③クライドとジョシュア
「──しかし、8年もかかってしまったな」
辿り着いた、西部辺境伯城。
燻らしていた葉巻を灰皿に置き、キューを拭きながらジョシュアは眉を顰める。
兄であるトゥイガー辺境伯ジョシュアとクライドは、のんびり食事をした後で今回の件について話し合っていた。話し合い、とは言ってもほぼ確認のみで、遊戯室でビリヤードに興じながらだが。
「アレは仕方ありませんよ、タイミングが悪かった……ああっ!」
「ふっ、今のお前のようにか。 相変わらず下手クソだ」
「……私は下手でいいんですよ。 そういう方が愛嬌があるでしょう?」
言葉とは裏腹な悔しそうな顔の弟に、兄は揶揄うように口角を上げる。
「負け惜しみだがな」
「まだ負けてません!」
「すぐ負ける」
灰皿から取った葉巻を咥えたまま、ジョシュアは器用にキューを動かして的確に球を弾き、次々とポケットに球を入れていく。
兄の宣言通りにすぐ負けたクライドは不貞腐れたようにキューを立て掛け、遊戯室内のバーカウンターの中へ入った。
「作りますよ、閣下。 なにがいいですか?」
「そうだな、じゃあモヒートで」
「はは、絶妙なチョイスだ」
「──それで、彼は?」
ふたりが今話題のメインとしているのは、書簡の内容でも特にジョージに関係すること。
28年前の事件から始まった戦の、補給資源の横領や隣国辺境軍部への情報の横流し──戦局が長引いた、大きな原因のひとつであるコレ。
これこそ『ルート25の亡霊』によるものである。ジョージに『噂』と称して話し、確認したかったのはこのことだ。
『ルート25の亡霊』──それはこの事案で使われた薬品、或いはこの事案そのものを指す隠語。
表ではなにも気付いてないフリをする必要があった西部辺境だが、機を待つ間ただ手をこまねいていたわけではない。『ルート25の亡霊』は既に解析、改良済だ。
元々は散布型の薬品であり、この名前は後付け……名称通り、この国ではほぼ『ルート25』でしか使えないのだ。
気取られず広範囲に散布するのには、発生する靄と機械音を消す潮騒が重要な役割を果たすため、汎用性が著しく低いのである。その点こそ、この薬が知られていなかった原因と言える。
「シロですね。 お話になりませんよ、愚鈍でちょっと流されがちな、それなりに善良な男です。 ま、都合が良かったんでしょうね」
「ふん。 予想通りではあるが、間違いはなさそうか?」
「試しましたから」
「使ったのか」
「ええ、一応『念には念を』と」
ジョージの茶には睡眠導入剤を仕込んであり、寝息を確認後、香水瓶に入れていた改良後の『ルート25の亡霊』を少々散布した。
酩酊・幻覚などを誘発するこの薬には、副作用として自白の効果もある。もっとも夢現で尋ねられると素直に吐露してしまう、くらいのものだが、情報が横流しされたように量にもよる。
ジョージの場合、あの後彼が素直だったのは薬が直接的な原因ではない。クライドは『量間違えたかな?』とちょっと心配になったりもしたけれど。
ちなみにこの時壊れたと思ったジョージの時計は、クライドがちょっと細工して止めただけだったりする。
──クライドは兄との会話のさなか、ジョージとの遣り取りを思い出していた。
『戦が終わったら、結婚をするつもりでいた女がいたのです。 自分が捨てた癖に、未練がましくて恥ずかしいのですが』
『……後悔してらっしゃる?』
『ええ、浅ましいことです』
『浅ましい』──彼の言ったそれが、強く残っていた。
『現状に不満がなければ、もしかしたら思い出さなかったかもしれませんから』
王都に帰還後のクライドが王太子に語ったように、会ってから今までずっと、ジョージのことを『甘ったれた男だ』と思う気持ちは変わらない。
