第4話 脇役志望の俺に、断る権利があまりない
その週の俺は、驚くほど落ち着かなかった。
いや、正確には落ち着こうとして、そのたびに無駄だったと知る一週間だった。
教室にいても、実習棟を歩いていても、購買でパンを選んでいても、どこかでずっと気配を探っている自分がいる。別に誰かに追われているわけじゃない。配信事故の件も、今のところ学園全体を巻き込む騒ぎにはなっていない。
けれど一度、「見つかった」と思ってしまうと駄目だ。
人の視線。
会話の切れ端。
廊下の向こうで立ち止まる誰か。
そういうものが全部、少しだけ意味ありげに見えてしまう。
そのせいで、ただでさえ面倒な学校生活がさらに面倒になった。
しかも今回は、単に気にしすぎているだけではない。
白雪凛音は本当にときどき俺を見ているし、九条朱麗は本当に遠慮なく俺を呼び出してくる。
平穏とは。
俺の辞書から抹消されたのか、その単語は。
「柊木くん、最近なんか疲れてない?」
昼休み、机に突っ伏しかけていた俺へ、前の席の森野が気まずそうに声をかけてきた。
あの実習の日から数日。森野は俺に対して必要以上に怯えたり、逆に妙に持ち上げたりはしなかった。そのあたりは助かっている。たぶん本人なりに、あの日のことをどう扱えばいいのか慎重に考えているのだろう。
「元からこんなもんだよ」
「いや、元からちょっと死んだ目はしてたけど、今週はさらに死んでる」
「フォローになってない」
「ご、ごめん!」
森野は慌てて両手を振った。
こいつは本当に慌て方まで素直だな。
「いや、いいって。実際ちょっと寝不足ではある」
「やっぱり実習の件、まだ引っかかってる?」
「……まあ、ゼロではない」
「そっか」
森野は少しだけ言いにくそうに口ごもり、それから小声で続けた。
「でも、あの時は助かったよ。ほんとに」
「岸本も、なんだかんだで感謝してたし」
俺は頬杖をつきながら天井を見る。
感謝、ね。
そういうものを向けられるのは、本来なら悪い気分じゃない。
むしろ人としては健全なことだろう。
ただ俺にとっては、そこから先のほうが怖いだけだ。
助けた。
助かった。
じゃあ次も。
今度も。
もっと。
期待というのは、だいたいそうやって階段みたいに増えていく。
しかも上るのは一瞬なのに、落ちるのはもっと一瞬だ。
「柊木くん?」
「ん?」
「なんか、また遠く行ってた」
「悪い。考え事」
「最近それ多いよね」
「そういう年頃なんだよ」
「雑すぎるごまかし方しないでよ……」
森野が呆れたように笑う。
その笑い方に悪意がないのが救いだった。
だが、そんな穏やかな昼休みも長くは続かない。
教室の後ろ扉が開き、空気が微妙にざわめく。
なんだと思って振り向くまでもなく、理由はすぐわかった。
九条朱麗が立っていたからだ。
目立つ。
そりゃもう目立つ。
教室という空間にあまりにも似合わない密度で存在している。制服の着こなし一つにしても隙がなく、こちらを見る目つきには「必要ならこの教室ごと支配できますが?」くらいの迫力がある。
ざわ、と女子たちが囁き合い、男子たちが露骨に緊張する。
俺は机に額を打ちつけたくなった。
「終わった……」
「え、なに、九条先輩? なんでこっち来てるの?」
森野がひそひそ声で言う。
知らないよ。俺が聞きたい。
朱麗は周囲の視線など当然のように受け流しながら、まっすぐこちらへ歩いてきた。
逃げる暇がない。
「柊木さん」
「……何でしょう、九条先輩」
こういう時だけ、やたら他人行儀になる。
自衛だ。主に心の。
「今日の放課後、お時間をいただきますわ」
「拒否権は?」
「ありません」
「知ってた」
教室の空気が明らかに変わる。
なんだその「何があったんだあの地味男子」みたいな視線は。やめろ。俺だって知らない。
森野が隣で完全に固まっている。
岸本なんて少し離れた席から、妙に真剣な顔でこっちを見ていた。お前はそんな顔で見守るな。
「放課後って、何時まで」
「長くは取りませんわ。週末の件について最終確認をするだけですもの」
