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第三話 安眠妨害は、重罪ですわよ?

「セレスティーヌ、ここだ。お前みたいな身分の高ぇやつからすりゃ、程度の低い部屋だが……まあ我慢しろ」


 ディオスに連れられて、私は一つの小屋の前で立ち止まった。


 確かに、先ほどまでいた社交会のホールとは比べものにならないほど狭い。

 壁も簡素で、装飾なんてほとんどない。


 ――けれど。


 前世の私の家よりは、何倍も広い。


「……感謝いたしますわ」


 反射的に、貴族らしく振る舞おうとして、ドレスの裾に手を伸ばした。


 ……何も掴めない。


 ああ、そうだった。

 さっき、自分で破いたんだった。


 一気に思い出して、頬がかっと熱くなる。

 きっと今、リンゴみたいに真っ赤だ。


「格好、考えとけよ。そんな恰好じゃ戦えねぇぞ」


 ディオスはそう言い残し、踵を返した――その瞬間。


「ディオス様!」


 彼より一回り小柄な兵士が、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「砦の南側に出現した魔王軍ですが、こちらに接近してきません! それどころか……何かに怯えているように見えます!」


「……は?」


 ディオスが眉をひそめる。


「今までそんなことはなかったはずだが……まさか、セレスティーヌ。お前、何かやったのか?」


 その場にいた全員の視線が、私に突き刺さった。


 ……いや、無理でしょう。

 魔王軍なんて、会ったことすらないのに。


「あら、わたくしが……ですの?」


 思わず、口調だけは令嬢に戻る。


「わたくしは、治療を生業なりわいとする者ですわ」


「……治療師か? いや、違うな」


 ディオスは私をじっと見つめる。


「お前がやったことは、治癒魔法士の域を超えてる。まあいい、詳しくは後で聞かせてもらう」


 彼は軽く手を振った。


「今日はもう休め。セレスティーヌは、治癒魔法で相当体力を使ったってカイルが言ってた。あとは任せとけ」


 そう言って、彼は小屋の扉を閉めた。


 ……根本的に見れば、すごくいい上司だと思う。

 少し――いや、かなり脳筋なところを除けば、だけど。


 ベッドに腰を下ろして、ようやく落ち着いて考える余裕ができた。

 さっきまでの出来事が、まだ現実だとは思えない。


 たぶん――いや、ほぼ確実に。

 元の身体、如月刹那は過労死したんだと思う。

 原因は、十中八九、慢性的な睡眠不足。


 助手たちには、悪いことをしたかな。

 最後まで責任を取れなかった。


 そして今の私は、セレスティーヌ・ド・ラ・マルグリット。

 貴族令嬢で、しかも魔法が使えるらしい。


 この世界の魔法は、「イメージ」による現象化。

 つまり、想像力が現実を書き換える。


 ただし、制限もあるみたい。

 私が黒紫系統の魔法しか発現できなかったように、人それぞれ得意な属性や性質が決まっているんだろう。


 ……ただの推測だけど。


 それから、このマジカル軟膏。

 呪いを打ち消す効果がある。

 しかも、対象は魔族由来の呪い。


 魔族をウイルスに例えるなら、これはまるでワクチンみたいなもの。


 そんな医学的な妄想を巡らせているうちに、脳がじわじわと溶けていく感覚に襲われた。

 眠気が、止まらない。


 ディオスの言う通り、魔法の使いすぎなんだろう。

 今は、休むべきだ。

 それが最善手。


 ふかふかのベッドにうつ伏せになった瞬間、意識が底なし沼みたいに沈んでいく。


 私はそのまま、暗闇に連れていかれた。


 ――どれくらい経っただろう。


 まだ身体の芯に疲労が残っている。

 頭も重い。

 明らかに、睡眠が足りていない。



 ◇ ◇ ◇



「――誰か! 誰でもいい! 前線へ出てくれっ!」


 怒号のような叫び声に、意識が一気に引き戻された。


 窓の外を見ると、地平線の端が赤く染まり始めている。

 朝方……たぶん、三時間か四時間しか経っていない。


「……嘘でしょう」


 約束の八時間には、程遠い。


 軽く身なりを整え、声のする方へと部屋を出る。


「どうしたんですの?」


「えっ……あ、セレスティーヌ様! いけません、ここは危険です!

