①ルネと両親
※ルネ視点/三人称
「ルネ、結婚して別のところで暮らそう」
8年前、戦が終わり二ヶ月程経った後。
凱旋のため王都に向かい、ルネのところへ戻ってきたジョージはそう言った。帰還を喜ぶルネを抱き締めて、荷物を置いてすぐ後のこと。
(……二回目のプロポーズね)
ルネは内心でそう思い、苦笑した。本音を言えばもう少し長く抱き合い、再会を喜びたかった。
だって、答えは決まっているのだから。
「言ったでしょうジョージ、私はここを離れられないの」
「ッ! ……まだそれが理由か? だったら──」
(ああ)
ジョージの声を耳に流しながら、ルネの頭には少年の頃のジョージが浮かんでいた。
彼は他の子より体格も良く、本人も他より器用で要領が良いと自覚していたようだった。だからか少し傲慢で、皆に優しいように振る舞ってはいたものの、子供時代の彼の感情の抑制は拙く危なっかしかった。それでも充分に魅力的な少年ではあったけれど。
ただルネにしてみれば、彼の本質的な魅力は、要領の良さと言うよりもむしろ不器用な素直さであり、そんな拙さを微笑ましい努力に変えて受け取らせるくらいの、持ち合わせた愛嬌の方なのではと思う。
成長と共に、いつの間にか感情を隠すのもそれなりに上手くなったジョージ。なのに今、自分の前では隠しきれていない。そのことに、仄暗い喜びを感じている自分がいた。
砂を掴むようなルネの反応に苛立ち、ジョージの話はやがて罵倒へと変わっていった。だが彼が今なにを話しているかなんて、ルネにはどうでもいいことだ。
答えは変わらない──ジョージは王都に行くべきなのだ。
行ってもらわないと、困る。
だから、あまり酷いことを口に出さなきゃいけなくなる前に、去ってほしい。
「……もういい!」
一方的な言葉を残し、ジョージは去っていった。
安堵と脱力感からだらしなく椅子に腰掛けると、テーブルの上に置かれた物が目に付いた。彼が持って帰ってきた王都の土産の入った、大きな袋。暫くしてからそれを開けると、出てきたのはいくつかのお菓子や酒などの嗜好品に加え、珍しく髪留めと香油という女性への土産らしい品。
急に、小さな管理小屋が妙に広く感じる。
彼は約束通り自分の生活費以外を入れない代わりに、頻繁にプレゼントをくれた。デートにも行かない、お洒落を好まないルネのための、愛らしい生活雑貨……一応生活環境は整っているけれど、それだけだったこの小屋を彩っている物、その殆どがジョージから貰った物だ。
今回はきっと特別だった。
希望通りの展開なのに、ルネは少しだけ泣いた。
薬関係職を意味する『リード』姓を持つ、平民の薬屋夫婦に産まれた娘、ルネ。
他人には無口な方のルネだが、元々両親の前ではよく話し、よく質問をする子で。両親は娘を可愛がり、他愛ない質問にもしっかりと答えてあげていた。
ただ些細なことであれ、陰口と取られてしまいそうな誰かの個人的なことに関してなにかを聞かれた時は、口を酸っぱくして『誰にも話さない』ということがいかに大事かを説いてから。そこには『子供の口は軽い』『客商売だから』という単純な懸念だけでなくいくつか理由がある。
だがそのお陰か、ルネは早いうちから一歩引いて慎重に物事を見るようになった。
彼女は本質的に非常に我が強い性質ではあったものの、両親が大事に育てたことや地頭のよさから、自然とバランスを保つ立ち回りを覚えていったようだった。
「ルネ、あなたはとっても可愛いから目立っちゃ駄目よ」
幼い頃からこう言われて育ったルネだが、これも自分なりに解釈し納得していた。
両親が口を酸っぱくして説いたことの主立った理由も、この『可愛いと危険』に起因する。
父ホレスと母アシュリーは、対外的に『親戚』ということになっているが、その実なんの関係もない。
ふたりの出会いはアシュリーが貴族に迫られ、逃がすためにホレスに託されたことによる。
アシュリーはその際、数時間前に夫となったばかりの恋人を喪っていた。以前からアシュリーに懸想していた貴族の男は、もう大昔に廃れた筈の『初夜権』を持ち出して行使しようとし、抵抗してアシュリーを逃がした恋人は斬られた。その時まだ生きてはいたが、それが致命傷となったようだ。
ホレスがアシュリーを託されたのは、本当に偶然のこと。
当初、死を覚悟した見知らぬ男の懇願を無下にできなかっただけだったホレスは、アシュリーに手を出す気はなかったそう。そもそも、ホレスは実家と折り合いが悪く逃げるように祖父のところへ移っており、祖父亡き後に貰い受けた薬屋を営むのでそれどころではなかったのだ。アシュリーを託されたのも、薬師の資格を取るため王都に出た帰りのことだった。
アシュリーは親戚として家に置き、生活の保障と引き換えに家政婦代わりに働いて貰っていた。籍を入れたのは男の死を知ってからで、名実共に夫婦になったのは更に数年後のことだ。
ルネは少し成長する度、両親にこの話をせがみ、質問した。ドラマティックだったからではない、やんわりと包んで語られたことの詳細を、もっと知りたいと思ったのだ。
両親は嫌がることなくこの話を聞かせ、その度変化する質問に答えた。それは夫妻にとっても過去を振り返って男の死を悼み、今に感謝をしながら娘の成長を感じる大切な時間になっていた。
「学校はどう?」
「う~ん。 変な子がいる」
学校に通い始め、数ヶ月程過ぎた頃。
ルネに興味を抱いたジョージが、こっそり近付くようになる少し前。実は先にルネの方がジョージに興味を抱いていた。
「いつも敢えて一番にならないようにしてる感じなの。 ちょっと私に似てるけど、人気者なのよ。 もう充分目立ってるのになんで一番を避けるのかしら」
ルネは勝負事になりそうなことは避け、避けられない場合平均的な立ち位置になるように勝ったり負けたりする。それは勿論、目立たないためだ。集団に加わると、目立つことのリスクを実感としても感じるようになっていた。
ただ、どうせ目立つのなら一番の方がメリットがある気がした。敢えて譲る意味がわからず、ジョージは不思議な存在だった。
「選ばれると面倒だからだろう。 二番なら選ばれても前がいるから『僕なんかじゃ』って比較的反感を買わず言える。 それか自信がないか」
「自信がないって感じじゃないかも」
「ふっ、なかなかいけ好かない野郎みたいだな」
「うふふ、若い頃のあなたみたい?」
「見てきたように言うな……まあそうだよ」
父は若い頃、『なかなかいけ好かない野郎』だったらしい。道理で説得力がある、とルネは思った。
「でも面倒見はいいの。 結局やるなら変わらなくない?」
「それは違うよ、自分でやるのとお仕着せられるのでは全く。 ふふ、想像するのが上手なルネには珍しい、そんなに気になるのかい?」
「う~ん」
珍しく自分の気持ちもよくわからなさそうな娘に、夫妻は目を合わせて微笑み合う。こうやって悩みながら、少しずつ成長していくのだろう、と愛おしく思いながら。
「ルネ、学校には色んな子がいるだろう? お前は賢い、そこから沢山学びなさい」
「はぁい!」
ルネは少し偏屈な父と、優しく美しい母が大好きだった。
──だからこの頃にはもう、父がなにかに悩んでいる様子なのにも薄ら気付いていた。
父、ホレスが悩んでいるのは『貴族との取引』。つまり、後に『ルート25の亡霊』となる薬品の原材料を卸すことについてだ。




