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総てを捨て護る少年

 日の光は眩く降り注ぎ

 真実を覆い隠す



   ● ● ●



 鶫の体が傾ぎ、法力がその隙を狙っている。その光景を見て、頭で理解するより先に宏基の体は動いていた。

 隣ではかなえと瞳子が息を呑み、ひな子は小さな悲鳴を上げているのを聞いてはいたが、彼はそんな驚きの反応を示すよりも早く、ほとんど無意識に自らの持てる総ての妖力を解き放っていた。

 ――寒露。おれを護ろうとするよりさ、周りを、何よりも自分を先に護ってやってくれよ。おれはそれこそ、かなりの数の法師と巫女に囲われでもしない限り、死にゃあしねえって。

 蘇るのは、誰よりも敬服していたあるじである久遠の声。

 そうだ。確かに久遠は強かった。大妖怪と言って差し支えない存在だった。その腕のたった一振りが、恐らく寒露が通常放つ毒に匹敵するほどの力があって。その巨大な力は、多くの妖怪たちを惹きつけた。

 団員が久遠に向ける尊敬の眼差しを、宏基の前世はまるで自分のことのように誇っていた。

 圧倒的なまでの力とカリスマ性。久遠に魅了された妖怪は老若男女問わず、団の末期は創立当初の3、4倍にもなるほどの数を抱えていた。その総てを守るだけの実力が彼にはあったのだ。


 そんな久遠でさえ、あの日死んだ。


 ――寒露。大丈夫。お前が虐げられたなら、おれが護る。その代わりに、おれの隣を預ける。おれと一緒に、同じ目線で、夢物語にしか過ぎなかった世界、本物にしようぜ。

 あの言葉通り、久遠はいつでも隣で寒露を引っ張り続けた。もう二度と見えないと思っていた光の方へ。

 だから、久遠が救ってくれた分だけ、寒露は彼を護りたかったのに――その願いが叶うことは、なかった。

 宏基は、久遠の生まれ変わりである鶫をもう一度、今度こそ絶対に守るために、妖怪の力を手に入れた。そうすればもう二度と戻れないことを、幼いながら知った上で。

 それなのに、たった今、目前で鶫が殺されそうになっている。

 嫌だ。嫌だ。絶対に殺させない。あの人をもう一度殺させるなんて、俺が許さない。

 抑えていた妖力を解き放ったら、あとはもう単純だった。

 自らが生成できる最強の毒気を一帯に放ち、鶫を襲っていた法力も、放った式神も、それどころか周囲にいた総ての敵を掻き消した。

「こう、き……にい……」

 何が起こったのか総てを把握したらしい鶫は、その目を大きく見開いていた。揺れる瞳で凝視され、それを見返したことは、宏基もしっかりと覚えていた。

 しかし鮮明に記憶しているのはそこまで。

 完全変化(へんげ)をし、そもそも妖力と体力の消耗の激しい『最強の毒気』を放った。

 それだけならまだしも、毒気を放つと同時に、瞳子たち祖父孫の周りには全く正反対の性質を持つ最強の癒しの気を放ったことが、最後の引き金となったらしい。

 彼女らに何かがあれば鶫が傷つくことを知っていたから、毒を中和して何事も及ばぬようにしたのだ。

 しかし高度な術を二連続で使うという、最後の一押し。宏基の身体は耐えきれなくなり、吐血して体が傾いだことは薄れゆく意識の中でも悟っていた。

 次に意識を取り戻した時、最初に宏基の視界へ入り込んだのは、見慣れない天井だった。

 古い日本家屋の証拠である、竿縁さおぶちの天井だ。

 よく訪問する鶫の自宅も、宏基自身の自宅も、洋風の造り。和室は一応存在するが、これほど見事な造りをしていない。つまりどちらの家でもない。

 寝起きでぼんやりする頭でもそこまで考えたところで、「起きたか」という声が聞こえた。

 ゆっくりと視線を移すと、そこには鼎がいる。

「……じーさん……?」

「おう、じいさんだ。気分はどうかね?」

 気分、と言われて、徐々に宏基の頭の中にかかっていた霧が晴れていく。

 鶫の危機を見て、完全変化をして、それで――。

「普通」

 全身がだるいが、それを抜けばいつも通りだ。力が入らなかった手足にも徐々に感覚が戻ってくる。

 改めて状況を見るに、どうやら雪代家のどこかの一室に彼は寝かされているようだった。

 しかし、姿が見えるのは鼎だけで、気を失う以前にいたはずの他の4人の姿は見えない。宏基は鶫がいったいどうしているのかが気になり、かけられていた布団をどけて起き上がろうとした。すると、鼎に制される。

「もう少しそのままで居なさい。たっぷり1時間は気絶していたんだ。本当は一晩泊まって休んでほしいところだが、きっと君は聞かないんだろう。だったらせめて、それぐらいの意見は聞くものだ」

 鼎の口調は強く、目も頑固な光を湛えている。

 これは素直に従うしかないと宏基もすぐに察し、仕方なく枕に頭を戻した。

「安心しなさい。朝比奈くんと雨宮くんは孫たちと一緒にいる。それにしても……散々注意をした後で、よくもまあ無茶をしたな」

 その「孫たちと一緒にいる」というのがあまり信用ならないんだがな、という言葉を宏基は呑み込み、顔を逸らす。

「完全変化(へんげ)の恐ろしさは、先ほど説明したばかりだろう。抑えた変化をするより何倍も身体も精神も害すのだと。それに、わしに言われるまでもなく、君はすでに知っていたんじゃないのか」

