第2章 第7話 畑のお肉のサプライズと、和風おろしハンバーグの革命
前菜のテリーヌが下げられ、ダイニングルームには少しだけ柔らかな空気が漂い始めていた。
野菜嫌いの叔父様ですら、「草を食って美味いと思ったのは初めてだ」と唸らせたのだから、掴みは上々だ。
次の一皿は、スープ。
私はニーナと共に、温められた深皿を丁寧に配膳していく。
「二皿目は、『新玉ねぎと雪解け水のポタージュ』でございます」
目の前に置かれたのは、純白のスープだった。
余計な飾り気はない。
とろりとした乳白色の液体が、湯気と共に甘く優しい香りを漂わせているだけだ。
エリーゼ様は、スプーンでスープを静かにすくい、口へと運んだ。
一口飲んで、彼女の動きが止まる。
そして、信じられないものを見るような目で、再び皿の中を見た。
「……甘い」
彼女がぽつりと呟く。
「砂糖を……相当入れていますね? これでは甘すぎて、食事のスープというよりはお菓子のようです」
「いいえ、エリーゼ様。砂糖は一粒も使っておりません」
「嘘をおっしゃい。砂糖なしで、野菜がここまで甘くなるはずがありません」
彼女の指摘に、周りの親族たちも頷く。
確かに、舌に残る甘みは果物以上だ。疑われるのも無理はない。
「嘘ではありません。これは『蒸し煮』という技法で作りました。新玉ねぎを少量の水と塩だけで、弱火で一時間以上じっくりと蒸すのです。そうすることで、玉ねぎの辛味が飛び、自身が持つ甘みが極限まで引き出されます」
私は胸を張って説明した。
水を一切加えず、玉ねぎの水分だけで旨味を凝縮させ、最後に牛乳と生クリームで伸ばしただけのシンプルなスープ。
だからこそ、素材の力がダイレクトに伝わる。
「……砂糖ではない、というの?」
エリーゼ様は半信半疑でもう一口飲んだ。
舌の上で転がし、喉を通す。
後味に残るのは、ベタつく砂糖の甘さではなく、すっきりとした野菜の余韻。
「……本当ね。くどくない。体に染み渡るような、優しい甘さだわ」
彼女の表情が、ふわりと緩んだ。
冷え性になりがちな老婦人の体を、内側から温めるホットミルクのような優しさ。
張り詰めていた神経がほぐれていくのが、見ていてもわかった。
スープ皿が空になる頃には、会場の空気は「敵意」から「期待」へと完全に変わっていた。
次はいよいよ、メインディッシュだ。
私は一度厨房へ下がり、フライパンの前に立った。
ここからが正念場。
今回のテーマは「罪悪感のない極上のフルコース」。
肉料理は出したい。でも、脂っこいものはエリーゼ様の胃には重いし、医者からも止められている。
その矛盾を解決する魔法の食材。
「ニーナ、焼き加減を見るわよ。ソースの準備はいい?」
「バッチリだよ! 大根おろし、腕がパンパンになるまですったから!」
「ありがとう。行くわよ!」
ジュウウウウッ……!
フライパンの上で、こんがりとした焼き色がついた「それ」を、熱々の鉄板へと移す。
仕上げに、たっぷりの大根おろしと、刻んだ大葉(シソに似た香草)を乗せ、特製のポン酢ソースを回しかける。
ジュワアアアアッ!!!
酸味を含んだ醤油の焦げる香りが、爆発的に広がる。
さあ、ショータイムだ。
「メインディッシュをお持ちしました。『北の大地の恵み・特製和風おろしハンバーグ』です」
鉄板に乗せられたハンバーグが、各席に運ばれる。
まだパチパチと音を立てるソース。
立ち上る湯気。
それを見た瞬間、恰幅の良い叔父様が眉をひそめた。
「おいおい、娘さん。テーマは『体に優しい』じゃなかったのか? こんな巨大な肉の塊、我々の胃には重すぎるぞ」
「確かに……美味しそうではあるけれど、脂身が多そうね」
叔母様もナプキンで口を押さえ、躊躇している。
エリーゼ様に至っては、鉄板を睨みつけ、微動だにしない。
彼女は肉が好きなのだ。本当は食べたいのだ。
でも、「食べたら後で具合が悪くなる」「医者に怒られる」という理性が、食欲を押し殺している。その葛藤が、彼女を不機嫌にさせている。
「ご安心ください」
私はニッコリと微笑んだ。
「見た目はボリュームがありますが、決して胃もたれしません。魔法のようなお肉ですから」
「魔法のような肉……?」
ジークハルト様が、心配そうにこちらを見ている。
彼には朝、味見をしてもらったから正体を知っている。
「大丈夫だ、信じて食え」と目で親族に合図を送っていた。
意を決したように、エリーゼ様がナイフを入れた。
スッ……。
ナイフが沈む。
柔らかい。
そして、断面から透明な肉汁がじわりと溢れ出し、鉄板の上でソースと混ざり合う。
