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がんじがらめの仲間

「伝令ですか? そういえば『猫又の子供を見つけ次第退治しろ』と来ていましたね。まあ、関係ないですから」

 連れていかれたのは、助六の家。月読はおれの傍に座りながら、蛟の毒を浄化し、巫女と蛟に負わされた傷を手当てしてくれていた。

 おれは戸惑いながらも大人しく従っていたが、ふと気になって尋ねたのだ。貴女にはおれの手配が回っていないのか、と。もし回っていなかったら、自分から巫女に追われている身であることを白状するようなものである。しかし尋ねずにはいられなかった。

 少し心配になったのだ。退治の対象であるはずのおれを、こうして自分の守護している村に招き入れた上に、手当てまでしてくれている。もしもこんなところを他の巫女や、ましてや法師に見つかったら、この人はどうなってしまうのだろうと。

 だが月読はさらりと言ってのけた。「どうでもいい」と。

「え、でも、」

「いいのですよ。私は元々はぐれものの巫女ですから。本来、月読と名乗ることも許されないのですが。他に名乗るに相応しい人が現れるまでは、と使っているぐらいですし」

 おれが目を瞬かせると、微笑んでみせる彼女。

「『月読』は貴方の『久遠』と同じように、受け継いでいく名なのですよ。まあ貴方のように親子間ではなく、その時代時代最強の巫女に与えられるものなのですが」

 さらりと言うが、中々に衝撃的なことであった気がする。

「最強って……」

「霊力が一番強いということですね」

 手当てを続けながら、またもや何気なく言う。おれは閉口しかけたが、何とか言葉を絞り出した。

「だ、だったら、ほんとは村じゃなくて皆と一緒にいなきゃならないんじゃ……」

 各地点各地点に、雑魚妖怪からの守護のために置かれている巫女もいる。しかし彼女らは年若く、そこで一定の実力を得てからようやく一人前と認められると聞く。

「そうですね。一人前になって以降は、社にいて一般の巫女を統括し、強い妖怪の情報を得て倒して回るのが普通ですね」

 蛟の毒がまだ残っていたのか、月読はその部分にそっと手を当ててまた浄化してくれる。彼女ほどの実力があれば、おれを浄化することなく毒だけを浄化するのくらい朝飯前らしい、というのはさっき聞いた話だった。

「私はその道から自分で離れました。嫌気が差した、というのもありますかね。法師たちよりはましといえど、理由も聞かずに妖怪を悪者扱いする者の多いこと多いこと……」

 そんな鋭い感情のやり取りに疲れました、とため息をつき、包帯を巻き終える。

「貴方も、どうせ誤解の末に巻き込まれたのでしょう?」

 優しく笑んだ彼女に目を見開いた。

「何となく、ですから、確証はありませんでしたよ。貴方が二人を助けたと聞くまでは。でも彼らを助けるような妖怪が、人里を荒らすわけがないと確信しました。だから貴方は退治しなかったのです」

 瞳を揺らせるおれにくすくすと笑い、月読はおれの傍から立ち上がる。その後現れた助六に場所を譲った形になった。

「貧しい村なもんで、これぐらいっきゃ出せるものがないんですが……」

 申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げながら、助六が湯気の立つお椀を差し出してきた。中身は、穀物を煮込んだ粥のようだった。

「で、でも」

 そんな貧しさなら、余所者のおれが食料を奪ってしまってもいいのだろうか。申し訳なくなって拒もうとした。

「いいんですいいんです。せめてものお礼なんですから」

 しかし、助六は人がよさそうににこにこと笑う。それでも躊躇っているおれの手に、彼は半ば強制的に押し付けてきた。見かけによらず案外強引であるらしい。

 包み込むように持たされたから、手のひら全体に温度がじんわりと伝わってきた。そのあたたかさは酷く懐かしくて、また泣きそうになる。

「ありがとう、ございます……」

 匙も受け取り、挨拶をしてから食べ始めると、もう止まらなかった。

 味は薄いし、具がたくさん入っているわけでもない。だけど、美味しかった。今まで口にしたものの中で一番美味しいと思った。

「おかわりはたくさんあるんで腹いっぱい食ってくだせえ」

 そんな助六の言葉にありがたく従い、何杯かおかわりした。遠慮しようと思っても、できなかった。住んでいた里が滅び、叔父の里を飛び出して以来初めてのまともな食事ということもあり、空腹は限界に達していたのである。

