第9話 ダンジョン食材、初回収
白鳳館へ戻る車の中で、俺はずっと窓の外を見ていた。
山道のカーブに合わせて、木々の影が斜めに流れていく。昼に近づいた空は明るいのに、谷の奥にはまだ冷たい色が残っていて、春と冬の境目みたいな景色だった。
その景色を眺めながら、頭の中では別のことを考えている。
仕入れのこと。
白鳳館の“迎え方”のこと。
料理の芯をどこに置くかということ。
それから――ダンジョン食材のこと。
「……やっぱり、必要だな」
小さく漏らした声に、隣の凛音が反応した。
「何がですか」
「白鳳館の名物になる一皿」
俺は窓の外を見たまま答える。
「市場の食材だけで組み直すのも悪くない。でも、それだけだと“整う”方向には行けても、“ここでしか食えない”まで飛びにくい」
後ろの席から、朱麗がすぐに口を開く。
「やはり、ダンジョン食材を正式に使うべきだと?」
「正式にっていうか、軸の一つにしたほうがいい」
俺は振り返る。
「全部を珍素材にする必要はない。むしろ逆だ」
「地のものを土台にして、一品だけでも“白鳳館の記憶”になる食材を差し込む」
「そのほうが旅館全体の印象が立つ」
朱麗はメモ帳の上で指を止めた。
「たとえば?」
「火猪肉、深層魚、回復茸あたりは使いやすい」
「ただ、既製流通で入れると高いし、鮮度も落ちる」
「やるなら自前で拾えるルートが要る」
「自前で、ですの」
「そう。白鳳館が学園ダンジョンから遠すぎるなら別だけど、今の時代、町ごとに中小の管理ダンジョンくらいはあるだろ」
「あります」
志摩さんが運転しながら答えた。
「町の外れに、小規模管理区画があります」
「ただ、業者登録している方々が定期的に入るくらいで、旅館が直接どうこうする話では……」
「今までは、な」
俺は言う。
「でも“今まで通り”でじわじわ死んでるなら、一回どこかで変えるしかない」
車内が少しだけ静かになる。
言い方が強かったかもしれない。
だが、もうそこで遠慮しても仕方がない段階に来ているのも事実だ。
朱麗はしばらく考え込み、それから静かに顔を上げた。
「では、行きましょう」
「は?」
「小規模管理ダンジョンへ、ですわ」
朱麗は当然のように言う。
「言い出した以上、まずは取れるのか、使えるのか、現物で見なければ始まりませんもの」
「いや、話が早すぎるだろ」
「遅いよりはよろしくてよ」
「どうせあなた、頭の中ではもう“拾いに行く場合の段取り”まで考えていたのでしょう?」
図星だったので少し黙る。
凛音が、その沈黙を見て小さく息をついた。
「……考えていたみたいですね」
「何でわかるんだよ」
「最近、わかりやすいです」
「嬉しくない評価だな」
「でも事実です」
凛音は淡々と続ける。
「それに、私も行きたいです」
「食材として使うなら、どういう場所で取っているのか見ておきたい」
「お前まで軽いな」
「軽くはありません」
「ただ、必要なことだと思っています」
必要。
最近この言葉で押し切られることが増えた気がする。
だが実際、間違っていないのが腹立たしい。
志摩さんがバックミラー越しにこちらを見る。
「今日の午後なら、町の管理所に顔は出せます」
「許可の確認と、同行できる人の手配も一応できるかと」
「手配まで進めるんですのね」
「お嬢さまがそういう顔をされていますので」
志摩さんは少しだけ笑った。
「止めるより、準備したほうが早いと判断しました」
朱麗は気まずそうに咳払いを一つした。
「……そう見えまして?」
「ええ。かなり」
今度は志摩さんまでそれを使うのか。
凛音が少しだけ楽しそうに目を細めた。
朱麗は不服そうだったが、否定はしなかった。
結局そのまま白鳳館へ戻ると、昼食を挟んでから、俺たちは町外れのダンジョン管理所へ向かうことになった。
◇
町外れの管理ダンジョンは、学園の実習区画と比べればずっと小さい施設だった。
コンクリート打ちの低い建物に、簡素な受付、装備の簡易点検スペース、注意事項が貼られた壁。あくまで“地域の資源管理と安全確保”のための場所で、学園のような見栄えやスポンサー意識は感じない。
だが嫌いじゃない空気だった。
