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優しい瞳をした少年

 解散させてください。瞳子の願いによって、鶫たちは透の家を後にした。

 もうとっぷりと日は暮れ落ちている。

 危ないから、と瞳子を自宅である雪代神社まで送っていったが、その間の彼女は、お礼や挨拶以外ほとんど口を利かなかった。何かを考え込むかのように。彼女の中で、『久遠』は敵でしかなかったのだ。無理からぬことであるのかもしれない。

 ただそれに、勝手に傷ついている自分がいるだけだ、と、鶫は移り変わる景色を見ながら考えていた。

 世の中も帰宅時間であり、二人が乗ったバスはぎゅうぎゅう詰めだ。隣に立つ宏基は、器用に立ったまま眠っている。そんな幼なじみに苦笑いしてから、鶫はまた外に視線を戻した。

 見慣れた景色であることには変わらない。行きとは反対方向に向かっているだけで、通っている道が変わったわけでもない。

 だが、鶫には先ほどまでとは全く異なって見えた。

 今の景色と過去の景色が重なっては揺れる。

 雪代神社の手前まで瞳子を送っていった時もそうだった。

 あの場所は、久遠の生前は巫女の詰所である『社』があった。久遠も月読を送って幾度か足を運んだことがある場所だったのだ。

 地元でも有名な神社であり、この辺りに住む者なら皆、初詣はかの神社で行う。しかし、鶫は一度も足を運んだことがなかった。少なくとも、『鶫として』の記憶にあるうちは。

 宏基は鶫を頑として近づけようとしなかったのだ。鶫の親にわざわざ願い出て、鶫だけを他の神社に連れていく徹底ぶり。

 今なら分かる。宏基があの場所の特殊性を知っていて、鶫が何かの弾みで思い出すことのないように、と配慮されていた故だと。

 鶫は知らないうちに、ずっと宏基に守られていたのだ。瞳子が現れて奇妙な出来事が次々に起こるまで気づかないぐらいには、自然に。

 鶫は唇をぐっと噛みしめた。

 目を閉じれば蘇ってくる映像。

 ――寒露。大丈夫。おれと一緒に、夢物語にしか過ぎなかった世界、本物にしようぜ。創ろうよ、そんな世界。

 あれは、久遠と寒露が仲間になる――というよりは、主従を結んだ日の記憶だった。

 そしてその後、透を見て蘇ってきた記憶は、玻璃との出会い。

 ――おれと一緒に目指してみないか? 妖怪と人間が共生できる世界。

 宏基が言っていた通り、久遠は自分の理想を叶えるために『団』を作ろうとした。人間を傷つける者は許さないという秩序を作り、人間と話し合っていくために。実力や妖怪の種族、そして純血や半妖などにこだわらず、理想を共にしようとしてくれる者たちを集めて。

 その『団』の中には、久遠が実力に惚れ込み勧誘した強者がいた。彼らには『幹部』という称号を与えて、長である久遠に協力してもらっていたのだ。寒露も玻璃も久遠に勧誘された実力者であり、幹部として取り立てたはず。

 最初はばらばらの破片で繋がらなかった記憶が形を成していっている。

 この記憶たちが総て嘘だというのか?

 ――うちの神社に伝わる、月読を殺したのは久遠だ、という言い伝えはどうなるのですか?

 瞳子の台詞が耳に蘇り、鶫は掴んでいる吊り革を更にきつく握りしめた。

 彼女の前世である月読を殺したのが己の前世であるなど、信じられない。それならば、この記憶のほとんどが嘘になる。己の記憶すら都合のいいように改竄してしまえるほど、久遠はそんなに極悪だったのだろうか。そう思って、鶫は不安で仕方なかった。

 『久遠』は法師によって自分の生まれ育った里を滅ぼされた。それでも、里長だった父の教えであり理想でもあった、『妖怪と人間が共生できる世界』を目指していたはずなのだ。

