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欲しがったところで

 照らす月の光は

 いつだってあたたかくて



   ● ● ●



「これからどうしよっかな……」

 叔父の里を飛び出してから、三日。おれは特に行く当てもなく、ひたすらに森を突き進んでいた。

「お腹空いた……」

 こんなことになる以前は、自分がどれだけ恵まれた暮らしをしていたのか思い知る。

 今までは満腹になるほど食べさせてもらっていたのに、一人になってからは野鼠などしか口にしていないという事実。当然小さな鼠で腹が満たされるわけもなく、盛大な音が静かな森の中に響いた。

 それを笑ってくれる人も周りにはおらず、ため息をついても状況は変わらない。

「とりあえず、ねぐら、見つけないと」

 体力には自信があるとはいえ、流石に休まずに歩いてはいられない。もう夜も深い。朝になったら動きも多少鈍ってしまう。

 自分の妖気の大きさはよく分かっている。身を守れるような場所がなければ、法師にも見つかってしまうかもしれない。

「いい感じの使われてない小屋とかないかなあ……いっそあばら屋でも、洞穴でもいいのに」

 ひとりごちながら立ち上がったその時。ついこの間に嫌というほど嗅いだ匂いが鼻を突いた。

「――血の匂い?」

 だが、これは妖怪のものではないとすぐに察する。臭気に微妙な差があるのだ。

 人間の血だ。それも匂いの濃さからして一人二人などという程度ではない、夥しいほどの量の。


 近くの人里で何かが?


 そんな考えに至り血の気が引いて間もなく、誰かの気配を感じた。同時に嗅ぎ取ったのは、より濃くなった血の匂い。

 おれは胸騒ぎがして振り返った。

 すると、がさがさという音を立てて、一人の少年が物陰から姿を現し、こちらを濁りのある目で見つめたと思ったら、その場にどさりと倒れ込んだ。

 年の頃は、おれと変わらない体つきであることから十二歳ほどだと思う。

「だ、大丈夫か!?」

 おれは慌てて駆け寄り、その体を抱き起こした。

 よくよく確認してみれば、彼の目の焦点は合っていない。おれが見えているのかどうかも怪しい。どうにか肩で細く荒く呼吸をしているような状態だった。

 その理由は問い詰めるまでもない。細い体は血塗れで、深い刺し傷や切り傷、抉られたような傷まであった。

 明らかに致命傷と分かる。おれにはどうすることもできない。

「何があった!?」

 唇を噛みしめ、少しでも楽にしてやれるような体勢を探しながら尋ねた。

 少年は何とか言葉を紡ぎ出そうと口を開閉されている。おれは決して聞き漏らさないように耳を寄せ、繰り返し「何があったんだ!」と声をかけ続けた。

「……、よう、かい……父ちゃんと、母ちゃん、ころして、……みんな……たすけて、いたい、いたいよ……」

 掠れて途切れ途切れ。だが重要なことは聞き取れた。

「妖怪が来たんだな!? そして皆を襲ったんだな!?」

 顔を覗き込んで必死に尋ねると、少年は微かに頷くような仕草を見せて、声にもなっていないような声で、痛い、痛いと繰り返す。

 自分の住んでいた村を妖怪が襲い、親を目の前で殺され、自分も傷つけられながら、何とか逃げてきたのだろう。こんな森の中にまで入ってきたのは、もう見つからないようにするため。

 おれは迷いに迷った末、彼をそっと地面に降ろした。

 どんなに怖かったのだろう。どれほどの衝撃を受け、悲しみや絶望を感じたのだろう。少年の姿と月影の姿が重なった。

 人間の体は妖怪よりずっと脆く、弱い。死にゆく運命にある彼を、これ以上苦しませたくない。

「――助けに、行くから」

 小さく呟く。


 そしておれはそっと彼の首に五本の指を揃えて立て、そのまま躊躇することなく突き刺した。


 途端、鋭い爪で肉が切り裂かれる。おれの手は栓になりきれず、血が溢れ出して静かに流れ落ちていく。その辺りの土が赤い液体を吸って、どす黒い色に変わる。

 少年は驚いたような表情をしたと思ったら、わずかに微笑んだ。まるで、ありがとう、と言うかのように。もちろん、そんなのおれの主観でしかなかったけれど。

 おれは涙をぐっとこらえ、突き刺したままだった手をゆっくりと引き抜いた。瞬間、き止めていたものがなくなり、血が柱のような形を取りながら噴出する。

 少年の呻き声は止み、体は冷たくなっていく。完全に絶命したのだ。

 代わりに、おれの胸には何とも言えない複雑で嫌な気分が残った。

 これ以上苦しまなくてもいいように、ととどめを刺した。しかしそれはただ純粋に、おれが彼の苦しむところを見たくなかったからではないのか。おれが、おれ自身のために、逃げたかったのではないか。

