第2章 第3話 爆走! 看板娘ニーナと、春の香りのサクサク山菜天ぷら蕎麦
翌朝。
『陽だまり亭』の厨房に、元気いっぱいの声が響き渡った。
「おねえちゃん、これどう!? にあう!?」
くるりとその場で一回転して見せたのは、新入り従業員のニーナだ。
私が夜なべして(魔法でサクッと)サイズ直しをした、新しい制服に身を包んでいる。
カフェの雰囲気に合わせた、淡いブラウンのワンピースに、白いフリルのついたカフェエプロン。
頭にはお揃いの三角巾……をつけようとしたのだが、彼女の立派な獣耳が邪魔をしてうまく被れなかったので、代わりに大きなリボンを結んであげた。
スカートの裾から伸びる尻尾が、嬉しそうにブンブンと振られている。
うん、破壊的な可愛さだ。
「とっても似合ってるわよ、ニーナ。これなら、街のどの子よりも可愛い看板娘になれるわ」
「えへへ、看板むすめ! あたし、がんばる!」
ニーナは琥珀色の瞳を輝かせてガッツポーズをした。
昨日の「生姜焼き」で胃袋を掴まれて以来、彼女の私に対する忠誠心はカンストしているらしい。
やる気は十分だ。
「今日からホールのお仕事をお願いするわね。まずは、お水出しと、お皿を下げることから始めましょう」
「まかせて! あたし、はしるの自信ある!」
「走っちゃダメよ、店内は歩くの。お皿を割らないように気をつけてね」
「うん! ……あ、でも」
ニーナは急に真剣な顔をして、鼻をひくつかせた。
「おねえちゃん、きょうのあさごはんのにおいがする。これは……『たまご』と『おだし』のにおい?」
「正解。まずは腹ごしらえをしてからね」
私は微笑んで、まかないの『厚焼き玉子サンド』を彼女に渡した。
ハフハフと幸せそうに頬張る彼女を見ていると、これから始まる激務も乗り越えられそうな気がしてくる。
さあ、新生『陽だまり亭』のオープンだ。
◇
ランチタイムの鐘が鳴ると同時に、予想通りお客さんが雪崩れ込んできた。
春の陽気に誘われて、みんな外食を楽しみたい気分なのだろう。あっという間に満席になり、外には行列ができる。
「いらっしゃい! なんめいさまですか!?」
ニーナの元気な声が響く。
最初は「獣人が働いているのか?」と驚いていたお客さんたちも、彼女の愛嬌と、一生懸命な姿にすぐに頬を緩めた。
「可愛い店員さんが増えたなぁ」
「お嬢ちゃん、耳触らせてくれよ」
「だめ! お仕事中だから! でも、ごはんいっぱい食べてくれたらちょっとだけいいよ!」
ちゃっかり営業もしつつ、ニーナはホールを駆け回る。
その動きは、まさに疾風だった。
「3番テーブル、お水ついできまーす!」
シュバッ!
残像が見えそうなスピードで移動し、ピッチャーの水を注ぐ。
一滴もこぼさない。獣人特有の身体能力とバランス感覚のおかげだ。
「5番さん、あいたお皿さげます!」
ヒョイッ、ヒョイッ。
五枚重ねた皿を片手で軽々と持ち上げ、尻尾でバランスを取りながら厨房へ戻ってくる。
私が一人でやっていた時は、ホールと厨房の往復だけで体力を削られていたけれど、ニーナのおかげで調理に専念できる。
「ニーナ、2番さんにオムライスお願い!」
「あいよーっ!」
私の言葉が終わるより早く、彼女は出来上がった料理をかっさらっていった。
速い。速すぎる。
時々勢い余って急ブレーキをかけ、床をズルッと滑っているけれど、お皿だけは死守しているのが偉い。
(すごい……これが戦力が増えるってことなのね)
おかげで回転率が上がり、行列もスムーズに消化されていく。
お客さんたちも、ニーナのきびきびとした(たまにドタバタした)動きを肴に、楽しそうに食事をしている。
ランチタイムが終了する頃には、ニーナはすっかり店の人気者になっていた。
「ふひぃ〜……つかれたぁ〜」
最後の客を見送ると、ニーナは椅子にペタリと座り込んだ。
