彼に眉を顰める少年
眩いほどの日の光は
広がるはずの視界を真っ白に染めていって
● ● ●
何をしたわけでもないのに体が重い――そんなことを思いながら、鶫は足を引きずるようにして歩いていた。
また会う約束をし、連絡先を交換してから、庸汰と別れることになったのだが。彼から聞かされたことが、予想以上に鶫を打ちのめしていた。
「月読を殺したのが……同族……?」
くしゃり、と長い前髪を掻き混ぜ、スラックスのポケットに突っ込んだ携帯電話を握りしめた。混乱する頭の中を鎮めるように。
だが、それは却って先ほどまでの出来事をよりクリアにしただけで、鶫の狙った方向に働くことはなかった。
「どうして」
その理由はもう分かっているのに、呟かずにはいられない。
何故かずきずきと腹が痛んで、鶫は顔をしかめる。そして、ちり、と頭の奥がそれに呼応するように痛み出した。
腹の痛みは間もなく消えたが、頭の方はどんどんと大きさを増していく。
これは何かが思い出されようとしているときのものだ、と鶫にも分かってはいたが、一向に何も映像が浮かんでこない。結果として痛いだけで、耐えきれず近くにあった壁に手を突いた。
季節は初夏に移ろって、日が延びてきている。だからか、ついこの間まで薄暗かったこの時間も、まだ夕焼け空が見えた。
その夕焼けに――その色で染まった雲に反応するように、頭痛は増す。
「な、に……?」
呻くように漏らした時、眼裏を横切った影があった。
それは巫女が身につける緋袴と小袖を纏った女性。豊かな美しい黒髪が背中で揺れる。久遠さん――そう呼びながら微笑むその表情は、瞳子が教室でよく浮かべてみせている柔らかい様相とよく似ていた。
月読だ、と鶫が思うと間もなく、彼女の姿が視界から消える。舞い散る紅葉が視界を埋め尽くすようにして、ブラックアウト。
間もなく、背を向けた姿でもう一度月読の映像が現れる。恐らく「月読!!」と嬉しそうな調子で呼びかける声は、鶫自身――いや、久遠のもの。しかしぐらりとその視界は揺れた。
胸を刃に貫かれた愛しい人を目にすることによって。
「っつぅ……!!」
ひときわ鋭い一撃を残し、頭痛は急速に引いていく。同時、記憶の再生も途切れる。鶫はそれでもしばらく動けなかった。
元々重かった体が、ますます重量を増す。まるで岩を背に載せられているような。
いつの間にか座り込んでしまっていたことに気づいてよろよろと立ち上がり、膝を払った。息が落ち着くのを待って、今頭をよぎったものを思い出してみる。
鮮血。そして倒れていく月読の体。
あれは、彼女の最期だ。鶫は直感的に悟っていた。
今までどこか朧ろ気だったものが、しっかりとした形となって現れた。きっかけは――恐らく、庸汰との邂逅。
瞳子と出会って以降、さきの世と関わりのあった者たちと触れ合えば記憶が蘇った。今までにもあったことである。
「……でも、こんなにもはっきり見えたのは……あの時だけなのに」
児童公園に夢遊病者のように向かった時、一度きり。
かつて久遠が『団』の本拠地としていた場所があそこにはあったのだ。だからこそ、あの場所に鶫は引き寄せられるように『向かわせられた』。おそらく、久遠の意思に。そしてそれだけ関わりが深かった場所故に、瞳子によって刺激された記憶が蘇ったのだと鶫は思っていた。
だが。今回は瞳子も、因縁の深い場所も関係していない。
中心にいるのは、庸汰だけ。
「……もしかすると、庸汰が言うような浅い関係じゃ、ない……?」
しかしそんな証拠はどこにもない。庸汰がああ語る以上、彼にとっての印象はその程度なのだ。
ただ、久遠にとっては違ったかもしれない、というだけで。
鶫自身、自分が今現在保有しているものが、前世の記憶の総てだとは思っていなかった。
主なるものは思い出せたものの、それに付随する細かい部分はまだ完全ではない。だから、彼のことを思い出せなくても不思議ではない――と思っていたのに、そうすると矛盾が生まれてきてしまった。