 そんなもう一人の自分の声を無視し、おれは駆け出す。悩む前に進まなくては、彼と同じような人間がまた出てくるのだから。

 血の匂いがどんどんと強くなってくる。

 今しがた自分が『楽にさせた』少年の方を振り返ることはできず、ひたすらに匂いの根源に向かって走った。

 彼の傷口に残っていた臭いから、彼らの村を襲った妖怪は分かっている。

 森を抜けて人里が視界に入った。それと同時に、数えることもできないほどの数の死体が目に飛び込んでくる。総て、いたぶられたような傷痕があり、しかもはらわたが抉られたようにしてなくなっていた。散々弄ばれた挙句に、食われたのだ。

「……ッ!!」

 おれは拳を握りしめてから、近くに置かれていた荷車を中継にして、やはりすぐ傍にあった家の屋根に駆け上がった。そのまま屋根を走り、この村を襲った妖怪を探す。

 すると、見つけた。

 笑い般若――笑いながら人を食う妖怪だ。今もまさに悲鳴を上げ暴れる男の足首を掴み、その大きな口の中に放り込もうとしている。

「やめろッ!!」

 おれは勢いをつけて跳び上がり、その腕に思いきり切りかかった。だけど笑い般若は意外にも俊敏な動きでそれをかわし、間合いを取る。それに舌打ちしながら、先ほどまで彼女がいたところに着地した。

「猫又の坊やか。何故わらわの邪魔をする?」

 にやにやにやにや、持ち上がっているその口角が厭らしい。

「……貴女にその理由を説明したところで、理解できるわけがない」

 人間と妖怪が共生するためには、どちらか一方がもう一方を踏みにじることなどあってはならない。

 おれはそう思うけれど、その意見が少数派であることなんて、分かっている。そして考え方の根本が違う相手に何を言っても通じ合えないことをよく知っている。

 血縁である叔父相手ですら、交わらなかった。種族すら違う、今まさに人間を食していた目の前の笑い般若に、おれの考えを理解できるはずもない。

「坊やたちだとて人間を食すじゃろう? とても美味じゃ。特に幼子の血肉ほど美味たるものはない。先ほど一匹逃げたのぅ……残念じゃ、残念じゃ」

 ひひひ、と不気味に笑いながら、歩くたびに地響きを起こしてこちらに近づいてくる。おれは無表情にその様子を見上げた。

 人間たちの住む家を優に追い越すほどの背丈の彼女。身長が人間の子供と変わらないおれの前に立たれると、太陽の光が遮られてまるで夜になったように感じる。

 未だに笑い般若に足首を掴まれたままの男は、恐怖のあまり失神してしまっていた。

「何と小さきことよ。まだ幼子の体であるぬしも、食したら美味なのかえ? 人間のものには及ばぬじゃろうがのう! ひひひひひひ!」

 おれを食おうというのか。


 強欲にも、このおれを、お前程度の妖怪が、食おうというのか?


「――言いたいことはそれだけか?」

 捕まえようとこちらに伸ばされた巨大な手のひらを、片手で受け止める。

 何と軽い一撃だ。こんなものでおれを捕まえようとしていたというのか。

「な、……」

 驚愕に見開かれた目。戦慄わななく唇。

 何をそんなに驚くことがあるというのだろう?

「……まさか貴女、実力差も分からずにおれに喧嘩を売ってきたの?」

 ふっと嗤い、爪閃斬を彼女の両肩に放った。

 拘束されていた男が落ちてくるのを跳び上がって受け止め、おれの後ろに降ろす。それとほぼ同時、笑い般若の腕が音を立てて地面に落下した。

「ああぁあああぁっ、あァァァァああああぁぁッ!? 腕が、腕があああぁッ!!」

 そこでようやく自分の身に何が起こったのか理解したらしい笑い般若は、空気を震わせるほどの叫び声を上げている。腕のなくなった肩からは滝のように血が噴出し、おれにまで降り注ぐ。

 赤い雨だ。

 両腕分の重量が一気になくなったからか、平衡を失い彼女の体はぐらついている。おれは醒めた目でそれを見つめた。

「何を、何をするんじゃこの糞餓鬼がああああァ!!」

 巨体を揺らしながらこちらに全力で駆けてくるも、腕がなくなった彼女の脅威など、それ以前の比にもならない。

「あんたも痛みを強いたんだろう? いつかこうなるかもしれないって、分かっててやってるんだろう?」

 自分だって里が滅ぶなんて覚悟をしようともしていなかったくせに、そんな偉そうな口を利く。

 だけど、決めたから。

 ――兄さまが久遠になったのです。生きてください。

 月影との約束を果たすと、決めたから。

 その目標の前に立ちはだかる総てのものはおれのこの手で壊す。それを決して厭うことはしないと、誓った。

「おれは、お前のような妖怪は許さない。たとえ同族でも、絶対に」

 たとえそれが利己的な考えから来るものであっても。

「何を、何を言っている!! きさま、貴様はいったい何を!!」

 笑い般若、という名前はどこに行ってしまったのやら、笑いは影を潜めて、怒りを全身で表現している。

 存在価値まで失ってしまったか、と肩を竦めて、踏みつぶそうとしたらしい足を受け止めた。火事場の馬鹿力か、先ほどよりは骨がある攻撃だったが、やはりこんなもの、屁でもない。

