十一 守護神の天敵
山原船を沈めた後、屋良座森城では月嶺が声を張り上げていた。
「撃て! 撃つのじゃ! あの船を、あれを――決して上陸させるな!」
月嶺は帆柱で踊る真南風を思い出す。正確には、真南風の傍で彼女に合わせて無邪気に旋回する「火喰いの神」を。
それが、かつて琉球が邪教として葬った八重山の土着神であることには気付かなかったが、月嶺の人一倍敏感な第六感が拒否反応を示した。得体の知れない異物を排除するのは琉球の守護神として当然の責務だ。
鬼の形相で声を荒らげる月嶺に従い、神女たちは急いで次弾の装填に取り掛かる。三人がかりで持ち上げるほどの巨石を仏郎機砲に込め、いくつもの石火矢を構えた。
里主は彼女たちを止めることも忘れ、ただただ呆気にとられた。あれだけ高圧的で、神を自称していた月嶺がここまで焦りの感情を露わにするとは、ただ事ではない。
「那覇の海を石で埋め尽くせ!」
月嶺の透けるような白い額が青筋立っている。腰を抜かしていた里主は立ち上がって銃眼を覗いた。彼女は一艘の山原船を見てから急激にヒートアップしたようだった。該当の船はすでに海の藻屑となっている。
仏郎機砲の銃口から立ち上る硝煙が海に向かって流れる。一週間変わらなかった風向きが、変わった。城壁の内側に漂っていた煙が徐々に晴れていく。
やがて里主の視界が明瞭になった頃、六尺棒を携えた十数人の男がなだれ込んで来た。彼らは発砲準備をする神女の動きを制した。
「何じゃ貴様らは!? 妾の部下に触るでない!」
月嶺が神扇を振り回し追い払おうとするが、彼らは退かない。
「聞得大君加那志、それくらいにして頂けませぬか」
そして歩いてきた黒衣の男を見て、里主は再び腰を抜かしそうになった。六尺(百八十センチ)の長身に、五十代半ばにも関わらず筋骨隆々な体つき。見るからに豪傑といった風体だが、何より異質なのは、そんな男が政界の最高位である「紫の八巻」を戴冠していることだ。
「謝名親方……!」
番兵らは一斉に頭を下げた。親方とは親雲上の一つ上の階級で、士族が昇格できる最上位である。これより上の位は王族のみだ。
月嶺は謝名親方の顔を見て心の底から辟易した。月嶺にとって政治関係者は漏れなく不快な存在だ。琉球を統治するのは政治ではなく宗教の力だと信じているからだ。
どの政治家も月嶺の機嫌を損ねないように努めるので、彼女の信念は硬化する一方だった。それも仕方がなく、琉球で生まれ育った者ならば本能に組み込まれた信仰心を排することはできない。墓を踏むと不快感を催すのと同様に、月嶺を前にすると無意識に崇めてしまうのだ。
そんな彼女の唯一の天敵がこの謝名親方である。
彼は通常の琉球人とは違う流れを汲む、イレギュラーな政治家だった。
「何を考えておられるのですか? とてもまともとは思えませぬ。せめて港をこんな有様にした理由をお聞かせ願えませぬか」
謝名親方の問いかけに、里主は思わず前のめりになる。月嶺に何度も尋ねたが教えてもらえなかった問いだ。ついに答えが聞けるのかもしれない。
「貴様とは話しとうない! 顔を見るだけで吐き気がするわ。男共を連れてとっとと去ね!」
月嶺は凄まじい剣幕で拒絶した。謝名親方は慣れた様子で淡々と続ける。
「そうは行きませぬ。この大惨事の責任を取る王府の気も汲んで頂きたいものです。間違いなく三司官級の首が飛びまする」
「くだらぬ。政治屋の進退など妾には何ら関係ない!」
「では国民はどうでしょうか? 那覇の貿易事業は琉球経済の核。外国船が来ないとなると琉球は未曾有の大不況に陥り、多くの国民が飢えることでしょう」
「食うものは自らの手で育てるのが道理じゃ。他国に頼らねば立ち行かぬ国に未来はない」
「琉球の国土は農業に不向きです。貿易なくして国民を食べさせることはできませぬ」
謝名親方の意見に里主も頷く。琉球の土地は低い丘陵地帯や平野部が多く、水を蓄える山が少ない。そのため何日か晴れが続けばたちまち干からびてしまう。
加えて夏は台風、冬は北風が頻繁に田畑を荒らす。百姓は常に分の悪いギャンブルをしているようなもので、この事情は琉球に住む者なら誰もが知っている。紛うことなき正論だ。
しかし月嶺は躊躇いなく言い放った。
「できる。琉球には妾がおる」
里主はため息をつく。聞得大君自ら米を植えてくれるとでも言うのか。彼女には理性の理の字もない。話すだけ無駄である。里主なら呆れて会話を止めるところだが、謝名親方はまだ質問を続ける。
「神女主導で、いくつかの村を開墾させたそうですな。そちらはどうですか? まだ収穫物の報告がありませんが」
その噂は里主も聞いている。数ヶ月前、百姓に寝る間も与えず農作業を強制した結果、百人単位の規模が過労で倒れたという事件だ。他にも海の知識の無い百姓を明と貿易する進貢船の重役に任命し、遭難させかけたこともあった。そして今日の惨劇も、これ以上尾ひれのつきようがない魔女の悪事として琉球を駆け巡るだろう。
