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十 海上に現れた秋景色

 帆柱を登る間、一心不乱に上だけを見ていた真南風は、頂上に辿り着いて初めて前方に目を向けた。


 目線の位置が上がったことで遠くまで見渡せる。海面には破壊された船の瓦礫と、泳いで逃げ惑う人々が浮いている。波に合わせて右へ左へ揺れ動き、どれだけ泳いでも元の位置に戻されてしまっている。


 真南風は右足の膝裏で帆柱を挟んだ。左足の指で握り込み、体を固定する。これで両手が踊りに使える。


 その姿を確認し、阿国が伴奏を始めた。選んだ曲は『特牛節くていぶし』だ。


『常盤なる松ぬ

 変わる事無さみ

 何時ん春来りば

 色どぅ勝る』


(四季を問わず青々と茂る松は 

 変わることが無いものです

 春がやって来れば

 緑はますます勝るものです)


 特牛節は琉球の元服げんぷく――数え年で十五歳――の儀に踊られる祝いの演目だ。

 松の木は常緑樹に分類され、紅葉することも枯れることもなく、常に青々としている。春夏秋冬を通して変わらずそびえ立つ松のように、若者がいつまでも荘健でいられることを願う曲である。


 未来に希望を抱く成人に向けた祝歌いわいうただが、あくまで元服の儀という正式な場での踊りだ。若者らしい溌剌はつらつとした躍動感と同時に厳粛な品位が求められるため、難易度が高い。


「なんて下品な演奏だ。こんなものは『特牛節』とは言えん」


 与那原親雲上は阿国の肩を押さえながら呆れ返った。彼女の演奏には厳かさの欠片もなかったからだ。阿国は少しでも音が響くように一音一音を「極めて強く(フォルティッシッシモ)」で弾き、さらに「押下うしうるし」というトリッキーな三線奏法でビブラートをかけ、できる限り南西から吹く追い風に乗せた。


「生死がかかってるのに品位も糞もないでしょう!」


「く、糞!? なんて汚い言葉遣いだ! 耳がけがれる!」


()()()()()が踊るなら、この曲しかないわ……!」


 一歩間違えば不快感を抱かせる演奏だが、阿国の技術のおかげで音楽としての体裁が保たれている。海で逃げ惑う人々の何人かがこちらを見上げた。そうして揺れる帆柱の上に捕まる真南風に気付き、目を丸くした。


 真南風は下から聞こえてくる、希望に満ちた讃歌に耳を傾けた。何より松の木をモチーフにした歌詞が良い。帆柱と一体となった真南風は松の木そのもの。今の自分のためにある歌だと思った。


 真南風が阿国の演奏に呼吸を重ねる。下半身は体を支えるので精一杯だ。上半身の手踊りのみで魅せなければならない。できることは限られるが、やるしかない。


 無造作に両腕を広げてみた。節に合わせて軽やかに手首を返す。リズムに乗ってはいるがどこか違う気がする。現に真南風を見上げる者の数が減ってしまった。


「真南風、八巻ハチマキを使え! 『特牛節くていぶし』は扇子を使う踊りだ! 邪魔にはならないはずだ!」


 不甲斐ない踊りに痺れを切らした与那原親雲上が叫んだ。


「目的のない表現に魂は宿らんぞ! 貴様は何のためにそこに登ったのだ!」


 真南風ははっと思い出す。注目を集めて八巻を見せるためだ。


「――魅せるべきは私じゃない!」


 真南風は咥えていた八巻を手に持ち換え、極力体から離し、空高く掲げた。背景の蒼天と黄色のコントラストが映える。

 そのシルエットを保ったまま船の揺れで作用する遠心力に従い、帆柱を軸として旋回し始めた。慣性の法則により加速度的にスピードが増し、何周も回転するとやがて真南風の姿は消え、八巻の軌道だけが目に残った。


