表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/14

十三 王妃の負い目

 真南風一行は雨が降りしきる中、クバ笠を片手に首里城へ急いだ。


 真南風が遠目に見た城は台地にそびえ立ち、濃霧のうむに包まれていてはっきりと見えなかった。いざ到着すると、その異様な存在感に圧倒された。


「これが、首里城……」


 雨中にして、まるで太陽のように紅く燃え立つ巨大建築。柱には何十頭もの龍が巻きついており、一斉にこちらを睨んだ気がした。真南風は場違いなところに来てしまった、と身震いした。


 久慶門きゅうけいもんの前で阿国が言った。


「真南風、私たち二人はここから入るのよ」


 なぜか与那原親雲上、六郎と別れるようだ。真南風が首を傾げると、阿国が説明した。


「首里城は男女で入口が分かれているの。女性はで、男性用は向こうの歓会門かんかいもんという別の門よ」


 首里城は正殿に辿り着くまでにいくつもの門をくぐらなければならない。その最初の門が久慶門と歓会門である。特徴的なのは、潜る門が()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。男女別であれば王族から下役したやくまで、国籍を問わずそれぞれの門から入ることになっている。


「それだけ性別が大事なんですね……」


 真南風が息を飲む。それは女ながら楽童子になることのハードルの高さを意味する。


「琉球は男女の役割が厳格に分けられています。みん国の影響を多分に受けているため、儒教思想が根強いのです」


 六郎の言葉に、与那原親雲上が感心したように頷く。


「その通り。『礼記らいき』にも男は外で働き、女は子を産み家庭を守るのが第一の仕事だと書いてある。貴様、よく学んでいるじゃないか」


踊奉行おどりぶぎょうの与那原親雲上にお褒め頂くなんて光栄です」


 六郎が頭を下げる。久しぶりに敬われた与那原親雲上は上機嫌だ。


「さすがは謝名親方の子弟、礼節が身に付いている。生まれはどこだ?」


「佐敷間切の小さな村の百姓です」


「生まれさえ良ければ王宮に勤めることもできたろうに。どうしてもと言うなら私の小姓にしてやってもよいぞ」


「恐れ入りますが、私にはやるべきことがありますので。謹んでお断りいたします」


「それは残念」


「性別で役割を決めるなんて馬鹿馬鹿しいわ。真南風、早く行きましょ」


 二人の会話に呆れた阿国が真南風の手を引いた。それを見て六郎が訝しげに言う。


「真南風さまが入るのは向こうの歓会門ではないのですか?」


 与那原親雲上が鼻でわらう。真南風は俯いた。


「やっぱり、私は男に見えますよね……」


「あ……失礼しました! 楽童子として勧誘されたと聞いていたので、つい」


 六郎が勘違いしたのは、真南風が帯を巻いていたからだ。琉球では帯を巻くのは男性だけだった。痩せこけて骨が目立つ体も見分けを難しくしていた。


 一行は二手に分かれ、それぞれ門を潜った。すると門番が「王妃さまは北殿で祝宴をしております」と教えてくれた。


 四人が北殿に到着すると、警備兵が厳重に配置された建物の中で女性が集まって宴をしている最中だった。


 誰が王妃かは真南風にも一目瞭然だった。鳳凰ほうおう柄の豪奢ごうしゃ紅型びんがたで着飾っているのもあるが、何より浮世離れした美貌を持っていたからだ。


「王妃様、与那原親雲上朝智と阿国――ただいま八重山より戻って参りました」


「よくぞ無事に帰ったわね。ささ、喉が渇いたでしょう。かけつけにお飲みなさい」


 膝をつく四人に、王妃の阿応理屋恵あおりやえは上気した顔で指示した。女官がすかさず酒の注がれた盃を渡す。困惑する四人に、阿応理屋恵が言った。


「本日はまことにめでたい日だわ。女官の懐妊かいにんに加えて琉球を救う救世主の到着よ。こんな日に飲まないなんてありえないわ」


 阿応理屋恵と女官たちは浮かれた調子で盃をぶつけ、酒をあおった。どうやら女官の一人が身籠みごもったお祝いをしているようだ。途中参加で宴会ノリについていけない四人も、王妃の命令なので渋々口をつける。