 宏基が力を発現したのは、小学校に上がるか上がらないかという時期。もう十年程度この力と付き合ってきて、便利さや心強さと同時に恐ろしさも嫌というほど感じていた。

「……それでも、やらなきゃならないときは、ある」

 まっすぐに鼎に視線を返すと、彼の顔は悲しそうに歪んだ。

「君はまだ16、7だろう……何をそこまで、」

「『宏基』としてはそうだとしても。俺は、寒露の分の生涯もある」

 鼎はますます悲しげにし、やるせなさそうにかぶりを振る。

「たとえ君の中ではそうでも。周りから見れば、まだ年若い子供が命を省みず、その身を投げ打とうとしているとしか思えない」

 言いながら、彼は宏基の腕を取り、一気に袖をまくり上げた。

「な、っにすんだ、じじい……!」

 驚いて跳ねのけようとするも一瞬遅く、二の腕にある大きな痣が露わになる。

「やっぱりな……」

 呟く鼎に宏基は舌打ちしつつ、手を振り払って袖を戻す。

変化へんげを解いても、妖力がはみ出す影響で治癒の能力は残ると聞いたのに、その痣は直らない。力を発現する前に負ったからか? そうではないだろう」

 眉を顰めている鼎は、宏基がずっと隠していた事実をもはや悟っているらしかった。

 もう一度舌打ちしたところで、咳が込み上げてくる。鼎にはその姿を見せまいとするが、その抗いも意味はなく――赤い液体が口から飛び出した。

 ぱたり、と小さな音を立て、指の隙間から畳へと血が垂れ落ちる。

 鼎はなおも咳き込む宏基の背をさすりながら、慌てることなくその血を拭き取った。

「馬鹿、その血に、触るんじゃねぇ……」

 苦しい息の合間に何とか言葉にすると、「瞳子の霊力の籠った護符を持っている」とあっさりと返され、宏基は誤魔化そうとしても恐らく意味がないと知った。

 観念して力を抜き、大人しく背中をさすられるままとなる。と言うよりは、もう抵抗する気力がなかった。

「文献で見た。蛟の持つ毒の力、その源はの血に在り――正しいんだろう?」

 咳がどうにか治まったのを確かめ、鼎の低い声に小さく頷く。

「蛟は毒使い。妖力も、肉も、血すらも……総てが、毒。だから、ただ人型を取れる程度の妖力しか持たなくとも、最上級と呼ばれる妖怪と渡り合うことができた」

 また首肯する宏基が落ち着いたのを確認して、鼎は静かに布団へと横たえさせる。

「『寒露』はその蛟の中でもトップクラスの実力を持った者だったのだろう? だがその強さは、人間となってしまった今、自分自身のことを苦しめている。そうだな?」

 宏基は、もう頷かなかった。


「人間の器に、蛟の妖力――血は、強すぎる」


 沈黙が舞い降りる。鼎も口を閉じ、宏基は元よりもう口を利く気がないのだ。

「その痣は、蛟の血が君の体を壊している証拠。きっとそこだけではないだろう? 見えないように苦心しているのだろうが、他にもあるはずだ」

 たっぷり数分間は流れた無言を破って、厳しい目を宏基に向ける鼎。

「……だったら何だ」

 鋭い睨みを返すという宏基のその反応を憂うように、鼎が更に深いため息をつく。

「朝比奈くんの力の大きさに目眩しされていた。君の方がすでに深刻な状況になっていたのに。君はもう、しばらく力を使ってはいけない」

「そんなことできるわけがねえだろ!!」

 言い切られるか否かといううち、宏基は勢いよく起き上がった。あまりの剣幕に、鼎は思わずと言った様子で言葉を失う。

「あんたに何が分かる!! たとえ、どれだけ命が削れていっても……俺は今度こそ護るって誓ったんだよ!!」

 普段は無気力そうな、表情の動かない顔をしている宏基。そんな彼は今、憤怒の様相で鼎に怒鳴っていた。これ以上にないほどの力で胸倉に掴みかかりながら。

「もう御免なんだよ。目の前に、自分を救ってくれた人が――護り抜くって誓ってた人がいたのに、救えないで、護れないで! しかも先に死ぬなんて。あんたに分かるのかよ! そんな存在が殺される様を見てなきゃならない絶望感なんて! 苦しさなんて!!」

 宏基の方が鼎を詰っているのに、感情が高まれば高まった分だけ、彼の方が傷ついているかのようだった。彼自身の手で、彼自身の体を、精一杯切り刻んでいる。まるで何かの罰のように。

「血反吐吐いてでも、化け物になってでも、俺は今世では絶対に護り抜く……!! 絶対にだ!!」

 掴んでいた手を勢いよく解いて宏基は立ち上がる。しかしまだ力が入らないのか膝から崩れ落ちそうになって、鼎に支えられた。

「……君は、前世も自分自身なんだな」

 ふと、鼎が言った。宏基は意味が分からず怪訝な顔で彼を見る。

「君にとって、寒露は君自身と――『真田宏基』という存在自身と、同一なのだな」

 宏基にはその言うところの意味が分からなかった。いや、字面は理解ができる。その中に込められた含意というものが読み取れなかったのだ。

「……当たり前だろ。それ以外に何があるんだ」

 答えに小さなため息を落として、鼎は彼を布団に座らせ直す。

 宏基には、そのため息の意味も、彼が瞳を翳らせている意味も、分からなかった。今日会ったばかりの相手に対して、彼がなぜそんなに悲しげな顔を見せるのかも。

「とにかく、少なくとも1週間は変化へんげを控えなさい。朝比奈くんを悲しませたくはないだろう」

 訝しがられていることについては何も答えようとせず、鼎はただただ力なく首をふるふると振るだけだった。

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