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五 女は楽童子になれない

 晴れやかな空に高く昇った日が砂浜をじりじりと焦がす。


 山原やんばる船が待機する浜辺で、真南風と玉皿は旅立つ前の最後の挨拶をしていた。


「真南風、頑張ってね(ちばりよー)


 玉皿が真南風の手をぎゅっと握り締めた。うっすらと涙を浮かべている。背中の子も言葉にならない声をあげ、両拳を上下し激励してくれた。


ありがとう(みーふぁいゆー)、玉ねえ。本当にお世話になりました」


「もし暇ができればいつでも帰ってきて。村をあげて歓迎するさ。昨夜みたいに」


「はは……、うん。きっと」


 真南風は数刻前まで続いていた宴会を思い出す。夜が明け、朝日が昇ってしばらく経っても三線と指笛の音は止まなかった。向こう十年間の年貢免除に浮かれた村人たちは、酒という酒を持ち寄って宴に明け暮れた。


 真南風はどこに行っても踊らされ、一度も家に帰れていない。それでも、自分を慰めるためのものだった踊りで、たくさんの人に笑ってもらえたのが嬉しかった。

 普段食べられない昆布や豚肉をたらふく食べて胃袋はパニック状態だ。今は疲労と満腹と寝不足で足取りがおぼつかない。


「おい、早くしろ!」


 与那原よなばる親雲上ペーチンが船の中から叫んだ。目の下にはくまがあり、しきりに舌打ちを繰り返している。彼は宴会には参加せず、蔵元くらもとの屋敷で手厚い接待を受けた後、比較的早い時刻に床についたが、島全体が騒がしすぎて眠れなかった。


 一方、その横で楽士はすやすやと寝息を立てている。与那原親雲上とは違い、彼女は酒がある場所を渡り歩き、宴の最後の最後まで呑み食いしながら三線を奏でていた。宴会が長引いたのは楽士のせいでもある。三線の演奏が続いているのに宴をやめられるはずがない。それが島人しまんちゅである。


「ごめんなさい、今行きます」


 真南風はそう返事しながら、きょろきょろと辺りを見回した。


「玉ねえ、伯母さんを見なかった?」


「さあ、見てないね。そういえば昨日の宴会にもいなかったさ。真南風の門出に顔も見せないなんて、薄情な女だね」


 見送りに来ているのは玉皿とその息子だけだった。島は数刻前のどんちゃん騒ぎが嘘のように静まり返っている。何十人もの村人がそこら中で酔い潰れているので、もし今、島外の者が漂着でもしたら猟奇的な光景に悲鳴を上げるだろう。


「最後に伯母さんにお礼を言いたかったな」


 真南風がそう言うと、玉皿は呆れたとばかりに肩をすくめた。


「そんなの必要ないさ。あの女、毎日真南風ばかり働かせておいて、自分は役人に贈り物なんかをしてたのよ。しかも真南風が楽童子に選ばれたおかげで褒美まで貰えるんでしょ? むしろお礼を言われる立場さ」


「でも私は、伯母さんに育ててもらえなかったら今まで生きていられたかどうかも……」


「おい! いい加減にしろ!」


 与那原親雲上が語気を荒らげた。玉皿が真南風の手を放す。


「大変さあ、踊奉行おどりぶぎょうさまがお怒りだよ。ほら真南風、早く行って」


「うん。玉ねえ、元気でね」


 真南風が船に乗り込むと、山原船はすぐに出航した。水夫かこが舵を取り、二枚の真帆まほで風を掴んだ船はぐんぐんと海原を進んだ。


 海に出たことは無かったので、真南風は初めて外から八重山の全貌を見た。真っ先に最高峰である於茂登岳おもとだけが目につく。山と陸の境目がほとんどない小さな島だ。しばらくは八重山の土を踏むことがないと思うと名残惜しい。


 嫌なことがたくさんあった。


 悔しさ、哀しさ、惨めさ。そんな負の感情をかき混ぜてどろどろになった液体の中に、綺麗な思い出の欠片がぷかぷかと浮いている。ひときわ大きな一片が、昨日の天川あまかー節の踊りだ。


