第3話 悪役令嬢は、命令するように頼みごとをする
生徒会特別室という場所には、入った瞬間に「ここは一般生徒の居場所じゃないな」と思わせる空気がある。
まず静かすぎる。
廊下まで聞こえていた昼休みのざわめきが、扉一枚隔てただけで遠い別世界のものになる。室内は広く、窓際には重厚な木枠のソファセット、壁際には資料棚、中央には磨かれた大きな机。観葉植物ですら「この部屋に置かれるならそれなりの格が必要です」とでも言いたげな顔をしていた。
しかも無駄に香りがいい。
木材の落ち着いた匂いに、薄く茶葉の香りが混じっている。換気が行き届いているせいか、ダンジョン帰りの俺にはそれだけで場違い感が増した。
「うわ、落ち着かねえ……」
思わず本音が漏れる。
すぐ前を歩いていた九条朱麗が、振り返りもせずに言った。
「それは安心しましたわ。ここで妙にくつろがれても困りますもの」
「人を招いといて歓迎する気ゼロか」
「歓迎はしています。ただ、甘やかす気がないだけです」
「言い方が全部強いんだよな、この人……」
後ろから、白雪凛音が小さく言う。
「でも、九条さんってたぶん、最初から言い方が柔らかいと逆に信用できないタイプですよね」
朱麗が今度こそ足を止め、わずかに眉を動かした。
「白雪さんに性格分析される筋合いはありませんわ」
「そうですか。では訂正します」
「信用できない、ではなく、別の意味で不気味です」
「ひどいですわね?」
「一応、前よりは柔らかい表現にしたつもりです」
「ぜんぜん改善されてないぞ、それ」
俺がぼそっと挟むと、二人の視線が同時にこちらへ向く。
やめてくれ。そのタイミングだけ揃うの、妙に怖い。
朱麗は小さく息を吐くと、机の前に立って指先で椅子を示した。
「座ってくださいな。立ち話で済ませる内容ではありませんの」
「帰ってもいい?」
「駄目ですわ」
「はいはい、知ってた」
俺は観念して椅子に座った。凛音もその少し斜め後ろ、俺から見て左側の椅子に腰を下ろす。対して朱麗は机の向こうへ回るのかと思ったが、そうはせず、俺たちと向かい合う形でソファへ座った。
なるほど。
尋問ではなく、交渉のつもりらしい。
そう考えた瞬間、少しだけ嫌な予感が増した。
交渉というものは、相手に選択肢があるように見せて、実際には逃げ道を減らしていくものだからだ。
朱麗は机上のベルを軽く鳴らした。ほどなくして、控えていたらしい秘書役の上級生が紅茶を運んでくる。俺の前にもカップが置かれたが、あまりに上等そうで逆に飲みづらい。
「毒とか入ってないよな」
「入れる理由がありませんわ」
「九条さん、その返しだと“理由があれば入れる”みたいに聞こえます」
「白雪さん、あなた本当に私への解像度が妙に高いですわね」
「たぶん相性が悪いんだと思います」
「俺を挟んで相性診断しないでくれ」
秘書役の上級生が無表情のまま一礼して部屋を出ていく。扉が閉まると、室内は一気に静かになった。
朱麗はそこでようやく、真正面から俺を見た。
気の強そうな目だ。
けれど、ただ圧があるだけではない。何かを見極めようとする視線だった。
「さて」
彼女は優雅に脚を組み、しかし言葉の方は容赦なく切り込んできた。
「まず確認しますわ。あなた、あれは何ですの」
「質問が雑だな」
「では細かくいたします」
「今日の第二層実習区画で見せた動き。あれは、どこで身につけたものですの」
「身につけた覚えはない」
「却下ですわ」
「即却下するなら最初から質問じゃないだろ」
「質問形式の確認です」
「横暴すぎる」
凛音が静かにカップを持ち上げながら言う。
「でも、そこは私も気になります」
「あの動き、学園の標準課程で説明できるものではありません」
「白雪、お前まで乗るのかよ」
「事実に乗っているだけです」
「便利だな、その言い方」
俺は紅茶に口をつけた。うまい。妙にうまい。くそ、こういうところだけ一流なのがまた腹立たしい。
「で?」
俺はカップを置いて言った。
「仮に俺がちょっと動けたとして、それが何なんだよ」
