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九 神は雲中の白夜月

 那覇の海に石弾の嵐が吹き荒れる、僅か半刻前。


 もりグスクの番兵たちは宴会に興じていた。


 各地の商船が船着場を出入りする様は寄せては返す波のようだ。その景色を肴に、一介の番兵が高価なみん国製の青磁器を使って古酒クースーや海魚を飲み食いしている姿は、まさにバブル真っ只中を象徴している。


 半世紀ほど前、嘉靖かせい大倭寇だいわこうという巨大海賊集団が大和、朝鮮、そして琉球を含む南洋沿海を荒らし回った。屋良座森城が普請ふしんされたのはその頃だ。対艦特化の要塞は数多くの海賊船を海の藻屑もくずにしたが、それも今となっては年寄りの昔話だ。


 今日も城壁から一般人が手を振っている。平和を享受した数十年で、必墜ひっついの狙撃台は船を見送るための展望デッキへと用途を変えていた。


 番兵として見張りにあたる彼らとて、普段は親見世うえーみしという那覇の役所で貿易関連の事務作業をしている。弓や石火矢などは年に数回触るかどうかで、今日のように見張り当番に割り当てられた日は宴会の日であることを意味する。


聞得大君加那志きこえおおきみがなしのおなーりー」


 そんな彼らにとって、神女ノロの声は青天の霹靂だった。

 屋良座森城には御嶽おん拝所うがんじゅがないため神女が訪れる理由はない。ましてや聞得大君など、一介の役人には一生目にすることも叶わない存在だ。


 番兵は真っ先に空耳を疑ったが、白衣に身を包んだ三十三人の神女が一糸乱れず列をなす様を見てそれが事実だと悟った。一瞬で酔いが覚め、魚のように飛び跳ねて膝をついた。


 神女の列が二つに割れる。その間から歩み出たのは派手な紅型びんがたを纏った月嶺げつれいだ。


まもりを片手間に宴会とは良い身分じゃのう」


 番兵は一人残らず、額が割れるほど地面に押し付けた。返事も出来ず身を震わせる。下々までとどろく月嶺の悪行が頭をよぎる。

 数百人規模が過労で倒れるまで農作業を強制したり、海の知識の無い百姓を独断で進貢船しんこうせんの重役に任命し、案の定遭難させかけたこともある――総じて、史上最高の霊力セヂを持つが、人として大事なものが欠けている魔女――という噂だ。


 月嶺は辺りを見渡し、赤の八巻ハチマキを頭に載せた、肥えた男に言った。


「今をもってこの城の全権はわらわが預かるものとする」


「お、恐れ入りますが、一体何をされるおつもりでしょうか……?」


 城の責任者である里主さとぬしの官位を持つその男は、来期から故郷の頭職へ栄転が決まっている。もし城の全権を明け渡した結果、月嶺が問題を起こせば、その内示ないじが白紙になりかねない。何をするつもりか知らないが面倒事は避けたかった。


「貴様には断る権利も教える道理もない。妾の言葉は神の御声おこえと心得よ」


 月嶺は里主を一瞥いちべつし、にべもなく扇子を振り上げた。それを合図に神女たちが一斉に動き出す。


 統制のとれた無駄のない動きで城内から一般人を排除し、石火矢の装填と補填準備、宴会の片付け、塩を振り清めの儀式などを進める。銃眼から見下ろす港にも白装束の集団がなだれ込み、たちまち封鎖してしまった。


「お待ち下さいませ! なぜそれを!?」


 里主は大量に積まれた石の弾丸と火薬を見て震え上がった。なぜ神女たちは城の管理者しか知らない弾薬庫の場所を把握しているのだろうか。全員が白衣を片袖抜きにし、まるで今から戦でも始めるかのような様相だ。


「黙って妾に任せておれ」


 月嶺が不敵に微笑む。血の気のない青白い肌は、まるで陽射しを透かした障子のように幻想的だ。里主が今まで見た女性の中で最も美しい。故郷で妻子が待っていなければ、この美貌がもたらす迫力に圧され、ただ引き下がっていただろう。


「この中には外国とつくにの商船もおります。何を狙撃するおつもりかは分かりませんが、万が一流れ弾が当たれば国際問題になります。その先に待っているのは戦争ですぞ!」


 里主は至極真っ当な意見をしたつもりだが、返ってきたのは嘲笑だ。


「脳天気な。戦など微塵も怖くはない。琉球が琉球でなくなる方がよほど恐ろしいわ」


 里主は頭を抱えた。まるで話が通じない。しかし彼が食い下がる様を見て、震えるだけだった番兵たちも立ち上がった。普段から港で働いている彼にとって、この場所は己の領分だ。聞得大君といえど好き勝手させるわけにはいかない。


 月嶺は番兵の戦意を湛える表情を見てため息をついた。力ずくで排除しても良いが時間が惜しい。神女の陣形は崩したくなかった。先程から「船着場の最前列に停泊してる一団」がやけに匂った。


「よかろう。その意気に免じて貴様の願いを叶えてやる」


「私の願いが、分かるのですか?」


「人間が願うことなどみな同じじゃ」


 訝しげな里主に、月嶺は扇子を開いてみせた。鳳凰と蝶の絵が描かれた神具、「神扇かみおうぎ」である。呼応するかのように琥珀色の瞳が煌めいた。


 その場にいた神女は霊力セヂの流れを阻害しないよう、石のように呼吸を止めた。月嶺は声を風に乗せ、神託を歌いあげた。


『一番願わば福禄寿

 其ぬ他無蔵とぅ連りてぃ

 無蔵とぅ我んとぅや元ゆりぬ

 契りぬ深さあたん

 百歳なるまでぃ肝一ち

 変わるな元ぬ心』


(誰もが一番に願う子孫繁栄、俸禄、長寿

 その全てを叶えるため

 私と深く契り

 連れ添って歩くがよい

 百年経っても私たちは一つである

 決してこの心を忘れてはならない)


