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婚約破棄されたので、辺境で『なんでも喫茶店』はじめます。  作者: 九葉


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11/12

第11話 元婚約者の襲来と、心まで温まる丸ごとパンシチュー

 聖女ミリアが捕縛されてから数日。

 『陽だまり亭』には、嵐の前の静けさとでも言うような、穏やかな時間が流れていた。


 早朝。

 私は厨房で、焼き上がったばかりのパンをオーブンから取り出していた。


「うん、いい焼き色!」


 香ばしい小麦の香りが、店いっぱいに広がる。

 今日焼いたのは、私の頭くらいの大きさがある丸いパン、ブールだ。

 外側はパリッと硬く、中はもっちりとした食感に仕上げてある。

 これをくり抜いて器にするのが、今日のランチの目玉だ。


 外は相変わらずの厳冬。

 窓ガラスには氷の華が咲き、通りを行く人々は白い息を吐きながら歩いている。

 そんな凍える日にこそ食べたくなる、最高のあったかメニュー。


「ホワイトソースも、とろみがついてきたかな」


 大鍋の中では、鶏肉と野菜たっぷりのクリームシチューがコトコトと音を立てていた。

 王都からの物流が止まっているせいで、逆に辺境には新鮮な牛乳や生クリームが余っている。

 おかげで、水を使わず牛乳だけで煮込むという、なんとも贅沢な仕様だ。


 味見のために、木べらに残ったソースをぺろりと舐める。


「ん……濃厚」


 鶏と野菜の旨味が溶け出した、優しくて深いミルクの味。

 これなら、ジークハルト様もきっと喜んでくれるはず。


 そう思って頬を緩ませた、その時だった。


 ガタガタガタッ……!

 ヒヒィィンッ!


 店の外で、乱暴な馬のいななきと、車輪が軋む音が響いた。

 ただの馬車ではない。もっと重厚で、多頭立ての馬車の音だ。


「……?」


 私が手を止めて顔を上げると同時に、バンッ! と店のドアが乱暴に開かれた。

 冷気と共に雪が舞い込み、そこへ一人の男が踏み込んでくる。


 豪奢な、しかし旅の汚れで薄汚れた外套。

 整ってはいるが、疲労と苛立ちで歪んだ顔立ち。

 金髪は乱れ、目の下には濃い隈がある。


「……見つけたぞ、レティシア」


 その声を聞いた瞬間、私の背筋がスッと冷たくなった。

 忘れるはずもない。

 かつて私を婚約破棄し、この地へ追放した張本人。


「王太子……カイル殿下」


 王国の次期国王が、なぜ護衛も最小限に、こんな辺境の店にいるのか。

 いや、理由はわかっている。

 王都がもう、限界なのだ。


 カイル殿下は店内を見渡し、鼻で笑った。


「ふん、なんだこの薄汚い店は。公爵令嬢だったお前が、こんな場所で召使いのような真似事をしているとはな。落ちぶれたものだ」


 第一声がそれですか。

 相変わらずのプライドの高さに、私は呆れるのを通り越して感心してしまった。


「いらっしゃいませ、殿下。ここは私の城ですので、侮辱はお控えください。……それで、何のご用でしょうか?」

「用だと? 決まっているだろう!」


 彼はツカツカとカウンターまで歩み寄ると、ドンとテーブルを叩いた。


「迎えに来てやったんだ! 感謝するがいい。お前の罪を特例で不問にし、再び王都へ戻ることを許可してやる!」


 ……は?

 私は思わず、手に持っていたお玉を落としそうになった。

 許可してやる? 不問にする?

 冤罪をかけて追放しておいて、どの口が言うのだろう。


「お断りします」

「なっ……!?」

「聞こえませんでしたか? お断りします、と言ったんです。私は今、ここでの生活に満足していますから」


 私がきっぱりと告げると、カイル殿下の顔が赤く染まった。

 怒りではない。羞恥と焦りだ。


「き、貴様……王太子の命令だぞ! 王都は今大変なんだ! ミリアの聖女の力が弱まり、結界が消えかけている。食い物も不味い。書類も終わらない。お前が戻って、元通りに働けばいいんだ!」


