紅い葉の彼と化け猫
風巻と会ってからの1年間は、あっという間だった。
少し前までは季節が巡るということ自体が嫌で嫌で仕方がなかったのに。そして、どんなに美しい景色を見ても、総てが色を失って見えたのに。
風巻と別れてからの1年間、おれは約束を守って生き延びてきた。法師や巫女に見つけられないように逃げ回り、作物を育てて。やはり当初からの狙い通り、まさか妖怪が廃寺に住んでいるとは相手も思わなかったらしく、見つからないで済んでいる。
そして生きるための目標ができたことも大きい。何にしても情報を仕入れなければならない。おれは人間の世がどうなっているか、野良猫や人間に飼われている猫などに出会うたび、話を聞くなどしていた。
準備と言っても何をしたらいいのかがまだあまり自分の中で固まっていないけれど、時間はまだたっぷりある。ゆっくりと考えていきたいと思いながら、厳しい冬、穏やかな春、茹だるように暑い夏を越えて、おれにとっての風巻の季節である秋がまたやってきた。
山々の木が色づき、黄や紅に染まるこの季節。鮮やかな翠の溢れる夏も好きだけど、過ごしやすくなって雅な色で埋め尽くされるこの季節が大好きだ。
「とりあえず此処まで、っと」
朝の農作業を一区切りさせ、大きく伸びをする。最近は一人で作業することにも慣れて効率が上がってきた。それが少し楽しみでもある。
「さて」
道具を片付け終えたおれは、楓の木の群生に向かった。これは最近の日課となっており、疲れた心身を癒してもらっている。
紅葉の海の中に横たわりながら空を眺めると、空の青に紅葉の鮮やかさが映えて美しい。ひらりひらりと舞い散る紅い葉を捕まえ、走っている筋や色の美しさをしげしげと眺めた。こんなことを繰り返しているけれど、いくらいても飽きない。
そのまま葉が雨のように降る様子をぼんやりと眺めているうち、うとうととし始める。駄目だ、此処で眠ったらいつ巫女や法師に見つかってもおかしくない。だが瞼が重い。
眠気に負けてしまいそうになった瞬間、ずっと待ちわびていた人の匂いが鼻腔を掠め――おれは跳ね起きた。今まで支配されていた睡眠欲なんて一気に醒める。
群生はちょっとした丘の上にある。匂いはその下の方から来ているようで、妖気もやはりそちらから感じた。おれは丘のへりに立ちきょろきょろと見渡す。
すると、見つけた。長い髪をたなびかせた、派手な色味の着物を纏った男性の姿を。
「しーまーきいいいいぃ!!」
叫びながら丘の上から飛び降り、彼の前へしなやかに着地する。
「おー、そーいうとこ猫……久しぶりだな」
こちらもおれの存在にはしっかりと気づいていたらしい。何処か感心したように呟いてひらひらと手を振っているのは、もちろん風巻。
本物だ。勘違いでも、よく似た他人でもない。本当に、風巻にもう一度逢うことができたのだ。
「久しぶり!! 元気してた? 元気だよね!!」
尋ね方が早口で捲し立てたみたいになってしまうのは、久々の再会の嬉しさで気分が高揚しているせい。
「元気にしか見えねーんだろーなー。まあ元気だしな実際。お前は?」
おれの断定口調に吹き出して笑う風巻。その笑顔も当然ながら変わっていない。
「元気いっぱい!」
色々とうだうだ考えなくなったおかげで、むしろ去年よりも元気なのではないだろうかと個人的には思っている。あの頃は群れから抜けたばかりで、打ちのめされていて。呼吸をするのも辛かった。
「そりゃ何よりだな。前に会ったのはもう、1年前とかか?」
「うん。だってほら、紅葉!」
自分に引っかかっていた紅葉を、考える仕草を見せる風巻に渡す。
「お前、何処歩いてきたんだ? 紅葉まみれ」
その問いには、丘にある楓の群生を指して「あそこ」と答えた。風巻は納得したようにしつつ、おれにくっついたままの葉っぱを1枚1枚取ってくれる。
「お前、しばらくこの辺にいたわけ?」