「あら、鍋が空になってしまいましたね」

「いいんです、って。それほどお腹が空いていたんでしょう」

 くすくすと笑う月読と、相変わらずのにこにこ顔の助六とで交わされる会話。おれは少し恥ずかしくなった。頬が熱いように感じることからして、恐らく赤く染まっているのだろう。

 もう夜もだいぶ深まっている。助六に「お孫さんは」と尋ねたら、「さっき寝かしつけました」と言われた。そう答えた彼自身だって眠そうである。

「助六。今晩は私もここに置かせてもらいます。久遠のことは私が見ていますから、貴方ももうお休みなさい。明日も早いのでしょう」

 彼女の台詞に少し迷ったような仕草を見せたが、結局素直に従い、助六は一礼して寝に行ったようだった。

「……里をくして以来、どうしていたのですか」

 それを見送った後、月読がおれを見て尋ねてくる。多分、ずっと訊こうと思っていたのだろう。

 問いに応じる形で、おれの脳裏に様々な記憶が駆け巡った。

 母の死。父の死。そして誰よりも護りたかった妹の月影の死。蛟の兄妹との出会い。総てがまだ、古いものでもついこの間の出来事のはずなのに、こんなにも遠く感じてしまう。

 おれは包み隠さず話して聞かせた。自分の身に起こったこと総てを。月読は時折相槌を打つぐらいで何も言わず、ただじっと耳を傾けていた。

「……そうですか。苦労しましたね……」

 出会った時と同じく、穏やかに頭を撫でられる。今度は泣かないようにぐっと奥歯に力を込めながら、月読を見上げた。

「どうして、おれたちの里は滅ぼされなくちゃならなかったんですか? 父の教えは絶対だった。破った者には死よりも辛い罰が与えられた。おれたちが法師の恨みを買う理由なんて、何ひとつなかったはずなのに」

 今でも納得がいかない。何故おれたちはあんな仕打ちを受けなければならなかった。

 「何があっても人を殺すことがあってはならない」。多くの者はその教えを守り通し、思想に納得のいかない者は父と何度でも話し合った。それでも意見が噛み合わなければ、叔父の里に移ることだってあった。そうまでしておれたちは人間と共に在ろうとしていたのに。

 おれの問いに答えを迷っているのか、月読は何も言わない。おれもこれ以上何も言う気になれず、ただじっと黙って待っていた。

「法師の教えは……知っていますか?」

 長い沈黙だった。それを破ったのは月読で、おれは小さく頷く。

「『妖怪は殲滅せんめつすべし』……」

「ええ、そうです。私たち巫女は『ヒトに仇なす妖怪は許すな』で、妖怪が人里に侵入してこない限りは攻撃を加えません。反発する者もいますが、徹底させています」

 おれたちの里と同じように、その掟に反した者は厳しい罰が与えられるらしい。

「無益な殺生はすべきではないですから。巫女の教えだとて『人里に侵入した時点で総ては悪』と決めつけているわけですから、あまり褒められたものではありません。しかし法師よりはましです」

 淡々と、法師に聞かれでもしたら自身の立場を危うくするだろう言葉を彼女は吐く。

 だが、続いた言葉の方が更に衝撃的だった。


「貴方たちの里は、見せしめに選ばれたのですよ」


 ぽつりと告げられたことに驚愕し、月読の顔を呆然と見た。

 彼女はおれのそんな視線を真正面から受け止める。そしてそっとおれの首飾りの紐をなぞった。

「襲われた時、里長である貴方の御父上は、『法師を決して殺すな』と命令なさったのではありませんか」

 あの日の記憶がまたも脳裏をぐるぐると巡る。

 ――法師たちは決して殺すな。

 最後に見た父の厳しい顔。その後別れる直前に見せた、優しい笑い顔。

「そう、です……絶対に、殺してはいけないって……」

 ぼろぼろと、言葉がこぼれ落ちていく。まるで総てを失くしたあの日に流れた涙のように。

 緊急時でさえ揺らがなかった彼の決意は、結局――。

「それを法師たちも分かっていたのです。だからこそ選ばれた。あの日の法師たちは手練てだれが集められていたと聞きます。いくら御父上とはいえど、そんな人たちが複数で向かってくれば、殺す気で行かずに敵う相手ではなかったはずです」