 やっぱり、自分の都合だけだ。

 私がいないと不便だから戻れ。

 そこに私への謝罪も、愛も、敬意もない。


「殿下。私は便利な道具ではありません」

「道具だろうが! 地味で可愛げのないお前に、王太子妃という地位を与えてやっていたんだぞ! いいから来い!」


 彼はカウンター越しに手を伸ばし、私の腕を掴もうとした。

 その目は血走っていて、狂気すら感じる。

 怖い、と思うより先に、悲しさがこみ上げた。

 この人は、本当に何も成長していない。


 私が身構えた、その瞬間。


 ガシッ。


 横合いから伸びてきた、黒い革手袋の手が、カイル殿下の手首を万力のように掴んだ。


「――俺の店で、暴れないでもらおうか」


 地獄の底から響くような、低くドスの効いた声。

 そこには、いつもの「氷の公爵」ジークハルト様が立っていた。

 しかし、今日の彼は騎士服ではない。

 領主としての正装――深紅の裏地がついた黒のマントを羽織り、帯剣している。

 その威圧感は、王太子であるカイル殿下を遥かに凌駕していた。


「い、痛っ……! 貴様、誰だ! 無礼だぞ、離せ!」

「無礼はどちらだ。私の大切な料理人に触れるな」


 ジークハルト様は、汚いものを捨てるようにカイル殿下の手を振り払った。

 殿下はよろめき、尻餅をつきそうになる。


「な、なんだその目は……私は王太子だぞ! オルステッド公爵か!?」

「いかにも。……王太子殿下が、正式な手続きもなしに我が領地へ忍び込み、民を脅迫するとは。これが王族の振る舞いですか?」


 ジークハルト様の冷徹な視線に、カイル殿下はたじろいだ。

 体格差も、纏っている覇気も違いすぎる。

 それに何より、殿下は痩せこけて顔色が悪いのに対し、ジークハルト様は私の料理で健康そのもの、肌艶も良く魔力に満ち溢れている。

 生物としての格が違っていた。


「ぐ、ぐぬ……! こいつは罪人だ! 連れ帰る権利がある!」

「罪人? 証拠はあるのですか? 先日捕らえた自称聖女の証言では、全て殿下と彼女による狂言だったと聞いていますが」

「ミ、ミリアが……!?」


 カイル殿下の顔から血の気が引いた。

 ミリアが全てを白状したことを知らなかったらしい。

 これで「冤罪」という大義名分も消えた。


 ジークハルト様は、震える殿下を見下ろし、ため息をついた。


「……それに、随分と顔色が悪い。腹が減っているなら、話くらいは聞いてやりましょう。ただし、客として振る舞えるならですが」


 その言葉に、カイル殿下のお腹が、グゥゥゥ……と情けない音を立てた。

 王都からここまで、まともな食事も摂らずに馬を飛ばしてきたのだろう。

 プライドだけで立っているのがわかる。


 私はジークハルト様と目を合わせ、小さく頷いた。

 追い返すのは簡単だ。

 でも、最後に「彼が何を失ったのか」を、その舌に刻み込んであげるのが、料理人としての私の流儀であり、最大の復讐だと思ったから。


「……座ってください。何かお出しします」

「ふ、ふん! 誰が貴様の手料理など……」


 言いながらも、殿下はふらふらと椅子に座り込んだ。

 体は正直だ。厨房から漂うシチューの香りに、抗えていない。


 私は厨房に戻り、仕上げにかかった。


 先ほど焼き上げた丸いパン、ブールの上部をナイフで水平に切り落とす。ここは蓋になる部分だ。

 そして、中身の白いフワフワの部分を、手でくり抜いていく。

 底に穴を開けないように、慎重に、でも大胆に。

 これで、パンの器の完成だ。


 そこへ、熱々のクリームシチューを注ぎ込む。


 とろぉぉぉ……っ。


 白く艶やかなソースが、パンの中に満たされていく。

 具材は、ごろっとした鶏モモ肉、鮮やかなオレンジ色のにんじん、ホクホクのじゃがいも、そして色味のアクセントになるブロッコリー。

 溢れそうになるギリギリまで注ぎ、最後に粉チーズと黒胡椒をぱらり。

 切り落としたパンの蓋を添えれば、完成だ。


「お待たせしました。『丸ごとパンの・あったかクリームシチュー』です」


 カイル殿下の前に置く。

 湯気が立ち上り、ミルクと小麦の優しい香りが彼の顔を包み込む。

 彼は一瞬、呆気に取られたような顔をした。


「……なんだこれは。パンの中にスープが入っているのか? 下品な……」


 悪態をつこうとしたが、喉が鳴るのを止められなかった。

 震える手でスプーンを取り、シチューをすくう。

 とろみのあるスープが、スプーンから重そうに垂れる。


 彼はそれを口に運んだ。


 パクッ。


「――――」


 動きが止まった。


 口いっぱいに広がるのは、牛乳本来の甘みとコク。

 王都で食べていた薄めたスープとは違う。

 水っぽさなど微塵もない、濃厚なクリームの奔流だ。

 よく煮込まれた鶏肉は、噛む必要がないほどホロホロに崩れ、野菜の甘みがソースに溶け込んでいる。


 そして、器になっているパンだ。

 シチューの水分を吸って、内側がしっとりと柔らかくなっている。

 スプーンで内壁を削り取り、ソースと一緒に食べる。

 