週末の件、という言葉にクラスの数人が反応した。
やめてくれ。そういう含みのある言い方は本当にやめてくれ。
「言い方!」
「何がですの」
「全部だよ!」
思わず小声で返すと、朱麗はほんの少しだけ首を傾げる。
「……ああ、なるほど」
「では訂正しますわ。白鳳館視察の件です」
余計に具体的になっただけだった。
周囲のざわめきが一段増す。
俺はもう駄目だと思った。
だが追撃はそこで終わらない。
「それと」
朱麗が続けようとした瞬間、また別の方向から静かな声が飛んだ。
「その件でしたら、私も同席します」
教室前方の窓際。
白雪凛音が、いつの間にかこちらを見ていた。
こいつ、本当に気配が薄い時と濃い時の差が極端すぎるな。
クラス全体の視線が、今度は朱麗と凛音の間を往復し始める。
やめろ。ラブコメの当て馬みたいな空気を教室で発生させるな。俺はその中心にいるべき人間じゃない。
朱麗は凛音の方へ顔を向け、涼しい声で言った。
「白雪さん、あなたに確認した覚えはありませんけれど」
「ええ。でも、私も行くと最初に言ってあります」
「言われたからといって、必ずしも了承したわけではありませんの」
「却下していなかったので、了承済みだと解釈していました」
「ずいぶん都合のいい解釈ですわね」
「お互いさまです」
ぴり、と空気が鳴る。
教室でやるな!
せめて廊下でやれ!
いや廊下でもやるな!
「……あの、柊木くん」
森野が、真顔で小声を落としてきた。
「いま、何に巻き込まれてるの」
「俺が知りたい」
「なんでそんな被害者みたいな顔してるの」
「被害者だからだよ」
森野は何とも言えない目で俺を見た。
信じてくれ。俺だって好きでこうなってるわけじゃない。
結局その場は、予鈴が鳴って強制終了になった。
朱麗は「放課後、逃げないでくださいまし」とだけ言い残して去っていき、凛音は何事もなかったように教科書を開いた。
残された俺だけが、教室の中央で少しずつ死んでいった。
◇
放課後。
俺は約束どおり、生徒会特別室の前に立っていた。
偉いな、俺。
逃げないだけで褒めてほしい。
もっとも、逃げたところで捕まる未来しか見えなかったから来ただけだが。
「どうして俺の人生、急にこうなったんだろうな……」
「自業自得という言葉をご存じ?」
横から声がして、俺は反射的に肩をすくめた。
凛音だった。
今日も無表情に近い顔だが、放課後のやわらかい光の中だと少し印象が違う。教室にいる時よりも、どこか輪郭が柔らかく見える。
「知らないけど今は聞きたくない」
「便利な耳ですね」
「悪口か?」
「半分くらいは」
「素直だな」
「嘘をついても仕方ないので」
凛音は俺の隣に立ち、特別室の扉を見る。
そして何気ない調子で言った。
「ちゃんと来たんですね」
「来なかったら来なかったで、お前たち絶対面倒だったろ」
「ええ、かなり」
「即答やめろ」
「でも、少し安心しました」
「またかよ」
「今日はそういう確認の日らしいので」
その返しに、思わず小さく笑う。
こいつ、本人は無自覚なんだろうけど、たまに妙に会話の間がうまい。
「何ですか」
「いや、最近思うんだけど」
「はい」
「お前、案外しゃべると普通だな」
言った途端、凛音がぴたりと動きを止めた。
「……それ、褒めていますか?」
「たぶん」
「“案外”がつく時点で、あまり素直に受け取れません」
「だって学園じゃもっとこう、氷の美少女って感じで通ってるだろ」
「誰がそんな言い方を」
「みんながなんとなく」
「曖昧ですね」
「学園の評判なんてだいたい曖昧だろ」
凛音は少しだけ考えるように視線を落とした。
「……別に、わざと壁を作っているつもりはないです」
「そうなのか」
「でも、話しかけにくいとはよく言われます」
「たぶん、先に笑わないからだと思います」
「自覚あったんだ」
「少しは」
そこで凛音は、珍しく言いにくそうに言葉を選ぶ。
「でも、あなたと話している時は……そこまで意識しなくて済むので」
心臓が一拍だけ変な打ち方をした。
いや待て。
