④ジョージの選択
ルート25の時とは違い、駆け寄ったのはルネの方だった。
「やっぱりジョージ! 久しぶりね、元気にしてた?」
声は変わらず、向ける表情もまるであの頃のような屈託のない笑顔。確かに当時のような若さ故の張りはないが、以前とは違い手入れをしているのかもうそばかすはなく髪も艶やか。メイドと同じお仕着せに身を包んでいるが、全体的に洗練されて美しくなっているように感じるのは間違いじゃないだろう。
喉がヒリつく程の渇きになにも言えずにいるジョージに、ルネはハッとして謝罪した。
「あっ、ごめんなさい、こんな馴れ馴れしく話してはいけなかったかしら……」
「いや違う! ごめん、驚いて……え、ルネ……あの家は……?」
「ああそう、そうよね……あの時はごめんなさい」
「いやなんで君が謝罪するんだ?! 謝るのは俺の方じゃないか! ごめん、すまなかった! 今更謝っても自己満足みたいで……ああ違う、こんなことが言いたいわけじゃ」
「もう、声が大きいわ、ジョージ」
「ご、ごめん」
「私もビックリしたのよ、まさかこんなところで会うなんて思わなかったから。 会えて良かった。 正直会えてももっと気まずい気持ちになると思ってたけど、全然そんなことなかったわ」
ふふ、と彼女は笑う。
互いに謝ってばかりの会話から始まった再会だったが、言葉通りルネは過去を気にしていないようだった。
ルート25で見た幻の時よりも夢なのではというふわふわした気持ちで、それでもジョージはまず約束を違えたことを改めて謝罪した。だがルネはジョージに『謝罪の必要はない』と言う。
「私も嘘を吐いていたのよ。 結婚はしないと決めていたの。 貴方だからとかでなく、誰とも」
だからあの時は悲しかったけれど、同時に安堵もしていたのだ──と。
「どうして……」
続く沢山の言葉。それを上手く口に出す前に、ルネは「ほんの少しだけ、夢を見たかったの」と言って、微笑みながら視線を落とす。
そうじゃない、なにかを抱えているなら話して欲しい──そう言いたいのに、ただ胸と喉が詰まったように苦しくて、ジョージはなにも言えなかった。なにかを言おうとすると、まだ言ってはいけない気持ちが溢れて零れそうになる。視線で伝わってしまうのでは、と思いながらも逸らせない。
「ルネ、」
「──もう行かなきゃ」
ようやく口を開いたジョージの言葉を遮りながら、ルネは来た方向へと身体を向けた。ひとつに纏めただけの艶やかな髪がふわりと靡くと、微かにネロリが香る。
数歩進んでから、一度だけ振り返ったルネは
「ありがとうジョージ。 今でもあの頃の思い出は私の宝物よ!」
弾けるような笑顔でそう言って、小走りで戻っていく。古びた銀色のバレッタが、月明かりに柔らかく光を帯びていた。
翌日。快晴の空の下、行きよりもかなり遅めに通るルート25に靄はなく、木漏れ日が降り注ぐ。少しばかり道が悪いだけで、もう陰鬱な空気などはない。
「長閑だな。 『亡霊』は出そうにありませんね」
「ふふ、休んで行かれますか?」
「ご冗談を!」
行きと違うのは、副官青年との空気も。
いつの間にか彼への嫉妬心は消えていた。代わりに見えてきたのは、愛嬌に隠された強かさと知性。それは『一体自分はなにを見てたんだろう』と感じる程で、嫉妬なんか烏滸がましい。どう育ったところで、きっと自分はこうはなれないに違いないのだ。
3日後。王都についたジョージは穏やかな顔でクライドにこう告げた。
「副官、おそらくこれが私の最後の任務になります。 ご一緒できて光栄でした」
「えっ?」
「仕事は辞めます。 妻と離縁し、あちらへ戻ろうと」
「……復縁されるのですか? 例の彼女と」
「はは、そんな資格はありませんよ。 まず簡単に離縁できるかもわかりませんし……」
少し話しただけのルネのことは結局よくわからなかった。だから今の決意は自分本位のまま。密かに力になれたらいいと思う。語るようなことでもない。
「お仕事は?」
「辺境伯軍にお世話になろうと。 考えてみたら、この歳から一兵卒というのも悪くないな、と。 剣を振るうのが性に合っているのでしょう……ふふっ、今更ですがね」
だが8年前とは違い、未練は一切ない。
あるのは『今までなにをしてたんだ』という程度の後悔くらいだ。
「──そうですか」
クライドは少しなにかを考えてからそう言うと、ジョージに微笑んで続ける。
「では、紹介状をお渡しします。 姓はあちらで賜ってください」
