③ルネと別れた恋人
「──無事終わったようですね」
「……」
ジョージが戻り、そして去って行ってから暫く。いつの間にか部屋に立っていた女性がそう言う。
今回アンドレアの計らいにより、彼を監視していた辺境伯家の女性騎士だ。ジョージが王都の方向へと旅立って行くのを確認し、戻ってきたのだろう。
ルネは手紙の内容を考えに考えた末、縁となった母アシュリーとアンドレアの過去を持ち出すことにした。
まず『アンドレア様には感謝してもしきれない』としながらも、『母娘二代に渡り、大切な人を喪うことになるかもしれない』という不安を訴える。『貴族のせいで』というのを大いに匂わせながら。
貴族的な言い回しに倣い、迂遠な表現を駆使した上で『先の手紙の意味は理解している』と暗に告げる文面を入れ、その一方で『教養のない平民なので不躾なことを書いてしまったかもしれないが、どうかご容赦頂きたく存じます』と卑下して謝罪し身を守りつつ煽り、こちらの欲求を直接的に記す。
何度か感情的になり過ぎた手紙を破棄しては書き直すのを繰り返し、忠誠心を示しながらもこちらの失意が伝わるようにとバランスを考え、ようやく満足のいくものを書き終えた時にはもう明け方だった。
こちらの欲求は高くない。『ジョージが戻った場合、受け入れない』という前提で、彼を見逃すことだけだ。
その間の情報の受け渡しの不安があるなら、監視して貰っても構わない、と追記もした。
──そして現在に至る。
「ええ。 騎士様にはお手数をお掛けしました。 宜しかったら一杯如何ですか」
ルネは女性騎士に、ジョージに出すかもしれないと一応用意していたお茶を勧める。「この後報告があるので」とすげなく断り家を出ていこうとする彼女に、ルネは「あの」と声を掛けた。
「彼は、森からルート25の方へ?」
「はい」
「そうですか」
安堵し、礼を述べようとしたルネの言葉を遮るかたちで、女性騎士は先に口を開く。
「……行きも、同じでしたよ」
「では」と彼女はフードを被り直し、森の中へ消えていく。扉を閉めたルネはその場に崩れるように蹲り、今度こそ号泣した。
ルート25は、王都とここを繋ぐ最短ルートだから。
そしてこの家からルート25に出るなら、町に出るより森を抜けた方が早い。
(馬鹿ね)
あれが本当にジョージとの別れだった。なのに愚かにもほんの少しだけ、まだどこか期待していたのだ。
慰めのような女性騎士の言葉が、耳に残る。
だが彼はもう、戻ってこない。
女性騎士と一緒に入ってきたのか、いつの間にか部屋にいたミントが心配そうに鼻先を寄せる。ミントの頭を撫で、ルネは立ち上がった。
ジョージがいなくなっても、日々は続く。緩やかに変化しながら。
それから半年程後に訪れた次の収穫に、クレールは来なかった。代わりにやってきたのは郵便配達員で、封筒を二通渡された。
ひとつは取引契約終了の通知。唐突に打ち切られたかたちだ。もうひとつの方は通知の物と同様に飾り気のない封筒に入っているものの、そちらはクレール個人からの手紙のようだった。
線のみが薄ら描かれた簡素な便箋には『取引は終了』とあり、特に理由も書かれていないまま。むしろそれより長く、これまでの労いと感謝の意が綴られており、『リード家の皆様のご多幸を陰ながらお祈りしています』との一文で締め括られていた。
「報告するの?」
「いや、通知だけでいいだろう。 見せろと言われたら見せるさ」
結局彼の目的はわからなかったが、『取引が終わるまではいる』と匂わせた言葉は本当にリード家のためだったように感じる。たとえ都合のいい想像だったにせよ、どこか寂し気な父のためにルネはそう思うことにした。
「あら……まだなにか入っているみたい」
母が気付かなければ、封筒の片隅でそのままになっていたであろう小さな紙片。それは新聞記事の切り抜きだった。
それは慶弔欄。貴族や有力者でも、社会的に然程重要ではない者の婚姻や死亡を伝える部分。
そこにジョージの名前が載っていた。出身の村であるブラムを旧姓としていることから、彼で間違いないだろう。
問題は無論、妻となる女性の家名が『プレストン』であったこと──一瞬、目の前が真っ暗になった。
「……ルネ。 お前のせいじゃない」
「父さん……でも……ッ、私が──」
「彼が選んだ先にあったものだ」