耳がぺたんと倒れている。
「お疲れ様、ニーナ。すごく助かったわ。ありがとう」
「ほんと? お皿、一枚もわらなかったよ!」
「ええ、完璧だったわ。ご褒美に、おやつでも作りましょうか」
「おやつ!」
ニーナが復活しかけた時、ふと彼女が鼻を動かした。
「……ん? おねえちゃん、なんか足りなくない?」
「え?」
「こんやの、おそばのざいりょう。……『やくみ』がないにおいがする」
ドキリとした。
鋭い。
実は今夜、ジークハルト様が来るので、さっぱりとしたお蕎麦を出そうと思っていたのだが、肝心の「ネギ」や「ワサビ」を切らしてしまっていたのだ。
市場でも売り切れで、どうしようか悩んでいたところだった。
「さすがね。そうなの、ちょっと買い忘れちゃって」
「じゃあ、あたしが採ってくる!」
「えっ?」
「このあたりの山、いいにおいがするの。きっと、おそばにあう『葉っぱ』がいっぱいあるよ!」
言うが早いか、ニーナはエプロンを脱ぎ捨てて裏口から飛び出してしまった。
「ちょ、ちょっとニーナ!? 山はまだ雪が……!」
「すぐもどるー!」
制止する間もなく、小さな背中は裏山の森へと消えていった。
あの行動力と嗅覚。野生児すぎる。
でも、彼女の鼻が言うなら、きっと何かあるのだろう。
私は彼女の帰りを信じて、蕎麦打ちの準備を始めることにした。
◇
一時間後。
蕎麦の生地を打ち終えた頃、裏口がバン! と開いた。
「ただいまー!!」
泥だらけになったニーナが、スカートを袋状にして何かを抱えて帰ってきた。
その顔は誇らしげで、頭には枯れ葉が乗っている。
「おかえり! 怪我はない!?」
「ぜんぜんへいき! みてみておねえちゃん、これ!」
彼女がテーブルの上にザラザラと広げたのは、一見するとただの雑草の山に見えた。
けれど、私は目を丸くした。
「こ、これは……!」
【鑑定】スキルを発動するまでもない。
私の前世の記憶が歓喜の声を上げた。
薄緑色の蕾のような『フキノトウ』。
トゲのある枝の先についた新芽『タラの芽』。
くるくると渦巻き状になったシダ植物『コゴミ』。
そして、独特の香りを放つ『山ウド』。
それは、春の訪れを告げる味覚の王様、山菜のオールスターズだった。
まだ雪の残るこの時期の山菜は、アクが少なく、甘みが強い極上品だ。
「すごいわニーナ! これ、全部食べられるのよ! しかも最高級の食材!」
「ほんと!? やったぁ! いいにおいがしたから、片っ端から摘んできたの!」
彼女の嗅覚は、私の鑑定スキル並みかもしれない。
薬味がないどころの話ではない。
これだけの山菜があれば、蕎麦の相棒として最強の「あれ」ができる。
「よし、今夜はご馳走よ! これを使って『天ぷら』にしましょう!」
◇
夕暮れ時。
仕事を終えたジークハルト様が来店した。
「いらっしゃいませ、ジークハルト様」
「ああ。……なんだか、今日は店の中が青っぽい匂いがするな」
彼は鼻をひくつかせた。
厨房から漂う、独特の野性味あふれる香りに気づいたようだ。
「今日はニーナちゃんが採ってきてくれた春の味覚尽くしですよ」
「ニーナが? ……そういえば、新しい看板娘の働きぶりはどうだった?」
「すごかった! はやかった!」
横からニーナが飛び出してきた。
顔の泥は落としたけれど、まだ興奮冷めやらぬ様子だ。
「あたし、山菜採ってきたの! おねえちゃんが美味しくしてくれてる!」
「ほう、それは楽しみだ」
ジークハルト様がカウンター席に座る。
私は厨房で、仕上げにかかった。
まずは蕎麦だ。
この地方で採れる「黒麦」を石臼で挽いた粉を使い、つなぎを二割だけ混ぜた「二八蕎麦」。
打ち立ての麺を、たっぷりの湯で茹でる。
踊るように麺が対流する。
茹で上がったら、冷たい地下水で一気に締める。
キュッと麺が引き締まり、角が立つ。
