第2章 第1話 春の訪れと、甘酸っぱい苺のフルーツサンド
第2章開始です!
基本毎日投稿していきます!
長い冬に閉ざされていた北の辺境、ベルクの街にも、ようやく遅い春が訪れた。
屋根に積もっていた分厚い雪は姿を消し、軒先からはポタポタと雪解け水がリズムを刻んでいる。
道端には黄色や紫の小さな花が顔を出し、頬を撫でる風には、土と若草の匂いが混じり始めていた。
そんな春の陽気に誘われるように、私の店『陽だまり亭』は、かつてないほどの賑わいを見せていた。
「おーいレティシアちゃん! こっちはパスタ大盛りだ!」
「俺はいつものランチセット! あと食後のコーヒーも頼むよ!」
「はいはーい! 少々お待ちくださいねー!」
ランチタイムのピーク。
私は厨房の中で、独楽のようにくるくると回りながら調理を続けていた。
三つのコンロはフル稼働。
右手でフライパンを振り、左手でスープを混ぜ、足でオーブンの扉を閉める(お行儀が悪いけれど背に腹は代えられない)。
王都との騒動が解決し、私がジークハルト様の婚約者――つまり「未来の公爵夫人」であることが公になってから、客足が遠のくどころか、倍増していたのだ。
「公爵夫人の手料理が食べられる店」なんて、世界中探してもここしかないだろう。
「今日のオススメは、春キャベツよ! いくわよー!」
私は熱したフライパンに、たっぷりのオリーブオイルと、包丁の腹で潰したニンニク、そして鷹の爪を投入する。
シュワシュワ……。
小さな泡と共に、ニンニクの芳ばしい香りが立ち上る。
そこへ、拍子木切りにした厚切りベーコンを放り込む。
じっくりと脂を引き出すように炒めると、ベーコンの表面がカリカリになり、燻製のいい香りがオイルに移っていく。
ここへ、茹で汁を少々。
フライパンを細かく揺すると、オイルと水分が混ざり合って白濁し、とろりとしたソースに変わる。乳化だ。これがパスタの命。
そして、主役の登場。
今朝、市場で仕入れたばかりの「春キャベツ」だ。
冬の寒さに耐えて甘みを蓄え、葉が柔らかく、瑞々しい緑色をしている。
これを手でちぎって、さっとソースに絡める程度に火を通す。
クタクタにしてはいけない。シャキッとした食感を残すのがポイントだ。
最後に、茹で上がったパスタを投入!
ジャァッ!
ソースと麺が絡み合う音。
全体を大きく煽り、黒胡椒をガリガリと挽き、仕上げに少しだけ醤油を垂らして風味付け。
「お待たせしました! 『春キャベツと厚切りベーコンのペペロンチーノ』です!」
カウンター越しに皿を出すと、常連の騎士たちが歓声を上げた。
「うおぉぉ! 春の色だ!」
「ニンニクの匂いがたまらねぇ!」
彼らはフォークで豪快にパスタを巻き取り、口へと運ぶ。
ズルッ、ハフハフ。
「――んんっ! 甘い!」
驚きの声が上がる。
「なんだこのキャベツ! 砂糖でもまぶしたのかってくらい甘いぞ!」
「そこにベーコンの塩気と、ピリッとした辛味が最高に合う!」
「麺がソースを吸って、ツルツル入っていく……おかわり!」
あちこちから上がる「美味い」の合唱。
それを見るのは料理人として最高の幸せだ。
幸せなんだけど……。
(い、忙しすぎる……っ!)
私は額の汗を拭いながら、次々と入るオーダーを捌いていく。
食器を下げる暇もない。
水のおかわりを注ぐ手が足りない。
お会計の計算をしている間に、鍋が焦げそうになる。
これまで一人で切り盛りしてきたけれど、明らかにキャパシティオーバーだ。
猫の手どころか、スライムの手でも借りたい。
「ふぅ……やっと落ち着いた」
午後二時過ぎ。
嵐のようなランチタイムが終わり、私は厨房の椅子にへたり込んだ。
足が棒のようだ。
まだ片付けが山のように残っているけれど、今は指一本動かしたくない。
カラン、コロン……。
優しいベルの音と共に、ドアが開いた。
私は反射的に立ち上がりかける。
「いらっしゃいませ……」
「座っていてくれ。客じゃない」
入ってきたのは、愛しい婚約者のジークハルト様だった。
今日の彼は、動きやすそうなシャツにベストという姿だが、その表情には隠しきれない疲労が滲んでいる。
どうやら彼も、春の公務ラッシュで忙殺されているらしい。
「お疲れ様です、ジークハルト様。……そちらも大変そうですね」
「ああ。雪解けと共に魔獣が活発化しているし、王都との交易再開に向けた手続きも山積みだ。……だが、君ほどじゃない」
彼は私の元へ歩み寄ると、心配そうに私の頬に触れた。
冷たくて気持ちいい手だ。
「目の下に隈ができているぞ。……無理をしていないか?」
「大丈夫ですよ。忙しいのは繁盛している証拠ですから。でも……正直、そろそろ一人は限界かもしれません」
私が弱音を吐くと、彼は悔しそうに眉を寄せた。
「すまない。俺が手伝えればいいのだが……」
「公爵様が給仕なんてしたら、お客さんが心臓麻痺を起こしますよ」
「だから、皿洗いならできると思って、屋敷で練習してみたんだ」
「えっ?」
初耳だ。
あの剣の達人が、皿洗いの練習?
