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砂が零れ落ちる様に

 迎えに来てくれた彼は、与吉よきちというらしい。

「久遠ってどっかで聞いたことあんなーって思ったら、あれか。この前滅びた里の」

 歩きながら改めて自己紹介すると、おれの名前を聞いて合点がいったようにして、尋ねてきた。

「うん。そこの跡継ぎだったんだけど……父が死んだから」

 曖昧に笑みながら言うと、与吉は何度も何度も頷いた。

「あそこの話は俺たちも聞いたよ。驚いた。猫又で最大の里だったのに、一夜のうちに滅びたって」

 大変だったなあ、と背中を叩かれ、おれはそれにくすりと笑う。

 会ってからさほどの時間が経っていないが、何となく彼の人柄のようなものが分かった気がした。底抜けに明るいのだ。だからおれも、あの日のことが脳裏によぎっても鬱々としなくて済んだ。

「それからはずっとあの巫女さんの村に?」

「少ししてからは、うん。ずっと置かせてもらってた」

 言いながら、胸にちくりと痛みが走った。

 母のようにおれを叱って、あたたかく甘やかして、そうやって導いてくれた月読は――もう何処にもいない。

「そっか。じゃあうちの群れで暮らす素質は充分だな!」

 与吉はにこにこと笑う。その笑顔が、月読をうしなった悲しみを少し吹き飛ばしてくれたような気がする。

 おれのそんな感情を知る由もない彼は、垂れ下がっていた蔓を歩きながらも手でよける。顔にかかって邪魔だったようだ。

「俺たちの群れは、人間の村のすぐ傍に拠点を置いてる。もうここ五十年ぐらいはそうしてんじゃねえかなあ。そりゃ最初はぶつかってばっかりだったけど、今じゃ仲良しだ!」

 『仲良し』。その言葉に魅力を感じる。

 父が、そしておれ自身がずっと望み続けていた、人間と共存できる世界。今は小さなものだったとしても、こういう群れのような関わりが増えてくれればいいのに。

「もうすぐ着くぞー。法師やら巫女に遭遇しなくてよかったなぁ」

 与吉が前を示し、そちらの方向を見遣った。すると確かに小さな村のようなものが見え、猫又の妖気が複数感じられた。

 見つめるあまり足を止めたおれの背中を与吉は叩き、置いてくぞ、と笑う。おれはその照れ臭さに笑い、また彼の隣について歩き始めた。

「俺たちの群れはそんなに数は多くない。だけどその分、皆家族みたいなもんだから。まずはじっちゃんに会わせるな」

「与吉の祖父上?」

 首を傾げてみせると、彼は吹き出した。

「違う違う。群れの長で、一番のじっちゃんなんだけど、一番強いんだ」

 つまり里長のようなものらしい。

「全員のじっちゃんみたいなもんだから、皆『じっちゃん』って呼んでる。まあ、お前が来たからもう一番強くはないかもしれねーけど」

 豪快に笑って、こっちだ、とずかずか導いていく与吉についていく。

 群れの敷地に入ると、簡素な家々からひょっこり顔を覗かせ、興味津々にこちらを見つめるいくつもの目があった。どうやら敵意はないらしいが。

 そんなにすぐに信用ができるわけでもないし、かといって興味がないわけではない、というところだろう。その中にはまだ小さな子がいるのを微笑ましく眺める。

「群れは大人子供合わせてだいたい四十人だな。人間の村の方はもうちょっと多いけど」

 おれの様子を見ながら与吉が説明してくれる。

「お前がいた里と比べればずっと小さいだろ?」

「でも、皆仲良さそうだね」

 確かに規模はだいぶ違うが、流れる空気感は似ている。おれの言葉に与吉は嬉しそうにして、『じっちゃん』の家に導いてくれた。

「失礼します……」

 一礼しながら入ると、囲炉裏いろり端にどっしりと座っている老人が目に入った。

 群れで一番強い、と与吉が言っていたように、全く衰えたような雰囲気はない。むしろ積み重ねてきた年月が纏う空気に厚みを与えているようだった。

 真一文字に結ばれた口。厳しげに寄せられた眉根。蓄えた髭がなおさら凄みを増させている。一度手合わせしてみたい欲求が沸くが、それよりも此処に受け入れられてもらえるかの緊張が勝った。

