表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、辺境で『なんでも喫茶店』はじめます。  作者: 九葉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

第7話 看板娘への求愛と、熱々クリスピーピザの攻防戦

 『陽だまり亭』の評判は、私が予想していた速度を遥かに超えて広がっていた。

 どうやら「辺境ベルクに、王都の高級店より美味くて安い店がある」という噂は、行商人たちのネットワークを通じて近隣の街にまで届いているらしい。


 おかげで、ここ数日の忙しさは尋常ではなかった。


「お姉さん! 噂のオムライス、まだあるかい?」

「俺はハンバーグだ! 王都からわざわざ食べに来たんだぞ!」


 ランチタイムのピーク。

 客席は満員御礼。外に行列ができるほどの盛況ぶりだ。

 私は猫の手も借りたい状況で、厨房の中を回転しながら料理を量産していた。


 ただ、最近少しだけ困ったことがある。

 それは、私の料理ではなく、「私自身」を目当てにするお客さんが増えてきたことだ。


「ねぇレティシアちゃん。仕事が終わったら一杯どう?」

「そんなに働いてないで、俺の嫁になればいいのに。楽させてやるよ?」


 カウンター席に座る、身なりの良い若手商人や、腕に覚えがありそうな冒険者たちが、口々にそんな言葉を投げてくる。

 もちろん、彼らに悪気がないのはわかっている。

 美味しい料理とお酒が入って気が大きくなっているだけだし、辺境には娯楽が少ないから、若い女性の店主というだけで珍しがられているのだろう。


「あはは、お気持ちだけ受け取っておきますねー。さあ、オーダー入ります!」


 私は営業スマイルで華麗にスルーしながら、ピザ生地を宙に投げた。

 くるくると回る白い生地。

 遠心力で薄く、丸く広がっていく。


 今日のオススメは、みんなでシェアして食べられる『窯焼きピザ』だ。


 強力粉に、天然酵母、塩、水、そしてオリーブオイル。

 シンプルだからこそ誤魔化しが効かない。

 一晩寝かせて発酵させた生地は、赤ちゃんの肌のようにすべすべで、触れているだけで愛おしくなる。


 これを極限まで薄く伸ばす。

 私が目指すのは、コルニチョーネはふっくら、底はパリパリのナポリ風とローマ風のいいとこ取りだ。


 伸ばした生地に、特製のトマトソースを塗る。

 完熟トマトを煮詰め、ニンニクとオレガノを効かせたパンチのあるソースだ。

 その上に、具材をトッピング。

 

