正体を悟り出す少年
「本っ当にすみませんでした朝比奈さん……!!」
「いや、えと、だ、大丈夫だから気にしないで……」
深々と頭を下げる瞳子。それを見て焦る鶫。二人を傍観している宏基と透。
「だからあんたは姉さんに近づきすぎだって言ってんのよ! あと5メートルぐらい距離取っときなさいよ!!」
そして瞳子に押さえられながらそんなことを言っている少女が一人。
「ひな子、無茶なことを言わないのですよ! そしていくらなんでも跳び蹴りはやめなさいといつも言っているでしょう!!」
「だってそいつら皆して姉さんに近寄るから……!」
「だっても何もありません!! お客さまですよ!? 早く謝りなさい!」
「嫌よ、そんな姉さんに色目使うような男に謝るなんて!!」
「朝比奈さんがいつ色目を使ったと言うんです!!」
「使ってるじゃないデレデレ鼻の下伸ばしちゃって!」
「ひな子!! いい加減になさい!!」
嵐のようなやり取りをする少女二人の動きを、鶫はただひたすら呆然と目で追うことしかできない。
瞳子と交わしている会話の内容からして、鶫に跳び蹴りをかましてきたのはどうやら瞳子の妹であるらしい。顔はよく似ているが、長い黒髪を複雑な結い方でまとめている瞳子とは違い、妹の方は快活そうなショートヘアだ。
勢いよく倒れた鶫であるが、柔らかい土の地面であったことと妖怪の力を開花した後だったのが幸いして、意識を取り戻すのも頭の後ろにできた大きな瘤が治るのも早かった。
そして取り戻して早々のこの状況である。どうしたらよいのやら全く思いつかず、何かを言おうものなら主にひな子に油を注いで火が激しくなる予感がしたので、彼はただ黙っていることにした。
それにしても、初対面時の行動が似通いすぎていて、鶫はしみじみと「二人は姉妹なのだな」と感じていた。
理由が「妖気を感じたから」と「姉の周りにいた男だから」という差はあれど、そして鏡を向けてきたか跳び蹴りかという違いはあれど、いきなり飛びかかってくる辺りは本当にそっくりだ。
手持無沙汰で、失礼でない程度に室内を見渡す。
今いるのは客間であるためか、置いてあるものはさほど多くない。花瓶には花が活けてあり、恐らく替えたばかりだろう鮮やかな色の畳から心地よい香りがする。自宅が洋風な造りの鶫は、懐かしく思いながら繰り返し畳の目を指でなぞった。
そうしている間にも、姉妹の口論は続いている。
「だいたい姉さんは美人なんだからもう少し自覚を持ってよ! 男は狼なんだよ!? いったい何考えてるの!?」
「この方たちは私とお祖父さまがお願いした形で来ていただいているのですよ!? 貴女こそいったい何を考えているのですか!」
これではいつまで経っても話が進まなそうだ。どうしたものか、と弱りきった顔で宏基を見上げようとした時。
「瞳子、ひな子、二人ともいい加減にしなさい。お客人の前でみっともない」
よく通る渋い声が姉妹の言い争いを強制的に終了させた。
「お祖父さま……」
「祖父ちゃん」
そして二人はほぼ同タイミングで呟き、正座をし直して一礼する。
「まったく。すまんね、3人とも。わざわざ来てもらったというのに。特に朝比奈くんだったか? ひな子がとんでもないことをしたようだが大丈夫かい?」
そんな彼女らを見ながら軽く苦笑いしてため息をつき、現れた老人は鶫たちを見た。老人といってもよぼよぼとしているわけではなく、足取りも話し方もしっかりしていて、元気そうだ。彼が話を聞きたいとここに呼んだ瞳子の祖父だろう。神社のお務めを済ませてきたところなのか、紫色の袴姿である。
「いいい、いえ、大丈夫です……!」
生来の人見知りを発揮した鶫は慌てて首を振り、少し宏基の後ろに隠れるようにする。
「ええと……まず、妹の雪代ひな子。ごく弱いですが、彼女も霊力を持っています。祖父の雪代鼎です。婿養子なので霊力は持っていません」
