04.愛しい家族
教育係が止めるのも聞かず、弟は私が最後に悪戯した城の東館の回廊へきていた。
どうやらまた授業をさぼったらしい。ううむ、先生には悪いことをした。
本来は授業をサボったりするような子ではないのだが。
真面目で素直で本当にいい子なのだ、私と違って。
「殿下、もうお止め下さい。陛下の幽霊など、そんな女官達の噂話を真にうけて頂いては困ります!」
「でもナーガス、見たのは一人や二人じゃないんだ。僕だって、僕だって姉上は病に臥せられているだけと思いたいけど…。それだって嫌なのに…っ」
「殿下……」
「……この目で見ないとどうとは言えない。義兄上が嘘をおっしゃられているのかもしれない」
「殿下! ラキ様をお疑いでいらっしゃるのですか?! あの御方は執務の合間をぬって陛下に付き添っておられますのに!」
教育係の悲鳴のような反論に、ザイラは普段の彼から想像できなほど険しい顔で負けじと叫んだ。
「だって姉上に実際会ってるのは、義兄上だけなんだ。一の宰相ですら、会わせてもらえないと言う。姉上付きの女官達も、女官長も!」
そうか。ラキが平気でいられるのは私が死んだ事を外に漏らしてないせいか。…にしても、ラキごときにあの老獪なジジイ共を止められるとは思えない。だとしたらやはり、ジジ共も一枚噛んでるのだろう。
ラキを含めた五人の宰相は、私がいなければ事実上この国のトップだ。彼らが口裏合わせて周りを丸め込めば、私の死が弟にすらばれないのは頷ける。
「姉上に会いたいっ」
こらザイラ。男がそんなに簡単に泣くものではないぞ。
くしゃりと顔をゆがめた弟に、教育係は慌てたように駆け寄る。いくらしっかりして見えても九歳だ。
母代わりでもあった私と、急に離されたから寂しいのだろう。
ああこらっ、そんなに目をこすってはダメだ、赤くなるだろう。
私はここにいる、だから泣くなザイラギーニ。
弟に関して、私の自制心と言うのはとんときかなくなる。それは生前も一緒だった。所詮ブラコンだ。何とでも言うがいい。
思わず伸ばした手が、物をすり抜けてしまう手がザイラの髪に触れた。
母上とそっくりのふわふわの髪。感触を得られないのは残念だ。
当然のようにすり抜ける自分の手に苦笑しながら、泣きじゃくる弟の頭を数度撫でた。
するとザイラはふっと顔を上げて、いつぞやの中庭のように確かに私に視線をあわせた。
涙で歪んでいた目が、はっと強張るのを見て「しまった」と思ったが、既に遅い。
今更手を離して飛びのいてもこの目は自分を追うだろう。
驚愕に見開かれた目は怯えの色を見せていない。かわりにじわりとうかんできたのは、求める目だ。
「あね、う、え…」
「殿下?」
ナーガスには触れていないから、彼に私の姿は見えない。
かすれた声で呟いたまま、微動だにしない弟に私は微笑みかけた。
さて、今までの悪戯で私の声まで聞いた人間はいないが、はたして幽霊の声なぞ生者に聞こえるのか。
実験もかねて口を開いた。
泣くのはお止めザイラ。男の子だろう?
笑って、弟の頭から手を離した。
程なくして彼の視界から私の姿は消えるだろう。実際は変わらずたたずんでいるわけだが、こちらから触れていないと生者は私の姿を見てられない。霊感とやらが強い人間は別らしいと、他所で会った幽霊仲間は言っていたけど。
「っ、姉上っ! 待ってっ!!」
悲鳴のような声でザイラは私に手を伸ばした。けれどその姿は私の体をただすり抜け、その目がこの姿を見失った事を悟る。
「で、殿下?! 急にどうされたのですか?!」
姉恋しさについに幻覚まで作り出したかとでも言い出しそうなナーガスをほったらかしにし、ザイラはぐっと涙を拭うと顔を上げた。もう泣いていない事に安心するも、何か強い決意が宿るその目に首をかしげる。
弟はそのまま、ナーガスの声にも応じず走り出した。仰天したのは教育係だけではなく、私もだった。
「殿下っ!!? お待ち下さいっ、どちらへいらっしゃるおつもりですかっ! 殿下!!」
子供とは思えぬ速さでかけていく弟を追う教育係。私の悪戯被害を今回一番被ってるのは間違いなく彼だろう。うむ、すまんなナーガス。
せめてもの罪滅ぼしに、私も一緒に追ってやろうじゃないか。