 初めて酒を飲んだ真南風はあまりの苦さに顔をしかめた。すると隣の六郎が代わりに飲んでくれた。「先程の非礼を詫びさせて下さい」と付け加えた。


「それで、生まれるのはいつ?」


 阿応理屋恵が隣に端座たんざする女官に尋ねる。王妃といち女官が同じ高さに座る異様な光景だ。そもそも阿応理屋恵の振る舞いが、王妃というには厳かさが足りていなかった。


「医者によると来年の春には、とのことです」


「素敵! これであなたの家は安泰ね」


「王妃様にそうおっしゃって頂けるなんて恐縮です」


「それで、身籠みごもった夜に心当たりはある? 何か特別なことでもしたの?」


「いえ、特に何も……いつも通りだったかと」


「その日の食事は? 体調は? 祈願した神女ノロは誰? どんなふうに誘って、ことが始まったらどういう手順で進めたの? 私も同じようにすれば妊娠できるのかしら?」


「ええと……」


 阿応理屋恵の質問攻めに女官はたじたじだ。到着早々酒を飲まされたあげく放置された真南風たちは何を見せられているのだろう、と呆気にとられていた。命懸けでたどり着いたのにあんまりな仕打ちだ。


 与那原親雲上が阿国と目配せし合った後、咳払いをして切り出した。


「――王妃様、文で報告しておりました八重山で見つけたこの者ですが、間違いなく天賦の才を持っています。踊奉行の名において保証致します」


 女官に夢中だった阿応理屋恵が、真南風に目を向ける。


其方そなたがそこまで言うとは珍しいわ。余程のものなのね。ではその才能に乾杯ね」


 女官がすかさず与那原親雲上の盃にお酌をする。この調子だと話が終わるまでに何杯飲まされるのだろうか。


「王妃様、しかし一点、問題がありまして……」


「そうだ、せっかくだし酔う前に踊ってもらおうかしら。立派に女の勤めを果たした彼女のためにも、踊りで宴を彩らなくちゃ」


 阿応理屋恵が思いついたように手を叩いた。女官集団から歓声が沸く。一人が阿国に三線を手渡した。


「え……今からですか?」


 動揺する真南風の肩を与那原親雲上が掴む。


「王妃様の命令なら仕方ない。あの方は自由気ままなお方なのだ」


 阿応理屋恵は楽しげな笑みを浮かべ、上機嫌に酒をあおっている。真南風には何も考えてなさそうに見えた。


「いいか、心して踊れ。これは好機だが危機でもある。王妃様を魅了する踊りができれば良きに計らってくれるはずだ。逆に、不甲斐ない踊りをすれば私の目は節穴だったと立場を追われるだろう。そうなれば貴様も首里の町で物乞い生活だ」


 真南風が顔を強張らせながら立ち上がる。女官たちの視線を一身に受ける。幸いなのは王妃の人柄もあって、見定めるような張り詰めた緊張感はなく、浮ついた雰囲気という点だ。


「八重山にも踊りがあるのね」

「あの与那原親雲上のお墨付きよ」

「久しぶりに阿国さまの演奏を聴けるわ。私も踊っちゃおうかしら」


 女官たちが口々に言った。極上の酒の肴に目が輝いている。


 阿国は三線の調弦をしながら、何を弾くか逡巡した。真南風はまだ踊りの基礎を学んでいない。一流の教育を受けている王妃が相手なら、技巧より情感をアピールした方が良いだろう。真南風は恋愛の表現が上手だ。


 阿国は皮の剥げた指先を舐め、演奏を始めた。


 選曲は『白鳥シラトゥヤー節』だ。


『白鳥ぬ生りや 

 かいだにぬ産でぃぐらや

 夏ぬ水なをだぎ 飲み欲しゃやありどぅん

 里が事忘ららん』


(白鳥のように美しく

 高貴な生まれのあの男性は、私の恋人です

 夏の日に水を欲するくらい

 昼も夜も、あの人のことが忘れられない)


 阿国が奏でる切ない音色と歌声が北殿から城内へと響き渡る。例によって白鳥シラトゥヤー節を知らない真南風は、即興で曲想を構築した。


 ――これは恋する乙女の相聞歌そうもんかだ。恋人同士なのに、どこか二人の想いが釣り合っていない危うげな印象がある。


 真南風はまず高貴な男性を表現してみた。鳥のような浮遊感を醸し出す。かなめとなるのは重心のコントロールだ。与那原親雲上が感心したように頷いた。


「さすが百姓として農作業に従事していただけのことはある。本格的な舞踊家としての身体作りはまだこれからだが、体幹の強さはすでに他の楽童子と遜色ない」


 真南風は大腰筋だいようきんに力を込め、膝を落とさず高い位置に重心を置くことで、両足で立っているのではなく腰から足がぶら下がっているような無重力感を生み出した。それを可能にしたのは、鍬を振り続けた日々が作った強靭な足腰だ。

 これによって眉目秀麗な男性が、水面みなもで優雅に佇む様を演出した。


 女官たちのため息がこぼれる。ところどころ破れたかすりを着る貧相な田舎の子どもが、精悍せいかんな美男子に変化してしまった。宴会気分で一緒に踊るべく立ち上がった女官は、すぐに空気を読んで腰を下ろした。


