表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、辺境で『なんでも喫茶店』はじめます。  作者: 九葉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/12

最終話 氷の公爵様の融解と、恋するフォンダンショコラ

 嵐のような騒動が去った店内には、穏やかな静寂と、まだ微かに残るクリームシチューの優しい香りが漂っていた。


 カイル殿下が連行されていった扉は固く閉ざされ、もう二度と、私の平穏を脅かす者が現れないことを物語っているようだった。


「……レティシア」


 テーブル越しに、ジークハルト様が私を見つめている。

 先ほどまで王太子を圧倒していた覇気は消え、その瞳にはどこか少年のように純粋で、それでいて熱っぽい光が揺らめいていた。


 私は、高鳴る心臓をエプロンの上から押さえながら、彼の言葉を待った。


「障害は消えた。……改めて、君に伝えたいことがある」


 彼は一度言葉を切り、テーブルの上に置かれた自身の手を、ぎゅっと握りしめた。

 氷の公爵ともあろうお方が、緊張している。

 その事実が、私の緊張をさらに加速させる。


「俺は……不器用な男だ。剣を振ることと、魔獣を狩ることしか知らずに生きてきた。食事など、ただの燃料補給だとさえ思っていた」


 彼は、食べ終えたばかりのパンシチューの皿に視線を落とした。


「だが、君に出会って変わった。君の料理が、凍りついていた俺の味覚を、そして心を溶かしてくれた」

「ジークハルト様……」

「最初は、君の『料理』に惚れ込んだのだと思っていた。だが、違う」


 彼は顔を上げ、ブルーグレーの瞳で私を射抜いた。

 逃げ場なんて、どこにもない。


「俺が欲しているのは、料理だけじゃない。……その料理を作ってくれる、君自身だ」


 ドクンッ。

 心臓が大きく跳ねた。

 それは、明確な愛の告白だった。

 「専属料理人になってくれ」でも「店ごと抱え込みたい」でもない。

 レティシアという人間を求めているという、混じり気のない言葉。


「レティシア。君を愛している。……俺の妻になってくれないか」


 直球すぎるプロポーズ。

 頭が真っ白になった。

 嬉しい。どうしようもなく嬉しいけれど、同時に私の中の臆病な部分が顔を出す。


「……でも、私は婚約破棄された傷物ですよ? それに、今はただの平民で、食堂の女将です。公爵様のお相手なんて……」

「そんな肩書きに何の意味がある?」


 彼は立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出して、私の頬を両手で包み込んだ。

 大きくて、温かくて、少しざらついた武人の手。


「俺が見ているのは、君だ。王都の腐った貴族社会で懸命に働き、理不尽に追放されてもなお、この辺境で笑顔で鍋を振るう、強く美しい君だ」


 親指が、私の頬を優しく撫でる。


「それに、俺の胃袋はもう君なしでは機能しない。……責任を取ってくれると言っただろう?」

「それは……言いましたけど」

「なら、観念してくれ。俺は一度噛み付いたら離さないタチなんだ」


 悪戯っぽく、けれど最高に色気のある笑みを向けられて、私の完敗だった。

 これ以上拒む理由なんて、どこにもない。

 だって、私もとっくに――。


「……食いしん坊な公爵様ですね」


 私は涙が滲むのをこらえて、微笑んだ。


「食費、高くつきますよ?」

「望むところだ。俺の財産は全て君の食材費にしてくれて構わない」

「ふふっ。……わかりました。謹んで、お受けいたします」


 私が頷くと、ジークハルト様は心底安堵したように息を吐き、そのままテーブル越しに私の額にキスを落とした。

 

 触れた唇の熱さが、脳天まで響く。

 シチューよりも、焼きたてのパンよりも熱い、愛の熱量。


 こうして、私たちは「店主と常連客」から、「婚約者同士」へとクラスチェンジを果たしたのだった。


 ◇


 それから数日後。

 『陽だまり亭』は臨時休業の札を掲げていた。

 

 とは言っても、何かトラブルがあったわけではない。

 カイル殿下とミリアの件が片付き、王都とのゴタゴタが完全に収束したことを祝うための「内輪のパーティー」を開くことになったのだ。

 招待客は、もちろんジークハルト様ただ一人。


 ちなみに王都の状況だが、ジークハルト様の予想通り、悲惨なことになっているらしい。

 北からの物資が止まったことで食糧難は加速し、ついに民衆の不満が爆発。

 国王陛下は事態を重く見て、カイル殿下を廃嫡し、幽閉処分にしたとのことだ。

 聖女ミリアも詐欺罪で修道院送り。

 