問いながら最後に取った真っ赤な葉をしばらく眺め、おれの帯に差す。捨てるのが少々勿体ないほどの美しい染まり具合だし、風流を好む彼は惜しく感じたらしい。
「いたよー。やっぱり相手もおれが廃寺なんかにいるとは思わなかったみたいだし」
くすくすと笑うと、相槌を打つように頷く風巻。
「ま、まずは無事で何より……あ、そうだ」
それからふと思い出したように荷物を探っているので、おれは首を傾げて見守った。すぐに何かを取り出して彼が笑う。
「つい最近東国に戻ってきてさ。ほら、西に上るっつったろ」
その言葉と何かを取り出すような行為、といえばひとつしかない。ピンときて目を輝かせた。
「お土産? ありがとう!!」
だが西の方といえば、最近あまりいい噂は聞かない。ついこの間まで大きな戦になっていたはず。
伊知郎の群れにいた時期がちょうど戦の時期とも重なっており、人間たちが零しているのを聞いた。京で戦乱になっている、と。最初は京だけだったものがだんだんと周囲に広まっていき、西は安芸、東は美濃の方まで広がったという噂も聞いた。割に長いものだったと思う。最近は落ち着いたのかもしれないが。
「……京、最近荒れてるって聞いたけどどうだったの?」
また首を傾げると、包みを解きながら風巻は思い出すような様相を見せる。
「焼けてるとこまだまだあったな。それに、織物の職人なんかは逃げちまったとさ。あんまり商人もいなかったけど、まだ少しは物があったから」
そして完全に解かれた包みからは、漆塗りの小箱が現れた。
「漆器だ! 懐かしい……ありがと!!」
里にいた頃はよく見ていたものだが、それももう随分前の話だ。最近ではとんと見かけることもなかった。
そうっと受け取ると、ひんやりとしているのに手にしっくりと馴染む滑らかな感触がする。久方ぶりの感覚に感動した。風巻がおれのためにわざわざ買ってくれたことが嬉しくてたまらなく、抱きしめるようにして持つ。
どういたしまして、と笑う風巻に微笑みを返して、すぐに真面目な表情を作った。
「このまま戦になるのかなあ……また」
そもそもの発端が将軍の継嗣問題だと聞くし、そうそう簡単にはいかない気もする。室町殿が崩壊した、という噂は聞かないから、まだ将軍も力を失ってはいないのだろうけど。そういう移り変わりをおれも見てきた。鎌倉殿が崩壊して、室町殿が立って。ついこの間の出来事のような気もするのに。
「まあ……なるだろうなー。権力だ何だって話になると、人間は手が早いから」
風巻はそう言って肩を竦めた。
「そっかー。まあ東国にいると京の話は遠くなっちゃんだけどね」
「もしこっちにも広がったりしたらそうも言ってらんねぇぞ?」
「そうなったら、妖怪は反対に栄えるから……それもそれで厄介だけどね」
人間の世の中が乱れれば、そういうのを大好物にしている妖怪も増える。混乱に乗じて雑魚妖怪も我が物顔で動き回るだろう。そうなれば法師や巫女の動きも活発化するに違いない。妖怪と人間はそういう意味でも決して切り離せない。
「雑魚ばっかりうじゃうじゃされてもなー」
彼の呟きも尤もだ。強い者が出てきてくれれば対戦する楽しみもあるというものなのだが。
ふと風巻が時間を確かめるように空を見上げるので、おれもそれに釣られて視線を向ける。
「そろそろお昼かー」
「久遠お前、何か食ったの?」
日が中天に近いのを見て呟くと、思い出したように彼が尋ねてきた。
「何か……漬物?」
にこりと笑って答えた。昨日猪を捕まえて牡丹をたらふく食った分、朝はあまり腹が減っていなかったためなのだが、風巻はどうやらそれしか最近食べていないと思っているらしく、
「相変わらずの食生活だな」
と驚きもせずに零した。前回会った時に、おれがまともに食べられていたのは漬物ぐらいだった、ということが影響しているのだろう。