 様々なことに思い悩みながらも、ずっと「人間と共に生きたい」と思い続けていた。

 だがそれは鶫の思い込みで、偽りの記憶で、瞳子のように『記憶の欠損』が起きているのだろうか。

「――久遠サマはいつだって人間のことを守ろうとしてた。さっきそう言っただろうが」

 唐突に聞こえてきた言葉に、鶫ははっとして隣を見上げた。

 いつの間に起きていたのだろう。宏基が鶫をじっと見下ろしている。

 常と同じ、どこか眠たそうな目――だが、真剣な話をするときの目でもあった。彼の言葉に嘘はない。長い付き合いから鶫はそれを察した。

「……うん。ありがとう、宏基兄」

 鶫は微笑んで、素直に頷いた。

 宏基はそれには特に反応せず、最寄りの停留所の名前が呼ばれたので降車ボタンを押している。

 彼を見ながら、安心を覚えているのは確かである鶫。だがその裏側に別の心がある。

 バスが二人の家の最寄りの停留所で停まった。

「降りるぞ」

「うん」

 自分の前を進んでバスを降りていく宏基の広い背中を見ながら、鶫は『別の心』の声に耳を傾ける。


 ――宏基兄は、忠実な部下だった寒露の生まれ変わり。ずっと陰ながらぼくを守ってくれていた。今回も、ぼくを守るために上手に嘘をついているんだとしたら?


「……? 何してんだ、行くぞ」

 停留所の傍で足を止めてしまった鶫を、宏基は怪訝そうに振り返る。

「うん……」

 彼を疑うなど、と呆れている自分がいる一方で、否定できない思いを抱いているのも事実。歩くのが早い宏基を少し駆け足で追いかけながら、鶫は自己嫌悪に陥った。

 どうして自分は、こんなにも疑うことしかできないのだろう、と。





 鶫は教室内で交わされる挨拶を聞きながら、鞄の用意をまとめて立ち上がった。

 前日の混乱が尾を引いているのか、瞳子は今日、体調不良を理由として欠席。男子生徒からは落胆のため息、女子からは心配の声が聞こえていた。

 が、それにとどまらず、教室全体がいつもの騒がしさはどこへ、というほどの静けさ。登校してきた鶫は今日何か試験でもあるのかと勘違いしてしまったほどだ。

 彼女がそれだけ人気者であるということか、と鶫は自分から縁遠い瞳子の環境を思いながら教室を出る。

 今日は特に用事もない。本屋にでも行こう、と下駄箱で靴を履き替えて歩き始めた。

 いつも乗るバスとは違う方向のものに乗り込み、この辺りで一番大きな本屋に向かう。

 欲しかった本を数冊手に入れ、ほくほく顔でそこを出た時には、日がだいぶ傾いていた。チェーンのカフェにでも行って何かを飲みつつ読むか、と鶫は考えていたのだが、案外中で時間を使っていたらしい。まっすぐ帰ろう、と思い直して踵を返そうとした、その時だ。

「わっ」

「わあ!?」

 彼の驚き声に、もうひとつ、驚き声が重なった。直後、ばさばさっという音が響く。

「すすすすすみません!!」

 鶫は反射的に謝ってしまった。実際のところ、彼がぶつかったのではなく相手がぶつかってきたのであり、彼が謝る必要はあまりなかったのだが。

「いえいえ、こっちがぶつかったんですし」

「でででも、ぼくが突っ立ってた場所も悪いですし……あああ、本が!」

 ぶつかった拍子に落ちたのだろう、彼が持っていたらしい袋が地面に落ちていた。

 当然その中が空っぽなわけもなく、カバーのかかった分厚そうな本が、その袋から透けて見えている。鶫が今出てきたばかりの本屋と同じビニール製の袋だ。鶫は慌てて拾い上げた。

