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六 『真南風乙節』- 詠み人知らず

 瑠璃色の海にぽつんと浮かぶ山原やんばる船。


 船内では真南風が繰り返し土下座し、阿国が現実逃避で三線を奏で、与那原親雲上が怒鳴り声をあげている。舵を握る水夫かこも船倉から聞こえる怒号に眉をひそめた。


 その上空をふわふわと漂いながら、()()は体をひるがえし、遠く離れてしまった八重山を名残惜しく見つめた。


 ()()が生まれたのは、まだ全ての大陸が一繋がりだった太古の世だ。


 気が遠くなるほどの悠久の時を八重山で過ごした。めくるめく季節の変遷を味わい、様々な文化の勃興を見守った。


 人間が住むようになってからは、どの時代も歌と踊りが中心にある島だった。


 ところが百年前、王府によって信仰を禁じられ、年貢の取り立てが厳しくなり、誰もが朝も夜も働くようになると、島に満ちていた歌舞音曲かぶおんぎょくはすっかり消え失せてしまった。


 真南風の踊りは、その暗闇を打ち払ってくれた。


 きっとこれから少しずつ、以前の八重山を取り戻していくだろう。島民の血に深く刻み込まれた芸能への愛を目覚めさせるには充分な踊りだった。


 それだけの力を持っている以上、()()――火喰いの神――が、守るべき地を離れ、真南風についてきてしまうのは仕方のないことだった。


 上空を漂いながら、火喰いの神は再び船内を見下ろした。はて、と首を傾げる。阿国が演奏をしているのに真南風が踊り出さない。なぜか彼女は膝をつき、何度も船底に頭を打ち付けている。


 少し考えて、これは新しい踊りなのだと解釈した。火喰いの神は船に降り、真南風の隣で土下座の動きを真似してみた。


 真っ先に異変に気付いたのは水夫だ。


 彼は王府の要職を乗せるために手配された熟練の船乗りである。海では些細な見逃しが大惨事に直結するため、常に意識を張り巡らせている。


 この船に乗っているのは真南風、与那原親雲上、阿国、そして自身を含めた四人。それなのに、なぜか船内にもう一人いるような気配を感じる。加えて、船の中央で焚火でもしているかのように熱い。


 しかし、何度見回してみても乗員は四人。


 気のせいだと判断し、手巾ティサージで額の汗を拭った。「若夏うりずんにしては暑すぎるな」と呟いた。




 ◇




 伯母は於茂登岳おもとだけの中腹で、北東に向かって進む山原やんばる船を眺めていた。


 伯母の背後には彼女が人知れず機織はたおりをするための山小屋がある。真南風を預かってからの十二年間、日が出ている時間の大半をこの小屋で過ごした。もう二度と来ることはないだろう。


 真南風が夜な夜な一人で踊っていることは知っていた。その姿を見るたびに胸が締め付けられた。


「私を恨んでいるだろうね。ふん、別に許してほしいなんて思ってないよ」


 真南風に厳しく接したことを、今まで何度も後悔した。けれど彼女には、他に()()()()()()()()が思いつかなかったのだ。


 ――伯母は十二年前の夜を思い出していた。


 嵐の晩、ずいぶん前に駆け落ちして島を出た妹が訪ねてきた。傷だらけの体で、赤子の真南風を抱いていた。二人ともひどく衰弱していたので中に入るよう促したが、がんとして断られた。妹は最低限の事情を話し、伯母に真南風を託した。