 今しがた、魔王軍に動きがありまして……ですが昨夜は動きがなかったため、精鋭部隊が仮眠に入っており、即応できる戦力が不足しているのです」


 ……どうして、よりにもよってこのタイミングで。


 ディオスと取り決めた「八時間睡眠」という最低限の人権が、盛大に踏みにじられている。

 これはもう、偶発的事故ではない。


 到底、許されるべきではないわ。


「……ああ、そうでしたわね」


「ど、どうなされたのです? 急に笑われて……」


 人って、怒りが限界を超えると、逆に笑えてくるものなのよ。


「……ふふふ。これは、重罪フェロニーですわよ?」


「え……?」


 私は拳をぎゅっと握りしめ、砦の南へ向かおうとした。


 だが、兵士に腕を掴まれて止められる。


「いけません、セレスティーヌ様! あなたは社会勉強のためにここにいらしているお方です。我々が守る立場なのです!」


 ……守れていないから、今こうなっているのではなくて?


 それに。

 私は、ここで戦う運命なんでしょう。


 何も、おかしくない。


「邪魔ですわ」


 兵士は善意で止めている。

 それは分かる。

 でも――今は、そんな配慮に付き合っている場合じゃない。


 眠れなかった怒り。

 目の前で人が死んでいくかもしれない焦り。

 そして、医師として見過ごせない本能。


 全てが混ざり合って、胸の奥で沸騰する。


 足止めする。

 傷つけずに、動きを封じる。

 蜘蛛の巣みたいに、絡め取るように――


 イメージした瞬間、右手が疼いた。


 兵士に向けて手をかざすと、びゅん、と空気を裂く音がした。

 黒紫色の、蜘蛛の巣のような魔法が放たれる。


「……え?」


 次の瞬間、兵士は情けない声を上げ、小屋の壁に縫い留められていた。


 何をされたのか、理解できていない顔。

 正直に言えば、私もよく分かっていない。


「そこで、見ていなさい」


 私は振り返り、にっこりと笑う。


「わたくしが活躍するところを、ですわよ?」


 そう言い残し、砦の南へと駆け出した。


 背後から聞こえる「いけません、セレスティーヌ様!」という声は、もう雑音に近かった。



 ◇ ◇ ◇



 鉄血の砦、南側。


 数分も走らないうちに、私は立ち止まった。


 そこには、血にまみれた兵士たちの残骸が、無数に転がっていたからだ。


 多くの者が、四肢のどこかを欠損している。

 腕、脚、あるいは肩口からごっそりと。


 私は反射的に、最も近くに倒れている兵士の傷口へ視線を向けた。


 ……黒紫色に変色している。


 嫌な色だ。

 さっき治療した患者と、同じ色。


 けれど、そこで私は違和感に気づいた。


 ――息がある。


 生きている。

 それなのに、血はすでに止まり、傷口も中途半端に塞がっている。


 止血はされている。

 だが、治ってはいない。


 ……誰かが、治癒魔法をかけたのね。


 おそらく、呪いを完全に除去できないまま、応急処置だけ施した。

 だから中途半端に傷が塞がって、逆に危険な状態になっている。


 見せかけの治療。

 またこれ。


 胸の奥で、怒りがじわりと燃え上がる。


「――セレスティーヌ! 危ねぇ!」


 次の瞬間、びゅん、と風を切る音がして、視界が横に流れた。


 抱き上げられたのだと理解した時には、もう遅い。


 頬に、ひりりとした熱が走る。


 すっと、赤い線がにじんでいった。


 ……矢が、頬をかすっただけ。

 それだけのこと。


「助かりましたわ、ディオス」


「ああ。でもな、お前に一つ謝らなきゃならねぇ」


「なんですの?」


 不思議に思って首を傾げる。


「睡眠妨害しちまったことだ」


 ……そこ?