「結果はどうでした?」
「……三枚割った。力加減が、魔獣の首を落とす時と同じになってしまうようだ」
「ふふっ、それはダメですね。私の大事なお皿が全滅しちゃう」
真面目な顔で言う彼がおかしくて、私は笑ってしまった。
疲れが少し吹き飛ぶ。
彼は不器用だけれど、いつも私のことを一番に考えてくれている。それだけで十分だ。
「それに、ジークハルト様も疲れているでしょう? 甘いものでも食べて、休憩しませんか?」
「……君が作ってくれるなら、毒でも食う」
「毒なんて盛りませんよ。今日は、春らしいデザートを用意してあるんです」
私は冷蔵庫から、冷やしておいた「あるもの」を取り出した。
春といえば、これしかない。
真っ赤に熟れた、宝石のような果実。苺だ。
まな板の上に、食パンを二枚並べる。
王都風の硬いパンではない。
牛乳と生クリームをたっぷり使い、低温でじっくり焼き上げた、耳まで柔らかい特製の「生食パン」だ。白くて、ふわふわで、触っただけで指の跡がつくほど繊細。
そこへ、ホイップクリームをたっぷりと塗る。
ただの生クリームではない。
隠し味にマスカルポーネチーズと練乳を混ぜてある。
こうすることで、クリームにコクとミルキーな風味が加わり、苺の酸味と絶妙にマッチするのだ。
真っ白な雪原のようなクリームの上に、大粒の苺を並べていく。
先端を同じ方向に向けて、整列させるのがコツだ。
その隙間を埋めるように、さらにクリームを重ねて、もう一枚のパンで挟む。
少し冷蔵庫で寝かせて、パンとクリームを馴染ませるのが重要だが、今日は魔法で少し時間短縮。
「よし。ここからが一番の見せ場ね」
私は温めた包丁を、サンドイッチの真ん中に当てた。
躊躇してはいけない。
スッ、と一息に引く。
パカリ。
断面が現れた瞬間、厨房が華やいだ。
真っ白なクリームの中に、鮮やかな赤い苺の断面が、花が咲いたように現れる。
いわゆる「萌え断」だ。
「お待たせしました。『春爛漫・苺のフルーツサンド』です」
コーヒーと一緒にテーブルに出すと、ジークハルト様が目を丸くした。
「……パンに、果物とクリーム? ケーキのような見た目だが、手で食べるのか?」
「はい。大きな口でガブッといってください。こぼれ落ちそうなくらいが美味しいんです」
彼はサンドイッチを手に取った。
指がパンに沈み込むほどの柔らかさに驚きつつ、彼は口へと運んだ。
ハムッ。
「――――ッ」
食べた瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
最初に感じるのは、雲のように軽いパンの食感。
次に、濃厚でミルキーなクリームの甘み。
そして、主役である苺に歯が当たった瞬間――
ジュワッ、と甘酸っぱい果汁が溢れ出したのだ。
甘いクリームと、酸味のある果汁が口の中で混ざり合う。
ショートケーキに似ているけれど、もっと軽やかで、もっと一体感がある。
パンのほのかな塩気が、全体の甘みを引き締めているのが憎い。
「……美味い」
彼は恍惚とした表情で呟いた。
「苺の酸味が、クリームの甘さで中和されて……いや、引き立て合っている。パンが溶けるようだ」
「練乳を入れているので、どこか懐かしい味がするでしょう?」
「ああ。疲れた脳に、甘みが染み渡っていく……」
彼は夢中で二口、三口と食べ進めた。
口の端にクリームがついている。
私は笑いながら、指でそれを拭ってあげた。
「ジークハルト様、クリームついてますよ」
「……む。子供扱いするな」
「だって、可愛いんですもの」
「……君にそう言われると、悪い気はしないな」
彼は私の指についたクリームを、ペロリと舐め取った。
その仕草が妙に色っぽくて、今度は私が赤面する番だった。
心臓に悪い。
フルーツサンドを完食した彼は、満足げにコーヒーを飲み干し、真剣な顔つきに戻った。
「レティシア。やはり、人を雇おう」
「え?」
「君が倒れてしまっては元も子もない。それに、俺としても、君が忙しすぎて構ってもらえないのは死活問題だ」
後半が本音な気がするけれど、彼の言う通りだ。
これ以上のワンオペは、サービスの質も落としてしまう。
「そうですね……。でも、ベルクの人たちはみんな自分の仕事を持っているし、なかなかいい人が見つかるかどうか」
「王都から手配させてもいいが、君のレシピを狙うスパイが混ざる可能性もある。信用できる者がいい」
信用できて、体力があって、できれば美味しいものが好きな人。
そんな都合のいい人材が、そう簡単に転がっているわけが――
ドサササッ!!!
その時、裏口の方で何かが倒れるような、大きな物音がした。
ゴミ箱がひっくり返ったような音だ。
「なんだ!?」
「泥棒……!?」
ジークハルト様が瞬時に騎士の顔になり、腰の剣に手をかける。
私も護身用のフライパン(アダマンタイト製・第二章仕様)を構え、二人で慎重に裏口へと向かった。
ドアを開ける。
そこには、春の日差しの中、行き倒れている小さな影があった。
「……うぅ……おな、か……すいた……」
ボロボロの服を着た、小柄な少女。
その頭には、茶色い三角の耳がピョコピョコと動いている。
お尻の方を見れば、ふさふさの尻尾が力なく揺れていた。
「獣人……?」
この辺りでは珍しい、狼の獣人族だ。
少女は私の持つフライパンから漂う、わずかな苺とクリームの香りに鼻をひくつかせ、うっすらと目を開けた。
「……あまい、におい……。天国……?」
彼女の瞳は、吸い込まれるような琥珀色。
そのお腹が、グゥゥゥゥゥ、とライオンの咆哮のような音を立てた。
私とジークハルト様は顔を見合わせた。
どうやら、春風が運んできたのは、新しいメニューのアイデアだけではなかったようだ。
これが、私と、新しい家族となる少女――ニーナとの出会いだった。