 えいじる音色は歌声というより楽器だった。それも風鈴の儚さと銅鐘どうしょうの広がりを併せ持つ奇跡の名器だ。両耳から全身へと沁み渡る多幸感に、里主はしばし夢心地を漂った。


 さらに歌の内容も素晴らしい。琉球の守護神たる聞得大君が我が身に寄り添ってくれている。身に余る祝福を授かった里主は無意識に御拝していた。すぐさま番兵を下がらせた。


 計ったように、船着場で検閲にあたっている神女から狼煙が上がった。港を見下ろすと、最前列にいた小琉球の商団と思しき船の甲板で、船員が積荷を守るように刀を振り回しているではないか。


「――やれ。塵ひとつ残すな」


 月嶺が汚物を見るような目で吐き捨てた。その言葉を合図に、神女の石火矢が火を吹いた。鉄壁の城砦じょうさいが数十年ぶりに本来の用途を真っ当する。


 砲撃と港から放った大量の火矢によって、一団はただちに駆逐された。


 火矢は跡形もなく積荷を燃やした。木箱と共に、中身の大量の植物が火に包まれた。煙が立ち上ると、里主はその異質な匂いにピンと来た。


「まさか……阿片アヘンを積んでいたのか!?」


 里主は最初こそ呆気にとられたが、やがて興奮のあまり身震みぶるいした。


 みん国から流れてくる麻薬、阿片の密売ルートを特定することができず、王府は長い間手をこまねいていた。まだ統一政府がなく部族単位で貿易をしている小琉球を経由して那覇に来ていたのなら、調査の網から漏れてしまうのも無理は無い。


 これは里主にとって大きな手柄となる。聞得大君に協力して巨大麻薬カルテルを壊滅させたのだ。王府から報奨金が出てもおかしくない。噂の魔女がもたらしたのは、厄災ではなく果報だった。


「さすが聞得大君加那志でございます。ご慧眼けいがん脱帽だつぼう致します」


 あれほど抵抗していた里主は揉み手で賛辞した。考えてみれば、他でもない聞得大君のすることだ。全ての行動は琉球のために決まっている。抵抗などせず身を委ねてしまえば良いのだ。下々の噂など当てにならない。


 里主はそう自戒しながら月嶺の顔色をうかがった。しかし、彼女の港を見下ろす視線の冷ややかさは一向に変わらない。


「風向に変化はないのう。匂いはしたが、あれじゃなかったか」


「はあ、それは一体どういう……?」


「この場にいるはずじゃ。天候に影響を及ぼすほどの霊力セヂを持つ何かが」


 月嶺はしばらく辺りを見渡し、抑揚のない声で言った。


「――手前から順に沈めてゆけ」


 その号令のもと、神女たちは一斉に石の弾丸をばら撒いた。火薬の爆ぜる音が途切れることなく轟き、港を悲鳴と混乱が支配する。


 停泊していた大量の船が同時に反転を試みたせいで大きな波が立ち、結果的に落ち着いて舵を取れば逃げられたはずの船も波にとられ、たちまち石火矢の餌食となった。


「ふふ、誰もが我先に逃げようとしたせいで全滅じゃ。欲に駆られた卑しい商人どもめ。実に人間らしいわ」


 里主は月嶺の足元にへたり込んだ。目の前に広がる地獄絵図に腰が抜けたのだ。その拍子に赤の八巻ハチマキが脱げ、地面を転がる。先程までの高揚感は絶望へと急転直下した。


「聞得大君加那志、おやめ下さい……! こんなことをしたら私の首が飛びます!」


「案ずるな。貴様ごときの首でどうにかなる程度で止めるつもりはない。ふはは」


 月嶺はわらった。里主は頭がおかしくなりそうだ。これのどこが守護神だ。悪魔ではないか。


「これでは商人が那覇を利用しなくなります! 琉球の経済に大打撃だ!」


「好都合じゃ。そもそも那覇は出入りが多すぎる。阿片ネズミの侵入を許したのは隅々まで管理が行き届いてないからに他ならぬ。身の丈を超えた商売は身を滅ぼす。膨れ上がった泡は必ず弾けるのが道理であろう。今後、他国船の出入りは制限する。()()()()()()()()()()()


 月嶺の瞳が陽光を妖しく反射させる。蟻の行列を踏み潰すかのごとく次々と船を沈めていく。


 里主はこれが夢であることを願った。彼女の言い分は確かに正論だが、どう考えてもやり方が間違っている。


「有り得ない。これが人間の所業か……!」


「人間の所業? ふはは、面妖なことを」


 月嶺が嗤笑ししょうする。足元にあった赤の八巻を蹴り払い、吐き捨てた。


「――妾は神じゃ」


 硝煙が向かい風に押されて城内を漂う。白らむ景色はさながら雲の中だ。里主は月嶺を見上げて直感する。この人の形をした悪魔はさらなる厄災をもたらすだろう。地獄にいるはずの存在が地上にいる違和感は、まるで昼の空に浮かぶ白夜月はくやづきのようだった。




「……聞得大君加那志」


 間もなくして、一人の神女が銃撃を止めた。


「どうした?」


「南西に珍奇ちんきな山原船がおります」


 眉一つ動かさず船を撃ち抜いていた他の神女たちも、みな手を止めている。月嶺は胸騒ぎがした。


「見せろ!」


 神女が銃眼から石火矢を抜き、位置を譲る。月嶺が水平線を覗いた瞬間、つい言葉が漏れた。


「――なんじゃあれは?」

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