「別に、学園の規則で“強い生徒は申告制”ってわけでもないだろ」
「ええ、そこは問題ではありませんわ」
朱麗の返答は早かった。
「問題なのは、あなたが隠していることそのものではなく」
「隠したまま放っておくには、あまりに使える人材だという点です」
「うわ、最悪だ」
「どうしてですの」
「今の言い方、完全に人を道具扱いしてるだろ」
「言葉の選び方に少々難があるのは認めますけれど」
「実際、使える人材を使わないのは損失ですわ」
「すごいな。言い直したのに余計ひどくなったぞ」
凛音が小さく息をつく。
「九条さん、そういうところです」
「どこですの」
「言い方一つで角が立つところです」
「必要以上に丸めるのは不誠実でしょう」
「角をつけるのも別方向で不誠実です」
「君たち、本当に仲悪いな……」
俺が呆れて言うと、朱麗はふっと顎を上げた。
「仲が悪いのではなく、感性の方向が違うだけですわ」
「近い意味だろ、それ」
「違います」
「違います」
「今そこ揃うの!?」
反射的に突っ込むと、二人ともわずかに口を閉じた。
そして一拍置いてから、朱麗が小さく咳払いをする。
「……話が逸れましたわね」
「だいぶな」
「ですから戻します」
「柊木さん。あなた、探索も戦闘も、そしてたぶんそれ以外も、わざと低く見せていますわね」
その一言で、部屋の空気が少しだけ重くなる。
凛音も否定しない。
彼女も同じ結論に来ているのだろう。
俺は椅子に深く座り直し、肩の力を抜いた。
「で、そうだったら何だ」
「学園内には俺より強い奴なんていくらでもいるだろ。今さら一人増えたところで――」
「増え方が普通ではありませんの」
朱麗ははっきり言い切った。
「少なくとも、実習班の学生が咄嗟に見せる動きではなかった」
「それに、あの時あなたは一番厄介な個体の位置を最初から把握していたでしょう」
そこまで見ていたのか。
俺は思わず苦く笑いそうになる。
よりによって、目のいい奴ばかりに見つかったものだ。
「たまたまだ」
「まだその言い訳で押し通すつもりですの?」
「他に便利な言葉が思いつかない」
「便利という自覚はあるんですね」
「あるよ。便利だし、今までわりと役に立ってきた」
「なるほど」
朱麗はそこで、少しだけ表情を緩めた。
嘲笑ではない。むしろ、何か得心がいったような顔だった。
「つまり、今日までそれで切り抜けてきたのですね」
「……悪いかよ」
「いいえ、合理的ですわ」
「ただし、今日は相手が悪かったというだけで」
「自分で言うなよ」
「事実ですもの」
嫌な否定しづらさがある。
この人、ほんとうに“自分を使う側”の発想で物を言うんだな。
だが、それだけではない気もした。
単に人を利用したいだけなら、もっと露骨に脅せばいい。秘密を盾に従わせることもできるはずだ。だが彼女はそうしない。少なくとも今のところは。
それが逆に気持ち悪い。
……いや、違うな。やりにくい、だ。
「単刀直入に言いますわ」
朱麗は背筋を伸ばし、まっすぐ俺を見た。
「あなた、うちの旅館を立て直しなさい」
俺は数秒、彼女の顔を見た。
たぶん凛音も同じだったと思う。
あまりにも予想外すぎて、脳が一瞬だけ止まったのだ。
「……は?」
ようやく出た言葉がそれだった。
凛音も珍しく、すぐには言葉が出なかった。
だが一拍置いてから、静かに聞き返す。
「旅館、ですか」
「ええ。正確には、九条家の関連資産の一つである温泉旅館ですわ」
「待て待て待て」
俺は片手を上げる。
「今、話の飛び方おかしかっただろ」
「配信事故で正体っぽいものがバレた話から、どうして旅館再建になる」
「順を追って説明します」
「ですが先に結論を申し上げたほうが、あなたの逃走を防げるかと思いましたの」
「結論の置き方が雑すぎる」
「私は合理的です」
「合理性を雑さの免罪符にするな」
朱麗は小さくため息をついた。
この人、自分が説明下手だって自覚あるのかな。たぶんないな。
「では説明いたしますわ」
「九条家は複数の事業を持っています。その中には宿泊業も含まれます」
