恐ろしさを知る少年
鼎に案内された先は、広々とした道場だった。過去にはたくさんいた巫女たちの訓練のために使われていたという。今では瞳子やひな子しか使用していないらしいが。建てられてからかなり経つようだが、堅固な造りは鶫たちの体重をしっかりと受け止めてくれている。
「ここは建物を保護する術式が張り巡らされているから、いくら暴れても壊れることはない」
天井を仰ぎながら言った鼎は中心で歩みを止め、鶫たちに向き直る。
「二人はとりあえず九割の変化をしてくれ。朝比奈くんはできるかね?」
宏基と透は問いに小さく頷いていたが、鶫は答えられないでいた。
瞳子とひな子の視線が後ろから刺さっているのを何となく感じつつも、どうすればいいのかが全く分からなかったからだ。初めて変化した時は無我夢中で、力を発動できた過程は覚えていないに等しい。
「……前世の記憶の中で力を使ってたところを思い出せ。そしてそれと同じように力を発動しようとすればいい。慣れてくれば意識するだけでできるようになる。ただ、そんなに強く妖力を込めようとするな。完全変化になっちまうからな」
鶫の様子を見かねたのか、宏基が耳元で告げる。幼なじみの気遣いに小さく頷き、とりあえず初めは二人の様子を見てからにしようと一歩下がった。
その意図を読み取ったらしい彼らは目配せをし合い、それから鼎を見る。瞳子の祖父がゆっくりと首肯したのを確認し、同時に変化を開始した。
一気に妖気が跳ね上がり、容貌が変化していく。宏基の顔には鱗が浮かび、透の耳は獣のものへと変わって、九つの尾が生えてくる。そして二人とも、瞳孔が人間のものからはかけ離れていった。
ビリビリと肌を痺れさせる二人の妖気に、鶫は酷く懐かしさを覚えた。
だが、ほんの少し違和感がある。記憶の中で感じていた妖気よりも、弱いのだ。これが「妖力を制限する」と言っていた正体だろう。
宏基と透はゆっくりと鶫を振り返った。彼はそれに目を閉じ、引きずられるようにして過去の記憶を掘り返す。
久遠がいつもどうやって戦っていたのかを眼裏に浮かべた、その瞬間だ。
鶫の手の爪が徐々に伸びて鋭くなり始めた。耳も獣のものへと変わっていく。そして2本の尾が生え、自身が強い妖力を発しているのを彼は感じた。
ゆっくりと、瞼を開く。広がる世界が今までとは異なっている。どこが、とは上手く説明できないが、確実に。
鶫の視線と二人の視線がぶつかる。誰も逸らすことができないのか、半ば呆然として彼らは向き合っていた。
やっと会えた。自分の中の『久遠』がそう言っているのを鶫は感じ、そっと胸を押さえた。
全員が変化をしている状態で対面するのは初めてだ。魂が何かしらの反応を起こしてもおかしくはない。
現に、宏基と透も自分の胸元を押さえている。恐らく鶫と同じような体験をしているのだろう。
鶫の胸のさざめきは徐々に薄らいでいったが、それでも高揚する気分はそのままだった。
しばらく、無言が流れる。瞳子もひな子も、変化するよう切り出した鼎も、何も言わない。呼吸の音すら聞こえてきそうな状態のまま、数分が過ぎる。
「――強いな……3人とも」
やがて鼎が半ばひとりごちるように呟いた。それから思案する様子を見せながら顎をこする。
「お祖父さま?」
またも沈黙が舞い降りそうな雰囲気を見かねたのか、瞳子が不審そうな顔をしながら祖父を呼んだ。それでも鼎は眉間に皺を寄せた難しい表情で黙り込んでいる。
「おじ、」
「瞳子。お前はこれがヒトに許された力だと思うか?」
焦れたらしい瞳子がもう一度声をかけようとした時、鼎は顔を上げて彼女に言った。
鶫たちはその言葉に反応して二人を見つめる。これからどんなやりとりが飛び出そうとしているのかを聞き漏らさまいとするかのように。
「それ、は……私も不思議に思っていたことではありますが」
「そうだろう? これは明らかにヒトが得ることのできる力ではない。その範囲を超えている」
困惑する瞳子と、迷いのない鼎。彼は言いながら鶫に歩み寄って、その手を取る。鶫が目を瞬かせると、まっすぐに見つめ返してきた。
「こうして触れれば、なおさら思う。人間の器にこの力は大きすぎるだろう……使い続ければ、この巨大な妖の力は君たちの身体も精神も蝕み、壊す。確実に」
一片の迷いもない口調。恐ろしいほど真剣な目。否定どころか反応自体が鶫にはできなかった。
彼が何を言っているのかは理解できているのに、頭が否定している。そんなことはあるわけはないと。
「でも!」
「本来、妖怪の力というのは妖怪の器に宿ってこそ充分な力を発揮する。真田くんも言っていただろう。大きな力を使おうとすればするほどコントロールをするのが難しくなる、と。妖怪だった頃、そんなことに苦労を感じたことはあったかね?」
ようやく反論しようと思って絞り出した声は、鼎によって呆気なく遮られた。
宏基と透は何も言おうとしない。それがますます鼎の論を裏付けるような気がして、鶫は瞳を揺らした。
「朝比奈くんは三度。真田くんと雨宮くんは五度」
唐突にも思えた台詞に鶫が眉を顰めると、鼎はそっと彼の手を離した。
「十割変化――仮に完全変化と言おうか――を、生涯でできる回数だ。恐らくそれ以上は、君たちの身体も精神も、持たない」
鶫は信じられない思いで、宏基と透を代わる代わるに見た。だが二人は何となく察していたことであるのか、何も言わない。
「一般的な妖怪だったならば違ったかもしれないが、最上級ではね……そして、『久遠』はその中でも特に妖力が大きかったと聞く。実際、鶫くんの妖気は飛び抜けて強く感じられる。それぐらいが限界だろう」
鼎の言葉を聞きながらそれでも最後のよすがを求め、彼は瞳子に視線を映した。しかし彼女も祖父の意見に賛成なのか、ただ顔を伏せるだけだった。
突きつけられた事実に惑いそうになった瞬間、鶫の頭に去来したことがあった。
最初に変化した時、久遠は言った。これから鶫が進もうとしている場所はもう二度と戻れないところにある。それでも進むのか、と。そして鶫は答えた。
――たとえ戻れなくても、後悔しても、ぼくは大切な人を護れる方を選ぶ。
「……それでも、選んだのはぼく自身だから。何があっても、その結果は、受け止め、ます」
変化を解きながら、鶫は小さく、しかしはっきりと告げた。
「そう誓って、この力を受け入れたんだから」
だけど、と唇の内側を噛む。
自分と同じだと分かっている。きっと彼らも相応の覚悟を以て、それを引き換えにして、妖怪の力を手に入れたのだと。
それでも思ってしまう。
――この力が持ち主を蝕むのなら、じゃあ、きっと力を使い続けている二人は? そしていざというときに、ぼくは護れるのかな?
視線が交わった瞳子は、鶫が何を思っているのか分かるはずもなく、唇を僅かに震わせているように見えた。