今のは別にそういう意味じゃない。
そういう意味ではないはずだ。
ただ俺が話しやすいとか、気を遣わなくていいとか、そういう文脈だ。勝手に変な方向へ受け取るのは良くない。自意識過剰はだいたい自滅の始まりである。
だから俺は、なるべく平常心を装って言った。
「……へえ」
「その返事、困ってる時のやつですよね」
「何でも分析するなよ」
「見えてしまうので」
ほんとうに、やりにくい。
そこへ、扉が開いた。
「お待たせしましたわね」
朱麗が現れる。
今日は授業後だからか、ジャケットをきっちり着直していて、いかにも“仕事モード”という雰囲気だった。相変わらず隙がない。たぶん寝起きですら気高い顔してるタイプだろうな、この人。
「今の会話、少し気になりましたけれど」
「盗み聞きしてたのか?」
「扉の向こうまで普通に聞こえていましたの」
「廊下で親密な雰囲気を出されるのは少々困りますわ」
「親密じゃない」
「親密ではありません」
また揃った。
朱麗の目が細くなる。
「……本当に、そこだけは妙に息が合いますのね」
「不本意だ」
「こちらもです」
「いやだから何でそこで揃うんだよ」
特別室へ入ると、前回と同じように紅茶が用意されていた。
学習しないな、この部屋。
いや、俺が飲むのに慣れてしまいそうなのが嫌なんだが。
朱麗は机上に何枚かの資料を広げながら、手短に言った。
「本日は、週末の視察に向けた確認ですわ」
「白鳳館の現状、行程、そしてあなたに最低限見ていただきたい点を共有します」
「だから、まだ俺が何かするとは決まってない」
「ええ。視察だけで結構です」
「もっとも、見たあとで放って帰れるかどうかは、あなた次第ですけれど」
「そういう挑発っぽい言い方をするな」
「挑発ではありません。評価です」
「便利ワードすぎるんだよ、その“評価”」
凛音が資料を覗き込みながら小さく言う。
「でも、現状はかなり厳しそうですね」
俺も視線を落とす。
資料には、白鳳館の近年の宿泊率推移、客層の変化、近隣競合施設との比較、設備投資の遅れ、口コミの分析などがかなり細かくまとめられていた。
想像していたより深刻だ。
悪い旅館、ではない。
むしろもともとの地力は高いのだろう。
だが良いものがちゃんと届かないまま、少しずつ時代に置いていかれている。
俺は数字を追いながら、自然と気になる点を拾い始めていた。
「……料理評価の落ち方が不自然だな」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
朱麗が即座に反応する。
「どういう意味ですの?」
「落ち幅が急すぎる」
「設備や接客は緩やかに下がってるのに、食事だけ数年で一段落ちてる」
「料理長が変わったか、仕入れルートが変わったか、あるいは人手が足りなくなって質を維持できなくなったか」
「たぶんそのあたりに、旅館全体が崩れ始めた起点がある」
言い終わってから、しまったと思った。
静かにしていようと思っていたのに、資料を見た途端に口が動いてしまったのだ。
凛音が、じっとこちらを見ている。
朱麗もだ。
「……何だよ」
朱麗がゆっくり瞬きをした。
「いえ」
「やはり来ていただいて正解でしたわ」
「まだ現地にも行ってないだろ」
「資料の数字だけでそこまで見える人材を、連れて行かないほうが不自然です」
「だから人材って言うのやめろって」
「でも、今のはたしかに自然でした」
凛音が言う。
「数字を眺めてるんじゃなくて、向こうの現場の空気まで想像してるみたいでした」
「そんな大げさなもんじゃない」
「大げさではありませんわ」
朱麗は資料の一枚を指で軽く叩いた。
「この観点、こちらの会議でも出なかったんですのよ」
「九条家の会議、大丈夫か」
「だから困ってるんでしょう」
それはそうか。
俺は資料から目を離し、背もたれに体を預ける。
「それで、行くのはいつ」
「土曜日の朝ですわ」
「学園正門前に集合。車で向かいます」
「車?」
「ええ。白鳳館は山間部ですもの。電車とバスでも行けますけれど、効率が悪いですわ」