必要なものだけで回している現場には、それなりの信頼感がある。
受付にいたのは、四十代前半くらいの女性だった。
日に焼けた肌に、短くまとめた髪。事務員というより現場上がりの管理者、という感じがする。
「白鳳館の志摩さん?」
女性は書類を見てから顔を上げる。
「珍しいね。宿の人が直接来るなんて」
「ええ、少し事情がありまして」
志摩さんが頭を下げる。
「こちら、九条家の朱麗お嬢さまです」
「それから、食材利用の可能性を見たいということで――」
「柊木です」
「白雪です」
俺たちが名乗ると、女性はひとまず全員を一瞥したあと、にやりと笑った。
「へえ。学生さんまで」
「最近の白鳳館、少し雰囲気変わったって聞いてたけど、こういうことか」
「どういうことだよ」
「動き出したってことさ」
簡単にそう言われると、妙にむず痒い。
女性は自分の名札を軽く叩いた。
「管理主任の相原です」
「今日は深くは入れないけど、第一層の資源ポイントくらいなら案内できる」
「採取練習も兼ねるなら十分だよ」
「助かりますわ」
朱麗が言う。
「ただし」
相原さんは人差し指を立てる。
「ここは学園の実習区画ほど親切じゃない」
「管理されてるとはいえ、油断してると普通に怪我はする」
「見学のつもりなら、その意識だけは捨てて入ってもらうよ」
その言葉は、俺にはむしろ心地よかった。
そうだ。
ダンジョンは本来、そういう場所だ。
「問題ない」
俺は短く答える。
「頼もしいねえ」
相原さんが笑う。
「じゃあ装備確認して、十五分後に入るよ」
管理所の片隅で簡易装備を整えながら、凛音が静かに言った。
「こういう場所なんですね」
「学園よりずっと現場寄りだな」
俺は貸与の薄手ベストを締めながら答える。
「資源取りが目的だから、派手な攻略より“無理せず拾って戻る”が優先になる」
「白鳳館の料理に使うなら、その感覚も大事ですね」
「そうだな」
俺は頷く。
「毎回命がけで運んでくる食材は、名物にはしにくい」
「再現できて、安定して、でも特別感がある。その境目を探すのが本当は一番難しい」
朱麗が装備の留め具を確認しながら言う。
「では今日は、その“境目”を見つけるための初回、ということですわね」
「まあ、そうなる」
「お前は無理すんなよ。戦闘慣れしてるわけじゃないだろ」
「失礼ですわね」
朱麗は顎を上げる。
「最低限の護身訓練くらい受けています」
「最低限ってどの程度?」
「逃げるべきときに、無意味に意地を張らない程度ですわ」
「思ったより賢い答えだった」
「何だと思っていましたの!?」
凛音が横から淡々と足す。
「もう少し強がるかと思っていました」
「白雪さん、あなた本当に私の見積もりが辛いですわね」
「九条さんが、たまに予想より素直だからです」
「褒めてるのか貶してるのか、どっちですの」
「半分くらいは」
便利ワードが伝染しきっている。
やがて相原さんの案内で、俺たちは第一層へ入った。
入口をくぐると、空気がひやりと変わる。
この町のダンジョンは岩肌の露出した洞窟型だった。学園の整備区画みたいな人工的な通路ではない。湿気を含んだ土の匂い、壁に埋まる微光鉱石、遠くで滴る水音。狭すぎはしないが、自然の癖が残っていて、歩くたびに足裏へ細かな起伏が伝わってくる。
「学園と違いますね」
凛音が小声で言った。
「こっちのほうが普通だ」
俺は周囲を見ながら答える。
「人間に都合よく作られてない分、地形ごと読む必要がある」
「……自然に前へ出ますね、やっぱり」
「だって足止めたら危ないだろ」
「そういう意味ではなくて」
凛音の声には、少しだけ呆れが混ざっていた。
相原さんが先導しながら、低い声で説明を続ける。
「第一層は資源メインだ。たまに小型の魔物が出るけど、危険度は低い」
「狙い目は壁際の回復茸、浅水域の氷晶魚、それと火脈近くに出る火猪の若い個体」
「ただし全部を取りに行こうとすると散る。今日は目的を絞りな」
「なら回復茸と氷晶魚かな」
俺は即答した。
「火猪は処理が面倒だし、今の白鳳館で最初から肉を主役にするのは少し重い」
朱麗が後ろから問う。
「魚と茸なら、どう使えますの?」