 思わず笑いそうになるのを堪える。


「ああ、大丈夫ですわ。言葉にできない感情は、あれにぶつけますから」


 私は、少し先に見える黒い影を指差した。


 悪魔のような姿のもの。

 骸骨めいた兵。

 羽ばたく小型のドラゴン。


 どれも、人間とはかけ離れた構造をしている。


 ……解体したい。


 純粋に、構造を知りたい。

 どこが心臓で、どこが神経で、どこが呪いの発生源なのか。


 前世で、解剖学の授業を受けたときのわくわく感が蘇る。

 あの頃は、まだ医学が楽しかった。


 ……でも、生きたまま保存となると倫理的にアウトね。


「……うーん」


「おい。今、絶対やべぇこと考えてただろ」


「あら、わたくしにとっては普通の思考ですわ。あなたは筋肉に全神経が直結していて、幸せそうで羨ましいですわね」


 嫌味のつもりだったのだけれど。


「ありがとな。褒めてくれて」


 ……通じていなかった。


 まあ、いいわ。


 今はそれより――

 目の前の治療の地獄を、どうにかする方が先ですもの。


 私は、マジカル軟膏を量産していた。


 生成するたびに、肩の奥がずしりと重くなる。

 魔法を使っているはずなのに、感覚は徹夜明けの手術とそっくりだった。


 倒れている兵士は、ざっと十人。

 一人につき、患部全体を覆うくらいは必要。


 でも、今の私が一度に生み出せるのは、握りこぶし半分ほど。


 ……相当、きつい。


「まあ、いいわ」


 弱音を吐く暇はない。


 私は全力でイメージに集中した。

 生成された黒紫色の軟膏は、即座に近くの兵士が掬い取り、小瓶に詰めて負傷者のもとへ運ばれていく。


 完璧な流れ。

 戦場で即席に構築されたとは思えないほど、無駄のない導線だった。


 私が「抗体」を作っている間に、ディオスが動いた。


 魔王軍に向かって、迷いなく突進する。


 腰に下げていた鋭い剣が、昇り始めた朝日に反射してぎらりと光る。

 次の瞬間、その剣にオレンジ色のオーラがまとわりついた。


 ディオスの剣が、オレンジの軌跡を描く。


 一閃。


 ――速い。


 前世で見た、どんな外科医の手技よりも速く、正確で、無駄がない。


 魔族が反撃しようと腕を振り上げた、その動作の途中で――

 剣は既に、その首を断っていた。


 灰となって崩れ落ちる魔族。


 次。また次。


 まるで草を刈るように、ディオスは敵を薙ぎ払っていく。


 ……圧倒的だ。


 でも――。


 視線を巡らせると、魔族の数は見えるだけで三十以上。

 ディオス一人では、追いつかない。


 数体が、倒れている兵士たちへ向かって動き出した。


「……させませんわ」


 次は――私の番。


 右腕に、意識を集中させる。


 ――イメージ。


 前世で、私は何を握っていた?

 メス。鉗子。針。糸。


 どれも、命を救うための道具。


 なら、今は?


 この世界で、命を守るために必要なものは――


 剣を握り、あの魔王軍を薙ぎ払う自分を、明確に思い描く。


 医療器具じゃない。

 この世界では、武器こそが、命を守る手段。


 熱いものが、体の奥から込み上げてきた。

 腕が、肩が、指先まで――全てが黒紫色に染まっていく。


 痛い。

 熱い。

 でも、止められない。


 ばちん、と空気が弾けた。


 気づけば、私の手には、長い「何か」が収まっていた。


 漆黒に輝きながら、どこか紫が滲むように浮かび上がる剣。

 装飾は少ないのに、異様な存在感だけがある。


 刃渡りは、私の身長ほど。

 重さは――感じない。まるで、自分の腕の延長のように。


 ――見ただけで、分かる。


 これは、強い。

 理屈抜きで、最強だと理解させられる代物だった。


「……ふんっ!」


 足に力を込めた瞬間、景色が跳んだ。


「……え?」


 次の瞬間には、私はもう魔王軍の目前にいる。


 ――今の、何メートル跳んだ?