 一枚目は王道の『マルゲリータ』。

 フレッシュなモッツァレラチーズをちぎって乗せ、バジルの葉を散らす。

 二枚目はガッツリ系の『サラミ&ベーコン』。

 薄切りの辛口サラミと、燻製ベーコン、そしてピーマンと玉ねぎ。仕上げにミックスチーズを山のように盛る。


「美味しくなぁれ!」


 パーラー(ピザを乗せる大きなヘラ)に乗せて、石窯の中へ滑り込ませる。

 この石窯も、元々あった暖炉を土魔法で改造したものだ。

 中は四百度を超える高温。


 パチパチ、という薪の爆ぜる音。

 生地が熱を受けてぷくぅっと膨らみ、チーズがグツグツと沸騰し始める。

 一分半。

 ピザはスピードが命だ。


「焼き上がり!」


 取り出したピザからは、香ばしい小麦の香りと、焦げたチーズの誘惑的な匂いが立ち上る。

 ピザカッターでザクッ、ザクッ、と六等分に切り分ければ完成だ。


「お待たせしました! 焼きたてピザです!」


 私がカウンターにピザを出すと、男性客たちがわっと歓声を上げた。


「おおー! すげぇ美味そう!」

「でもさ、レティシアちゃんの手料理もいいけど、俺は君の笑顔をおかずに酒が飲みたいなぁ」


 一人の商人が、私の手に触れようと身を乗り出してきた。

 ちょっと距離が近い。

 酒臭い息がかかって、私は思わず半歩下がった。


「あ、あの、お客様。困ります……」

「いいじゃないか、減るもんじゃなし。俺、王都にデカい屋敷持ってるんだぜ? こんなボロ屋で働くより幸せにしてやるって」


 しつこい。

 笑顔が引きつりそうになった、その時だった。


 ガタッ。


 入り口の扉が、乱暴に開かれたわけでもないのに、重苦しい音を立てて開いた。

 同時に、店内の気温が急激に下がった気がした。

 賑やかだった喧騒が、水を打ったように静まり返る。


「…………」


 入り口に立っていたのは、いつもの黒い騎士服姿のジークハルト様だった。

 ただ、今日の彼は機嫌が悪い。

 いや、悪いなんてものではない。

 氷の彫像のように美しい顔に、能面のような無表情を貼り付け、その瞳からは絶対零度の吹雪が吹き荒れていた。


 彼はゆっくりと、店の中を見渡した。

 その視線が、私に絡んでいた商人の背中でピタリと止まる。


「……随分と、景気が良さそうだな」


 低く、地を這うような声。

 商人がビクリと肩を震わせて振り返る。

 そして、背後に立つ「氷の公爵」の姿を認めた瞬間、顔から血の気が引いていくのが見えた。


「こ、公爵閣下……!?」

「食事を楽しんでいるところ悪いが、そこは俺の席だ」


 ジークハルト様は、商人が座っていた席(正確にはその二つ隣なのだが)を指差したわけでもなく、ただ冷ややかに告げた。

 それだけで十分だった。


「ひ、ひぃっ! す、すぐに空けます!」

「邪魔しました!」


 商人とその連れたちは、食いかけのピザもそのままに、転がるようにして席を立ち、店の奥へと逃げていった。

 彼らだけではない。

 下心ありげな視線を送っていた他の男たちも、全員が皿に顔を突っ込む勢いで食事に集中し始めた。


 一瞬にして、店内から「ナンパな空気」が消滅した。

 残ったのは、純粋に食事を楽しむ健全な空気と、ほんの少しの恐怖だけ。


 ジークハルト様は、悠然とカウンター席に座った。

 逃げた商人が座っていた席ではなく、いつもの私の作業スペースの真正面だ。


「……いらっしゃいませ、ジークハルト様。お疲れ様です」

「ああ」

「もしかして、怒ってます?」

「……別に」


 彼は短く答え、頬杖をついて私を見た。

 その瞳はまだ少し剣呑だが、私に向ける視線だけは、どこか拗ねた子供のように甘えているようにも見える。


「ただ、飯を食いに来たのに、店の入り口が下衆な欲望で塞がっていたからな。掃除をしただけだ」

「ふふ、ありがとうございます。助かりました」


 私は素直にお礼を言った。

 彼がいなければ、もう少し面倒なことになっていたかもしれない。

 それにしても、掃除(威圧)の威力が強すぎる。


「お腹、空いてますよね? 今日はピザですよ」

「……ピザ?」

「はい。平たいパンに、具材とチーズを乗せて焼いたものです」


 私は商人が残していったピザを片付け(これは後で私がまかないにする)、ジークハルト様のために新しい生地を伸ばし始めた。

 彼の視線が、私の手元に釘付けになる。

 生地が宙を舞うたびに、彼の目が上下するのが面白い。


「君は、料理をしている時が一番楽しそうだな」

「ええ、大好きですから。美味しいものを作って、誰かが笑顔になってくれるのが、私の生き甲斐なんです」

「……そうか」


 彼は何か言いたげに口を開きかけたが、結局飲み込んでしまった。

 その代わり、じっと私を見つめ続ける。

 その熱っぽい視線に、私がドギマギしてしまう。


(な、なによもう。早くピザ焼かなきゃ!)


 私は照れ隠しのように手早くトッピングを済ませ、窯に放り込んだ。

 数分後。


「お待たせしました! 『ジークハルト様スペシャル・クアトロフォルマッジ』です!」


 今回出したのは、四種のチーズ(クアトロフォルマッジ)のピザだ。

 トマトソースは使わず、ゴルゴンゾーラ、モッツァレラ、パルメザン、そしてゴーダチーズをたっぷりと乗せて焼き上げた、チーズ好きのための逸品。

 別添えで、ハチミツの小瓶を添える。


 香ばしい小麦の香りと、ブルーチーズ特有の刺激的な香りが混ざり合う。

 表面は黄金色に輝き、所々焦げたチーズがクレーターを作っている。


「……具がないな。チーズだけか」

「食べてみてください。飛ぶぞ、ってやつです」


 彼は疑わしげにピザの一切れを持ち上げた。

 その瞬間。


 とろぉぉぉぉぉぉぉっ……!


 チーズが伸びる。

 どこまでも、どこまでも。

 まるで滝のように流れ落ちるチーズの奔流。

 重みに耐えきれず、先端がだらりと垂れ下がる。


 彼はそれを、パクッ、と迎えに行った。


 サクッ。


 クリスピーな生地が割れる音が、私の耳にも届いた。

 

「……んッ」


 彼の目が大きく見開かれる。

 