「え?」
「ジョシュア・トゥイガーはね、私の異母兄なんですよ」
そう言った後、驚いた様子のジョージを見て声を出して笑った。
「いやしかしそんな、」
自己都合で王国騎士を辞めるというのは爵位の返上の意と取られ、そう処理される。騎士爵にも特に未練はなかったが、クライドの言葉は『手回しによりまだ王国の管理下にあることにもなり、爵位返上は不要』というのを意味していた。
有難くはあるが、驚き戸惑うのも無理はないことだ。
「ただではありませんよ? ジョージさん、貴方が国と西部の力になってくれるのを期待しています」
クライドは手袋を外し、スッと手を差し出す。ジョージもぎこちなくそれに応えた。
「あ……ありがとうございます……!」
文官であるクライドの手は武官とは違い美しいかと思いきや、そんなことはなく。指の間にできた固く大きな豆がある。掌も固く厚い皮で覆われてはいなかったものの、決して滑らかでもない。時間を割いて鍛錬は怠っていないのだろう。ジョージは改めて今までの不明を恥じた。
「これからなにかとお忙しいでしょう、いらっしゃるのは出立の直前で結構ですよ。 不在でもお渡しできるようにしておきますから、何時でもご遠慮なく。 離縁届もこちらにお渡し下さい、その方が早いので」
「なにからなにまで……ご配慮痛み入ります」
手を離したジョージは、深く頭を下げる。それは歩き出したクライドの足音が遠ざかり、完全に消えるまで暫く続いた。
離縁は思いの外、アッサリできた。
妻だった女は、ジョージの不在中に行った観劇で主役を努めた役者にお熱らしく、スポンサーになりたいそうで、使いどころがなく貯まっていた8年分の給与を渡せば簡単に了承した。
呪われた懐中時計も置いていった。壊れたと思っていたのに、また針は動き出していた。
タイミングが合ったらしく、出立前に約束通り王宮へ行くとクライドが出てきた。
「随分早かったですね~」と笑いながら、相変わらずの愛嬌と軽さでぼかした歯に衣着せぬ物言いで。聞かれたままに話すと、更にこう尋ねられた。
「え、旅費は大丈夫なんですか?」
「ええ。 結婚する前に貯めていた分があるので」
ルネの提案のお陰でかなりの額がある。
王都に来たばかりの頃、懐中時計のあの上司から娼館や賭博場にも誘われたものの『そういうのは向いてないから』と断っており、結局使ったのはルネへの土産くらい。
自由の代わりに生活だけは整えてくれていた元妻にも何度かプレゼントはあげたが、それは王都で働いてからのことだ。王都で貰った報奨金を含め、西部辺境の働きで得たお金には手をつけなかった。
「……王都では本当になにもしませんでしたから」
苦笑しながらついぼやくと、クライドはまた笑った。
「思うような努力すらままならないのは、さぞかしお辛かったでしょう。制限の中それでも8年、不平不満を表に出さず真摯に勤め上げた貴方の真面目さと忍耐強さは美徳です」
最後に再び握手を求めようと手袋を外そうとするのを制し、ジョージは声を掛けた。
「ノエル副官」
一度深く頭を下げ、顔を上げると声を潜めて続ける。
「お心遣い決して無駄にはしません、西部辺境と閣下に尽くします……王国の臣下としては、貴方に忠誠を」
「……おや」
「なにかございましたら、なんなりとご拝命ください。 今は力不足でしょうが、必ずお二方のお役に立てるよう研鑽致します」
流石にここで臣下の礼は取れないけれど、という彼の意思表示に、何故かクライドはほんの少しだけ苦く笑った。
「ならば……新たな門出の餞に、これを」
ポケットから出してクライドが渡したのは、古い懐中時計。洒脱な着こなしを好む彼には少しそぐわない程の、飾り気のない物。
「然程価値のある品でもないですが、時計職人の腕の良さから初任給で買った物です。 壊れたとお聞きしたので、もし新しく購入されてないようでしたら」
「ありがとうございます。 大切に使わせて頂きます」
最後に「道中、お気を付けて」と声を掛けたクライドに、ジョージは「懐中時計を魔除けにしますよ」と軽口で返し、ふたりは笑って別れた。
ジョージは数日前と同じ経路を辿り、西部辺境へ向かう。理由は前回と同じ、その方が早いからだ。
それに、ルート25を通っても亡霊に会っても、きっともう惑わない。
目的がハッキリした今のジョージには、あそこは通過点に過ぎないのだから。
白い靄の中を馬が駆けていく。
遠く近く、潮騒が響いていた。




