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夢と現に揺れる少年

「バス、だいぶ乗り過ごしてしまいましたが……もう帰りましょうか。乗るバス、朝比奈さんと同じなので」

「ああ……方向からしてそうだよね。うん、行こっか」

 柔らかに微笑む瞳子にぎこちなく微笑み返し、バス停の傍に立つ。ピークを過ぎてしまったせいか、並んでいるのは二人だけだった。

「そういえば朝比奈さん、明日は当たり日ですね。大丈夫ですか?」

「え。えと、うーん……あんまり、大丈夫では……ない、けど、頑張る」

 瞳子は鶫の言い様に楽しげに声を上げて笑う。彼はそれを物珍しげに眺め、雪代さんのこんな笑い方、初めて見たかもしれない――と内心で呟いた。

 これは少しでも心を許してくれたということだろうか、と考え、僅かに自分の心臓が弾む感覚がして、そっとその辺りを押さえた。

「……?」

 一瞬で消えたその感覚は、よく知らないもの。しかし、同時によく知っているような気もして、戸惑いから目をしばたたかせる。

「朝比奈さん?」

 その様子を見てか不思議そうに首を傾げる瞳子の視線を感じ、はっとして鶫は顔を上げた。

「何でもない」

「そうですか……」

 だが納得した様子はなく、視線も外されないままだ。どう説明したものか、と視線を彷徨わせた時。


 鶫は視界の端に奇妙なものを捉え、思わず凝視した。


「朝比奈さん?」

 再びの唐突な行動に、瞳子は不審そうに眉根を寄せる。彼女がいい加減に鶫の行動が読めなすぎて戸惑っていることを、彼はよく分かっていた。

 だが、鶫自身も驚きから動けない。

「あれ……」

 そう絞り出して注意を向けさせるだけで精一杯だった。

「え? ……!」

 釣られてそちらに視線をやった瞳子も驚いたように目を見開き、小さく息を呑む。

 僧侶の格好をした、しかし人間の肌に当たる部分が住みで塗りつぶされたかのように真っ黒な――異形のモノ。それがこちらの方に、ゆらり、ゆらり、と体を不気味に揺らしながら向かってきていたのだ。

式神しきがみ……」

 と、瞳子が無意識かぼろりと言葉を落としたのを、鶫は聞き逃さなかった。

 『式神』。つい先日、透も同じことを口にしていたのを鶫は思い出した。

 ――こいつら式神?

 あの日、『式神』とはいったい何であるのかを聞き忘れたことを今さら思い出す。

 久遠の知識を探ると、とある映像が脳裏に浮かぶ。人の形をしていたり、蝶の形をしていたりするが、破壊すると紙切れになってしまうモノ。

「雪代さん、式神って、」

「それは後ほど! とりあえず移動します!」

 瞳子が鶫の腕を掴んで走り出した。彼は強制的に走らされることとなり、バランスを崩しかける。だが転ぶことも許されないようなスピードで走っていく瞳子を見、何とか持ちこたえた。

「ゆ、雪代さん!? いったい何がどうしたの」

 走りながらも困惑して尋ねる鶫を、一度振り返る瞳子。

「もしも先日のように貴方に攻撃を加えようとするのなら、あんな誰が来るか分からない場所でなど危険です。見られる心配はもちろんですが、第三者に怪我をさせてしまう可能性だって否定はできません」

 言ってからまたも正面に視線を戻す彼女は、確かに人気のあまりない方へと向かっているようだった。当然と言えば当然である。そのような簡単なことも思いつかなかったことに鶫は反省し、懸命に両足を動かし続けた。

 ちらりと後方を見ると、僧侶のような姿をした『式神』は、数を増やしながら二人を猛スピードで追いかけてきている。地面を滑るように移動していく様子も、明らかにヒトとは異なっていた。

 二人の速さは異様に速い式神の群れの動きより劣っており、距離がどんどんと縮まっている。

 瞳子にもそれが分かっているのか、前方に見えた森を目指しているらしい彼女の走るスピードが上がった。

「式神は……法師殿たちや、私たち巫女が使役する、」

「何かしらのイキモノをかたどった、紙で作られた紛い物――のことでいいんだよね?」

 鶫が連れられるままにそれを追いながら言葉を引き継ぐと、瞳子は大きく頷く。

「はい。あれは人型ですから、それなりに高位の法師が作ったものかと」

「……でも、何でぼくらを追いかけるの?」

 鶫は記憶を取り戻したばかりで、宏基や透のように妖怪の力を使うことはできない。しかも瞳子に至っては、味方のようなもののはずなのに。

「もしかしたらぼくだけを追いかけてるのかもしれないけど……」

 それなら、瞳子が言うには微弱ながらも鶫は妖気を発しているらしいので、それを追いかけてきたのだと言えば説明がつかないこともない。彼本人は己の妖気云々など自分では感じられないため、全く分からないのだが。