「だけど父上は!!」

 そんなことするはずがない。己の決意を踏みにじられるぐらいなら、きっと。

「ええ、ですから。それも分かっていたのです。誇りを捨てるぐらいなら時の久遠殿がどうするのか。彼らは分かっていた上で襲った。滅ぼした」

 おれが思い描いていたことを月読は肯定し、冷静に、いやある意味冷徹に言葉を落とす。おれが打ちのめされることを分かっていても、現実を見せつけるように。

 おれはゆっくりとかぶりを振った。信じたくなかったのだ。

「一番の勢力を誇っていた里のひとつを滅ぼすことで、総ての妖怪に対して予告したのです。『次は貴様らの番だ』と」

 この部屋を満たす囲炉裏の炎が月読の瞳に映り込んで、ゆらゆらと揺れる。それがおれの心の不安を増大させていく。

「予告……でもありませんね。決意……いや、声名でしょうか。法師はそういう連中です」

 きっぱりと告げる月読の過去にいったい何があったのか。おれは訊けなかった。ただ、彼女の瞳に一瞬見えたのは憎悪の炎。それだけは確かだと思う。

 だがすぐに影を潜め、月読は小さく息を吐き出した。

「貴方たちの里ばかりではありません。つい三日前には土蜘蛛の里。そしてこれから、蛟のいくつかの群れの掃討が行われるそうです」

 蛟。それを聞いておれは勢いよく立ち上がった。

 ――……あんたも死ぬなよ。

 仲睦まじい兄妹の姿が眼裏に浮かぶ。

「どこに行くのです」

 そのまま出ていこうとするおれの腕を月読は掴んだ。彼女の力は人間、しかも女性とは思えないぐらいに強い。

「蛟……蛟に、知り合いがいるんだ! あの二人がもしも襲われたら……!!」

 行かなきゃ、と何とか逃れようとするのを彼女はやはり引き止める。

 どうして? 行かなければならないのに。

「助けるんです!! おれが、おれが行かなきゃ!!」

 言い放つと同時、頬を熱が襲った。

 さっきのように内から来る熱さではない。これは張られたためのもの。証拠に、今の弱った妖力でもすぐに癒せる程度のものでしかなかったようで、すぐに痛みは消えた。

「な、」

 でも心に衝撃は残る。おれはぽかんと口を開いて固まった。

「思い上がるのもいい加減になさい」

 彼女の顔は、今までの優しげな表情ではなく、鬼のように恐ろしいものになっていた。

「どうして自分がこんなふうになってしまったのか、きちんと分かっているのですか?」

 貴方は強いです、と月読ははっきりと告げる。

「御父上も成長を楽しみにしておられた。そしていつか貴方は彼を越えるでしょう。それは確かです」

 父上――言葉にならない呼び声が途中で掻き消えた。

「そして、その力を利用し、貴方は貴方なりの思想でヒトを救おうとしている。その末にこうして傷ついている。ですがそれは、自分の限界を考えていないとは言えませんか」

 厳しい言葉、様相。疑いようもなく、彼女はおれに対して怒っている。だが、何故だろう。


 おれには彼女が泣いているように思えた。


「……おれ、は――」

「己の限界を知らぬ者に誰かが救えるとは、私には思えません」

 きっぱりと告げられた言葉に、おれは膝から崩れ落ちた。

「御父上に言えますか。御母上に、妹君に。言えるのですか。胸を張って、自分は頑張っている、と」

 言える、と言いたいのに、口が動かない。

 本当は分かっているからかもしれない。自分の行動がどれだけ浅はかだったのかを。

「自分の思い上がりでは本当にありませんか? 傲りではないのですか。自分だけでこの世の総てがどうにかできる、と思っているが故ではないですか」

 へたり込むおれの前に同じように膝をついて座る月読。

「勿論、貴方の行為の総てが間違っているとは私も言いません。困っている人を助けようとする、襲われている人を放っておけずに戦う。感情がさほど豊かではない妖怪では極めて稀な、豊かな感情を持つ人間ですらやってのけるのは難しいことです」

 おれの肩に手をかけ、彼女は顔を上げさせる。

「ですが。そのために己を犠牲にしたのでは、貴方の大切な人たちは決して喜ばないとは思いませんか?」

 父は何を教えてくれた? 母は何と言っておれと月影を送り出した?

