05.避けていた場所
「義兄上!!!」
バン、とそれはもう勢い良く、ザイラは執務室の扉をこじ開けた。
扉の両脇に控えていた兵士の「お待ち下さいっ」という制止の声も見事に振り切って執務室に乱入した我が弟に流石のラキも驚いたのか、ぱっと書類から顔を上げて目を見開いた。
「ザイラ殿下、一体どうされたのですか?」
普段大人しいザイラだからこそ、この乱入は効果的だった。異常な気配を悟ったラキが立ち上がり、咎める事もせずにザイラの話を聞く体制に入った。
「姉上に会わせてくださいっ!!」
「……殿下、ですから陛下はいまだ」
「本当に姉上はご病気なのですか?!!」
いつものように宥めの体制にはいったラキは、その言葉にすっと目を細めた。しかしそれも束の間、すぐに困惑したような表情に戻る。
……ほんっっとうに演技派だなお前。
私は心の底からの称賛をかつての夫に送る。
「……本当は、姉上はもう、亡くなられたのではないのですかっ?!」
「……殿下、そのような不吉な事を仰られては困ります。まさか、女官達の口さがない噂話をお聞きになられたのですか?」
「……姉上に会いました」
急に勢いがしぼんだように、いっそ静かな声でザイラが唐突にそうつぶやいた。
「……ザイラ殿下?」
「先ほど、姉上にあったのです。僕は、僕の、あ、頭を撫でてくださってっ、な、泣くなと、泣くなと仰ってっ」
半透明の姉上は、そのまま消えてしまったっ!
言葉の途中から既に涙声だったせいか、最後の辺りは既に悲鳴に近かった。
うーむ、別に消えたわけではなく、お前の目に映らなくなっただけなんだがなザイラよ。
さっきせっかく泣き止んだと言うのに、また泣いてしまったのか。
また頭を撫でてやるわけにもいかんしなあ。さて、どうするべきか。
そう考えるまでもなく、この場にラキがいる以上私は大人しく傍観者を決め込むしかない。
「ほ、本当っの、こと、を、言ってくださいっ!! あ、姉上はっ、もう……ッ」
「ザイラ殿下!」
ザイラが最後まで言うことなく、ラキの底冷えするような低い声がその先を押し留めた。困惑していたその表情は一転し、ただ感情の色が消えた顔だけが残る。
ここまで表情が抜けたラキを見るのは初めてなのだろう、ザイラは少し怯えたように一歩後ずさった。
「めったな事を口になさらないでください。陛下は生きておられます」
凍るような声は、ともすれば静かに怒っているようにも聞こえた。
「でもっ!!」
ザイラの反論をラキは次の言葉で封じ込める。
「私の言葉を信じていただけたいのならば、仕方ありません。陛下の所までご案内いたします。その目でお確かめ下さい」
「っ!! ほん、とうですかっ?!」
「はい」
おいおいおいおい。
一連の会話をじっと見守っていた私は思わずそう突っ込みを入れた。
この通り立派に死んでいるわけなんだが、本当にいいのか?
まさか死体に防腐処理を施して、寝台に寝かせてるんじゃあるまいなお前。
それともあれか? 私の知らないうちに影武者でも作ってかわりをさせてるのか?
