『国民の購買力を守る国家へ』
本作は、現在の税制・官僚制度について一個人として考えた試論です。賛否はあると思いますが、少しでも考えるきっかけになれば幸いです。
日本の財政政策をめぐる議論では、消費税減税の話が出るたびに「財源がない」という言葉が繰り返される。
しかし、給付金を支給するときにも当然、財源は必要である。しかも給付金には、対象者の選定、通知、申請受付、口座確認、振込、問い合わせ対応、システム改修など、給付額とは別の事務費がかかる。
それに対して減税は、国民から徴収する金額を最初から減らす制度である。個別の申請も、所得確認も、振込作業も必要ない。
給付金には財源を問わず、減税にだけ財源を求めるのは、議論として一貫していない。
給付金より、継続的な購買力の回復を
一回限りの給付金を受け取っても、次の支給が約束されているわけではない。
将来への不安があれば、家計は給付金を使わず、貯蓄に回す。それは生活者として合理的な判断である。
一方、消費税が継続的に引き下げられれば、来月も再来月も支出負担が軽くなる。家計は、その軽減分を含めて毎月の消費計画を立てることができる。
例えば、これまで税抜きで月10万円を消費し、消費税を含めて11万円を支払っていた家庭があるとする。
消費税がなくなれば、同じ11万円を使っても、商品やサービスに11万円を使える。これまで税として支払っていた1万円を、外食、旅行、衣類、家電、趣味などに回しても、家計から出ていく総額は変わらない。
一回だけ10万円を受け取る場合とは違い、毎月の購買力そのものが増える。
この継続性が、人の行動を変える。
消費税減税は、価格だけに表れるとは限らない
消費税を下げても、すべての事業者が減税分だけ価格を下げるとは限らない。
しかし、価格が下がらなかったからといって、減税効果が消えるわけではない。
飲食店などが価格を据え置けば、減税分は企業側に残る。それは食材費、光熱費、設備更新、借入返済、雇用維持、従業員の賃金や賞与などに回る可能性がある。
特に人手不足の業界では、利益余力が生まれれば、人材確保のため賃上げにつながりやすい。
つまり、減税分は、
消費者への価格低下
企業の利益改善
従業員の賃上げ
設備投資
雇用維持
のいずれかとして、民間経済の中に残る。
重要なのは、政府が徴収してから配り直すのではなく、最初から家計や企業に資金を残すことである。
税率を下げても、税収が同じになる可能性
税収は、税率だけで決まるものではない。
税収は、税率と課税対象となる経済活動の規模の掛け算で決まる。
税率が10%でも消費が100なら、税収は10である。税率が5%でも消費が200になれば、税収は同じ10になる。
もちろん、税率を半分にしたからといって、消費が必ず倍になるわけではない。
しかし、購買力が回復し、消費が増えれば、消費税収の減少幅は縮小する。さらに企業の売上と利益が増えれば法人税が増え、賃金が増えれば所得税や社会保険料も増える。
高い税率を小さな経済にかけ続けるより、税率を下げて経済の母体を大きくした方が、国全体の税収が安定する可能性もある。
税率を上げることだけが、税収を増やす方法ではない。
国民を豊かにし、経済を大きくすることも、税収を増やす方法なのである。
消費税を永久になくせという話ではない
ここで提案したいのは、消費税を無条件に永久廃止することではない。
現在の日本では、物価上昇に所得の増加が追いついていない。名目上の賃金が多少増えても、物価や社会保険料を差し引いた実質的な購買力は弱いままである。
その状態で消費税を維持し続ければ、国民は生活を守るために消費を控える。
まず国民の購買力を回復させるべきである。
消費税を一時的に引き下げ、家計消費を回復させる。企業の売上が増え、賃金や雇用が安定し、物価を上回る所得増加が国民全体に広がった後で、必要に応じて税率を改めて検討すればよい。
所得が十分に増えた後であれば、税率が戻っても生活水準は下がらない。
大切なのは順番である。
増税してから賃上げを期待するのではない。
国民を先に豊かにし、その後で負担可能な範囲の税を求めるのである。
国民負担率に上限を設ける
現在の税制では、所得税、住民税、消費税、社会保険料などが個別に決められている。
それぞれの負担増が小さく見えても、合計すれば家計の可処分所得を大きく削る。
そこで、税金と社会保険料を合計した国民負担率に上限を設けるべきである。
政府が必要と考えるたびに税率や保険料を上げるのではなく、
実質賃金
実質可処分所得
所得中央値
家計消費
物価上昇率
国民の購買力
経済成長率
などに連動させて負担を決める。
国民の購買力が低下している間は、増税や保険料引上げを原則として行わない。
購買力が一定水準を下回った場合には、消費税率や社会保険料を自動的に引き下げる仕組みを作る。
反対に、実質所得が十分に増え、経済が安定成長し、国民生活に余裕が生まれた段階で、税負担を再検討する。
