第4話 騎士団の襲来と、肉汁の洪水ハンバーグ
『陽だまり亭』のオープン初日は、まさに嵐のような一日だった。
氷の公爵ことジークハルト様が、オムライスを三皿も平らげたという事実は、最高の宣伝効果をもたらしたらしい。
彼が帰った直後から、遠巻きに見ていた街の人々が雪崩のように押し寄せてきたのだ。
「オムライス一つ!」
「こっちはコロッケ定食だ!」
「おい、並べよ! 俺が先だぞ!」
てんてこ舞いとはこのことだ。
私は厨房の中を走り回り、フライパンを振り続けた。
用意していた大量のデミグラスソースも、山積みのジャガイモも、夕暮れ時にはすっからかん。
最後のお客さんを見送り、「本日は完売しました」の札を掲げた時には、足が棒のようになっていた。
けれど、心は驚くほど軽かった。
あんなにたくさんの人が「美味しい」「ありがとう」と言ってくれた。
空っぽになった冷蔵庫(保冷の魔道具つき)を眺めながら、私は充実感に浸りつつ、泥のように眠ったのだった。
◇
そして、翌日。
筋肉痛でバキバキと悲鳴を上げる体に鞭打って、私は早朝から仕込みを始めた。
昨日の反省を活かし、今日は倍の量を準備する。
本日の日替わりランチは、私の十八番であり、洋食屋の王様。
みんな大好き『ハンバーグステーキ』だ。
牛と豚の合い挽き肉を、冷やしながら素早くこねる。
手の熱が伝わると脂が溶けてしまうから、ここはスピード勝負。
炒めた玉ねぎ、パン粉、牛乳、卵、そしてナツメグと塩コショウ。
粘りが出るまでしっかりと混ぜ合わせ、空気を抜くようにペチペチと両手でキャッチボールをして成形する。
この「空気抜き」が甘いと、焼いている途中で割れて肉汁が逃げてしまう。
肉汁を一滴たりとも逃がさない。それがハンバーグ道の鉄則だ。
「ふぅ……よし、五十人前、準備完了!」
時計を見ると、開店時間の十分前だった。
私はエプロンを整え、深呼吸をする。
今日も忙しくなりそうだ。
カラン、コロン♪
「いらっしゃいませ! まだ開店前で……あ」
言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
まだ「準備中」の札を出しているのに、勝手にドアが開いたからだ。
そして、そこに入ってきたのは――。
「……おはよう」
昨日と同じ、全身黒ずくめの騎士服。
そして、この世のものとは思えない美貌と、絶対零度の瞳。
ジークハルト様だった。
ただし、今日は一人ではない。
彼の背後には、同じような騎士服を着た屈強な男たちが、ぞろぞろと十名ほど連なっている。
全員がガタイが良く、腰に剣を下げていて、店内の圧迫感が半端ない。
「お、おはようございます……。あの、まだ開店前なのですが……」
「知っている。だが、待っている間に他の客に入られては困るからな」
ジークハルト様は当然のような顔で言い放ち、昨日と同じ「一番奥の特等席」にドカリと座った。
他の騎士たちは、恐縮した様子で入り口付近に固まっている。
「失礼するよ、お嬢さん。閣下が昨日の昼から『あの店の飯はすごい』と上機嫌でね。俺たちも気になってついてきちまったんだ」
副団長らしき、人の良さそうな赤毛の騎士が苦笑しながら言った。
「閣下が食事をまともに摂られたのは久しぶりなんだ。部下として、礼を言わせてくれ」
「余計なことを言うな、ガレス」
ジークハルト様が低い声で牽制すると、騎士たちはビシッと背筋を伸ばして「サー、イエス、サー!」みたいな顔で席に着いた。
まるで店全体が騎士団の作戦会議室になったようだ。
緊張感漂う空気の中、私はお冷を配りながら注文を取る。
「ええと、ご注文は……?」
「全員、同じものを。一番美味いものを頼む」
ジークハルト様が代表して答えた。
部下たちも無言で頷いているが、その目は「本当に美味いのか?」「公爵様の味覚がおかしくなったんじゃないか?」と半信半疑のようだ。
無理もない。辺境の食事といえば、塩漬け肉と硬いパンが相場だからだ。
(ふふふ、疑ってるわね? その顔、すぐに崩してあげるんだから!)
私は不敵な笑みを隠して、厨房へと戻った。
オーダー、ハンバーグステーキ十一丁!
巨大な鉄板を火にかける。
熱した油の上に、成形した肉厚のハンバーグを並べていく。
ジュウウウウゥゥゥゥッ……!!
一斉に、激しい音が店内に響き渡った。
肉の焼ける香ばしい匂いが、換気扇を無視して客席へと襲いかかる。
「なんだ、この音は……?」
「おい、すげぇいい匂いがしてきたぞ」
客席の騎士たちがざわめき始めるのが聞こえる。
私はニヤリと笑いながら、ハンバーグを裏返した。
こんがりと美しい焼き色がついている。
ここへ、少量の赤ワインを入れて蓋をする。蒸し焼きだ。
中までふっくらと火を通しつつ、旨味を閉じ込める重要な工程。
パチパチ、ジュー……と音が落ち着いてきた頃合いを見計らい、蓋を開ける。
ぶわっと白い湯気が立ち上り、ふっくらと膨らんだハンバーグが姿を現した。
パンパンに張っていて、今にも破裂しそうだ。
これを熱々の鉄製プレートに移す。
付け合わせは、バターでソテーしたニンジン、コーン、そしてホクホクのフライドポテト。
最後に、昨日仕込んだデミグラスソースに、さらにケチャップとウスターソースを加えて調整した『特製ハンバーグソース』をたっぷりとかける。
ジュワアアァァッ!