「貴女を殺そうとしてるだけ。こうなったのは、実力を計り間違った貴女は最初から負けてたよ」

 そのまま足首を捕らえて人家がない方に放り投げる。倒れたところで今度は根元から脚を切り落とす。絶叫するのを無視し、達磨のようになったその胴に飛び乗った。

「虐げられる側になった気分は? 最低だろ? ……分かったら、来世では二度としないことだな」

 止めを刺そうと構えるおれに懇願するように「やめろ、やめるんじゃ」と怯えきった目で繰り返す笑い般若。

「貴様も妖怪じゃろう! 何故ヒトを庇う!! ヒトだとて魚を獲り! 獣を狩り、使う! 生きるために我らを殺す!! それと何が違うのじゃ!!」

 目の前にちらつくのは、最後に見た月影の顔。

 ――さようなら、春永兄さま。

 今にも霞んで消えてしまいそうな、儚げな笑顔。

 こいつを殺すことで、おれは憎しみを得るのだろう。

 おれにとってこいつはくずでも、誰かにとってはそうじゃない。おれが月影をうしないたくはなかったように、こいつを喪いたくない誰かがいるかもしれない。

 分かっていても、揺らぎたくない。揺らぐ気はない。


「何の抵抗する力も持たない人の里を襲うのなら、たとえ猫又だろうと、殺す」


 爪に妖力を込め、絶叫して抗うのを押し留め、父から教わった技を放つ。こんなことのために使うものではないはずだったのだと、何処かで知りながら。

 軌道が閃光のように煌めく。笑い般若の体を切り刻んで、細切れにして、おれに返り血を浴びせ――そして消えた。

 頬についた血を拭い払う。

 ――殺し合いからは何も生まれない。

 父の言葉が耳に蘇り、天を仰いだ。

 確かにそうだよ、父上。殺さないで生きていくことができたなら、それはどれほど幸せなことなのだろう。

 だがそんなの、途方もない理想論だ。

 報いはこの身に受ける。かえりが来るのが自分にだけならば、おれは戦いを選ぶ。

 しばらく辺りは静寂に包まれていたが、おれの後ろで悲鳴が上がったのに気づき、そちらを振り返った。どうやら笑い般若の手から助け出した男が目を覚ましたらしい。

「あの、」

「ひっ、よ、妖怪! 新しい妖怪!!」

 大丈夫ですか、と手を伸ばそうとしたところで、男はばたばたと暴れて逃げ惑う。目を見開くと、「逃げろおお! また妖怪が現れたぞ!! 猫又、猫又だ!!」という叫びを上げ、もつれる脚を引きずりながら男は逃げていった。

 騒ぎが治まったのを察して戻り始めていたらしいこの里の生き残りたちも、一目散に逃げていく。

 その中の何人かは石を手にしておれに向かって放り投げてきた。的確な狙いは腕や腹、頭と様々な場所に命中していく。

 おれに当たっては、ごつごつと音を立てて地面に落下していく石。ひとつが右目へとぶつかってきて、視界がぼやける。おれは思わず痛みに呻いて蹲った。

「消え失せろ妖怪!」

「てめえらのくだらない争いに俺たちを巻き込みやがって!!」

 若い衆たちが顔を真っ赤にして怒鳴っている。

「とっとと帰れ!」

「てめえらなんて死んじまえばいいんだ!!」

「やっちまえ、殺せ!!」

 罵声は鳴り止まず、投石も終わりを知らず、おれはよろよろと立ち上がり、回れ右をした。

 治った傍から新たな石が傷を刻んでいくため、早く立ち去らなければ痛みがいつまでも続く。残った力を振り絞り、先ほどまでいた森に駆け戻っていく。

「追っ払ったぞ!」

「ああ、巫女さまや法師さまにあいつが森に逃げてったことを報告せにゃあ――」

 歓声を背後に聞きながら速力を上げる。

 森に入ってもまだ足を動かし続け、ひたすら走る。走って走って、さっき自分で止めを刺した少年のところまで戻った。

 少年は先ほどまでと変わらず――いや、むしろずっと顔色を青ざめさせ、圧倒的な『死』を纏っていた。

 そのすぐ傍にあった木の幹に手を突き、胃の中身を総て吐き出す。が、そもそも何も入っていない胃からは液体しか出てこない。おれはそれでも何度も何度も咳き込みながら戻し続けた。

 おれはいったい、何を求めていたのか。何と言われることを期待していたというのか。

 助けてくれてありがとう、と? おれも結局、彼らにとっては笑い般若と同じ『妖怪』でしかないというのに。

 馬鹿だな、と嘲笑い、口元を拭った。

 もうこんなふうに苦しみたくないのならば、変えていかなくてはならない。おれが、妖怪を変えていくしかない。

 月明かりは薄れ、夜明けが近づく。

 おれには立ち止まっている暇などないのだ。進まなければいけない。何があっても。

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