 彼らの末路を聞いても、不思議と心は痛まなかった。

 因果応報。

 それよりも、今の私には、これから来る大切な人のために何を作るかの方が重要だ。


「メインディッシュは奮発してステーキにしたし……デザートはどうしようかな」


 厨房で腕組みをして悩む。

 今日は特別な日だ。

 二人の門出を祝うような、甘くて、少し大人で、とびきり幸せな気分になれるドルチェ。


 ジークハルト様は甘いものが苦手だったはずだが、私の作ったスフレパンケーキ以来、「君の作る菓子なら別腹だ」と甘党に覚醒しつつある。

 

「……よし。あれを作ろう」


 私は冷蔵庫から、とっておきの製菓用チョコレート(カカオ分高めのビター)を取り出した。

 今の私たちの状況にぴったりの、熱い想いが溶け出すケーキ。

 『フォンダンショコラ』だ。


 まずはチョコレートと、無塩バターをボウルに入れ、湯煎にかける。

 ゆっくりと、丁寧に。

 カカオの芳醇でほろ苦い香りと、バターの濃厚な乳臭さが混ざり合い、艶やかな黒い液体へと変わっていく。

 これだけでも舐めたい衝動に駆られるが、我慢。


 別のボウルで卵と砂糖を白っぽくなるまで泡立てる。

 そこへ、溶かしたチョコレートバターを投入。

 ゴムベラで艶が出るまで混ぜ合わせる。

 

 ここで重要なのが、小麦粉の量だ。

 極限まで少なくする。

 そうすることで、焼いた時に外側はケーキ、中身はとろとろのクリーム状という魔法のような食感が生まれるのだ。


 型にバターを塗り、カカオパウダーをはたいておく。

 そこへ生地を流し込み、冷蔵庫で冷やし固める。

 この「冷やす」工程が、焼き加減の明暗を分ける。

 中心部まで火を通さず、周りだけを焼き固めるための秘訣だ。


 その間に、付け合わせの準備。

 冷たいバニラアイスクリーム。

 そして、酸味の効いたラズベリーソース。

 チョコレートの重厚さを引き立てる名脇役たちだ。


 夕刻。

 約束の時間に合わせて、オーブンを予熱する。

 温度は高めの二百度。

 短時間で一気に焼き上げるのが勝負だ。


 コン、コン。


 裏口のドアがノックされた。

 ジークハルト様だ。

 

「いらっしゃいませ。……ふふ、今日はまた一段と素敵ですね」


 出迎えた私は、思わず見惚れてしまった。

 今日の彼は、堅苦しい正装でも騎士服でもなく、深い紺色のシャツにグレーのスラックスという、洗練された大人のデート服だった。

 髪も少しセットされていて、色気が増している。


「……君こそ。エプロンを外した姿を見るのは新鮮だ」


 彼もまた、少し照れくさそうに私を見た。

 私は今日、淡い水色のワンピースを着ている。

 料理中は汚れるから着られない、お気に入りの服だ。


 店内の照明を落とし、キャンドルの明かりだけでディナーが始まった。

 前菜、スープ、メインのステーキ。

 どれも彼のお気に入りで、私たちは会話を楽しみながら、ゆっくりと食事を進めた。


 そして、いよいよデザートの時間。

 私は席を立ち、オーブンへ向かった。


 チーン♪


 焼き上がりの合図。

 扉を開けると、濃厚でビターなチョコレートの香りが、熱波と共に押し寄せてきた。


 型から慎重に取り出す。

 ぷっくりと膨らんだ表面は、少しひび割れている。

 これこそが、中がトロトロである証拠だ。


 白い大きなお皿の中央に、黒いケーキを乗せる。

 隣にバニラアイスを添え、真っ赤なラズベリーソースを芸術的に描く。

 仕上げに粉砂糖を雪のように降らせ、ミントの葉を飾れば――。


「お待たせしました。『恋する・熱々フォンダンショコラ』です」


 テーブルに置くと、甘く危険な香りが二人の間を満たした。

 ジークハルト様が目を丸くする。


「……ただのチョコレートケーキに見えるが、熱いのか?」

「はい。冷めないうちに、真ん中にナイフを入れてみてください」


 彼は頷き、ナイフをケーキの中心に当てた。

 サクッ。

 表面の薄い層が割れる感触。


 その直後だった。


 とろぉぉぉぉぉぉぉぉッ……。


 割れ目から、黒いマグマのようなチョコレートソースが、溢れ出してきたのだ。

 湯気を上げながら、ゆっくりとお皿に広がり、冷たいバニラアイスへと迫っていく。

 