「何を企んでいるのかは知りませんが、琉球の守護神なら手段は選んで頂きたいものですな」
月嶺の額の青筋が濃くなる。里主と番兵たちは戦々恐々だ。
「貴様、今すぐその無礼な口を閉じるのじゃ。さもないとその口に石の弾をぶち込んでくれる」
「残念ですが、もうあなた方に大砲は触らせませぬ」
謝名親方が語気を強めて言った。すでに、城内に入ってきた男たちが神女から石火矢や仏郎機砲を没収していた。月嶺の苛立ちはとうにピークを超え、目は鳳仙花のように紅く充血していた。
月嶺は唇を噛み締めながら空を見上げる。一週間ぶりに雲が出ていた。それを見て、当初の目的を果たしたことに気付いた。
「……行くぞ。まもなく雨が降る」
月嶺は三十三人の神女と共に屋良座森城を後にした。最後に謝名親方に捨て台詞を残して。
「貴様には死相が出ておる。この戦で死ぬじゃろう」
「戦……?」
里主が首を傾げる。もう何十年も平和な琉球で、戦争など起きるはずがない。結局里主には月嶺の言動が何一つ理解できなかった。
謝名親方は憮然とした態度で月嶺を見送った。彼女の姿が見えなくなると、謝名親方以外の全員が深く息を吐いた。
里主の横に立っていた番兵が、周囲に聞こえないように小声で尋ねる。
「あの紫冠のお方、聞得大君加那志が恐ろしくないのでしょうか?」
「知らないのか? あのお方は久米三十六姓の末裔だ」
「久米三十六姓! どうりで……」
番兵は納得したように大きく頷いた。
久米三十六姓とは、十四世紀末期に明と貿易をするために王朝から琉球に下賜された華人である。
優秀な学者や航海士の家系で構成され、貿易事業や外交を一手に担う航海のスペシャリスト集団だ。元々は明と琉球を行き来していたが、次第に那覇に住み着き、久米村という集落を形成した。
久米村出身の謝名親方は華人の血を持つという特性上、琉球への帰属意識が薄い。さらに若い頃は北京の国子監に留学していた経験を持つ王府一の親明派だ。信仰心の無い彼には琉球特有の神女というシステムがいまいち飲み込めない。この来歴が謝名親方の「王府で月嶺に意見できる唯一の高官」という立場を作っていた。
現に、琉球人にとって月嶺に死相を指摘されたらすでに死んだも同然、ただちに身辺整理を始める重大事だが、謝名親方は気にも止めていない。顎髭をさすり、呆れたように言った。
「聞得大君加那志には悩まされてばかりだ。神女制度のせいで琉球の政治はややこしい。この城の責任者は誰だ?」
里主は慌てて赤の八巻を戴冠して名乗り出た。
「ご苦労様でございました。さぞお疲れになられたでしょう。聞得大君加那志の発言は支離滅裂で、私も何一つ理解できませんでした」
謝名親方と月嶺の会話は明らかに噛み合っていなかった。里主なりに労ったつもりだが、謝名親方は首を横に振った。
「いや、あの方の話は全ての筋が通っておる。だからこそややこしいのだ」
「筋が通っている? はて、それは一体……」
首を傾げる里主を尻目に、謝名親方は海を見下ろした。救出に向かった部下たちは無事に石弾の被害者を救えただろうか。海に漂う瓦礫は膨大で、諸々の事後処理を想像すると気が遠くなる。
「それにしても……死相か。私は死ぬのか……」
謝名親方がぽつりと呟いた。ふと考えて、それもあり得ると思った。決して信仰心によって信じたわけではない。
果てしなく過激とはいえ、月嶺が迫り来る戦争に向けて、着々とやるべき準備を整えているからだ。そんな理性的な人間の言うことなら、確かに一理あると思ったまでだ。
◇
真南風を助けた青年は那覇港からの追撃を警戒しつつ、少し離れた若狭浜に泳ぎ着いた。
「お身体は大丈夫ですか?」
青年が浜辺に仰向けのまま動けずにいる真南風に声をかける。
「あ、はい。でも全身の筋肉が固まったように動かなくて……」
「あれだけ帆柱で回ったのだから無理はありません。驚きました。人にあんなことができるなんて。あなたがいなければもっと多くの人が命を落としていたでしょう」
青年が着物を搾りながら微笑んだ。細身ながらちらりと見えた腹と二の腕には筋肉の線が浮いている。濡れた前髪をかきあげる仕草は上品で大人っぽいのに、笑うと少年のように眩しい。
真南風は何だか恥ずかしくなって、寝ながら両手で赤毛を梳いた。濡れているおかげで普段の爆発したまま固まったような髪がいつもより整った。
「あの、私は真南風と申します。あなたは……」
「僕のことは六郎とお呼びください」
「六郎さま、私と同じ船に乗っていた方はどうなりましたか? 別の方が助けてくれたみたいですが」
「波上宮で落ち合う予定なので、もう到着しているのかもしれませんね。行ってみましょう」
六郎は真南風を背負い、坂道を登った。