「九条家の車って、絶対すごいやつだろ」
「何を想像しているのかわかりませんけれど、普通の車です」
「お前の“普通”、信用ならないんだよなあ」
「失礼ですわね」
「事実です」
凛音が平然と重ねる。
朱麗がじろりと見る。
「白雪さん」
「何ですか」
「あなた、本当に私への当たりが強いですわね」
「九条さんが強すぎるので、相対的にそう見えるだけです」
「相殺されていませんわよ」
「いや充分されてると思うぞ」
俺が口を挟むと、今度は二人ともこちらを見る。
だからやめろ、その連動。
朱麗は小さく息を吐いた。
「とにかく、土曜日です」
「視察だけで構いません。旅館の現状、現場の様子、料理、導線、従業員の空気」
「あなたが気になるものを、好きに見てください」
「好きにって言われると、逆に困るんだけど」
「制限したら、あなたが見たいものを見損なうでしょう」
「それもそうか……」
資料を閉じる。
話はだいたい終わった、と思ったその時だった。
「あともう一つ」
朱麗が言った。
まだあるのかよ、という気持ちが顔に出ていたのだろう。彼女は少しだけ意地悪く目を細める。
「そんなに嫌そうな顔をしなくてもよろしくてよ」
「嫌だからその顔なんだよ」
「率直で結構ですわ」
「お前もな」
朱麗は咳払い一つして、続けた。
「当日は、私と白雪さんと、あなたの三人で行きます」
「知ってる」
「ですから、途中で帰ろうとするのはやめてくださいまし」
「信用なさすぎない?」
「ありますか?」
「お前ら今日そればっかだな」
凛音が静かに頷く。
「だって、あなた本当に帰りそうですし」
「……そんな顔してる?」
「かなり」
「便利だな、その断定」
「便利です」
「学習したな、おい」
朱麗がふっと鼻を鳴らした。
「もっとも、逃がすつもりはありませんわ」
「結局それか」
「当然でしょう」
「あなた一人だけ、好き勝手に脇役を続けるのは不公平ですもの」
「意味がわからない」
「周囲がこれだけ振り回されているのに、当人だけ“関わりたくありません”で済ませるのは、少々虫が良すぎますわ」
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
それは、たしかにそうかもしれない。
俺はこれまで、関わらないことでいろんなものから距離を取ってきた。
それが最善だと思っていたし、今も根本的にはそう思っている。
けれど、誰かがもうこっちを見てしまったあとまで、全部を同じ理屈で押し切るのは違うのかもしれない。
……いや、違うと認めると厄介だから、今は保留でいい。
「なんか今、すごく都合よく思考を保留にしませんでした?」
凛音が言った。
「読心術?」
「顔です」
「顔に出るタイプだったっけ、俺」
「意外と出ます」
「そういうの、あんまり言いふらすなよ」
「言いふらしません」
「面白いので、私の中だけに留めておきます」
「ちっとも安心できない」
朱麗が立ち上がる。
「本日の確認は以上ですわ」
「土曜日、遅れないように」
「はいはい」
「返事が雑です」
「もう少し可愛げを出してもいいと思いますよ」
凛音がぼそっと言った。
「お前まで!?」
「事実です」
「またその言葉!」
特別室を出るころには、外はすっかり夕方の色になっていた。
西日に染まった廊下は昼間より静かで、窓の外ではグラウンドの端に長い影が伸びている。部活帰りの生徒たちの声が遠くに混じり、どこかの教室から吹奏楽部の音出しが聞こえた。
俺たちは自然と三人並んで歩き出す。
沈黙が数歩分続いたあと、凛音が先に口を開いた。
「土曜日、少し楽しみです」
「楽しみって」
「温泉旅館、ちゃんと行ったことがないので」
「そっちか」
「そっちも、です」
“も”。
その一音が妙に引っかかる。
「何だよ、その言い方」
「気になるものが多いという意味です」
「雑にまとめたな」
「便利なので」
「学習速度がおかしいだろ」
凛音が少しだけ目を細める。
笑ってる、のか?