「な……ッ!?」


 ジークハルト様が息を呑む。


「中が、溶けている……!?」

「外はふんわりケーキ、中は熱々の生チョコソースです。アイスと一緒に食べてみてください」


 彼はスプーンですくい上げた。

 熱いケーキと、冷たいアイス、そして濃厚なソースが混ざり合う、最高の一口を。


 パクッ。


「――――ッ!!」


 言葉を失った彼の表情が、その味の凄まじさを物語っていた。


 口に入れた瞬間、熱いチョコレートソースが舌に絡みつく。

 ビターな苦味と、濃厚な甘み。

 そこへ、ひんやりとしたバニラアイスが溶け出し、温度差のコントラストが口の中で踊り狂う。

 温かいと冷たい。

 苦いと甘い。

 全ての感覚が揺さぶられる、官能的ですらある味わい。


 ラズベリーソースの酸味が、後味をキュッと引き締め、次の一口を誘う。


「……すごい」


 彼は夢遊病者のように呟き、二口、三口と止まらなくなった。

 氷の公爵様が、今は完全にチョコレートの熱に浮かされている。


「こんな菓子は初めてだ。……まるで魔法だ」

「ふふ、私の『好き』を詰め込んだ魔法ですよ」


 私が意味深に言うと、彼は手を止めてこちらを見た。

 口の端に、少しチョコがついている。

 あの完璧超人の公爵様が、こんなに無防備な顔を見せるなんて。


「……レティシア」

「はい」

「美味い。……今まで食ったものの中で、一番甘くて、熱い」


 彼はナプキンで口を拭うと、真剣な瞳で言った。


「まるで、君への想いのようだ」


 ――ブッ!!

 私が飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。

 な、なんて歯の浮くようなセリフを真顔で!

 この人、恋愛に関してはむっつりだと思っていたけど、タガが外れると天然ジゴロになるタイプだったのか。


「……そ、それは光栄です」

「顔が赤いぞ」

「誰のせいですか、誰の!」


 彼が楽しそうに笑い、私もつられて笑った。

 

 キャンドルの灯りが揺れる。

 窓の外では雪が降っているけれど、この店内は、そして私たちの心は、暖炉の火よりも熱く燃えていた。


 フォンダンショコラを食べ終えた後、私たちは並んでコーヒーを飲んだ。

 手と手が触れ合い、自然と指を絡ませる。


「……結婚式は、春にしようか」


 彼が唐突に言った。


「雪が溶けて、花が咲く頃に。この店の中庭で、身内だけでやるのはどうだ? 料理はもちろん、君の監修で」

「私の監修って……花嫁が厨房に立つんですか?」

「君ならやりかねないだろう? それに、俺は君の作ったウェディングケーキが食べたい」


 確かに。

 自分の結婚式の料理を他人に任せるなんて、私のプライドが許さないかもしれない。

 最高の食材で、最高のフルコースを作って、みんなを驚かせたい。


「……いいですね。やりましょう、最高の結婚式を」

「ああ。楽しみにしている」


 ジークハルト様が私の肩に頭を預けてきた。

 彼の銀髪が頬をくすぐる。

 幸せすぎて、なんだか夢を見ているようだ。


 王都を追放され、絶望の淵にいた私。

 でも、勇気を出してフライパンを握り、自分の足で歩き出したからこそ、この幸せな場所にたどり着けた。

 

 美味しいご飯と、大切な人。

 それさえあれば、人生はいつだって最高に輝くのだ。


「……おかわり、あるか?」

「えっ、まだ食べるんですか!?」

「君と一緒なら、いくらでも入る気がする」


 呆れる私と、悪びれない公爵様。

 『陽だまり亭』の夜は、甘い甘いチョコレートの香りと共に、どこまでも更けていくのだった。


 ◇


 数ヶ月後。

 雪解けの季節を迎えた辺境ベルクにて。


「本日のおすすめはー! 公爵夫人特製、春野菜の彩りパスタでーす!」


 元気に呼び込みをする私の指には、シンプルな銀の指輪が光っている。

 厨房の奥では、エプロン姿のジークハルト様が、不器用ながらも皿洗いを手伝ってくれている姿があった。


「おいレティシア、この皿の汚れが落ちにくいぞ」

「あーっ! ジーク様、洗剤使いすぎです!」


 ドタバタと騒がしく、けれど笑顔の絶えない日常。

 『婚約破棄されたので、辺境で『ご飯が美味しい喫茶店』はじめます。』


 私の第二の人生は、どうやら大成功ハッピーエンドだったようです。

 これからも、美味しいご飯でみんなを、そして愛する旦那様を幸せにしていきます!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

★~★★★★★の段階で評価していただけると、モチベーション爆上がりです!

第2章も考え中ですので、ブックマークしてお待ち下さいー!!


ぜひよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