「初めまして」

 もう一度頭を下げると、「上がって座りなさい」と目の前を示される。おれは返事をして素直に従った。

「この群れの長をしている、伊知郎いちろうという」

「久遠といいます」

 それに言葉を返すと、『じっちゃん』、もとい、伊知郎はゆっくりと頷いた。

「久遠の里の若だと聞いたが」

「はい。父は逝きましたから、今はその名をおれが継いでおります」

 気配が消えたから、恐らく与吉は一旦去ったのだろう。

「久遠の里の話は聞いている。人間との共生を目指していたことも――それ故に滅びたことも」

 おれはそれに曖昧に微笑んだ。

 確かに、里が滅びたのは、あの場面ですら「殺さない」と父が決めたことによるのかもしれないから。おれがいくらそんな父を尊敬していても。

「先代の久遠殿からは相当に仕込まれたのだろう。戦闘も、思想も。あの襲撃以後も、ぬしの意見は変わらんのか」

 じっと見つめてくる伊知郎に、同じような視線を返す。

「はい。全く」

 父から受け継いだ決意が揺らいでいるのなら、とっくに揺らいでいる。でもおれは、捨てられないし捨てる気もない。

 ――人間と妖怪が共生できる社会を。

 その答えを聞いて、彼は声を上げて笑う。

「何とも頑固だな。まあそうでなければ、妖怪にも拘らず巫女の庇護の下に置かれる、などという奇妙な状況にはならんか」

 月読がおれを守ってくれたのは、おれが父の子であったから、ということが大きいけれど、それを言うつもりはなかった。

「その年でそれだけの妖力を持っているということは、御父上も相当未来を嘱望していらしただろう」

 おれを見つめる彼の瞳が、ぐっと真剣みを帯びた。

「最上級の中の最上級、といったところか」

 人型を取ることのできる妖怪を上級と呼ぶ。その中でも特に強い力を持った者を最上級と呼称することがあるが、最上級から更に選りすぐられた者、と言いたいのか。

「そうおっしゃっていただけるのなら光栄です」

 にっと笑ってみせれば、伊知郎も僅かに口角を持ち上げてみせる。

「その力を我々の群れに貸してくれ。存分に、な」

 つまりおれは、この群れに加わってよし、合格、ということでいいらしい。

 少し安心した。いくら月読が頼んでくれていたとはいえ、それだけで仲間に加えてくれるほど彼は甘くない。会った瞬間に分かった。

「どうやら頭もいいようだ」

 おれの様子から思考を察したのか、豪快に笑う伊知郎。その笑い方は与吉によく似ている。いや、与吉の方が似たのだろうが。

「……ありがとうございます」

 他に何とも言い様がなくて、苦笑いする。

「もう此処はいい。みな、ぬしに興味津々だ。行ってやれ」

 くすくすと笑い続ける伊知郎に再び一礼し、おれは外に出た。

「どうやら仲良くなったみてーだな」

「聞いてた?」

「もちろん。おもしれーもん」

 にっと口の端を持ち上げるので、今度は与吉に苦笑いをこぼす。伊知郎を『じっちゃん』と慕う彼だ、似ていても何らおかしくはないけれど、妙なところが似ているものだ。

 与吉と話しながらも視線を感じてそちらを向くと、さっと隠れた影がいくつか。

「あー、ちびっこたちだな。緊張してんのかそれとも怖いのか」

 あちゃー、という感じで頭を掻いている彼をちらりと見てから、おれは少し辺りを見渡した。

「久遠?」

 怪訝そうにしている与吉には笑ってみせて、おれはちょうど見つけた手ごろな石を拾い上げた。それからその場にしゃがみ、地面をがりがりと削っていく。その線を繋げれば、あるひとつのものが浮かび上がるように。