しかしこの時のジョージの言葉は『意味のない仮定』ですら一貫して自らの後悔に対し酷く突き放しており、逆にそれには真摯ななにかを感じさせられていた。
だからこそ。
「なんのことはない、ルネを捨てたことを思い出して、自責の念にかられていただけでしたよ……全く、馬鹿馬鹿しい」
クライドは吐き捨てるようにそう言う。
弟本人もよくわかっていない微妙な心情を知ってか知らずか、ジョシュアは「ははっ」と軽快に笑い声を上げた。
──『ルート25の亡霊』。
まだこの国で知られていなかったそれは、ある木の実を干して剥いた、種の仁から作られる。
とある貴族からの依頼で原材料となる木の苗を育て種を卸していたのは平民の薬屋一家。特にその娘……つまり、ルネがその役目を担っていた。
ルネが『ここを離れられない』と言った理由のひとつがこれだ。
そして依頼した貴族家こそプレストン男爵家であり、その娘がジョージの妻。
8年前にジョージが王都に連れ出されたのは、このままルネと結婚されると邪魔だからだろう。事実、王都ではハニートラップが予定されていたようだった。だが娘が彼の容姿と、平民上がりで逆らえなさそうなところを気に入ったらしく、その役を買って出た。元々見目の良い男にちやほやされるのがなにより好きで、美しいが婚姻先がなかった娘。なので男爵は『ならば』と金にものを言わせ、功績から爵位を与える者リストの中に彼を捩じ込み婚姻させた──というのが判明した諸々や、ジョージのこれまでの様子からの概ねの見解だ。
とはいえ、立ち位置的には本件の被疑者となるだけの要素がジョージにはあった。それはもう、充分過ぎる程。
ジョージが関係しているかどうか──ルネにも聞き取りは行われたが、恋人だった彼女の証言に然程の重要性はない。特に今回に関してはもう終わったことであり、そもそも本来確かめる必要すらないことだ。
どうあれ彼は自身の選択により、プレストン家に名を連ねたのだから。
今回ジョージが与えられた『選択の機会』という慈悲。
これは、第一王子の王太子就任による恩赦として刑期が終わる予定だったルネの、刑期と引き換えにした懇願によるもの。
王家の精査を信用しないわけではないが、ジョシュアが『念には念を』と確認をクライドに頼んだのはこれが理由だ。
そもそもこの恩赦は、彼のモノではないのだから。
そう──ルネが城で働いているのは、刑罰である。
「アレはか弱いフリしてなかなか強かな女だぞ。 機を見る力もあるし、なにより満を持すまで平静を保ち、粛々と必要なことを行う忍耐力と精神力がいい。 全く、咎がなく若ければ色々しこんで暗部に欲しかったところだ」
「おや、随分と高評価なんですね」
「妻が気に入っていてね」
(どうやら間抜けで腑抜けでも、女を見る目だけはあったのか)
クライドはさしてルネを知らないが、兄への信頼はある。ジョージの見る目を評価し直しかけたところで「……でも、結局あの女を選んでるしなぁ」と思ったことが口から漏れた。
「いやいや、彼はルネの後押しに乗っただけみたいだぞ」
「へえ? 結婚する気はあったんだ」
少し意外だったが、既に別の罪で捕縛されたジョージの上司だった騎士が『アイツは堅い』と言っていたのを思い出した。娼館や賭博場に誘っても、『自分には向いてない』と断るばかりだったそう。それを踏まえると不思議でもないな、と思い直す。むしろ先の遣り取りを鑑みるとしっくりくるぐらい。
「多少の権力欲は若い男には付き物。 決定権をルネに委ねた決断力のなさは問題だが、上に立たせなければそこは許容範囲だろう」
「拾ってやる気ですか?」
「彼次第だろうが……使えそうかね?」
「どうかな……ふふ、それこそルネ次第かもしれませんね」
ジョージの知らない自分とルネの話。
兄弟がそんな話で盛り上がりつつ深けた夜が明け、出立の朝がきた。