腹減んねぇのか、と訊かれたので頷く。流石に漬物だけではお腹は空くし力も出ない。
朝が軽かった分、そして昼だということを自覚した分、だんだんと体が空腹を訴えかけてくる。そして腹が減っているのは風巻もだったようだ。
「オレ一人だったら、人里行って色々と仕入れちまうけど」
言いながらおれの耳と尻尾をまじまじと見る。おれたち猫又も猫からの成り上がりだから、人型でもこういう部分は残ってしまうのだから仕方がない。
「天狗は便利だよね」
反射的に両手で耳を押さえた。人間と異なる部分といえば背に持つ羽ぐらいのものだ。それを仕舞ってしまいさえすれば、見た目は何ら人間と変わらない。
「あ、それ行けんじゃね」
風巻はそんな俺の様子を見て、思いついたように持っていた笠を被せてくる。確かに耳は隠れるけれど。
「いや尻尾尻尾!!」
けらけら笑い、自分の後ろで揺れる2本の尻尾を指差した。これこそ頭隠して尻隠さず、だろう。
ちょっと考え、荷物から出した羽織をおれに纏わせる風巻。彼の着ている着物と同じように、男性の持ち物にしては派手な色だ。こうして尻尾もまた隠れたわけである。
「お前にはちょっと色味が派手か」
自覚はあったのかそう呟きつつ、風巻は満足げな表情を見せた。
「……いや、でもおれは遠慮しとくよ」
人間は、好きだ。だけどあちらもおれを好いてくれるかどうかは別問題。もしも妖怪であるということが露見してしまえば大騒ぎになる。それは避けたい。笠に手をかけ、そっと外した。
「人間好きが言ったとは思えない台詞だなー。まあ周りに知られたらちょっと大変か……」
「そうそう。怖がらせちゃうから」
風巻の言葉に頷き、はい、と笠を返却する。
「じゃあ、近くまではついてくれば? ここで待ってろーってのもあれだし」
だが風巻はそれを再び被せてきた。
「とりあえず旅人とすれ違うくらいは平気だろ」
確かにそれぐらいなら何とかなるだろうが、本当に大丈夫だろうか。不安が湧いてくる。
しばらく悩んだが、結局笠のへりを掴みつつ頷いた。人間への好奇心を抑えきることはできなかったのである。こうして耳も隠れることだし、大丈夫だろう。そう思おうとしたら、問題はやっぱり尻尾の方だったようで。
「尻尾動かすなよ。流石に驚くっつーか、見えてる」
おれの後ろに目を止めた風巻が、けらけらと笑って尻尾を指したのだ。
感情表現と共にそこを動かすのはもはや本能のようなものであり、抑えることはほとんど不可能に近い気がする。そう考えると、むしろ人型でない方がいいのかもしれない。
「いっそ猫に化けてく……」
「尻尾減らせるんならそれでもいいな」
「蛟が蛇に化けられるんだしできるよ!」
2段階に分けて変化し、普通の猫の姿になる。これなら尻尾が揺れようが何だろうが関係ない。
「あ、ならこれで行くか。てか普通に町でも村でも入れんだろそれ」
笠と羽織を持ち直して自分の肩をとんとんとしているのを見、おれはそこに跳び乗った。
「巫女とか法師いたらやだし、何かの弾みで解けちゃってもやだし……」
万にひとつと言う可能性だけど、全くないわけではないのだ。そんなことになればまた大騒ぎになる。そういう危ない橋はあまり渡りたくない。
「巫女とかいたら逃げるのはオレも一緒だぞ?」
「それはそうだけど……」
「んな心配すんなよ。いざってなったら空飛んで逃げてやっから」
風巻の頼もしいのか呑気のなのかよく分からない台詞を聞きながら、おれは「うん」と答えた。声の調子が少し心配そうなものになったのは否めないが、仕方のないことである。
いつの間にか彼が持っていた紅葉にじゃらされながら、おれは前方に見える町をじっと見つめていた。
あの町が淡い光を湛えているように見えたのは――もしかすると、そこで何かが変わるということを、何となくおれ自身も予期していたからかもしれなかった。