 カリッ(外側の皮)、ジュワッ(ソースを吸った生地)、トロッ(シチュー)。

 三つの食感が同時に襲いかかってくる。


「……あ、あつい……うまい……」


 カイル殿下は、自分が王太子であることも忘れて、夢中でスプーンを動かした。

 パンの蓋をちぎり、ソースに浸して食べる。

 バターの香りが鼻腔を抜ける。

 冷え切っていた体が、芯から温まっていくのがわかる。


 それは、かつて私が王城の夜食で彼に出していたスープの味に似ていた。

 仕事に疲れた彼のために、消化によく、栄養のあるものをと工夫していた、あの味。


 彼もそれを思い出したのだろうか。

 食べている最中、彼の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。


「……なんでだ。なんでこんなに美味いんだ」

「愛情を込めて作っていますから。……食べる人の健康を願って」


 私が静かに答えると、彼はハッとして顔を上げた。

 その目には、後悔の色が浮かんでいた。


「レティシア……私は、間違っていたのか? ミリアの料理は見た目は綺麗だったが、味はしなかった。お前の料理は……地味だが、いつも温かかった」

「……」

「戻ってきてくれ! 頼む! お前がいなければ、私は……王都は……!」


 彼は食べかけのパンシチューを置いて、私に縋ろうとした。

 美味しい料理が、彼の頑ななプライドを溶かしたのだ。

 でも、それは同時に、彼の依存心を露呈させただけだった。


「今ならまだ間に合う! 聖女の件もなんとでもなる! 毎日これを作ってくれれば、私はお前を愛してやれる!」


 愛してやれる。

 その上から目線の言葉に、私は冷めた目を向けた。

 この人は、結局自分の胃袋と都合しか考えていない。


「お断りだと言ったはずだ」


 答えたのは私ではなく、ジークハルト様だった。

 彼は私の肩を抱き寄せ、カイル殿下を冷ややかに見下ろした。


「彼女はもう、お前のものではない。そして、王都に戻ることもない」

「な、なんだと……! 私は王太子だぞ! 命令だ!」

「王太子? ……ほう、まだそのつもりでいたのか」


 ジークハルト様は、懐から一通の書状を取り出した。

 

「これは今朝、王城にいる私の密偵から届いた報告書だ」

「な、なに……?」

「国王陛下が、今回の騒動の全容を知り、激怒されているそうだ。聖女ミリアの虚偽報告、そして王太子による不当な婚約破棄と、辺境への経済制裁による国益の損失」


 ジークハルト様は、楽しそうに口角を上げた。


「カイル殿下。あなたは廃嫡される可能性が高い。……いや、既に廃嫡の手続きが進んでいるそうだ」

「う、嘘だ……嘘だぁぁぁッ!!」


 カイル殿下は絶叫し、頭を抱えた。

 王太子という地位を失えば、彼はただの無能な男だ。

 誰も彼を守らない。


「そんな……私はただ、美味しいものを食べて、聖女と楽しく暮らしたかっただけなのに……」

「そのために、一番大切なものを捨てたのはあなたですよ」


 私は彼に告げた。

 同情はしない。これは彼が選んだ道の結果だ。


「おい、連れて行け」


 ジークハルト様の合図で、外に控えていた騎士たちが店に入ってきた。

 カイル殿下は抵抗する力もなく、両脇を抱えられて連行されていく。

 その手には、まだ食べかけのパンシチューの欠片が握りしめられていた。


「レティシア! レティシアーッ!!」


 悲痛な叫び声を残し、馬車に乗せられて去っていく元婚約者。

 私はそれを、静かに見送った。

 胸のつかえが、完全に取れた気がした。


 店内に静寂が戻る。

 残されたのは、私とジークハルト様だけ。


「……終わったな」

「はい。……少し、後味の悪いランチになってしまいましたね」

「いや」


 ジークハルト様は、カイル殿下が残した皿(もちろん別の新しいものだが)と同じパンシチューを指差した。


「俺の分もあるんだろう? 冷めないうちにいただこう。……彼が泣いて欲しがった味を、俺だけが味わえるというのは、最高のスパイスだ」


 彼は悪戯っぽく笑い、席に着いた。

 そして、豪快にパンシチューにかぶりつく。

 

「美味い。……やはり、君の料理は世界一だ」


 その笑顔を見て、私もようやく心から笑うことができた。

 

 元婚約者は去り、ライバル聖女も消えた。

 王都との因縁はこれで断ち切られたはずだ。


 これからは、本当にこの街で、この人と……。


 そう思ったけれど、ジークハルト様がふと真剣な顔でスプーンを置いた。


「レティシア。障害は消えた。……改めて、君に伝えたいことがある」


 えっ。

 急な展開に、心臓が跳ねる。

 彼の耳が赤い。

 これは、もしかして。

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