 続いて主役である恋する乙女の表現だ。白鳥に例えるほどの美しさを持ついとしの男性と対等でいられるように、ぴんと背筋を伸ばし、遠くにいる恋人を想った。


 ――あの人は今何をしているのだろう。私が彼のことを考える回数と同じくらい、彼は私を想ってくれているだろうか。


 真南風は喉を動かした。歌中かちゅうでは夏盛りで、南国の日差しが降り注いでいる。暑い。ひどく喉が渇いている。


 それが不快であり、好ましくもある。喉が渇いて水が欲しいと思う瞬間は、あの人の前で緊張して喉が張り付いて上手く言葉を紡げない、そんなひとときに似ているから。


「これは……まるで私のことだわ……」


 豹変した真南風の踊りに圧倒された阿応理屋恵は、口に運ぶ途中だったお猪口ちょこが傾いて泡盛が溢れていることにも気付かなかった。


 遠くにいる高貴なひとに恋する乙女――真南風の踊りが、阿応理屋恵自身と重なった。


 能天気に見える阿応理屋恵だが、二十歳以上年の離れた王を支えるため日々努力している。儒教思想が支配する琉球において、女の最も重要な役割は後継ぎを産むことだ。それができない妻は価値がないとされる。その最たる立場が王妃だ。


 阿応理屋恵は今年で二十四になる。懐妊の兆しはいまだない。後継ぎが生まれない王に民は不信感を抱いているが、王が阿応理屋恵を責めたことは一度もない。その懐の深さが苦しかった。酒を飲むことが唯一の慰めだった。


 ――首里天しゅりてん加那志がなしはもしかしたら、もう私に期待していないのかもしれない。私が昼も夜も彼を想っている間、彼は王として国政に追われている。婚姻の契りを結んではいるものの、肩書きだけで役目も果たせない王妃に、何の意味があるというのだろう。


 真南風の踊りは誰にも明かすことのできない阿応理屋恵の窮迫感きゅうはくかんを代わりに吐き出してくれた。


「……王妃さま!?」


 演奏が終わり、真南風は涙を流す阿応理屋恵を見て青ざめた。踊りのどこかが気に障ったのだろうか。与那原親雲上も踊奉行の更迭こうてつを覚悟した。


「……与那原親雲上、この者の名は?」


 阿応理屋恵が涙を拭いながら尋ねた。


「は、真南風と申します」


「真南風。まだまだ荒削りな部分はあるけど、お見事だったわ。与那原親雲上と阿国も大義だったわね」


 阿応理屋恵の言葉に三人は安堵した。


 見惚れていた女官たちも正気に戻り、目を擦る。高貴な美青年、恋焦がれるうら若き乙女、そして元の小汚い子どもへと立て続けに変化した様は、まるでキジムナーにかされた気分だ。阿応理屋恵の涙もあって歓声をあげるタイミングを失い、酔いも覚めてしまった。


「真南風、何か褒美をあげたいわ。望みはある?」


 与那原親雲上が真南風に目配せする。真南風は頷き、女の楽童子を認めてもらおうとしたが、踊り疲れと緊張が解けたためにお腹が鳴り、思考を食欲が支配した。


「あの……、さぁたあんだぎーというものを食べてみたいです。ここでなら食べられるとお聞きしたので」


 気がつくと口がひとりでに動いていた。背後で六郎が吹き出す。与那原親雲上が呆れてため息をついた。


「なんだそんなこと。お安い御用よ」


 幾分か経ち、宮中料理人が調理したサーターアンダギーが配膳された。砂糖をふんだんに使った、王族をはじめとする一部の特権階級しか食べられない貴重なお菓子である。


 真南風は一口食べ、甘藷かんじょとは比べものにならない暴力的な砂糖の甘さに言葉を失った。もはやそこから先は記憶がなく、気がついたら両手には油だけが残っていた。


「気に入ったようね。好きなだけお食べなさいな」


 阿応理屋恵が女官に目配せすると、次の皿が用意された。真南風は何度も記憶を失った。


 サーターアンダギーを一心不乱に頬張る真南風を見下ろしながら、阿応理屋恵には、この無邪気な子があれほどの恋慕の舞で魅了した舞踊家であることが信じられなかった。


 同時に、与那原親雲上と阿国をわざわざ離島に派遣してまで楽童子の勧誘巡りをさせて正解だったと確信する。


 その目的を話したら、真南風は重圧に押し潰されてしまうかもしれない。


 それでも大和の軍事侵攻の危機に晒された琉球が()()()()()生き残るためには、この方法が一番だと信じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