫は焦って「あああぁっ」と妙な声を上げる。だが瞳子は気にした様子もなく、楽しげにくすくすと笑った。鶫は少々気まずい思いながら黙って話の続きを聞くことにする。

「そして、初対面がああでしたから疑われるかもしれませんが、ひな子は割と冷静に周りを見つめて、段階を踏みながら考えるタイプなのですよ」

 意外だった。外見上はむしろ逆に見える。案外それは互いに互いを目指している結果なのかもしれない。

「何かに夢中になって物事が見えていないとき、代わりに私の目になって腕になって、護ってくれる――あの子はそういう子です。つまり私も貴方と同じ……いえ、むしろ立場が逆である分、私の方が情けなくはありませんか?」

 励まされている、と分かっていた。でも、ふわりと心が軽くなった気がする。

 今回のことを忘れろ、とは言わなかった。だが、大なり小なり誰にでもあることだと、そう彼女は伝えたかったのだろうと鶫は思った。

「雪代さんは、やっぱり巫女だね」

「え?」

 不思議そうにする瞳子に笑顔を見せる。先ほどのように中途半端でない、鶫本来の明るい笑みだった。いつもおどおどしているせいで、滅多に見せることのないもの。

「心にある黒いものとか、暗いものとか……そういうものを浄化してくれる」

 初めてそんな全開の笑顔を目にし、しかもまるで口説き文句のような台詞を吐かれた瞳子は、放心したように固まっている。耳まで真っ赤に染めながら。

 尤も、何事もなかったように歩み始める彼の方は、全くそれに気づいていないようだったが。

「……まったく、罪深い人ですね」

 瞳子の独り言に「え?」と首を傾げる鶫。本気で分かっていないのである。

「いいえ! 思った通り天然ボケなのですね、鶫さんは」

 彼女は何だか怒ったようにずかずかと歩を進めていってしまう。

「え。雪代さん、ぼく、何かし、た――」

 不安になりかけたところで、とあることに気づいた鶫の方が今度は固まった。

 ――今、『鶫さん』と聞こえたような……?

 彼は呆けかけた頭を無理矢理に働かせる。

「い、いま、なんて……?」

「さあ?」

 とぼけたようにそっぽを向く彼女をおろおろと見つめ、関係のない庭を見ながら、またおろおろ。

 気づけば距離がだいぶ広がっている。

「ちょ、ちょっと待ってよ、雪代さ、」

「瞳子、です」

 瞳子が突如、ぐるりと体ごと振り返った。

「え」

 固まる鶫と、そんな彼を睨むように見る瞳子。

 膠着こうちゃく状態がしばらく続き、やがて鶫が負けた。

「――瞳子」

「はい」

 満足げに返事をしてまた歩き出す彼女を、鶫はまた追いかけた。

 胸が弾んでいるのは、こうして追いかけているから? 彼女の耳が赤く見えるのは、西日のせいだろうか――そんなことを思いながら。

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