 これから真南風は首里に行き、楽童子がくどうじになる。舞踊を習い、他の子供たちと共に舞台を飾る。未来を想像すると、離郷で沈む心をあたたかな期待が包んでくれる。


 浜辺で大きく手を振る玉皿たちが豆粒ほどになった頃、与那原親雲上が荒々しく腰を下ろした。安定していた船が小さく揺れた。


「我々を待たせるとは何たる無礼だ。これだから田舎者は、まるで礼儀がなっとらん」


 その揺れで楽士が目を覚ます。いつのまにか出航していることに気付いたようだが、まるで動じていない。呑気に大きく欠伸あくびをした。


「あー、頭が痛い。二日酔いだわ……。真南風、私は阿国おくによ。改めてよろしくね」


「は、はい。よろしくお願いします。阿国さま……、珍しいお名前ですね」


 真南風がそう言うと、阿国はふっと微笑んだ。


「ええ、私は大和やまとの人間だからね」


「大和の!?」


 思わず大声で聞き返す。中継貿易が主要産業である琉球には、大和を含めた異国人が頻繁に出入りしているが、八重山育ちの真南風にとっては初めての遭遇だった。


「それにしても、君には人の目を惹きつける何かがあるのよね。普通の子に見えるんだけど、一体何がそうさせるのかしら……」


 阿国は真南風の体を上から下まで舐めるように見た。優しくて親しみやすい大人の女性という印象だったが、異国人だと知ると途端に緊張してくる。


 阿国は三線の手入れをしながら、思い出すように語り始めた。


「昨夜ね、君の伯母さんに楽童子に選ばれた褒美の銀子を渡しに行ったの。一生遊んで暮らせる量よ。でも、いらないって言われちゃった」


「え、あの伯母さんが?」


 耳を疑う話だ。伯母は真南風の存在を隠してまで年貢の節約をするほどの倹約家イビラーだ。それにお金があれば、不貞の恋仲である蔵元に贈り物もできるはずだ。


「それでね、褒美の代わりにと二つお願いをされたわ。真南風が八重山の人間だと漏らさないこと、そして『二度と島に帰ってくるな』と伝えて欲しいこと」


「え、それってどういう……」


 与那原親雲上が腕組みをして言う。


「貴様が嫌いで仕方ないのだろう。褒美すら受け取らない、挙句には二度と帰ってくるな、なんてな。大した嫌われようだ」


「相当仲が悪かったようね。村の誰に聞いても君に同情してたわ。いつも意地悪な伯母に虐められてた可哀想な子だって。離れることができてせいせいしたでしょう? でも出身を隠すのはなぜかしら?」


「辺境の村のくだらない確執だ。真面目に考えるほどの理由などないに決まってる。百姓どもはいつも生産性の無い噂話に興じているからな。しかし報酬を断られた以上、約束は守らねばならん」


「彼の出身を隠すなら、新川村の年貢を免除する辻褄が合いませんね」


「渡すはずだった銀を御物奉行おものぶぎょうへの賄賂わいろに使うか」


 御物奉行は王府の財務担当の長官で、現代の財務大臣に相当する。国家予算や高位役人の帳簿を握っているため、王府で最も賄賂が集中する役人だ。


「いいか真南風、貴様はもう八重山の人間ではない」


「ええと……はい」


 真南風は情報の整理が追いつかない。一時的な離郷のつもりが、一生の移住になってしまった。玉皿に何と言えばいいのだろう。伯母にももう二度と会えない。


 とはいえ、踊奉行で上級士族の与那原親雲上の指示とあれば、真南風に拒否権はない。


 今まで目にした最高権力者は蔵元の役人だったが、与那原親雲上からすれば地方勤務の彼らなど足下にも及ばない。遥か雲の上の身分だ。


「本来、楽童子は琉球士族(しぞく)しかなれないから都合が良かった。どこかの士族の養子ということにしよう」


「それも御物奉行にお願いしちゃったらどうですか? 賄賂を渡すついでに」


「それはいい。確かあやつにはまだ子がいないはずだ。喜べ、貴様のような田舎者が首里士族の()()だぞ。門中もんちゅうに楽童子が名を連ねるとなると大変な名誉だ。政治にも芸能にも強い家となれば琉球での地位は安泰だからな。断られることはないだろう」


 とんとん拍子に話が進むが、与那原親雲上はひとつ勘違いをしているようだ。真南風は申し訳ない気持ちで訂正した。


「あの、私は女なので、長男ではなく長女になります……」


 すると与那原親雲上の顔つきが途端に険しくなった。


「何だと!? まさか……!」


 阿国が四つん這いで駆け寄り、真南風の顔についた泥を拭う。


「……女の子だわ! 言われてみれば確かに、恋する乙女の表現が上手すぎると思ったのよ!」


 常に飄々(ひょうひょう)としていた彼女が初めて人間らしい顔をした。


「私、何かやらかしたのでしょうか……?」


 真南風がおそるおそる尋ねる。


「どうしたもこうしたもない!」


 与那原親雲上は被っていた黄色の八巻ハチマキを脱ぎ、荒々しく髪を掻きむしった。



「――女は楽童子になれん!」



 今朝早く、真南風たちは航海安全の祈祷をしてもらった。そのおかげか、波はすこぶる穏やかだ。空気もほどよく乾いており、しばらく天気が崩れることもないだろう。


 しかし安定した天候とは裏腹に、船の中は波乱に満ちていた。


「なんと報告すればいいのだ!」


「あーあ、私は知りませんよ」


「申し訳ありません! 私が女らしくないばかりに……!」


 頭を抱える与那原親雲上、三線を奏でる阿国。真南風は何度も土下座し、船底に額をぶつけていた。

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