そして、メインの天ぷら。
ボウルに卵と冷水、そして小麦粉をさっくりと混ぜる。
混ぜすぎてはいけない。粉が少し残るくらいが、サクサクに揚がるコツだ。
まずは『フキノトウ』。
薄く衣を纏わせて、百七十度の油へ。
シュワワワワ……ッ。
花が開くように衣が広がり、春の香りが油に溶け出す。
次は『タラの芽』。山菜の王様だ。
揚げるとホクホクになる軸の部分に火を通す。
『コゴミ』、『ウド』と次々に揚げていく。
チリチリ……という軽快な音が、水分の抜けた合図。
網の上に引き上げると、余熱でさらに香りが立つ。
ザルに盛った冷たい蕎麦。
その横に、黄金色に輝く山菜の天ぷらを山盛りに添える。
つけつゆは、鰹節と昆布で取った濃厚な出汁に、キリッとした醤油を合わせた辛口だ。
「お待たせしました! 『春の香りをサクサク・山菜天ぷら蕎麦』です!」
二人の前に並べると、ニーナが「わぁぁっ!」と声を上げた。
「草だったのに! なんか金色になった!」
「魔法の衣を着せたのよ。さあ、揚げたてをどうぞ」
ジークハルト様は、まず『タラの芽』の天ぷらを箸でつまんだ。
塩をちょんとつけて、口へ運ぶ。
サクッ……。
静かな店内に、軽やかな音が響いた。
衣が砕け、中から熱々の湯気が漏れ出す。
「…………ッ」
彼の目が細められた。
サクサクの衣の食感の直後、口いっぱいに広がるのは、タラの芽特有のほろ苦さと、油のコク。
そして、噛むと中から溢れ出す、アスパラガスにも似たホクホクとした甘み。
苦味が甘みを引き立て、大人の味覚を刺激する。
「美味い……。苦いのに、甘い。春をそのまま食べているようだ」
「この苦味が、冬の間に体に溜まった毒素を出してくれるんですよ」
次は『フキノトウ』だ。
これは独特の香りが強いが、揚げたことでマイルドになり、蕗の爽やかな風味が鼻を抜ける。
塩気がたまらない。これ、絶対にお酒に合うやつだ。
そして、蕎麦。
箸で数本すくい上げ、つゆに半分だけ浸して、ズズズッ! と音を立ててすする。
冷たい麺が喉を滑り落ちる心地よさ。
黒麦の野性的な香りと、出汁の旨味が口の中で爆発する。
熱い天ぷらで油っぽくなった口を、冷たい蕎麦がさっぱりと洗い流してくれる。
この「熱い」と「冷たい」、「油」と「さっぱり」の無限ループ。
ニーナも負けじと頬張っている。
「はふはふ! サクサク! おいしい! 葉っぱなのにおいしい!」
「ニーナ、よく噛んでね。ウドの皮のきんぴらもあるわよ」
「たべるー!」
二人が美味しそうに食べる姿を見ながら、私も蕎麦をすすった。
自分で打った蕎麦ながら、なかなかの出来だ。
山菜の苦味が、労働の後の体に染み渡る。
「ニーナ」
蕎麦湯を飲みながら、ジークハルト様が言った。
「お前のおかげで、素晴らしい夕食になった。……いい仕事をしたな」
「えへへ、ほんと?」
「ああ。レティシアの料理は素材が良いほど輝く。これからも、その鼻で良いものを見つけてくれ」
公爵様に褒められ、ニーナの尻尾は扇風機のように回転している。
「まかせて! あたし、もっともっとおいしいもの見つける!」
「期待しているよ」
その光景は、まるで本当の家族の団欒のようだった。
厳しい冬が終わり、雪解けと共にやってきた新しい季節と、新しい仲間。
『陽だまり亭』は、これからもっと賑やかになるだろう。
――なんて、ほのぼのしていた私だったけれど。
翌日。
店に届いた一通の手紙が、再び私を戦慄させることになる。
差出人の名前は『エリーゼ・オルステッド』。
ジークハルト様の祖母であり、「氷の女帝」の異名を持つ、オルステッド家の真の支配者からの手紙だった。
そこに書かれていたのは、たった一行。
『近々、孫をたぶらかす女の顔を拝みに行く』
春の嵐は、まだ終わっていなかったようです。