今更ながらに、そういえば自分の死体がどうなったのかは調べなかったと思い出す。
病気で眠っているというからには、恐らく寝室に何かごまかしがされてるのだろうとは思ったが、まさか死体をそのまま寝かせてるとかは考えなかった。
涙をすっかり引っ込めて、困惑のままにラキの後をついていくザイラの、更にその後を私も追う。
執務室からそれほど離れていない部屋の前まで来ると、ラキは胸元から取り出した鍵を鍵穴に差し込み、ゆっくりと扉を開いた。
そこは間違いなく私の部屋だった。
王位を継いだ後の、私の寝室。どうやら外から新たに鍵をつけた様だ。
ちなみにラキの寝室はちゃんと別にある。
私は初夜の夜に殺されたわけだから、私の寝室イコール殺害現場である。
そう言えば無意識にこの部屋だけ避けてたなあと、今更ながらに認識する。
ラキとザイラを飲み込んだ部屋の扉は、ナーガスや警備の兵士を残して静かに閉じる。
私も、続くように壁をすり抜けて部屋へと入った。
カーテンが締め切られた寝室は、まだ日暮れ前だと言うのに薄暗い。
寝台には薄いカーテンがかけられていて、中に誰がいるのかは伺えない。
「ザイラ殿下」
そのカーテンを掻き分けて、ラキがザイラを手招いた。隙間から見えた誰かの白い肌にはっとする。
誰か……。問うまでもない。
それは私だ。
影武者なんぞではない。
紛れもない、私の体だ。
死人のような青白い肌をした私の体は、固く目を瞑ったまま寝台に横たわっていた。
……いや、死人のようなというか、まさに死人のはずなんだが。
……はず、なんだが。
「…あね、うえ」
寝台のすぐ傍に近づいたザイラが、そう吐息をもらした。
その目は恐らく、私と同じ場所を見ているのだろう。――横たわる私の体の、緩やかに上下する胸を。
……何度見なおしても呼吸してるぞ、私の体。
おいおい、まさか幽霊だと思っていたら、生霊だって落ちなのか? そうなのか?
それはがっかりだ。あまりにもがっかりだ。がっかり過ぎて思わず床にめり込んでしまうほどだ。やっぱりあれか、体に戻らなきゃだめなのか。
せっかく女王なんぞという厄介な役職から解放されたと思っていたのに、私の体は生きている。必然的に今の私は幽霊じゃなく生霊になる。
生霊。ううむなんとも中途半端な存在だ。幽霊のほうが潔くていい。
がっかりする私とは逆に、ザイラは呼吸する私の体に希望を見たらしい。もはやラキの言葉を疑った事すら弟の頭の中には存在しないようにみえた。もう少し疑えと言いたいような、ずっとそのままでいて欲しいような複雑な気分になった。
死んだのではないかという噂をすっかり払拭できたらしいザイラの顔は安堵に満ちていた。
多分、幽霊――いや、生霊状態の私の姿を見たことも記憶から薄れているに違いない。
私が生きているという事実に納得したザイラは、ラキに丁寧に謝罪と礼を言う。それから、ラキに促されて部屋を出て行った。
後に残ったのは、ベットサイドに表情を消して立ち、横たわる私の体を見つめるラキと、生霊状態の私。
てっきりラキもすぐに出て行くと思っていたからそれは予想外だった。
何だラキ。私の顔なんぞ見つめていても面白くあるまい?
さっさと執務にもどれ。油断してるとすぐ仕事が山積みなるぞ。
そんな事を考えつつ、なんとなく出るタイミングを逃した私は、微動だにしないラキを見つめる。
不意に、ふっと息が漏れた。
……他でもない、ラキのため息だ。
寝台に横たわり、硬く目を閉ざす私の顔を見つめ続けるラキの顔は変わらず無表情。
だというのに僅かな苛立ちが見て取れた。
ふっと。
ラキがまたため息をつく。
一度目をつぶり、また開いて、私の顔を見続ける。
お前、一体何がしたいんだ?
そんな私の問いかけが聞こえたわけでもないだろうが、その時実にタイミングよくラキが動いた。
指の背で眠る私の頬を撫で、次いで額と唇となぞるように指を這わせる。
「オルフェリア」
ラキが私の名を呼んだ。
というか今初めて呼ばれたぞ名前。
いつも陛下としか呼ばないから、名前を知らないんじゃないかと思ってたんだが違うのか。
しかも呼び捨て。新鮮だ、新鮮すぎる。
熱がこもらない声は、到底愛おしい相手を呼んだという風ではない。けれど、なぜかその声にすがるような何かを感じた。
「……いつまで寝てるつもりだ」
ラキがまた、指の背で私の頬をなぜる。
一回、二回、三回。
「いい加減にしろ」
常に丁寧口調を崩さなかった相手の、砕けたというよりは怒った口調。
新鮮な事だらけで頭がパンクしてしまわないか心配だ。
ラキはそのまま、眠る私の顔の横に手を置き、覆いかぶさるように頭を下げ―――。