④ルネと罪
クレールは自身の剣を肉屋の息子の頭目掛けて振った後、まだ息のあるのを確認し速やかにトドメを刺してから服のポケットをいくつか探り、鍵を取り出した。
返り血が不着した上着を脱ぎようやくこちらを見た彼は、反射的にビクリと身体を震わせるルネに少し遠いところから「ちょっと生臭いですが」とそれを被せるように掛ける。
視界が遮られ呆然と倒れたままのルネの耳には彼の足音が離れていくのだけが聞こえていたが、玄関扉を開けに行っただけのようですぐ代わりに聞こえてきたのは軽快な足音。
「ワン!」
「…………ミント」
上着を少し手で避け、覗き込むように鼻先を近付けるミントの首を倒れたまま抱きしめる。暫く経ち、ようやく動けるようになったルネが乱れた着衣を直してのろのろと表に回ると、開け放たれたままの扉の内側からは湯を沸かす音……クレールは茶を入れようとしており、ルネを見るとどこか母のような言い回しで「手を洗ってらっしゃい」と柔らかく促した。
ルネの手は、血と土でドロドロになっていた。それを落としながら暫くの間、震えが止まらなかった。
襲われただけでなく、初めて他人に暴力を振るったのだ。しかも刃物で。
温かいお茶をルネに差し出したクレールは、彼女の着替えがあることを確認し身体を清めるよう勧め、施錠しここにいるよう言い聞かせて出て行った。開け放ったままだった玄関扉を閉めて。
後にわかったことだが、彼はこの時ルネを落ち着かせる時間を設けただけでなく、念の為に男の死体を隠しに行ったのだ。
「アレは埋めましょう」
「え……」
戻ったクレールは、『アレ』の指し示すモノが男の死体だと思わないくらいに、さらりとそう言った。
「お嬢さんはお父さんを呼んでらっしゃい。 詳しい説明は私がしますから『少し薬草畑に問題ができた』とでも言えば大丈夫です。 ああ、これで私の服も頼みます、『土いじりをして泥だらけだ』と」
銀貨をルネに渡し「後で事実になりますしね」とやはり大したことでもないように笑う。
「馬には乗れますか?」
「ええ」
「ではこの子を」
クレールの手際は鮮やかで、またとても冷静で紳士的だった。
ホレスが来るとクレールは淡々と状況を説明し、死体を埋める時はルネをミントと共に家の中に下がらせた。
「今思えば、捕縛し警邏に突き出すこともできたかもしれませんが、つい」
「いえ……感謝しかありません」
ホレスの言葉は本心だった。強姦の罪は軽く、被害者側に悪評も立つ。ましてや未遂なら尚更。こんな男のために娘が瑕疵を負い、その後この男の影に怯えて生活をする必要はない。その場にいたらきっと自分が殺していたに違いないのだ。
結果としてはこの事件が彼との距離を縮め、リード一家のその後を変化させた。
ふたりの想像通りクレールは貴族家と然程深い付き合いなわけではなく、あくまでも子爵個人との付き合いなのだそうで、彼は一家に協力的だった。
別件で実行犯となった共犯者の彼は、種の使用法を教えてくれたのだ。
「プレストン子爵は入婿の成り上がり商人でしてね。 異国の薬品を流すことで信頼と影響力を高め、高位貴族との繋がりを求めていた」
それ故いずれもおかしな薬どころか、他国での評判をきちんと調べた上で厳選して仕入れた良薬だそう。この国では制限数と禁止成分の点などをクリアし、怪しいところがなければその日のうちに輸入許可が降りる。その場合個人使用目的とはなっていても、譲渡や販売も可能。
植物の検疫も似たようなもので、行われるのは特定の有害動植物や付着した害虫などを対象とした、限定的な検査なのだそう。
検疫証明書はクレール個人のものだった。
「私の目的はこの木からできる鎮痛剤を流通させることでした」
プレストン子爵の存在を知ったクレールは、まず手持ちの薬を売り、それを気に入ったのを確かめた後、製法を知り原材料を持つ自身を苗ごと売り込んだのだと言う。
「では、クレールさんは」
「いえ、私は薬師ではありません。 知っているのはこの種の扱いだけなので」
元々この木は他国のとある村にのみ自生するもので、彼はそこの出身だったのだという。細かいことは語ってくれなかったが、既にその村はないそう。
曰く、この植物の種仁にはネブリンというアルカロイドが含まれており、低温で抽出するとネブロールという鎮静成分が得られるのだという。痛みを和らげ、強い不安や興奮を鎮める作用があり、外傷の処置にも役立つ薬になるらしい。
近隣諸国でも精製されていない良薬に、まずは騎士団に卸し、ゆくゆくは流通を広めるつもりでクレールごと苗を仕入れるに至った子爵だが。ある偏頭痛持ちの高位貴族に譲渡し、気に入られたことでそれをやめた。限定生産というかたちに切り替え情報が漏れないようにした方が、繋がりを深められると考えたのだ。