「分かりません。意図もなしに式神を差し向けてくるはずはないですが」

 息を弾ませながら瞳子は森に飛び込む。鶫もまた後ろを振り返ってからそれに続いた。

 直後、式神たちも雪崩れ込んでくる。

 鶫が少し不安な思いのまま辺りを見渡すと、二人を囲うようにそれらは広がった。

「雪代さんは巫女なんだし、きっと狙われてるのはぼくだよ……雪代さんは逃げ、」

「私だけが逃げる、というのはお断りしますよ。貴方は今、前世の記憶を持つだけのただの人間です。少し放たれている妖気に釣られてきたのなら、私が守らなければならない」

 巫女の役目はヒトを護ることですから、と瞳子は言い、鞄から鏡を取り出す。それは巫女の武器のひとつ。つまり彼女は鶫を護るために戦う気でいるようだ。

「ええ!? で、でもそれ、法師を敵に回すんじゃ……雪代さんの立場が、ええと、ああああ悪化するっていうか!」

 しどろもどろの彼の台詞も、瞳子の「伏せて!」という叫びに掻き消された。反射的に従った頭上を法力の塊が通り抜けていき、血の気が一気に引く。

「朝比奈さんはその場でじっとしていてください!」

 言って駆け出すので、鶫は慌てて立ち上がって彼女を止めようとした。と同時、壁のようなものにぶつかり目を瞬かせる。

 結界だ、と気づくのにそう時間はかからなかった。

 瞳子はどうあっても鶫のことを戦いの蚊帳の外に置こうとしているらしい。

「……、何故か知りませんが、私も狙われているようですね? いいでしょう、まとめてかかってきなさい」

 僅かに発せられていた鶫の妖気も、彼が結界の中にいては全く感じられないはず。

 それなのに敵である式神は右往左往することなく、むしろ瞳子との距離をじりじりと詰めている。これは、狙いが鶫だけでなく瞳子にもあることを如実に表していた。

 鶫はそれを悟った瞬間、戸惑いで頭が混乱した。

 どうして? 瞳子は法師にとって仲間の側。そんな彼女を何故式神が狙うのだ。

 瞳子が鏡を構えた瞬間、一気に異形のモノたちは法力の槍を放つ。彼女は自分の周囲に結界を張ったようで、爆発音が轟き、眩いばかりの光が巻き起こる。

 相殺されたのか、彼女の結界が掻き消えた。その代わりと言わんばかりに、瞳子は鏡へと式神の姿を映し出す。

 瞬間、一気に半数の式神が跡形もなく消滅した。

 しかし、残されたモノたちが錫杖を構え、そんな彼女の背後を狙う。鶫は思わず「雪代さん!!」と絶叫した。

 久遠の記憶の中にある、法師の攻撃の映像が目の前の光景とダブる。式神なのに、まるで生身の法師と戦っているところを見ているかのようだ。それはそのまま、この式神たちを作り上げた者の実力を表しているのだろう。

「問題、ありません!!」

 瞳子が霊力で壁を造ったのか錫杖は空中で中途半端に止まった。そのまま鏡に映し出されたそれらは、またも一瞬で掻き消える。

 鶫はほっと一息ついた。

「……思ったより呆気なかったですね」

 残っていた最後の数体を霊力の縄で締め上げて破壊し、小さく呟く瞳子。

「雪代さんが強いだけじゃあ……?」

 それに思わず苦笑いすると、少し可笑しそうに笑ってみせる、かつて月読だった人。それに更に苦笑いするも、彼女が彼の周りの結界を解いたのを分かって、鶫は瞳子を見つめた。