こうして記憶が蘇るのは、それだけ関わりが深かったということなのに。今まで何ひとつ、彼に関する記憶が浮かんできていない。庸汰が嘘をついている可能性はあるけれど、そんなことをして何の得があるのかという問題に今度はぶつかってしまう。
「堂々巡り、か……」
またひとりごちて、頭を押さえていた手を離した。
いくら考えたところで結論は出ない。つまり、意味などない。とりあえずそう結論づけて思考をやめ、自分の足がきちんと機能するかどうかを確かめた。
歩ける。分かった瞬間、鶫はゆっくりと歩き始めた。
倒れやしないか、と初めは少しはらはらしていたのだが。もう頭痛がやってくることもなく、名残ともいうべき多少のだるさがあるだけで、歩行には何ら支障はないようだった。
前世の記憶が蘇ることによってここまで体力が消耗したのは初めてのことだ。鶫は拭えない違和感を覚えながらも、帰路を辿った。
玄関を開けて、ただいま、と声をかけるが返事はない。
リビングに入るとメモがあり、「今日はお父さんもお母さんも遅くなるから、宏基くんのおうちに行ってください」と母の字で書かれていた。
宏基と鶫は、二人が幼い頃から家族ぐるみで付き合いがある。だからこれも珍しい話ではなく、宏基の両親がいないときには鶫の母が料理を振る舞うこともあった。
制服から普段着に着替え、一度家を出る。それからチャイムを鳴らせば、宏基の母が迎え入れてくれた。まだできないから宏基の部屋に行っていて、という言葉に従い、慣れた足取りで階段を上る。
「宏基兄、起きてる?」
ノックすると、「あー」という何ともやる気のなさそうな声が返ってくる。
「入るよ」
鶫はそれに苦笑いしてからドアを開けた。
部屋に入ると、床に座った宏基がだらりとベッドに上半身を投げ出している。そして目の前にあるテーブルの上には教科書とノートがあった。どうやら課題をやっていたらしい。
「課題?」
「あー。でももう終わった」
鶫が向かいに座ったのと同時、宏基はそれらを片付けて鞄に突っ込んでいく。
課題の内容が数学だったのを見て、鶫は反射的に顔をしかめていた。
「相変わらず、『数学』って文字見ただけでその顔かよ」
「だって好きになれないんだもん……」
「入学したばっかなのにそんなんで、どうすんだよお前」
「う」
呆れたような調子に体を縮める鶫。しかし宏基の方もそれ以上言うつもりはないらしく、ため息を吐いただけだった。
「そうだ、宏基兄」
「あ?」
「今日、雪代さんと雨宮くん以外の、前世で関わりがあった人に会った」
話題が途切れたことで、今日の庸汰との出会いを思い出したのだ。
宏基は訝しげに眉を顰める。
「……前世の名前は?」
「双念。法師だったんだって。あ、でも他の法師とは違って、ぼくの……久遠の考えに賛同してくれようとしてた人だって」
法師という単語に露骨に嫌な顔をするので慌てて言葉を付け足すと、予想に反して宏基の表情はあまり変わらなかった。
「宏基兄は……名前に聞き覚え、あるの?」
首を傾げると、しかめた顔はそのままに、「ねえよ」とあっさり返される。
「ただ。……何となく、いい気持ちはしねえだけだ」
勘というものだろうか――と鶫は首を傾げる。それは彼の生存本能のようなもので、「何故?」と理由を尋ねたところで答えることは恐らくできないのだろう。
「……ぼくも今回が初めて会ったし、まだどんな人かは分からない……けど。悪い人ではないと思う。だから今度会ってみない? 他の二人も一緒にさ」
鶫がにこりと笑ってみせれば、宏基は少し考えるような間を空けた。
「……まあ、お前一人で行って何かあるより、法師とお仲間のあの巫女を連れて行った方がまだマシかもな」
「その言い草は何なの……」
またも苦笑いする。
「宏基、鶫ちゃん、ご飯だよー」
と、宏基の母の呼び声が聞こえ、そこで話は打ち止めとなったのだった。
加えて、鶫の頭は食事のことでいっぱいになっていて意識自体からも追い出されることとなってしまい、宏基もそれ以上触れることはなく、二人の間でこの話題が持ち出されるのはかなり後のことだった。




