あの、"小早川"
*
放課後の校庭。
見渡す限り部活一色の校庭には、サッカー部やら陸上部やらの運動部がそれぞれ練習していて、その周りでは、担当の部員が部活の勧誘を行っていた。
高校になると当たり前かもしれないが、
校庭とはまた別に、野球部は専用のグラウンドがある…らしいが、
ぶっちゃけ入りたての一年が場所を知っているハズもない。
「…おい、ほんとにこっちでいいのか?」
「多分!」
「多分⁉」
場所くらい調べておけ!と
ツッコミたかったが、なんかもう、ツッコむ気力さえ失せてきた。
(何なんだコイツ…)
「アンタ、野球やってたのか?」
「んー、まあね!…でも、」
「でも?」
彼は一瞬立ち止まってから、しばらく考えて、再び何も無かったように歩き始めた。
「…?」
不自然に思いつつ、俺が眉間にシワを寄せると、彼はそさくさと走り出した。
(無視かよ…っ!)
流石に今のはイラっときたが、彼を追いかけて走っているうちに、金属器の独特な音が聞こえてくる。
(あ…)
視界が開けた時に、一気に広がる壮大な光景。
実際にはそこまで大きくもない、グラウンドが、俺にはとてもじゃないくらい、大きく見えて。
「哉汰!こっちこっち!」
三嶋の呼ぶ声が聞こえたが、
俺は既にその光景に釘付けだった。
草の匂い、
土を蹴る音、
転がっていくボール。
フェンス越しだがハッキリ見える。
ああ、
グラウンドだ。
体が固まる。
五感が封じられる。
瞬きすらできない。
俺にとって、ここはー…
ゴッ!
「いってぇ!」
生々しい音と同時に後頭部に痛みがジワジワと広がる。
「哉汰!見惚れてないで行くよ!」
「な…!そんな事」
「ありました!」
三嶋が拗ねながら俺の背中を押す。
俺はバランスをとってなんとか持ちこたえ、ずかずか進んでいく彼の後を気怠げに追った。
*
グラウンドの入口に近づくと、そこには練習用のユニフォームを着た先輩らしき人物が立っていて、軽く会釈をすると、柔らかく微笑んで中に案内してくれた。
グラウンドに入り、指定された一年生の見学用ベンチに座る。
俺達以外にも、既に見学している一年生がいて、そこにいた人達は皆坊主で、まさに野球少年!という雰囲気が感じられた。
先輩は俺の隣に腰を下ろし、俺と三嶋に挨拶した。
「他の一年生にはもう話したんだけど、俺は仁原、この野球部の副主将です。君達は?」
仁原先輩は、帽子をはずし、一礼する。
彼も見学している一年生と同様に坊主だった。
「三嶋健!まだ15歳です!」
「…小早川です。」
元気いっぱいに挨拶する三嶋とは正反対に、俺が一礼すると、仁原先輩はクスッと笑い、よろしくね、と言った。
「じゃあ、早速だけど、説明するね、」
彼はそういってグラウンドに目線を移す。
それにつられて、俺たちも目線をそちらにやった。
グラウンドでは部員が三つに分かれ、架設ネット際でバッティング練習をしていた。
練習してる場所を見るのなんて、
いつぶりだろうか。
"ーあいつは練習しなくても、マウンドに上がれるもんな"
(っー!)
俺は目を見開く。
(なんで思い出すんだ…っ!)
俺は…、
俺は…!
「小早川くん?」
先輩の呼びかけでハッと我に返る。
「どうかした?」
「いえ…、すみません。」
ならいいんだけど…と心配そうに言うと、先輩は説明を始めた。
「今はフリーバッティング中。一カ所ではマシン使ってひたすら打ってるけど、この学校は去年野球部ができたばかりで、まだいろいろと設備整ってないから、手投げでボール出しをやってるんだ。」
「あ!だから部員が他の部活より少ないんですね!」
三嶋がグラウンドを隅々まで見渡し、目を輝かせながらそう言うと、仁原先輩は、少し苦笑いをした。
「うちの部は三年がいないから、一年の頃からあいつが主将なんだ。ほら、あそこで吠えてるヤツ。」
仁原先輩が指差した場所には、先ほどポスターで見た、蒼井とかいう先輩の姿が、あった。
どうやら一カ所は彼が手投げでボールを出しているようだ。
「おい松山!全然力こもってねえぞ!
佐伯!腰が引けてる!そんなんだから良い球が飛ばねえんだよ!」
「あぁあっす!」
「あざああぁっす!」
あー今日も良い吠え具合だ、と、仁原先輩は目を細めて微笑む。
まるで彼を慈しむかのように。
(…?)
俺はその様子に違和感を感じながらも視線を主将に戻す。
彼は、確かに写真通りの黒髪短髪爽やか青年だったが、見かけによらず情に熱そうだった。
「蒼井先輩…でしたよね、
あの人、一年生の頃から野球部を支えてきたんですね、」
凄いです!と関心しながら三嶋が言うと、
凄いだろ?と嬉しそうに言わんばかりに仁原先輩が笑った。
(蒼井…ね、)
こいつもきっとそうなんだろう。
甲子園を、ナメられちゃ困る。
「お、珍しい。」
仁原先輩がそう言った時には、蒼井の目が俺等を捉えていた。
いや、
俺を、捉えていた。
蒼井は目を見開いて、動揺していた。
その顔は、微かな期待を予期しているような表情で。
一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。
(ああ、こいつは知ってるのかもしれない。)
俺のピッチングを。
蒼井は他の部員ボール出しを交代してもらい、すぐさまこちらの方に駆けてきた。
「仁原、そいつは?」
思ったより小さい背丈。
怒鳴ってる時よりも少しトーンの高い声。
近くでみると、偉大さすら伝わってきそうなのに、その身なりのせいか、年相応の少年にしか見えなかった。
(こいつが…蒼井…)
この、チームを、支えてきた男。
「あ、この子?三嶋くんで…」
「ちげーよバカ。その隣のヤツ」
「…小早川くんの事?」
ビクリとして、先輩2人を見上げると、自然に蒼井と目が合った。
「やっぱり…!」
蒼井の口元が少し緩んだと思った瞬間、一気に彼に手を引かれた。
「お前、その格好のままマウンド上がれ」
「ちょ…⁉蒼井先輩⁉…でしたっけ、
いきなり何スか⁉」
「お前があの小早川なら、わかるだろ?」
真近で見る蒼井の顔は何だか嬉しそうで。
やっぱりこいつは気づいたんだ。
俺があの小早川だと。
「あらら、哉汰行っちゃった…、って、あれ。仁原先輩、どうかしました?」
三嶋は仁原の異変に気づき、首を傾げる。
「…いや、別に。」
仁原は軽くそう吐いて、再びベンチに座った。