凄いヤツ
「おい!お前ら、一回練習中断!
とりあえず片付けろ!」
「え、でもまだメニューが…」
「いいから早く!」
「あ、ああああっす!」
蒼井は俺をマウンドに立たせるなり、
部員に片付けを要求する。
メニューを全て終えていない部員は終始戸惑っていたが、主将には素直に従い、いち早く架設ネットやマシンの片付けを始めた。
おそらく、「あああす!」とか言うのは
この部ならではの掛け声なのだろう。
俺のいた中学では「うっす!」が野球部の基本だったから、ちょっとしっくり来ないが、練習に参加してなかったぶん、すぐに慣れた。
蒼井は一通り指示を終えると、振り返り、帽子をとって一礼した。
「改めて。おれは二年六組、蒼井惣悟。背番号2で、普段は捕手とサードをやってる。ついでに、この野球部のキャプテンだ。お前、下の名前は?」
「…哉汰、です。」
状況がいまいち飲み込めないが、率直に答えると、蒼井は足元に転がってきたボールを手にとり、グローブと一緒に俺に突き出す。
「哉汰、投げてくれ。」
「は…⁉」
「大丈夫だ、お前のボールは俺が取る。」
「いや…!そういう意味じゃなくて!」
「あ?」
「そもそも、俺、全然投げてないから、鈍ってるかもしれないんスけど…!」
「受験生だったんだから仕方ないだろ、」
蒼井は冷淡に言い、
納得していない俺をよそに、防具をつけ始める。
(嘘だろ…⁉)
気づいた時には、俺と蒼井の二人しかグラウンドにはいなかった。
辺りを見回すと見学している一年生を含め、他の部員全員がベンチに座ってその様子を伺っていた。
(多分、こいつらは気づいてないんだろうな…)
そもそも、俺は野球を辞めようとしてこの学校に進学を決めたんだ。
普通なら俺みたいな選手はこんな無名の高校になんか来ない。
「おい、皆見てろ、こいつのピッチングを」
ミットを構えながら部員に向かって蒼井が言う。
すると、一気に視線が俺に集中した。
「っ…」
中学時代の頃は野球に夢中で視線なんか気にしてられなかったが、いざこういう場所で投げるとなると、一気に背筋が凍る。
「蒼井先輩、なんで哉汰くんに投げさせようとしてるんですかね?」
三嶋は、仁原先輩や他の部員に問いつつも、哉汰のピッチングを見て見たいのか、視線は俺からそらさなかった。
「わからない、
けど、もしかしたら小早川くんは凄い人なのかもしれない。」
仁原先輩もまた、視線は逸らさずにジッとその様子を見ていた。
他の一年は誰だ誰だと、俺と同じように状況が把握できないみたいだ。
こうなると根気負けするっていうか、
投げざるを得なくなるよな。
(クッソ…)
おれは渋々とミットを右手にはめて、左手にボールを持ち、つい、マウンドの砂を蹴ってしまう。
(クセって、厄介だな)
俺は苦笑いしつつ、グローブに視線を移す。
蒼井は、俺が左利きだという事を知っていたのだろうか。グローブは左利き用のモノだった。
「まずは一本、本気のストレートな!」
彼はそう指示を出し、バッターボックス付近の定位置でどっしりと構えた。
(あんな体つきで俺のストレート取るつもりなのか…?)
俺は少し不安になりつつも、深呼吸して構えに入る。
俺は両手を上に上げ、大きく振りかぶる。
(これもクセだな…)
モーションに入りながら、自分の投球を確認しつつ、肩を回して球を放つ。
ああ、忘れかけていたこの感覚、
自分の投げたボールが宙を凪いで行く音。
投げた後の、左肩の脱力感。
全部、あの頃と同じだ。
バシィイン!
と力強い音を立てながら、ボールはミットに吸い込まれるように、深く突き刺さる。
その瞬間、
時が止まったかのように、周りが静まりかえった。
「す…ごい…!」
最初に口を開いたのは三嶋で、
それにつられて他の一年も凄い凄いと言わんばかりに拍手をする。
「何だ…今の…!」
二年は明らかに動揺していた。
凄いヤツがウチに来た、と。