「魚は香りを立てれば旅館向きにできる」
「茸は出汁と食感で遊べるし、体に落ちる“効く味”を作りやすい」
「風呂上がりの客にも、現場の賄いにも応用しやすい」
「なるほど」
朱麗は真面目に聞いている。
その横で凛音も、足元を確認しながら頷いていた。
しばらく進むと、壁際の湿った岩の裂け目に、半透明の茸が群生しているのが見えた。薄い乳白色の傘に、淡い青の筋。光鉱石の明かりを受けて、わずかに内側から発光しているようにも見える。
「これが回復茸だ」
相原さんが言う。
「採る時は根元からひねる。傘を潰すと傷むよ」
俺はしゃがみ込み、状態を確かめた。
「悪くない」
「乾燥処理でもいけるけど、やっぱり生の香りのほうが強いな」
「触っても平気ですか」
凛音が俺の横へしゃがむ。
「傘は優しくな」
「押すなよ。押した瞬間に価値が減る」
「食材に対してだけ言い方が妙に厳しいですね」
「大事だからだよ」
「……そういうところです」
凛音は小さく笑うような息を吐きながら、言われた通りに茸へ触れた。
指先は慎重だった。
包丁の時も思ったが、この子はこういう繊細な作業に向いている。
「うまいじゃん」
「そうですか?」
「少なくとも雑じゃない」
「雑じゃないやつは、それだけで半分くらい勝ってる」
凛音は茸をひねり取りながら、少しだけ視線を伏せた。
「……また、自然に褒めますね」
「事実だからな」
「その“事実”は少し困ります」
「何で」
「調子が狂うので」
またそれだ。
俺は少しだけ黙った。
相変わらず言い方は静かなのに、こういう時の凛音は妙に距離が近い。
少し離れた位置でそのやり取りを見ていた朱麗が、すっとしゃがみ込んだ。
「でしたら、わたくしも採ってみます」
「おう」
俺は頷く。
「ただしドレスみたいな優雅さはいらない。茸は待ってくれないぞ」
「誰がドレスですの」
朱麗は不服そうに眉を寄せる。
「わたくしだって、それくらいは――」
言いながら手を伸ばした瞬間、足元の石がぐらりと揺れた。
「九条!」
反射的に腕を掴んで引く。
朱麗の身体が一瞬こちらへ寄り、そのまま俺の肩にぶつかる。軽い衝撃。近い。思っていたよりずっと華奢だ。
「……っ」
朱麗が息をのむ。
「足場見ろって」
俺は腕を支えたまま言う。
「ここ、見た目より滑る」
「わ、わかっていますわ」
朱麗は珍しく声を少し揺らした。
「今のは、ほんの少し石が意地悪をしただけです」
「石のせいにするなよ」
「あなた」
朱麗は顔を上げる。
「いま笑いましたわね」
「ちょっとだけな」
「不本意ですわ……」
凛音が横で静かに言う。
「でも、助け方は自然でした」
「何だその報告」
「事実確認です」
「便利ワードすぎる」
朱麗はまだ少しだけ体勢を立て直すのに時間がかかっていたが、やがて咳払いをして俺の手を離れる。
「……ありがとうございます」
その一言は、小さかった。
でもきちんと聞こえた。
俺は逆に返す言葉に困って、少しだけ視線をそらす。
「いや、まあ」
「怪我されると困るし」
「そういう言い方しかできませんの?」
「お前にだけは言われたくない」
その返しに、朱麗がほんのわずかに笑う。
いつもの強気な顔じゃなく、少しだけ気が抜けた笑い方だった。
そのあと、俺たちは浅水域で氷晶魚を狙った。
第一層の奥にある浅い水場は、岩肌から染み出した地下水が溜まってできた場所らしい。水は驚くほど澄んでいて、底を細かな光が揺れている。その中を、硝子片みたいに薄い魚影が滑っていた。
「きれい……」
凛音が小さく呟く。
「見た目だけな」
俺は屈みこみながら言う。
「こいつ、捕る時は結構すばしっこい」
「網より、追い込みのほうが楽かもな」
「追い込み?」
朱麗が首を傾げる。
「二手に分かれる」
「俺が向こうへ回すから、お前らはここで浅い方へ誘導しろ」
「無理に捕まえようとしなくていい。逃げ道を消すだけでいい」
「わかりました」
凛音は即座に頷く。
朱麗も、少しだけ表情を引き締める。
「ええ、やってみますわ」
こういう時の二人は、思っていた以上に素直だ。
いや、正確には“必要な時に逆らわない”と言うべきか。