「その一つ――山間部にある老舗温泉旅館『白鳳館』が、現在かなり厳しい状況にありますの」
彼女の声色が、わずかに変わった。
先ほどまでの“面倒な令嬢”の調子ではない。
もっと実務的で、もっと切実な響きだ。
「施設は悪くありません。温泉の質も、景観も、歴史もある」
「ですが、古くなった設備、平凡になった料理、宣伝不足、現場の疲弊。悪い条件が積み重なって、じわじわと客足が落ちていきました」
凛音が静かに頷く。
「立て直しが必要、ということですね」
「ええ。ですが、ただ予算を投入すれば済む段階ではありません」
「外から無神経な改革案を持ち込めば、旅館そのものの良さが死ぬ」
「だから現場と客の両方を見られる人が必要でした」
「それが俺?」
「そうですわ」
「なんで」
「今日のあなたを見たからです」
「話が飛んでるって」
俺が言うと、朱麗は今度は丁寧に言葉を繋いだ。
「あなたは戦闘の最中、場全体を見ていました」
「敵だけではなく、味方の癖も、通路幅も、床の状態も、危険の順番も」
「その上で最小限の動きで最大限の結果を出していた」
「……買いかぶりだ」
「いいえ」
「そして、そういう人はだいたい“戦うこと”以外でも観察眼が利きます」
「現場の空気を読むのが上手い」
「どこが死んでいて、どこを残すべきかを見分けられる」
そこまで言われると、逆に気味が悪い。
なぜこの人は、あれだけの断片からそこまで考えられるんだ。
凛音が俺の方を見る。
「たしかに、実習のときも料理のときも、あなたはよく見ていました」
「……料理のとき?」
俺は眉をひそめる。
「いえ、まだ料理はしていませんでしたね」
「未来予知みたいな言い間違いするなよ。怖いだろ」
「失礼しました。たぶん、そういう顔をしていたので先走りました」
「どういう顔だよ」
「台所に立たせると厄介そうな顔です」
「意味わかんねえよ」
朱麗が、そこで少しだけ口元を押さえた。
笑ったのか、今。
「何だよ」
「いえ、白雪さんの言語化が独特すぎて少し」
「あなたが笑うの珍しいな」
「笑っていませんわ」
「いま絶対ちょっと笑っただろ」
「気のせいです」
「その言い方で誤魔化せると思うなよ」
軽口を挟みつつも、俺の頭の中は忙しかった。
旅館再建。
温泉旅館。
九条家。
老舗。
疲弊した現場。
正直、興味がないわけではない。
むしろ、そういう“死にかけているけれど、本当はまだ終わっていない場所”の話は、嫌でも引っかかる。
だがそれと、俺が関わるかどうかは別だ。
「却下だ」
俺ははっきり言った。
「どうしてですの」
「どうしても何も、普通におかしいだろ」
「俺はただの学生だぞ。しかも目立ちたくない。なのに名家の旅館再建なんて、どう考えても火薬庫に松明投げ込むようなもんだ」
「比喩が物騒ですわね」
「現実が物騒なんだよ」
「それに、俺は経営の専門家でもないし、旅館業なんて知らない」
すると朱麗は、ためらいなく返した。
「知識が足りないなら、見ればいいんですの」
「経験がないなら、現場で拾えばいい」
「少なくとも、今の旅館に必要なのは、肩書きだけ立派で現場を見ない人間ではありません」
「理屈はきれいだけど、だからって俺である必要はないだろ」
「ありますわ」
「何で」
そこで朱麗は、ほんの一瞬だけ黙った。
そして、さっきまでの強い調子を少しだけ引いて言う。
「……見たからです」
「は?」
「あなたの動きを」
「それから、あのあと教員に呼ばれる直前、班員の怪我を先に確認していたところも」
「自分が注目されそうになるのを嫌がるくせに、他人のことは先に見る」
「そういう人間は、現場を見捨てきれません」
その言葉は、思ったよりずっとまっすぐだった。
俺はすぐには返事ができない。
たしかに、岸本の怪我を見た。
森野の手の震えも見た。
実習棟へ戻る途中、誰が平気なふりをしていて、誰がまだ青ざめているかも見ていた。
見たくて見たわけじゃない。
見えてしまうだけだ。
でも、それを人に指摘されるのは、妙に居心地が悪い。
「九条さん」
凛音が静かに口を開く。