 最初は何も反応がなかった。だが時間が経つにつれ、顔を覗かせ、少しずつ近づいてくる。

「何描いてんだー?」

 与吉も興味深そうに覗き込んでくる。おれは俯いた自分の顔が彼に見えないのをいいことに笑っていた。

 しかし、すぐに与吉にも描かれたものの正体が分かったらしい。

「お前……」

 がはは、というまたも豪快な笑いが響く。

「あー! じっちゃんだ!」

 一人が声を上げると、次から次に隠れていた子供が現れておれの手元を覗き込んでくる。

 そう、おれが描いていたのは伊知郎の顔。我ながらそっくりだと思う。

「おにーちゃん上手ぅー!!」

「ねえねえつぎあたし描いてー」

「ずるい、オレもー!」

 寄ってきた子供たちは途端にきゃあきゃあとじゃれ出す。年の頃は皆、だいたい記憶の中にいる月影と同じぐらい。そう思うとなおさら可愛くてたまらない。

「分かった分かった、順番に描いてあげるから」

 笑って石を持ち直すと、与吉までもが「俺も描いてくれよ」とか言い出すから、それにまた笑った。間もなく子供たちの顔と与吉の顔が地面に並ぶこととなった。

 そうして子供たちとあっという間に仲良くなると、群れに馴染むのは案外早かった。

 大人たちは、『じっちゃん』が許可を出したなら、とおれをあたたかく迎え入れてくれたし、人間たちの方も同様だった。

 人間の村は群れの本当に目と鼻の先にあった。

 畑を人間と猫又で共用し、協力し合いながら作物を作る。妖怪の腕力と人間の細やかさという特性を合わせて作られた作物は、確かにどれも美味しかった。

 襲ってくる妖怪たちは猫又たちが追い払う。

 その代わりに、人間たちも巫女や法師たちに対しては密告もしない。またもし彼らが近づいてくるようなことがあっても、理由をつけてこの村に入れない。

 そういう決まりを作って五十年ほどを過ごしているらしい。当時の村長と伊知郎が何度も大喧嘩を繰り返し、結ばれた約束。

 その村長の孫だという現在の村長は、にこにこと人好きのする笑顔で言った。

「伊知郎殿が信用して迎え入れたのなら、我々に言うことはありません」

 彼の台詞を聞いてようやく、おれは新しい居場所を見つけられたと思うことができた。

 それからは、月読の村に置いてもらうようになって以降と同じだった。

 伊知郎が信用しているから、ではなく、おれがおれだから信用してもらえるように、毎日懸命に働いた。

 月読の村にいた頃にも畑仕事を手伝っていたし、農閑期であまり作物が育たない時期の藁や藤を使った小物作りの能力も役に立った。

 それと、予期せずおれの助けになってくれたものは――今まで読み学んできた本の知識だった。

 次期里長として身につけられるだけの知識は進んで身につけろ、と父に言われて、人間の書いた書を学ばされていた。過去の知識人が書いたものだったり、大陸のそういう人が書いたものであったり、様々だったが。

 その教養が人間にも猫又にも割に重用されたのだ。

 武士や貴族のように教育を受けることなどできない、農村の子供たち。興味はあっても学ぶ術がなかった猫又の子供たち。おれはどちらの子供たちにも勉学を教えることになった。

 総ての経験が一切無駄になっていないことに、おれは父にも月読にも、どれだけ感謝しても足りないぐらいに感謝した。

 けれども、何よりも嬉しかったのは、久方ぶりに同族の友人ができたこと。里を失って以来だったので、何よりもありがたく感じた。

 特に与吉はおれにとてもよくしてくれたし、一番仲良くなったと思う。彼には飾らず安心して話すことのできるような雰囲気があり、優しくもあった。

 おれが群れの猫又たちや村の人間たちと仲良くなれるよう、だいぶ気を揉んでくれたのも与吉だ。彼のおかげで親しくなれた人が何人もいる。

 そして、与吉は戦闘の才能が素晴らしく、よくおれの相手になってくれた。

 彼は人型を取ることのできる上級でもあまり妖力は強くなかったが、その妖力以上の実力はあったはず。

 ねだられたりおれから言ったりして何度も手合わせした。いつもおれが勝ったが、それでも楽に勝たせてもらえることなどなかったぐらいだ。伊知郎が後継者に指名しているだけはある。

 本人はおれを推したようだけど、伊知郎は譲らなかったし、おれもたとえ指名されたとしてもなる気はなかった。おれよりもこの群れでは与吉の方がずっと『長』に向いていると、本気でそう思っていたから。

 それにおれは、ずっとこの群れにいるかどうかも確約できなかった。伊知郎にも伝えてあって、彼も承知してくれていたことだ。

 此処は確かに居心地がいい。ずっといたい、と思うのは事実だけれど、そのたびに月影の言葉が耳の奥で鳴るのだ。

 ――兄さまがたたかいをえらぶのなら、月影はそんな兄さまをささえることをえらびます。

 ――生き残るのは兄さまです。兄さまさえいれば、里は終わりじゃない。

 此処に落ち着くことがおれの生きる道ではなかったはずだ、と思ってしまうのだ。おれにはもっとやらなければいけないことがある、と。


 だけど。ああいう形で群れを離れることになるなんて、全く思っていなかった。予想もしていなかった。予想なんて、できるはずがなかった。

 あんな終わり方、望んでいなかったのに。

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