俺は水場の反対側へ回り込み、足音を殺して進む。魚影の向き、光の揺れ、逃げ道。深層魚ほどではないが、氷晶魚も驚かせ方を間違えると散る。
「今だ」
声をかけると同時に、小石を一つ反対側へ弾く。
魚が一斉に向きを変え、浅い方へ走る。
そこで凛音が水を切るように片側へ回り、朱麗が反対側から進路を狭めた。
「こっちですわ!」
「九条さん、もう少し右!」
「ええ、ええ、わかっていますわ!」
最後の一匹が浅瀬へ乗った瞬間、俺は網を入れた。
ぱしゃり、と小さく水が跳ねる。
網の中で、氷晶魚が薄く光りながら跳ねていた。
「捕れた」
俺が言うと、凛音がほっと息をついた。
「思ったより連携できましたね」
「だな」
「当然ですわ」
朱麗は胸を張る。
「わたくしを誰だと――」
「はいはい、そこまで」
俺は笑いながら遮る。
「でも実際、悪くなかった」
「二人とも余計なことしなかったのが良かった」
「褒めてるんですの?」
「かなりな」
その言葉に、今度は朱麗が少しだけ目を見開く。
「……その“かなり”は、悪くありませんわね」
「伝染ってるじゃないか」
「便利ですもの」
だめだ、完全に広がっている。
採取を終えて戻る道すがら、相原さんが感心したように言った。
「思ってたより噛み合ってるね、あんたたち」
「そうか?」
「そうですよ」
相原さんは笑う。
「先頭が状況を切って、後ろが無駄に迷わず動く」
「初回の寄せ集めにしちゃ十分だ」
その評価に、俺はほんの少しだけ息が詰まる。
噛み合っている。
十分だ。
そう言われるのは、嫌いじゃない。
嫌いじゃないからこそ、危ない。
誰かと息が合う感覚に慣れると、いつかそれが当たり前になる。
当たり前になったものを失う時、人は思ってる以上に壊れる。
一度目の人生で、嫌というほど知ったことだ。
「柊木さん?」
凛音の声で我に返る。
「何だよ」
「少し、顔色が悪いです」
「気のせい」
「そういう時に言う“気のせい”は、たいてい気のせいじゃありません」
「分析やめろ」
「事実確認です」
朱麗もこちらを見る。
「疲れましたの?」
「いや、別に」
俺は首を振る。
「ただ、ちょっと考えただけだ」
「何を」
聞かれて、一瞬言葉に詰まる。
考えていたのは、今ここで言うべきことじゃない。
だから俺は少しだけ笑って誤魔化した。
「魚をどう食わせるか」
半分は嘘じゃない。
朱麗は少しだけ呆れたように息をつく。
「本当に、食のことになると自然ですわね」
「仕事だからな」
「まだ正式には仕事ではありません」
「そうだったな」
そう返した自分の声が、思ったより軽かった。
それがまた少し嫌で、でも完全には嫌いじゃなかった。
ダンジョンを出た時、外の光は少し傾き始めていた。
採れた回復茸と氷晶魚は決して大量ではない。だが初回としては十分だ。何より、“白鳳館で使える素材を、自分たちの手で持ち帰った”という感触があった。
凛音が、受け取った保冷箱を見ながらぽつりと言う。
「これが、今日の成果ですね」
「量としては控えめだ」
俺は答える。
「でも最初はこれでいい」
「使い方を間違えたら意味ないし、逆にうまく使えれば少量でも記憶には残る」
「じゃあ」
朱麗が俺を見る。
「次は、これを白鳳館の料理へどう繋げるか、ですわね」
その言い方は、もう完全に“次”を前提にしていた。
俺は少しだけ目を細める。
「お前、話を進める気満々だな」
「当然でしょう」
朱麗は気高く笑う。
「ここまで来て止まる理由がありませんもの」
凛音も静かに頷いた。
「ええ。もう、止まらないほうがいい気がします」
その二人の顔を見て、俺は小さく息を吐く。
ああ、まずいな、と思った。
白鳳館のためだとか、料理のためだとか、そういう理由は山ほどある。
でも本当はたぶん、それだけじゃなくなり始めている。
この二人と何かを形にしていく、その過程そのものが少しずつ面白くなっている。
それがいちばん危ない。
だって、楽しいと思った瞬間に、人はもう戻れなくなるからだ。
それでも俺は、保冷箱の中で薄く光る氷晶魚を見ながら、心のどこかでこう思ってしまっていた。
――さて、どう料理してやろうか。
その時点で、たぶんもう手遅れだった。