「大丈夫? 怪我とかしてない?」

「私を誰だとお思いですか? 大丈夫ですよ」

 くすくす笑うので、彼も小さく声を上げて笑った。

 瞳子の前世である月読は、一般の巫女百人分の実力を持つ、あの当時最強の巫女だった。その生まれ変わりである瞳子もまた、同じぐらいの実力を持っているのだろう。

「それなら、よかった……女子に守られるなんて、でもちょっと情けないや……」

「私は『普通の女子』ではありませんから」

「それもそっか……」

 軽く肩を竦め、じゃあ帰ろうか、と言いかけたところで、瞳子の背後で蠢く何かが鶫の視界の端に映った。

 締め上げられて引きちぎられ、木っ端微塵の無数の紙片となって地面に落ちていた式神の『本体』。それが紙片ごとに元の法師のような形へと変態していく。そして一斉に構えられた錫杖が、瞳子の後頭部へと振り下ろされる。

 実際にはその総てが数秒間の間に繰り広げられた出来事であるはずなのに、鶫の目には何倍にも引き伸ばされて映った。時を同じくし、彼の体はほとんど無意識的に動く。

「雪代さんッ!!」

 自分の声が何千倍にもなって脳内で拡散し、反響する。

 ――嫌だ嫌だ嫌だ『あの時』みたいにうしなうのは嫌だ!!

 鶫とも、久遠ともつかない叫びが、それに呼応したかのようにやはり頭の中に広がった。

 続けて、視界が一気にホワイトアウトする。

『後悔しないか』

 鶫がそれに戸惑う間もなく、耳元で声が聞こえた。こんな状況なのに焦る様子もない、いやに冷静な。

 この声は、久遠だ。鶫はすぐに察するけれども、彼が何を言っているのか分からずに眉を顰めたい気分になる。

 ――どういうこと?