たぶんそうなんだろうな、最近やっとわかってきた。
そのやり取りを聞いていた朱麗が、少し前を歩きながら言う。
「白鳳館の温泉は本当に質が良いですわ」
「景色も悪くありません」
「だからこそ、このまま沈ませたくないんですの」
さっきより少しだけ柔らかい声だった。
俺はその背中を見る。
高圧的で、合理的で、言い方がいちいち強いくせに、肝心なところで妙に本音が滲む。
そういうのは、卑怯だ。
「……九条」
「何ですの」
「お前、頼み方は下手だけど」
「本気なのはわかるよ」
歩きながら言うと、朱麗の足がほんのわずかに止まりかけた。
振り向いた顔はいつも通り強気だったが、耳のあたりだけほんの少し色が変わって見えたのは気のせいだろうか。
「いきなり何を」
「別に」
「その“別に”は便利そうで嫌ですわね」
「お前にだけは言われたくない」
凛音が小さく息を吐く。
「……やっぱり、話してると普通ですね」
「誰が?」
「二人ともです」
「それは褒めてるのか?」
「半分くらいは」
「お前も便利ワード覚えてきたなあ……」
昇降口まで来ると、外の空気はもう春の夕暮れそのものだった。昼間より冷えてきた風が頬に当たる。校門の向こうには、オレンジ色に染まった街路樹が並んでいた。
そこで朱麗は立ち止まる。
「では、土曜日に」
「わかった」
「逃げないでくださいね」
凛音が念押しする。
「お前それ、最後に言わないと気が済まないのか」
「必要なので」
「はいはい、必要必要」
朱麗も頷いた。
「ええ。必要ですわ」
「息ぴったりかよ」
「不本意です」
「同感ですわ」
「もういいよ、その流れ!」
思わず言うと、二人はほんのわずかに顔を見合わせた。
それだけのことなのに、妙に変な空気になる。
凛音はいつも通り静かで、朱麗は相変わらず気高い。
水と油みたいな二人だ。
たぶん本来、簡単に交わる種類じゃない。
なのに今は、俺を挟んで同じ場所を見ている。
それが少しだけ、不思議だった。
「じゃあな」
俺が先に踵を返すと、後ろから凛音の声が追ってきた。
「柊木くん」
「ん?」
「土曜日」
「ちゃんと来てください」
「だから行くって」
「ちゃんと、です」
「……はいはい」
振り返ると、凛音はじっとこちらを見ていた。
その横で朱麗が少しだけ呆れたように息をついている。
「白雪さん、あなた本当にしつこいですわね」
「大事なことなので」
「それは認めますけれど」
「認めるんだな」
「今回は、ですわ」
また火花のような何かが散る。
だが初日のような剣呑さだけではない。まだぎこちないが、互いにただ拒絶しているわけではないのがわかる。
それを見て、俺はなぜか少しだけ肩の力が抜けた。
変な話だ。
面倒ごとは増えているはずなのに。
平穏からはどんどん遠ざかっているはずなのに。
それでも、完全に嫌なだけではない。
そう思った瞬間、自分で自分に軽く引いた。
「……末期かもしれない」
「何がですの?」
朱麗が聞き返す。
「いや、こっちの話」
「そうやってすぐ一人で完結するところ、良くないと思います」
凛音が静かに言う。
「お前、たまに刺し方が的確すぎるんだよ」
「見えてしまうので」
「便利だなあ、本当に……」
俺は苦笑しながら手を振り、そのまま校門の外へ歩き出した。
土曜日。
白鳳館。
温泉旅館の視察。
どう考えても、ただの脇役が関わる予定じゃない。
しかも同行するのは、氷の美少女と悪役令嬢だ。
字面だけ見れば、ラブコメの主人公みたいだ。
もちろん俺はそんな柄じゃないし、そうなる気もない。
だが少なくとも、もう完全に「関係ありません」で済ませられる段階は過ぎているのだろう。
背後ではまだ二人が何か言い合っている声が小さく聞こえた。
「だから、車の座席配置は事前に決めておいたほうがいいと思います」
「なぜそこまで細かく……」
「九条さんが当然のように前列を確保しそうなので」
「誤解ですわ! 私はただ、案内役として――」
「はいはい、そこまでにしておきなさい」
俺は振り返らずに言った。
すると背後が一瞬静かになり、それからほとんど同時に声が飛んでくる。
「誰のせいだと思ってるんだ」
「誰のせいですの」
「……ほんと、仲いいな」
ぼそりと呟いてしまってから、しまったと思った。
すぐ後ろで二人分の足音が止まる。
「違います」
「違いますわ」
ぴたりと揃った否定に、俺は思わず吹き出しかけた。
ああ、駄目だ。
たぶん今週の俺は、思っていた以上に、もう手遅れのところまで来ている。
少なくとも、面倒ごとの中心に立たされながら、ほんの少しだけ笑ってしまう程度には。