 月影は、最後にどうしておれを助けてくれた?

 ――生き残るのは兄さまです。兄さまさえいれば、里は終わりじゃない。

「……っあ、あァ、あああああッ……」

 ぼたぼたと熱い雫がおれの頬を伝って床に散っていく。

 ごめん、ごめん、ごめん。

 おれはきっと、無意識のうちに、死に急いでいた。死ぬわけにはいかない、と言いながら、無鉄砲な真似を続けていたのはそのせい。そんな単純なことに気づきもしないなんて、おれは。

「……里の皆さんが、御父上が、御母上が、妹君が、貴方を生かした意味。もう一度考えてみなさい。分かるでしょう?」

 背をさする月読の手があたたかい。おれは妖怪で、彼女はそれを退治する巫女なのに。だが月読はそんなこと関係ないとでも言うかのごとく、泣きじゃくるおれの背をただ優しくさする。人間の子を相手にするみたいだった。

「どう、して……」

「はい?」

「どうして、おれにこんなに……」

 優しくしてくれるんですか、という言葉を総て言い切ることはできなかった。月読が悲しげに微笑んだから。

「――……巫女の掟。もうひとつ、これは法師にも共通しますが、絶対的なものがあります」

 唐突な言葉におれは目を瞬かせた。

「『妖怪を決して愛してはならない』。そして私は――」

 ふっとおれから目を逸らし、格子窓の向こうに見える月を見つめる月読。

「貴方の御父上にお会いしたことがあります。もっとずっと若い頃に。不戦協定を結んだのも、私です」

 もう分かるでしょう? 賢い貴方なら。その言葉には、頷くこともできなかった。

「貴方の手配を知らせる式神が伝えてきた写し身を見た時、一瞬で悟りました。あの人の息子だ、と。面差しがそっくりでしたから」

 言葉も出ないおれに、月読はまた淡々と事実を並べていく。

「その守り石。懐かしいですね……私があの人の前から姿を消す直前、彼に贈ったものです」

 驚いて息を呑む。

 月影はこれを母からもらったと言っていたのだが、もしかすると父が母に渡したのだろうか。もしくは母から父に欲しいと言ったのかもしれないが、それが月影に渡ったのだろう。

「母は貴女のこと、」

「ご存じだったと思いますよ。本心ではどう思っていらしたのか分かりませんが、私にも優しく接してくださいました。優しい御方――何より、強い御方でしたね」

 母の笑顔を思い出し、しっかりと頷く。

 おれには推し量ることしかできないけれど、これを壊すことなく持っていたというだけで、彼女はとても強い人だと思う。

「……はい。とても」

 ということはこの人はおれにとって――と思ったけれど、口を噤んだ。これ以上はお互いの傷を深くするだけだ。

 だがこれでふたつの謎が一気に解決した。

 ずっと分からなかった。猫又の使える術は限られている。こんな複雑な術式が必要そうなもの、母に作ることができたのかと。だがこれが巫女からもらったものなら、しかも最強と言われる月読が作ったものであるのなら、話は別だ。

 加えて、彼女から感じた憎悪の理由も分かった。里を滅ぼした相手を憎まないわけがないのだ。この人とおれは、同じなのだから。

「だから。あの人が守ったその命を、無駄にしないでください。お願いします」

 おれの肩を掴み、月読は深く頭を下げてくる。

「それに、私にとってもあなたは希望なのです。妖怪と人との懸け橋になってくれるかもしれない……だから」

「分かってます。……いや、分かりました。貴女のおかげで」

 涙は乾いていた。

 肩に置かれている手にそっと触れる。

「おれにできること、おれがすべきこと、もう一度考えてみたいと思います。……助けてくれますか?」

 自分一人ではどうにもできない。

 いくら粋がって見せても、おれはまだ多くの妖怪からすれば子供なのだ。

「勿論です」

 ほっとしたように笑った月読のその顔は、絵画の中の神さまみたいだった。

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