 暴風が吹き荒れる闇夜に消えた妹は翌朝、動かぬ体となって長崎浜に打ち上がった。


 伯母はぐずる真南風を抱きながら、簀巻きにされる妹を見つめた。脳内には彼女が最後に告げた衝撃の事実が反芻していた。


「真南風、お前はオヤケアカハチの曾孫ひまごだ。お前の先祖は八重山のために戦った英雄だった」


 湿った風が山林の隙間を駆け回り、海へと抜けていく。伯母の呟きは周囲の広葉樹のざわめきに紛れて消えた。


 琉球王府の宗教弾圧に背き、八重山で反乱軍を率いたアカハチは、国家反逆罪で一族郎党皆殺しにされた。どの文献にもそう記されている。


 しかし真相は、アカハチの妻である古乙くいつが王府軍に捕まる直前、まだ産まれて間もない末子を逃していたのだ。そして時が流れ、真南風が生まれた。


 伯母は蔵元に交渉し、八重山上布を賄賂として納め続けることで島の戸籍から真南風を抹消してもらった。


 私腹を肥やすことに余念がない役人のせいで、伯母はこの山小屋で真南風以上に働き詰めの毎日だった。島民からは愛人だと噂され、実際に役人の慰みものにされたこともあった。


 しかし、そんな地獄のような日々も終わりだ。与那原親雲上が真南風の身元を預かったからだ。


 蔵元が真南風の出生を王府に明かせば、与那原親雲上の顔に泥を塗ることになる。官吏かんり社会において階級は絶対だ。しかも原因が自身の不正となれば、更迭こうてつはおろか死罪にされても文句は言えない。


 真南風は十二年もの間、八重山の戸籍に名がなかった。もう逆賊の末裔として王府に追われることはないだろう。


 真南風は知らない。


 自分の本当の名はアカハチの妻、古乙くいつから一文字を授かった――真南風乙だということを。


「八重山の百姓が楽童子だなんて、前代未聞の快挙だ。ここでの暮らしは忘れて、お前は踊りのことだけを考えな。もう二度と帰ってきてはいけないよ。もし帰ってきたらまたぶん殴ってやるからね……」


 伯母は目を閉じて祈った。真南風の未来が希望に満ちていることを心から願う。すでに船は水平線の彼方に消えていた。親子のように連れ立って飛ぶクロサギの鳴き声がした。


 伯母が真南風に厳しく当たったのは、怖かったからだ。子供が生まれなかった伯母にとって、普通に育てるとどうしても我が子のように愛してしまう。


 しかし真南風は蔵元の気が変わればいつ処刑されてもおかしくない身だ。我が子が殺されるのを見ているしかないなんて、とても耐えられるとは思えなかった。


 だから必要以上に真南風を責め、愛着が湧かないように努めた。その全てが無駄だったようだ。


 こんな気持ちで見送るなら、もっと優しくすれば良かった。何度も抱きしめてやれば良かった。一緒に歌って踊れば良かった。とめどなく流れる涙を拭いながら、そう思った。


 伯母は真南風に何も与えてやれなかったので、せめてもの償いで歌を残した。足がつかないよう、偽りの出生を添えて。


『真南風乙ぬ 美童ぬ なまりや

 五つぃしや 父とぅぬけ うだそうぬ

 七つぃんや 母とぅぬけ うだそうぬ

 ならたんが くり一人立つぃまけ

 なら伯父 掟伯母 なしゃ行き

 伯父付くぃ 伯母付くぃ うだそうぬ

 父ぬおーたか こーぬある笠ん かびみだ

 母ぬ おーたか 袖ぬある着物 ぬきみだ

 つぃくでぃ ふつぃ すぃかまふつぃでぬ 思いぬ

 降らぬ雨 すがん風ぬ すぐだら』


(真南風乙という名のかわいらしい子どもがいる

 五歳で父を亡くし

 七歳で母を亡くした

 一人では生きていけないので

 伯父と伯母のところに厄介になった

 父がいたら縁のある笠を被ってみたかった

 母がいたら袖のある着物を着てみたかった

 働いて働いて 思い出すのは虐められたことばかり

 涙は雨のように降り 思い出は風のように吹き荒れ

 過ぎさってゆく)


 伯母の罪悪感からか、ずいぶん自虐的な視点で真南風の生活を詠んだこの『真南風乙まへーらつぃ節』は、八重山民謡を代表する一曲として、今も歌い継がれている。


 なお、歌の作者の記録はない。詠み人知らずである。

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