税率を政治家や官僚の裁量だけで決めるのではなく、公開された客観的な指標によって調整するのである。
政府統計は、国民から取るためだけにあるのではない
日本には、国勢調査、家計調査、毎月勤労統計、消費者物価指数、国民経済計算など、多くの政府統計がある。
国は、人口、世帯、就業、所得、消費、物価などを継続的に調査している。
それなら、その統計を社会保障費や税収見通しの計算だけに使うのではなく、国民がどこまで負担できるかを判断するために使うべきである。
国民に詳細な調査への協力を求めるのであれば、その結果を国民生活の保護へ還元する責任がある。
実質可処分所得が下がれば減税する。
国民負担率が上限を超えれば保険料を凍結する。
購買力が回復するまで増税を認めない。
こうした制度に結び付けてこそ、統計は国民のために生きる。
国が公平な土台を整えたうえであれば、その後の結果について「本人の努力次第」と言われても、国民は納得しやすい。
努力する前から税や物価で成果を奪われるのではなく、努力が生活改善につながる制度を作ることが、国家の責任である。
現場で20年以上働いた人を官僚に
政策が現実から離れる原因の一つは、制度を作る人と、制度の影響を受ける人が分断されていることである。
そこで、中央省庁の官僚には、各業界の現場で20年以上働いた人材を積極的に登用すべきである。
運輸政策なら、運転、配達、倉庫、運行管理、荷主対応を経験した人。
農政なら農業従事者。
介護政策なら介護職。
教育政策なら教員。
それぞれの現場を長く経験した人が、行政専門職と同じ立場で政策設計に参加する。
法律、統計、予算に詳しい官僚と、現場を熟知する実務者が共同で制度を作る。
どちらか一方だけでは、制度は完成しない。
官僚の任期は10年間に限定する
現場出身官僚は、終身の国家公務員にする必要はない。
官僚として働く期間は10年間に限定し、任期終了後は元の職場または元の業界へ戻ることを原則とする。
こうすれば、官僚は自分が作った制度の結果を、10年後に現場で受けることになる。
過剰な規制を作れば、自分もその規制に苦しむ。
現場を改善する制度を作れば、自分もその恩恵を受ける。
政策決定者と制度利用者を分断しない、強い責任原理である。
10年間という期限があれば、省庁内での終身出世や利権形成を目的にする必要もない。
現場の知識を行政へ持ち込み、行政の知識を現場へ持ち帰る。
官僚を特権的な職業集団ではなく、一定期間だけ国家運営を担う公共任務に変えるのである。
運輸業界なら、画一的な働き方改革にはならない
例えば、運輸業界で20年以上働いた人が国土交通省で10年間政策に携われば、現在のように労働時間だけを一律に削る制度にはなりにくい。
物流の現場では、荷物量、荷待ち、再配達、時間指定、積み下ろし、長距離輸送、繁忙期、地方の道路事情などが複雑に連動している。
仕事量を減らさず、労働時間だけを制限すれば、未配達、収入減、人手不足、運賃上昇のどこかにしわ寄せが出る。
現場経験者なら、ドライバーだけに負担を求めるのではなく、
荷主側の荷待ち時間
無理な納品条件
再配達制度
適正運賃
地方と都市部の違い
繁忙期の運用
必要人員と配送能力
まで含めて制度を設計する。
それが、本当の働き方改革である。
現場へ戻った後に、政策改善の循環が始まる
10年間官僚として働いた人が現場へ戻れば、その人は行政と現場の両方の言語を理解できる。
現場の不満を、単なる愚痴ではなく、政策提案へ変換できる。
例えば、
この制度で必要人員が何人増えたのか。
荷待ち時間がどれだけ残っているのか。
再配達率がどれだけ変化したのか。
どの条文や通知を変更すれば改善できるのか。
こうした具体的なデータと改善案を、会社全体、さらに業界全体の意見として国へ提出できる。
一企業の陳情ではなく、業界全体の政策提言として届けるのである。
流れはこうなる。
現場で20年働く。
官僚として10年制度を作る。
現場へ戻って制度の結果を検証する。
会社と業界の意見を集約する。
行政へ改善案を提出する。
次の現場出身官僚が改正を検討する。
これによって、政策は作って終わりではなくなる。
現場と行政の間に、継続的なフィードバック回路が生まれる。
国家は、国民を財源として見るべきではない
公務員は、組織や省庁のために存在するのではない。
国民全体のために働く存在である。
税収を守ること自体が目的になり、国民の購買力を失わせるなら、手段と目的が逆転している。
国を豊かにするために、まず国民を豊かにする。
国民が安心して消費し、企業が売上を増やし、従業員の賃金が上がり、経済全体が成長する。
その結果として、国の税収も増える。
これが、本来あるべき順序である。
財政を守るために国民生活を削るのではない。
国民生活を守ることによって、財政を持続可能にするのである。
必要なのは、国民をどこまで負担させられるかを考える国家ではない。
国民の購買力をどこまで回復させられるかを考える国家である。