「あなた、それは頼みごとの言い方としてはだいぶ不器用です」
「承知していますわ」
「承知してるのに直さないんですね」
「直すと、余計な装飾が増えますもの」
「私はこういう頼み方しかできません」
その答えは、少し意外だった。
もっと完璧な人間だと思っていた。
言葉も立場も、自分の武器として自在に扱うタイプだと。
だが実際は、武器として扱えるものしか上手く使えない人間なのかもしれない。
剣のようにまっすぐで、だからこそ柔らかい頼み方が下手だ。
凛音もそれを感じたのか、少しだけ視線を和らげた。
「……それでも、脅しているわけではないんですよね」
「もちろんですわ」
「秘密を盾に従わせたいなら、もっと別のやり方を取ります」
「それ、言わなくていいからな?」
「安心材料のつもりでしたのに」
「ぜんぜん安心できない」
俺が顔をしかめると、凛音が横で小さく息をついた。
「九条さん、たぶん今のは逆効果です」
「なぜですの」
「その発想がもう怖いからです」
「……少し反省しますわ」
「少しなんだ」
沈黙が落ちる。
窓の外では、昼休みの終わりを告げる予鈴が遠く鳴っていた。短い電子音なのに、この部屋では妙に響く。
俺はカップの中の紅茶を見下ろした。
きれいな琥珀色だ。
少し冷めている。
断るのが正解だ。
ここで関わるべきじゃない。
面倒が増える。確実に増える。
俺は静かに生きたいのだ。脇役として、目立たず、必要以上の責任を負わずに。
――でも。
温泉旅館、か。
古い建物。
疲れた現場。
良さはあるのに、上手く届かなくなっている場所。
そういうものには、どうしても少しだけ心が引っかかる。
引っかかってしまうのが、たぶん俺の悪いところだ。
「……視察だけなら」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
朱麗の目がわずかに細まる。
凛音も俺を見る。
「何ですの」
「視察だけなら行く」
「立て直すとか、引き受けるとか、そういう話じゃない」
「現場を見て、ほんとに俺なんかが必要かどうか確かめるだけだ」
言いながら、自分でも甘い条件だと思った。
でも完全に断るには、もう少し情報が欲しかった。
朱麗は数秒、俺を見つめたあと、ふっと息をついた。
「ええ、構いませんわ」
「即答?」
「最初の一歩としては十分ですもの」
「むしろ、現場も見ずに引き受けるほうが不誠実です」
「それはそうだけど」
「では決まりですわね」
「いや、まだ“決まり”って言うには――」
「日程は今週末で調整します」
「話を進めるのが早い!」
凛音が、そこで小さく手を挙げた。
「私も同行します」
俺は思わずそちらを見る。
「お前も?」
「はい」
「なんで」
「あなた一人で行かせると、途中で帰りそうなので」
「信用なさすぎだろ」
「それに」
凛音は一拍置いてから、少しだけ真面目な顔で続けた。
「九条さんの話が本当なら、その旅館はいま大事な分岐点にいます」
「だったら、私も見ておきたいです」
「あなたがどう判断するのかも含めて」
観測者、か。
さっきの言葉を思い出す。
見ていたい。
見失いたくない。
そういう言い方をする人間に、俺はまだ慣れていない。
朱麗は少しだけ不満そうに目を細めた。
「白雪さんまで来る必要がありまして?」
「あります」
「九条さん一人に任せるのは不安なので」
「その台詞、二回目ですわよ」
「必要だから言っています」
また空気がぴりつく。
ほんとうにこの二人、燃えてるのか凍ってるのかわからないな。
「……なあ」
「何ですの」
「何ですか」
「だから同時に見るなって」
俺は額を押さえる。
「俺の周り、急に騒がしくなりすぎじゃない?」
すると朱麗が、少しだけ呆れたように言った。
「あなたが火種を持ち込んだのですわ」
「いや、配信切り忘れは事故だろ」
「事故でも結果は結果です」
凛音も静かに頷く。
「ええ。しかも、あなたが思っているより大きな事故です」
「そういう言い方やめろ。だんだん胃が痛くなってきた」
「もう遅いと思いますわ」