クレールの目論見は外れたが、然程大変でもない仕事でこの国での安定した生活を得られたことで、当初の気持ちは消えてしまったのだと言う。
「だからそう心配はしなくとも大丈夫……それにこの取引自体もうじき終わるのでは、と」
「……何故か、お聞きしても?」
「子爵家当主が代わるのです。 次代は現子爵の作り上げたものを甘受していることにも気付かないような、考えの足らぬ小物でして。 子爵は薬の存在を息子に伝えてはおらず、私はただの『お抱え商人のひとり』と思われていますし……打ち切られる可能性は高いと思います」
訝しむホレスに彼はそう言うと、収穫数を改竄して種を与え、抽出方法を説明し成分の確認を勧めてくれた。
結果、クレールの言う通り、できたのは良質な鎮痛剤でしかなかった。
ルネは埋めた死体が暴かれることへの不安から、森の家に住むようになった。
家の傍に埋めた死体──これが取引が続けられた四つ目の理由であり、ルネが『離れられない』と言った一番の理由。
これを機にルネは変わった。特に、日々の生活が。具体的に言うと、さり気なく町に出て人と接触する機会を増やしていった。
男の死に罪悪感などないが、相手は町の肉屋の息子……ただ巻き込まれただけとはもう言えない。殺人の隠匿と死体遺棄という明確な咎を父に負わせてしまったことへの責任を感じていたルネは、それまでのようにちょっとばかり賢いだけの、理不尽な暴力や性を嫌悪し恐れるばかりの少女ではいられなくなったのだ。
取引自体の問題……種の使用法についての懸念はクレールによって一旦解決したものの、ルネは彼の言葉の全てを信用するつもりはなかった。恩義は多々あるがそれはまた別の話で、一緒にすべきではない。
それに彼自身の油断ならない空気やあまりに卒のない言動から、どこかできすぎているように感じていた。
計らってくれた諸々は事実で、そこからはこちらに害意はないばかりか、むしろ親しみを感じてくれているように思う。それを否定する気はないが、それだけと思うのは危険だ。なにより、仮に彼自身が信頼に足る人物で言ったことが全て本当だとしても、雇い主がいるのだから。
今度こそ自衛の必要があり、力をつけねばならないのだと、ルネは固く決意していた。
個人の性質を慎重に見極めながら他者と他者の関係性を把握し、間接的でありながら確実に自分の要望が通るように上手く立ち回る……基本的には学校でしていたようなことではある。範囲を広げたかたちの応用であるそれは、学校のような環境ではなく個人を取り巻く様々な要素が違うため入り組んではいたけれど、母と薬屋を手伝い畑を育て、図書館の本と父とだけに学ぶ日々とは当然ながら情報量が桁違いだった。必然的に選ぶ本や父から学ぶ内容も変わっていった。
「ルネ! はいコレ、お土産。 昨日貰った鴨肉を漬けてあるんだ。 あとで一緒に食べよう」
「えっ、どうしたのこれ?」
「店長が間違えて多く仕入れちゃって。 『オーナーに見つからないうちに』って皆に配っててさ」
そんな中でも、変わらないジョージの存在は有難かった。
(そういえば母さんも変わらないわね)
「……ふふっ」
変わらない人達の存在が、酷く変わってしまった場所を、変わらない日常として支えてくれている。そのことに改めて気付き、ルネは笑った。
「なに? 俺の顔になにかついてる?」
「目と鼻と口がついてるわ」
「そりゃそうだろ! ちゃんと教えてよ」
「ジョージって、お母さんみたいだなって」
「えぇ……なにそれ?」
なにも知らないというのもあるが、彼は今まで通り。勿論ふたりの関係性は成長と各々の生活に伴い少しずつ変化したし、日々の中で小さな喧嘩や行き違いはあったけれど、それでもジョージがルネを大切に思って動くことだけはなんら変わりなく、なにも聞かずに心地よい距離を作ってくれる。
「いや……包容力があるってことだよな?」
「うふふ」
「よし! 今日のお昼はこのジョージママにお任せよ♪」
「期待してるわ、ママ」
尊重されている──両親とは違う赤の他人のジョージからそれを感じる、そのことがどれだけ大事だったかなんてジョージにはわからないだろう。
だからルネは、大切なモノとして手放さずにいられたのだ。良くも悪くも大人になって、濁ってしまった心の内のなにかを。
「……少し困ったことになりました」
ルネが16になった秋のこと。
不安は的中し、やってきたクレールはこう言った。
「実は……あの種には他の使い方もあるのです」