「ごめんなさい本当に……!」

「いやいや、ぶつかった僕が悪いんですから、気にしないでくださ――」

 明るい調子で続いていた言葉が、不自然に途切れる。鶫はきょとんとして相手の顔を眺めた。

 声からして若い男性だということは分かっていたが、鶫と同年代だ。都心の方にある有名な男子校の制服を着ている。

 眺めるあまりに相手と目が合ってしまい、内心で慌てている様子に気づいているのかいないのか、彼は鶫をじっと見つめていた。

 綺麗な黒髪は全体的に長いが、さらさらとしていて不潔感はない。穏やかな顔立ちも好印象。制服と相まって、真面目そう、という印象を与えた。しかし、今まで一度も会ったことのない人物である。

「あの……?」

 おどおどと視線を彷徨わせるが、最終的に鶫は必ず彼の目に引き寄せられた。会ったことのない人物のはずなのに、その優しげな瞳に何かが刺激されるのだ。

 昨日の出来事があった後の、今なら分かる。

 ――もしかしてこの人は、前世に関係がある?


「久遠、殿……?」


 鶫の考えを裏付けるかのように、彼は小さく零した。どうやら今まで黙り込んで鶫を見つめていたのは、驚きで言葉が出てこず固まっていたから、らしい。それが分かれば鶫にとっても話が別だ。

「あ、え、あ。すみません、突然変なこと。人違いだったみたいで、」

「えと、貴方、ぼくを――『久遠』を、知ってる……んですね?」

 我に返ったのか慌てて頭を下げて立ち去ろうとする彼の腕を掴み、鶫はいつもより声を張って尋ねる。この人をこのまま行かせてはいけない。思いが鶫を突き動かし、通常なら考えられない行動を呼んでいた。

「え……じゃあ貴方、もしかして」

 目を見張る彼に鶫は何度も頷く。

「覚えてます。……いや、ごめんなさい、貴方のことは思い出せてないんですけど……」

 自分に前世の記憶があることを伝えようと必死になるあまり、目の前の人物の前世を思い出せていないことが一瞬頭から抜け落ちてしまっていたのだ。いつもの悪い癖だ、と鶫は内心で猛省する。