ソースが鉄板に触れて跳ね、香りの爆弾が炸裂した。
「お待たせいたしました! 『肉汁溢れる・デミグラスハンバーグ』です!」
私はワゴンに載せて、次々とテーブルへ運んだ。
ジークハルト様の目の前に置くと、まだジュージューと音を立てている鉄板を見て、彼が喉を鳴らす音が聞こえた。
「……昨日の卵料理とは、また趣が違うな」
「はい。今日はガッツリ系です。火傷に気をつけてくださいね」
ジークハルト様はナイフとフォークを構えた。
部下の騎士たちも、ゴクリと唾を飲み込んで主君の様子を見守っている。
彼はハンバーグの中央に、ゆっくりとナイフを入れた。
その瞬間だった。
プシュッ!
まるで水風船を割ったかのように、切れ目から透明な肉汁が噴き出したのだ。
それは鉄板の上に流れ出し、デミグラスソースと混ざり合って、ジュワジュワと激しく泡立った。
「なッ……!?」
「おい見ろよ、汁が溢れ出てきたぞ!」
「もったいない! 皿からこぼれる!」
騎士たちが悲鳴に近い声を上げる。
ジークハルト様も目を見開いていたが、すぐに切り分けた肉片を口へと運んだ。
ソースと肉汁をたっぷりと纏わせた、熱々の塊を。
ハフッ、と熱さを逃がしながら、噛み締める。
「…………っ!」
ガタン、と彼が椅子を揺らした。
言葉が出ないらしい。
口いっぱいに広がるのは、粗挽き肉のワイルドな食感と、噛むたびに染み出してくる濃厚な旨味。
肉本来の甘みが、少し酸味のあるデミグラスソースによって極限まで引き立てられている。
彼は夢中で二口、三口と食べ進め、それから慌てたように白米を口に放り込んだ。
濃い味のハンバーグと、ほかほかの白米。
この悪魔的な相性の良さに、日本人の魂を持つ私が抗えるはずもないが、異世界人の彼にとっても衝撃だったようだ。
「う……美味すぎる!」
誰かが叫んだのを合図に、騎士たちも一斉に食べ始めた。
「なんだこれは! 肉が柔らかい! 飲めるぞ!」
「この黒いソースだけでパンが三つはいける!」
「おい、誰かエールを持ってこい! いや、白米だ! 白米をおかわりだ!」
店内は一瞬で戦場と化した。
カチャカチャと食器が鳴る音と、「うめぇ」「最高だ」という呻き声だけが響く。
普段は厳しい顔をしている騎士たちが、子供のような笑顔で頬張っている姿は壮観だ。
私は厨房からその様子を眺めながら、追加のご飯をよそうのに大忙しだった。
「お嬢さん! こっちも大盛りで頼む!」
「ソース増量できますか!?」
「はいはい、順番にお持ちしますからねー!」
そんな喧騒の中。
ふと視線を感じて振り返ると、綺麗に完食したジークハルト様が、じっとこちらを見ていた。
その目は、昨日よりもさらに熱を帯びていて、どこか不満げだ。
「……?」
私は手を止めて彼の元へ向かう。
「お口に合いませんでしたか? それとも、おかわりですか?」
「いや、味は文句ない。最高だった。……だが」
彼はチラリと、幸せそうに騒ぐ部下たちを見て、眉を寄せた。
「少し、騒がしすぎたな。……昨日はもっと、静かに味わえた」
それは、どう聞いても「俺だけの店だったのに」という子供っぽい独占欲だった。
あの氷の公爵様が、拗ねている?
私は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
「ふふっ、賑やかでいいじゃないですか。美味しいものは、みんなで食べた方が美味しいですよ」
「……俺は、君の料理を静かに楽しみたいのだが」
「あら。じゃあ、今度は夜にいらしてください。夜ならお酒に合うメニューも出しますし、比較的静かですから」
営業トークのつもりで言ったのだが、ジークハルト様の目が鋭く光った。
「夜か。……わかった。次は夜に来る」
「えっ、あ、はい。お待ちしてます」
「約束だぞ」
念を押すように言われ、私はタジタジと頷いた。
その真剣な眼差しに、不覚にも心臓がトクンと跳ねる。
ただの「来店の約束」のはずなのに、なぜか「逢瀬の約束」を取り付けられたような気恥ずかしさがあった。
こうして、騎士団の襲来という名の嵐は過ぎ去った。
彼らは全員、腹がはち切れんばかりに膨れ上がり、幸せそうな顔で帰っていった。
帰り際、ジークハルト様は部下たちに「午後の訓練は倍にするからな、覚悟しておけ」と言い放ち、悲鳴を上げさせていたけれど。
その日の売上は、ランチだけで過去最高額(と言っても二日目だが)を叩き出した。
手元の金貨の重みと、騎士たちの笑顔を思い出しながら、私は確信した。
この店は、絶対に繁盛する。
そして、あの不器用な公爵様とも、もう少し仲良くなれるかもしれない。
そんな予感に、私は自然と頬を緩ませるのだった。