『これからお前が踏み込もうとしてる場所は、もう二度と戻れないところにある。それでもいいのか? それでも選ぶのか……進むのか?』

 心中で呟くと、変わらない調子の久遠の声が、淡々と続ける。謎めいた台詞に、相変わらず彼が何を言っているのか鶫には分からなかった。

 分からなかった、けれど。


「護れないで――喪ってから後悔するなら、たとえ戻れなくても、後悔しても、ぼくは大切な人を護れる方を選ぶ!!」


 咆哮する。そしてほとばしる閃光。見えるのは瞳子に襲いかかろうとする式神たちの錫杖だけ。

『それでこそ、おれだよ。鶫』

 鶫の答えに満足したような声で久遠は再び呟き、そしてふっと気配を消した。自分の役目は果たしたと言うがごとく。

「あ、さひなさん……!?」

 驚いたように揺れている瞳子の声を、鶫は背後に聞いていた。どこか他人事のように。

 鶫は左腕で、瞳子に向かって振り下ろされた錫杖の総てを受け止めていたのだった。空いた右手で彼女を安全な方へと押しやりながら。

 法力が纏わされていたのか、彼の腕は嫌な音を立てながら焼け爛れていく。独特の臭気を、鶫本人にはやはり別世界の出来事のように感じられていた。

「どうしてこんな真似、を――」

 瞳子の激しい口調が急速に凪いでいく。いや、迫力を失っていく。理由は明らかだった。

 自らの腕が焼けていくのも構わず彼女を振り返った鶫の瞳孔が、猫のそれのように縦長へと変貌していた。つい先ほどまでは人間の、丸い形をしていたのに。

 瞳子には何が起こったのか理解できなかった。

 呆然としながらも視線を鶫の頭の方にスライドさせる瞳子。そこにふたつの獣の耳――猫のような尖ったものがあって、そして人の耳は失われていて。彼女は絶句した。

 その見た目だけなら、気のせいだと済ますこともできたのかもしれない。しかし、勘違いだと判断することのできない最大の理由があった。

 未だかつて『瞳子』としては感じたことのないほどの大きさの妖気。むしろ『月読』の記憶を頼った方が馴染み深いものだ。

「く、おん……?」

 瞳子は自らの呟きに呼び起こされたのか、痛みに悶えた様子で頭を抱える。

 鶫はそれを心配そうに見てから、錫杖を纏まとめ上げて掴み、力任せに放り投げた。

「――大丈夫、雪代さん。頭の中はおれ自身でも驚くぐらい冷静だから」

 言い残して敵に向かっていく彼を、頭を押さえたままの瞳子は呆然として眺めた。

「『おれ』……?」

 一人称の差をいぶかしむも、彼女はすぐに納得した。

「今の貴方は、久遠、なのですね……?」

 瞳子は迷った仕草を見せたが、思考の末、じっとその場に留まることを選んだようだった。

 鶫は一体を飛び蹴りで静め、鋭く伸びた爪に妖力を込める。

「――『爪閃斬』」

 ぽつりと言って、破片すら残さないほどに式神を切り刻んでいく。

 技を放つ前に感じていた「記憶の中のように上手くは放てないかもしれない」という一抹の不安は、結局のところ杞憂に終わった。

 目が、体全体が、覚えていた。この技を放つ感覚を。

 隙が生まれたと思ったらしい別の一体が法力を槍のような形にして放つ。が、次の瞬間には鶫の攻撃によって塵と化す。次の一体も、そしてそのすぐ隣に居た一体も。

 数分前とは明らかに異なっている今の鶫には、先ほどまで恐れていたはずの式神たちの動きは、赤子ほど遅く見えた。

 命を持たない式神たちは、仲間が次々と消滅していっても恐れを知らず、まっすぐに鶫に向かってくる。

 式神の使い手が知恵を働かせたのか、鶫は不意打ちを食らい二体に羽交い絞めにされた。残りの数体が法力を集合させて巨大な球体を創り上げている。一気に消滅させようという腹なのだろう。

「ちっ……」

「朝比奈さんッ……!」

 舌打ちした鶫とほぼ時を同じくして、瞳子もその意図に気づいたようだった。

 動こうとする瞳子を彼は目で制し、式神を振りほどく。そして眩いばかりの光を放っていたその球体を爪閃斬で押し戻す。

 己らの力を跳ね返され、式神たちは呆気なく消えた。

 勢いのままに、羽交い絞めにしてきていたうちの一体を粉々にする。

 残された最後の式神は、当然ながらもう仲間は総て滅されてしまったという事実を知ることはなく、分かることもできず。吹き飛ばされ地に伏していた体を起こして、錫杖を振り下ろす。

 目の前でうごめくのは、命なきモノ。その身が粉と化すまで主人に使われる。お門違いとはいえど、鶫はその様を心から憐れに思った。

 片手で錫杖を受け止めた。肉が焼ける音が響く。嫌な臭いが鶫の鼻腔を刺激する。

 だが、今の彼にとってそのようなことはどうでもよかった。

「……ッおれを、殺しに来るなら! まどろっこしい真似してねーでさっさと姿現せ!!」

 最後の1体を壊す寸前、式神越しに聞いているだろう大本の法師に向かって、鶫は言い放つ。自然と言葉は溢れた。言わずにはいられなかった。

 塵と化し、風と共にその名残さえ消えていく式神の姿。鶫はじっと、瞳子は驚きが覚めやらぬ様子のまま、それを眺めた。

 何者かから差し向けられただろう異形のモノたちが完全に消えたのを確認した瞬間、鶫の全身から力が抜ける。

「あ、れ……」

「朝比奈さん!」

 おかしいな、とでも言いたげに中途半端な笑い方をしながら、膝から崩れ落ちた鶫。完全に倒れる前に何とか受け止めた瞳子は、青ざめた顔で叫んだ。

「何か、力入んなくて、ごめ、」

「そんなことはいいのです!!」

 頬を紅潮させ、力いっぱいに怒鳴る瞳子。鶫はここまで狼狽える彼女を初めて見たため、むしろそちらの方に驚いた。自分の体がおかしくなっているというのに、呑気なものだが。

「傷は――」

 瞳子は錫杖を受け止めた彼の左の腕と手のひらを見て、目を見開いた。常人では考えにくいスピードで癒え始めていたからだ。

「治癒能力まで妖怪と同じ……」

 どういうことですか、と揺れる瞳が語っているが、鶫には分かっていた。このおかしな状況の原因が。

 鶫の眼裏にチラつくのは、宏基の後ろ姿。

「何も驚くことは、ないよ。同じことだから――宏基兄や、雨宮くんと。……まあ、ぼくもかなり驚いたけどね?」

「同じ、こと……では貴方も覚醒したと?」

 眉を顰める瞳子に鶫は小さく頷く。

「うん、きっと。さっき雪代さんが襲われそうになった時、」

 と、詳しく説明しようとしたところで、鶫は呻き声を上げて顔をしかめた。

 その苦悶の声が大きくなるのに比例し、彼の身体に起きていた変化が元に戻っていく。耳は徐々に位置が下がり、人間のものへ。目も爪も同じように変化し、妖気も消えていく。

「朝比奈さん……? 朝比奈さん!」

 苦しげな彼を見て、どうにかしたくとも方法が分からず途方に暮れる瞳子。

「――朝比奈!!」

 と、声が響く。

 勢いよくそちらを見た瞳子の目に飛び込んできたのは、息を弾ませて佇む透の姿だった。

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