彼女は小さく切り分けた一片に、大根おろしをたっぷりと乗せ、口へと運んだ。
ハムッ。
咀嚼する。
一度、二度。
「…………ッ!?」
カッ! と彼女の目が見開かれた。
噛み締めた瞬間、口の中に溢れ出すのは、濃厚な旨味のジュースだ。
肉の繊維がほどけ、弾力のある食感が歯を楽しませる。
あんなに肉汁が出たのに、脂のギトギトした感じが一切ない。
そこへ、大根おろしの清涼感と、ポン酢ソースの酸味が追いかけてくる。
大葉の爽やかな香りが鼻を抜け、後味を驚くほどさっぱりとさせてくれる。
重厚なのに、軽い。
肉を食べているという満足感があるのに、サラダを食べた後のような爽快感がある。
「な、何ですかこれは……!」
先に声を上げたのは叔父様だった。
彼はすでに半分以上を平らげていた。
「肉だ! 間違いなく極上の肉の味だ! なのに、脂がくどくない! 赤身の最高級部位か!? いや、それにしては柔らかすぎる!」
「美味しい……! これなら私でも完食できるわ!」
叔母様も目を輝かせてナイフを動かしている。
ダイニングルームは、先ほどの静寂が嘘のように活気づいた。
「美味い」「なんだこれは」という声が飛び交う。
エリーゼ様は、黙々と食べ続けていた。
一口食べるごとに、彼女の眉間の皺が薄らいでいく。
「肉を食べたい」という本能と、「健康でありたい」という理性が、この皿の上で完全に和解したのだ。
あっという間に、彼女の皿は空になった。
綺麗に平らげた後、彼女はほうっ、と満足げなため息をついた。
そして、鋭い眼光で私を射抜く。
「……レティシア、答え合わせをなさい」
「はい」
「これは、何の肉ですの? 仔牛? それとも希少な魔獣の肉?」
全員の視線が私に集まる。
私は胸を張り、種明かしをした。
「それは、お肉ではありません」
「は?」
全員がポカンとした。
「お肉ではありません。それは『畑のお肉』……大豆で作りました」
「だ、大豆ぅぅぅッ!?」
叔父様が素っ頓狂な声を上げてのけぞった。
「馬鹿な! 豆だと!? あの家畜の餌にする黄色い豆か!?」
「はい。大豆を茹でて潰し、魔法で食感を調整して練り上げたものです。溢れ出た肉汁に見えるものは、野菜と昆布から取った濃厚な出汁をゼリー状にして練り込んだもの。熱で溶け出して、ジューシーさを演出しました」
シーン……と静まり返る室内。
やがて、誰かが「信じられん……」と呟いた。
「豆が……あんなに美味い肉になるなんて……」
「しかも、豆ということは……」
エリーゼ様が口元を押さえて、ハッとした顔をした。
「……野菜、ということですね?」
「はい。どれだけ食べても脂身はゼロ。植物性タンパク質と食物繊維の塊です。お医者様に止められている方でも、毎日食べて問題ありません」
その言葉を聞いた瞬間、エリーゼ様の表情が崩れた。
厳格な女帝の仮面が剥がれ、ただの「美味しいものを食べられて嬉しいお婆ちゃん」の顔が覗いた。
「……毎日、食べていい……」
「はい。罪悪感など感じる必要はありません。食べるほどに健康になるハンバーグですから」
エリーゼ様は震える手でナプキンを握りしめ、そして小さく笑った。
「……完敗ですわ」
彼女は私を見た。今度は、値踏みするような目ではない。
一人の職人に対する、敬意のこもった眼差しだった。
「私の体を気遣い、なおかつ『肉を食べたい』というわがままな欲求まで見抜いて、それを叶えてみせた。……ただ料理が上手いだけの娘ではありませんね」
「ありがとうございます。……お代わり、いかがですか?」
「……ふふ、あとでこっそり頂きますわ」
彼女は悪戯っぽくウィンクをした。
その瞬間、会場は温かい拍手に包まれた。
ジークハルト様が、誇らしげに私を見てサムズアップしている。
勝った。
メインディッシュ対決は、私の完全勝利だ。
だが、まだ終わりではない。
フルコースの締めくくり、デザートが残っている。
甘いものが大好きなのに我慢しているエリーゼ様に、最後にとどめを刺す「白い魔法」を用意してあるのだ。
「では、最後の一皿をご用意いたします」
私は一礼して、軽やかな足取りで厨房へと戻った。
ニーナが目をキラキラさせて待っている。
「おねえちゃん、すごい! みんなビックリしてた!」
「ええ。最後も驚かせてあげましょう。冷蔵庫から『あれ』を出して」
「りょーかい!」
運ばれてきたのは、純白のケーキ。
見た目は濃厚なレアチーズケーキだが、もちろん、ただのチーズケーキではない。
ここにも、大豆の魔法がかかっている。
さあ、氷の女帝を完全に溶かす、甘くて優しいフィナーレの時間だ。