 真南風が無造作に八巻の位置を揺らすと、帆柱は黄色の葉が生い茂る松の木となる。所々アクセントとして真南風の赤毛の色が混じれば紅葉樹の完成だ。


 多くの人が真南風を見上げている。

 若夏うりずんの海に突如現れた秋景色は非現実的で、世にも奇妙な常緑樹である松の紅葉現象はおおいに人目を引いた。


「松の木をただ表現するだけじゃなく、まさか松の紅葉という意外性を加えるなんて。私の想像以上だわ」


 阿国が最後の一音を弾く。無茶な演奏のせいで指先の皮は痛々しく剥がれていた。与那原親雲上は彼女の肩を押さえていた手を放し、頭を掻きむしった。


「確かに八巻を使えとは言ったが、型破りにも程がある。こんなもの『特牛節くていぶし』の表現ではない! 演奏も踊りも無茶苦茶だ!」


 いつのまにか波が落ち着いている。元はといえば大量の船が一斉に動いたために起きた波なので、人や船が動きを止めれば波が静まるのは必然だった。


 真南風は回転を止め、肩を上下させながら屋良座森城を見た。銃眼から伸びていた砲身は、全て中に引っ込んでいた。


「……銃撃が止まった?」


 海が凪ぎ、角度が正対に近付いたおかげで、城壁の内側に立つ人影まで見える。


 真っ先に派手な紅型びんがたを羽織る女性が目についた。


 かろうじて人影が見える程度の距離で、とても細部まで見えるはずがないのに、真南風は彼女の琥珀色の瞳に睨まれているのが直感で分かった。


「……――ひっ!」


 まるで牙を剥く獣に上から四肢を押さえつけられているかのような圧迫感だ。真南風の防衛本能がけたたましくアラートを鳴らし、猫のように甲板に飛び降りた。


「お疲れ様。良かっ……」

「いいか、特牛節はな……」


「逃げましょう!」


 阿国の労いと与那原親雲上の小言を遮り、真南風は水夫の見よう見真似で舵を動かした。密集していた船も大半が沈んだので、方向転換できるだけの隙間ができていた。


「もう銃撃は止まっただろう。きっと私に気付いたのだな。石火矢も引っ込んだし、そんなに慌てることもあるまい」


 与那原親雲上は八巻を被り、呑気に向きの微調整している。


「銃撃していた人と目が合ったんです」


 真南風は手が震えるせいで、ただでさえ慣れない舵取りが上手くいかない。


「そうか、どんな人相だった? この私の権力で流刑にしてくれる」


 与那原親雲上の質問に真南風は寒気がした。その人の顔は分からないのに、怒りをたたえた瞳だけは鮮明に浮かぶからだ。


「分かりません……でも、とにかく殺意に満ちていました。絶対また撃ってきます!」


 そう言った矢先、阿国が城壁を指差す。


「ちょっと与那原親雲上……、あれ、何か分かります?」


 中央の銃眼から、再び砲身が伸びている。石火矢の二倍以上の口径だ。


 銃撃が止んで弛緩した空気が再び騒つく。海を揺蕩たゆたう人々は一斉に泳ぎ出し、生き残った船も一足早く方向転換を終えた山原船に倣って全速で動き始める。与那原親雲上が血相を変えて叫んだ。


「あ、あれは……仏郎機フランキ砲だ! 食らったら粉々になるぞ!」


 城から伸びる黄金色の大砲が、南国の陽射しを反射させきらめいた。


 日本に初めて伝わった大砲である仏郎機フランキ砲は、一国を崩すほどの威力があるという由来から「国崩くにくずし」の異名を取る。種子島の鉄砲伝来と同時期に、ポルトガルから明国に伝わったものだ。


 屋良座森城は明国の最新式の要塞をモデルにしている。そのため、実は大和より三十年早く配備されていた。


 山原船内は大忙しだ。真南風が全身を使って舵を取る。与那原親雲上と阿国は手分けして帆を張る。

 必死に射程外に逃れようとするが、城から真南風へ放出される殺意の糸が途切れない。真南風はまるで悪霊に取り憑かれたかのように体が重く感じた。


 しばらくして地響きのような轟音が聞こえた。大口径の砲身から放たれた巨石は、風を切り裂きながら緩やかな放物線を描き、山原船に届いた。


 各自の悲鳴は着弾の衝撃音にかき消され、与那原親雲上の予言通り、船は跡形もなく粉砕した。


 真南風は運よく直撃せずに済んだが、衝撃で大きく飛ばされた。宙を数回転した後、勢いよく海に落下した。


 海中で目を開けると、船を貫いた石が泡の尾を引いて沈んでいくのが見えた。辺り一帯には大量の船の破片や積荷が漂っている。


 少し離れたところに与那原親雲上と阿国を見つけた。二人とも動きがない。もしかしたら衝撃で気を失っているのかもしれない。


 ――助けなきゃ……!


 そう思った真南風だが、身体がちっとも動かなかった。先程の踊りで全身が疲労困憊(こんぱい)だ。特に酷使した両足は指の先までっている。助けるどころか自身の命すら危うい。


 真南風は天を仰ぐような気持ちで海面を見上げた。まばゆい陽光が放射状に降り注ぐ。まるで後生グソーに召される直前の景色だ。


 渾身の踊りをした直後なので生の未練はさほど無いかと思ったが、そんなことはなかった。真南風の踊りへの欲求は留まることを知らなかった。


 ――まだ死ねない。もっと踊りたい。様々な表現を試したい。この世にある全ての曲を聴いてみたい。この身体が動かなくなるその瞬間まで、私は踊り続けていたい。


 真南風が願ったそのとき、降り注ぐ光の中から青年が向かってきた。一人ではない。いつのまにか何十人もの男が海中にいて、それぞれ逃げまどう人を助けている。彼らは与那原親雲上と阿国も回収した。


 真南風の元に来てくれた青年が手を差し出したが、真南風が指一本動かせないことに気付くと、彼女の腰に手を回した。片手で破片を掻き分け、みるみる浮上していく。


 水面に向かうにつれて徐々に温かくなる海の中で、真南風は青年の横顔を見た。年は二、三ほど上。精悍な顔立ちには高貴さと正義感があった。

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