「いいえ! いいんですそんなの! よかったあ……あのままじゃ変な人ですし」

 ほっとしたように笑って胸を撫で下ろすので、鶫まで釣られて笑顔になってしまった。

「あの、よかったらちょっとお話しませんか?」

 鶫にとっても願ったり叶ったりの話だ。じゃあそこのカフェで、と先ほどまで鶫が入ろうかと思っていたお馴染みの看板を掲げた店に入る。

 しばらくののち、甘いもの好きの鶫はキャラメルマキアートを、鶫にぶつかってきた彼はブラックのコーヒーをそれぞれ目の前に置き、着席していた。

「いやー、まさかこんなところで会えるなんて」

 にこにこと楽しげに笑う相手に、鶫も少し笑みを返す。

 並ぶ間に分かったこと。名前は水無月みなづき庸汰ようた。年は鶫のふたつ上、つまり高校三年生。

「ぼくも驚いた……」

 それならば、と鶫は敬語を使い続けようとしたのだが、本人から「却って落ち着かないから」と言われ、やめることにした。

「水無月さんは昔から覚えてたの?」

「うん、覚えてた。だからもし久遠殿たちも生まれ変わってるなら、会いたいな、ってずっと思ってた。あと、庸汰でいいよ。呼び捨てで。落ち着かないから、口調と一緒で」

 にこりと笑う庸汰。

 鶫はそれには頷くが、申し訳ない気分になってくる。彼は庸汰の前世のことを未だに思い出せていないのだ。

「思い出せなくても無理はないよ。僕の前世は双念そうねん。法師だったんだ」

 鶫はその台詞に目を丸くし、先ほどの庸汰のように固まった。

 ――巫女の教えは、「ヒトに害なす妖怪を許すな」。しかし法師の教えは、「妖怪は殲滅すべし」。

 鶫の中で、法師に襲われているときの映像が次々に蘇っては消えていく。久遠の故郷を奪ったのも法師。仲良くできていたはずがない。

「待って! 違う、信じて。……僕の前世は、双念は、君たちの団に協力しようとしてたんだ! 仲良くさせてもらったんだよ!」

 反射的に立ち上がろうとしていた鶫の腕を掴まえて座らせ直してから、小声で叫ぶ。

 必死の目、ぐっと寄せられた眉根。鶫には、彼が嘘を言っているようには思えなかった。

「じゃあ……月読と同じように?」

「そう。月読殿に君の話を聞いて、僕は……双念は、君を紹介してもらったんだ。協力させてもらいたい、って」

 もう話半ばで立ち上がりそうにはないと判断したのか、庸汰はそっと手を離す。鶫はおどおどとした様子は残しながらも、じっと彼を見つめた。

「でも、何回か会って、それきりだった。僕が本格的に話し合おうとする前に、君たちは――他の法師に、殺されてしまった」

 悲しげに目を伏せ、テーブルの上に置かれた拳は小刻みに震えている。彼がどれほど後悔していたのか、苦しんでいたのかを表しているようだった。

 だが、ふとひとつの事実に気がついた。今の話からすれば、庸汰の前世――双念は、月読や久遠が死んだ後も、生き残っていたことになる。ならば、鶫が気になっていることの真実も知っているのではないのか。鶫はそう思い当たって、勢いよく彼ににじり寄る。

「ねえ、庸汰」

「ん?」

 鶫が今にも掴みかからんばかりの様子だからか目を瞬かせつつ、庸汰は首を傾げる。

「今、雪代さんのおうちが、社の後継であることは知ってる、よね?」

「うん」

「じゃあ、そこに伝わってる――月読を殺したのは久遠だ、って話の真偽、知ってる?」

 鶫にはどうしても信じられないのだ。月読のことを久遠が殺した、など。

 ずっと、月読の名を強く呼び続けていた自分の中の『久遠』が、彼女に対してどんな感情を持っていたかは明らかだから。


 ――久遠は、月読を女性として愛していたのだ。


 月読、と叫ぶ声が、今も聞こえる。胸が痛むほどに。

 そして記憶の中の月読の方も、あんなにも優しい目で久遠のことを見つめていた。

 それなのに、誰よりも愛しい人と思っていたはずの人を、久遠自身の手で奪うはずがない。殺すことのできるはずがない。宏基の言葉も力になって、自分の記憶を信じようという気にはなった。

 しかし、まだ自分がやっていないとは言い切れずにもいて。

 記憶というのは嘘をつく。都合の悪いものを書き換えたり、忘れさせたりしてしまう。稀にではなく起きることを、鶫は知識として知っていた。

 だから、自分の前世の記憶が己自身の手によって『書き換え』られている可能性がないとは言えないのである。

「ごめん。分からないんだ……僕、っていうか双念はその時、だいぶ遠方に妖怪退治で派遣されてて」

 戻ってきたら月読は殺害されており、久遠も、その配下にいた妖怪たちも退治されていた。そして「月読を久遠が殺した」ということがもはや決定事項の情報として流れていた。

 庸汰はぽつぽつと、俯きながら言葉を紡いでいく。

「でも。月読殿の力の強さを僻んだり、その『共生』の意見に反感を持ったりする人が……特に法師に多かったのは事実。もしかすると、そういう人たちの策略に、月読殿も久遠殿たちもめられたのかもしれない」

 鶫と庸汰の周りだけが、別世界のように静かになった。いや違う。二人が黙り込んでしまい、周りの賑やかさから浮いてしまっているだけのこと。

「――つまり、月読は、同族に殺されたかもしれない、ってこと……?」

 鶫の言葉に庸汰は小さく頷いた。

「その可能性も、ないではない。自分も法師だったから言えるけど、法師は理想のためには手段を選ばないきらいがあったから」

 だったとしたら、止められなくてごめん――そう深く頭を下げる庸汰に、鶫は何も言うことができなかった。

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