「今のは優しさゼロだな」
「事実への誠実さです」
「言い換えれば全部許されると思うなよ、本当に」
予鈴のあと、本鈴が鳴る。
昼休みは終わりだ。
窓の外では、生徒たちがそれぞれの教室へ急ぐ姿が見える。普通の日常が再開していく音がする。その一方で、俺の方の日常は少しずつ別の形にずれ始めていた。
朱麗は立ち上がり、スカートの裾を整えた。
「では、今週末」
「白鳳館へ来ていただきます」
「視察だけだからな」
「ええ、もちろんですわ」
「まずは、そういうことにしておきましょう」
「その含みのある言い方やめてくれない?」
「善処します」
「絶対しないやつだ、それ」
凛音も立ち上がる。
そして俺の方を見て、淡々と言った。
「でも、来てよかったですね」
「何が」
「ここにです」
「九条さんが相手でも、ちゃんと断るところは断っていました」
「少し安心しました」
「また安心したのかよ」
「今日はそういう日です」
その返しに、俺は思わず小さく笑った。
「……お前、案外しつこいな」
「はい」
「見逃さないと決めたので」
言い切るあたりが、この子らしい。
淡々としているのに、引く気がない。
朱麗はそんなやり取りを見て、ほんのわずかに目を細めた。
不満げにも見えるし、面白くなさそうにも見えるし、あるいはただ何かを考えているだけかもしれない。
「お二人とも」
彼女は扉の方へ歩きながら言う。
「次の授業がありますわ。廊下で恋人未満みたいな空気を出されても困ります」
俺は盛大にむせた。
「は!?」
凛音もさすがに一瞬、無表情を崩した。
「九条さん」
「何ですの」
「いまのはかなり失礼です」
「事実確認ですわ」
「その便利な言葉、やめたほうがいいですよ」
「さきほどから思っていましたが、あなた私に対してだけ当たりが強くありませんこと?」
「お互いさまです」
「やっぱり仲悪いじゃないか!」
思わず叫ぶと、二人とも今度は同時にこちらを見て、そして同時に言った。
「違います」
「違いますわ」
「いや、今ので余計そう見えるからな!?」
俺の声が特別室に響いて、それから少し遅れて、三人分の沈黙が落ちる。
なんだこれ。
ほんとうに、なんなんだ。
ただ一つ確かなのは、俺の静かな脇役生活が、思っていた以上に賑やかな方向へ壊れ始めているということだった。
その原因の一つは、目の前にいる高飛車で不器用な令嬢で。
もう一つは、その横で静かにこちらを見ている、氷みたいに澄んだ目の少女だ。
どちらも厄介だ。
どちらも、できれば関わりたくない側の人間だった。
――だった、はずなのに。
扉の前まで来たところで、朱麗が不意に立ち止まる。
そして振り返らずに、少しだけ小さな声で言った。
「……白鳳館は、私にとって簡単に切り捨てられる場所ではありませんの」
その一言だけ、今までと違っていた。
高圧的でも、命令口調でも、交渉の声でもない。
ただの本音に近い響きだった。
俺と凛音は、同時に言葉を失う。
朱麗はすぐにいつもの顔へ戻り、こちらを振り向く。
「ですから、見るだけで構いません」
「見て、それでも価値がないと思うなら、そのときは諦めますわ」
「……ずるい言い方するな」
俺がぽつりと言うと、朱麗は少しだけ眉を上げる。
「何がですの」
「そういう本音っぽいのを最後に出されると、断りづらくなる」
「それはあなたが、思っていたよりずっと情があるからではなくて?」
「そういうところなんだよ、本当に……」
凛音が小さく息を吐いた。
「九条さん」
「あなた、たぶんもっと素直に“助けてほしい”って言ったほうが早いです」
朱麗は一瞬だけ黙り、それから静かに返した。
「……それが上手くできたら、苦労しませんわ」
その返しにだけは、凛音も何も言わなかった。
俺も、言えなかった。
結局のところ、俺たちは全員、不器用なのかもしれない。
隠し方が違うだけで。
そう思ってしまった時点で、たぶん俺はもう少しだけ、この話に足を突っ込み始めていたのだろう。
もちろん、その時の俺はまだ認めたくなかったけれど。