鼎は穏やかに微笑んでいる一方、ひな子は不機嫌そうにしている。未だ鶫を睨んでいることであるし、相当に悪い印象を持っているらしい。
それを感じつつもぺこりと深めに一礼する鶫と、目礼に留める宏基と透。特に不信感を抱いている様子もない鶫とは違い、警戒しているのかもしれなかった。
ひな子が鶫に相変わらずの鋭い視線を向けており、彼はそちらに気を取られている分、鼎に気を回す余裕もないのだろうが。
「さて。話はだいたい瞳子から聞いているのだが」
座布団の上に腰を下ろした鼎はきっちりと正座し、にこりと笑う。その笑顔はどことなく瞳子やひな子に似ていた。
「瞳子が前世の記憶を持っていると知ってからますます、妖怪について調べるようになった。うちの蔵には膨大な資料があるからな。ほら、あそこに見えるだろう? そこを読み漁るなどしてな。それなりに詳しいつもりではいる。だが、人間として生まれ変わったはずなのに妖怪の力を使えるなどという話は初めて聞いた」
窓の外に見える蔵を見た鼎に釣られ、鶫たちも視線を向ける。確かに大きく、あの建物いっぱいに資料があるのだとしたら相当だ。それなのに、鶫たちのような存在についての記述は一切見つからなかったのか。
どうしてぼくたちだけが――鶫は心中で呟く。
「それで、朝比奈くんから順に、猫又、蛟、九尾の狐、か。全員変化ができるようになったのだな?」
その場の全員の視線が自分に集まったので、鶫は緊張して体を固くしつつ頷いた。
続いて鼎の視線は透へと向けられた。
「体組成自体が変わる……と雨宮くんは言ったそうだな?」
「……うん。実感として分かるから。動きとかが絶対に人間の状態ではできない、妖怪だった頃に感じてた動きに近くなる。思考も、感覚もそうだよ。体の作り自体が変わってると思わなきゃ、納得いかない」
少し躊躇ったようにしつつも、来た以上は話すべきだと判断したのかぽつりぽつりと言葉を重ねていく透。
「だけど体そのもののベースは結局人間のままだから……妖力を使えば使っただけ、戻ったときの疲労感も大きい。だけどそれをはみ出してきてる妖力が癒して、みたいな。自分で言っててもよく分かんないから分かんなくても仕方ないよ」
徐々に難しい顔になっていく祖父と孫を見てか、最終的に透は軽く肩を竦めた。続いてちらりと視線を寄越された宏基も、「似たような感じだ」と応じるだけだ。
そしてそもそも一度しか変化をしたことのない鶫は、ただ傍観しているしかない。
「――ただ。十割変化は、コントロールが難しい上に反動が大きい。それは俺もこいつも、今までで実感してる。最初に変化した時は多分問答無用で十割だったから、そうそう長い時間変化していられなかったし……無理矢理そのまま解かせまいと暴れてたら、もしかしたら死んでたかもな」
宏基がぽつりと言った。
「だから普段は、どんなに使っても、前世の八割の妖力……全力に近い状態で戦わなきゃ死ぬかもしれないときは、九割。なるべく十割は避けてる。じゃなきゃ戻ってこられなくなるかもしれないから」
彼の語り口からして、鶫は自らが開花させた力がいかに諸刃の剣であるのかを初めて思い知った。
戦うことはできる。しかしその分、『自分』を失ってしまうかもしれない。
宏基が何故自分を過去から遠ざけ続けたのか。守ろうとしていたのか。自分が味わってきた苦労を鶫に味わわせたくはなかったと語ったその本当の理由を、鶫は気づかないでいたのだ。
相変わらず難しい顔をしている鼎に視線を向けた瞳子。彼もすぐ自らの孫を見、やがて同時に頷く。
「……3人とも、少し来てくれるかね」
目を瞬かせる鶫、怪訝な顔をする宏基と透。その場でかつて妖怪だった全員の顔をぐるりと見渡して、鼎は告げた。
「少し、力を使っているところを見せてほしいんだよ」