 前世の私なら、全力疾走しても十秒はかかる距離を、一瞬で。


 この身体、どう考えてもおかしい。


 セレスティーヌの肉体は、明らかに人間の限界を超えている。

 平均的な魔力量? 知らない。

 でも、底が見えない、という感覚だけははっきり分かった。


 目の前に、骸骨のような魔族。

 こちらに気づいて、錆びた剣を振りかぶる。


 遅い。


 私は剣を振り上げ、そのまま真上から叩き落とした。


 手応えは、意外なほど軽い。

 例えるなら、よく熟れた肉を、切れ味のいい包丁で断つ感触。


 抵抗はない。

 音も、ほとんどない。


 すっと、魔族の身体が真っ二つになった。


 ――あっけない。


 前世で扱った手術器具よりも、よほど切れ味がいい。


 問題は――その後だった。


 剣先が地面に触れた途端、世界が弾けた。


 剣の中に溜まっていた魔力。

 それが、地面という「導体」を通じて一気に放出される。


 ――まずい。


 理解した時には、もう遅い。


 魔力の制御なんて、習っていない。

 イメージだけで形にすることはできても、

 使った後の処理まで、考えていなかった。


 膨大すぎる力が、行き場を失って一気に逆流する。


「……っ!」


 黒紫色の稲妻が、地面から噴き上がるように走る。

 空気が震え、視界が白く焼き切れた。


 一番近くにいたのは、当然、私だ。


 避けようなんて、思考すら間に合わない。

 稲妻は、そのまま私を貫いた。


 痛み、というより――

 神経を直接引き剥がされるような衝撃。


 身体が、悲鳴を上げている。

 いや、実際に声が出ているのかもしれない。


 でも、聞こえない。

 全ての音が、遠のいていく。


 意識が、急速に遠のいていく。


 最後に見えたのは、砦の南側。

 そこにいたはずの魔王軍が、跡形もなく消えている光景だった。


 地面には、巨大なクレーターのような痕。

 半径数十メートルが、黒く焼け焦げている。


 ……ああ、やりすぎた、わね。


 そう思ったところで、私の意識は完全に途切れた。



 ◇ ◇ ◇



 ――暗い。


 何も見えない。何も聞こえない。

 ただ、浮遊している感覚だけがある。


 ここは、どこ?


 死んだの?

 また?


 それとも――


「……セレスティーヌ」


 誰かの声が、遠くから聞こえた。


「……起きろ、セレスティーヌ」


 低く、重い声。

 ディオスの声。


「まだ死ぬには早ぇ。お前には、やることがあるはずだ」


 ……やること?


 何を、やるんだっけ。


「休むことだろ。八時間睡眠だ」


 ……ああ、そうだった。


 私、まだ眠り足りていない。


 三時間か四時間しか寝ていない。

 それなのに、また戦場に出された。


 ふざけている。


 絶対に、許さない。


「……そうですわね」


 声が、出た。


 身体が、重い。

 でも、動く。


「……まだ、眠り足りませんもの」


 瞼を、持ち上げる。


 視界がゆっくりと明るくなっていく。


 最初に見えたのは、荒い木の天井。

 それから、心配そうに覗き込むディオスの顔。


「……気づいたか」


「ええ。わたくしを起こすなんて、いい度胸ですわね」


 そう言って、私はゆっくりと身体を起こした。


 全身が、鉛のように重い。

 魔力を使いすぎたせいだろう。


「どれくらい、眠っていましたの?」


「半日ってとこだ」


 ……足りない。


 圧倒的に、足りない。


「セレスティーヌ」


 ディオスが、真剣な顔で言った。


「お前の力は、本物だ。魔王軍を一掃した。だが――」


 彼は、少しだけ言葉を切った。


「制御できなきゃ、お前自身が死ぬぞ」


「……分かっていますわ」


 自覚はある。


 さっきのは、完全に暴走だった。

 運が良かっただけ。


「だから、提案がある」


 ディオスは、腕を組んだ。


「魔法の制御を、誰かに習え。ここには優秀な魔導士もいる。カイルもその一人だ」


「……」


「それと、もう一つ」


 彼は、私の目をまっすぐ見た。


「無理すんな。お前が倒れたら、誰がこの砦の兵士を救うんだ」


 その言葉に、胸の奥が熱くなった。


 ……この人、本当に。

 脳筋のくせに、妙に優しい。


「分かりましたわ。では、条件を追加させていただきますわね」


「……またか」


 ディオスが、呆れたように溜息をついた。


「魔法の制御を学ぶ時間を、業務時間内に組み込むこと。それと――」


 私は、にっこりと笑った。


「今日は、丸一日休ませていただきますわ。交渉の余地はございませんわよ?」


 一瞬の沈黙。


 そして、ディオスは――笑った。


「……お前、本当に面白ぇな」


「いいだろう。今日は休め。明日から、ちゃんと教育プログラムを組む」


 そう言って、彼は部屋を出て行った。


 一人になった部屋で、私はもう一度ベッドに倒れ込んだ。


 ……ようやく、休める。

 本当に、ようやく。


 意識が、再び暗闇に沈んでいく。

 でも、今度は怖くない。


 ここは、戦場。

 でも――私の居場所なのだから。


 

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