 口の中に溢れ出す、濃厚すぎるチーズのコク。

 ゴルゴンゾーラの塩気と癖のある風味が、モッツァレラのミルキーさで中和され、絶妙な旨味となって舌を包み込む。

 生地は薄いのに存在感があり、パリパリとした食感が心地よい。

 噛めば噛むほど、小麦の甘みとチーズの油分が混ざり合い、脳が痺れるような快楽を生む。


 彼は夢中で咀嚼し、飲み込んだ。


「……濃い。だが、止まらない味だ」

「でしょう? 次はこのハチミツをかけてみてください」


 私は小瓶のハチミツを、ピザの上にたらりと垂らした。

 黄金色の蜜が、熱々のチーズの上で輝く。

 塩気のあるチーズに、甘いハチミツ。

 邪道に見えて、これこそが王道にして至高の組み合わせだ。


 彼は恐る恐る口に入れる。


「――っ!?」


 衝撃が走ったようだ。

 塩気と甘みの暴力的なマリアージュ。

 「甘じょっぱい」という最強の風味が、味覚中枢をダイレクトに殴りつける。


「なんだこれは……酒に合うはずなのに、菓子のような……いや、食事だ。わからないが、美味い!」


 クールな公爵様が、混乱しながらピザを頬張る姿は、なんとも愛らしい。

 彼は一枚丸ごと、あっという間に平らげてしまった。

 もちろん、追加でコーラ(黒い炭酸水に、スパイスと柑橘を混ぜた自家製)も注文して、豪快に喉を鳴らしていた。


 食後の余韻に浸りながら、彼はふと真面目な顔に戻った。


「レティシア」

「はい?」

「……あの男たちが言っていたことだが」

「え?」

「王都に屋敷があるとか、嫁になれば楽ができるとか」


 彼は私の目を真っ直ぐに見つめた。

 その瞳には、不安のような色が揺らめいている。


「君は……王都に戻りたいと思うか?」

「まさか!」


 私は即答した。

 あまりの速さに、彼が少し驚いたくらいだ。


「私は今、ここが一番好きです。ベルクの街も、ここに来てくれるお客さんも、食材も。……それに」

「それに?」

「ジークハルト様が、毎日美味しそうに食べてくれるのを見るのが、何より嬉しいですから」


 私が屈託なく笑うと、彼は虚を突かれたように固まった。

 そして、みるみるうちに耳まで赤く染まっていく。

 氷の公爵様が、茹でダコみたいだ。


「……そ、そうか」

「はい!」


 彼は咳払いを一つして、視線を逸らした。

 そして、ボソボソと呟く。


「……卑怯だぞ、その笑顔は」

「何か言いました?」

「なんでもない。……俺も、君の料理が一番好きだ。他には代え難い」


 「料理が」という部分が強調されていた気がするけれど、それでも十分な褒め言葉だ。

 私は嬉しくなって、「明日はパスタにしますね!」と宣言した。


 ジークハルト様が帰った後、店内の空気が一気に緩んだ。

 隠れていたお客さんたちが、ほっと息を吐く。


「いやぁ、怖かった……寿命が縮んだよ」

「でも、公爵様があんな顔するなんてな」

「レティシアちゃん、あの方とどういう関係なの?」


 みんな興味津々だ。

 私は首を傾げる。


「どういう関係って……常連さんと、店主ですよ?」

「「「いやいやいや!」」」


 店中の声がハモった。

 え、違うの?

 私が不思議そうな顔をしていると、年配の女性客が呆れたように言った。


「あんたねぇ、あれはどう見ても『惚れてる男』の顔だよ。しかも重症のね」

「まさかぁ。公爵様ですよ? 美味しいご飯に惚れてるだけですって」


 私は笑い飛ばしたけれど、胸の奥が少しだけ熱くなった。

 もし、本当にそうだとしたら。

 ……いやいや、期待しちゃダメだ。

 私は婚約破棄された傷物令嬢。彼は国の英雄。

 住む世界が違うのだ。

 今はただ、美味しい料理で彼を元気にできれば、それでいい。


 そう自分に言い聞かせて、私は片付けに戻った。


 ◇


 その頃。

 王都へ向かう街道を、一台の豪奢な馬車が走っていた。

 乗っているのは、恰幅の良い行商人と、その護衛たち。

 彼らはベルクで仕入れた荷物を運んでいたのだが、その会話の内容は不穏だった。


「おい、聞いたか? ベルクの『陽だまり亭』の話」

「ああ。なんでも、追放された公爵令嬢がやってるって噂だろう?」

「その通りだ。しかも、彼女が作る料理には『特別な力』があるらしい」

「特別な力?」

「食っただけで古傷が治ったとか、魔力が回復したとか……そんな眉唾な話だが、もし本当なら」


 商人は下卑た笑みを浮かべた。


「王都の食糧難と、聖女様の力不足。そこに『癒やしの料理を作る元公爵令嬢』が現れたとなれば……これは金になるぞ」

「違いねぇ。王太子殿下や他の貴族に情報を売れば、高くつく」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