クレールにすら情を傾けていた様子が窺えただけに、彼よりも身近な存在だった筈のジョージに対してのホレスの言葉は冷静というよりも冷酷で、酷く突き放したものに感じられた。
「どうして……! どうしてそんな風に言えるの?!」
珍しく、というよりも。こんなに娘が激昂するのを見るのは、両親であるふたりですら初めてのことだった。
「ジョージがッ! ジョージがいたから私は──! ……! ッ!!」
「ルネ? ……ルネ!?」
実際に初めてだったのだろう。
荒らげたルネの声は突然途切れ、早く浅い呼吸を繰り返す。過呼吸に陥ったのだ。すぐ異変に気付いたふたりが駆け寄り、手のひらで口を覆いゆっくり呼吸するよう促し症状は治まったものの、ルネは全身にびっしりと汗をかいて発熱しそのまま倒れた。
「──ジョージがいい青年なのも、巻き込んでしまったのもわかってはいた。 だが……」
娘をベッドまで運んで寝かせ、暫くふたりは傍で付き添った。熱はおそらく一過性のものであり、解熱剤を飲ませる程には高くない。だが横になっていても息は熱く苦しげで、滅多に体調を崩さない娘のそんな様を見るのは辛かった。
突如出た娘の不調の原因がなにかは明白なだけに、ホレスは後悔を滲ませつつ心情を吐露する。
ホレスもジョージのことは好ましく思っていた。だが、いつしか何も知らない彼に苛立ちを覚えるようになっていったのだ。段々と、ジョージがいることでルネが要らぬ努力をしなければいけなくなっているような、そんな感じに映るようになり、寄り添うだけの彼の優しさも『知らないなら知らないで頑なな娘を説得し、どこかへ連れ出して逃げてしまえばいいものを』……と不甲斐なく感じていたと言う。
「ルネはジョージに何も知らないでいて欲しかったのよ。 何も知らない彼といることが大事だったから」
「ああ……そうなんだろうな。 それをどれだけ大事にしていたか、わかってやれなかった」
項垂れるホレスにアシュリーは「いいえ」と軽く否定して微笑み、ルネの頭を撫でる。
「父親は娘の好きな男が気に食わないものよ。 さっきもルネがあまり心配するから無性に腹が立った……それだけだわ」
そう言うと「そろそろ戻りましょう」とホレスを促し出ていく。
「ルネは昔からいい子で、甘えるのが得意じゃないから……今夜は病人扱いして甘やかすの。 コンポートがいいかしら」
遠ざかっていく足音の中「あなたも手伝ってね」と笑う母の声。横になり目を瞑っていたが、ルネは眠っていたわけではない。多分母はそれをわかっていた。
もし父とふたりだったら、今回のことは修復が難しくなるくらいの溝をふたりの間に作っただろう。気持ちを理解することとそれに共感できるかはまた別で、父の気持ちはそれだった。杜撰な一般論のような母の言葉がなければルネは自分を責め、父を許すこともできなかったに違いない。
ジョージを失っても、ルネには家族がいる。孤独じゃない。
──ジョージはどうなのだろうか。
幸せであって欲しい。
そう願っていた。
ジョージが生きていく、王都での幸せを。
だが、幸せであった場合その先に待つものからは逃れられないし、きっと彼は逃げない。
そもそも逃げる手段なんてあるのか。
(国家転覆罪……一族郎党処刑よね?)
密告した際、辺境伯家からの返信内容にそう書かれていた。読んだら処分するよう書かれていた為、もう残っていない。今まで遣り取りしていた手紙や指示書などは全てそうだ。
(なら、離婚すれば助かる……?)
魔が差すようにフッと思い付いたそれは、これまでの願いと矛盾したモノ。だがそれはルネの心に希望の火を灯した。
(『まだ罪に問えない』、確かどれかにそう書いてあった筈。 ……でも何故?)
今まで知る必要もないと思っていた裏を読めば。そこにある事情を知ることで、なにか助ける手段を得られるかもしれない。
クレールの語った子爵像が正しいなら、平民上がりのジョージをよくは扱わないだろう。他人に気を遣うジョージが、そんな立場で遠く離れた家族を呼ぶこともきっとない。
妻となった女性は、どんな人なのか。
ルネはもう、ジョージの王都での幸福を願わなかった。それを塗りつぶすように溢れてきた、言えなかった言葉にルネはまた少し泣いた。
『私を忘れないで、ずっと孤独なまま苦しんでいて』
それがあまりにてらいのない、本心だったから。




