第10話 聖女の暴走と、鉄板でジュージュー焼ける王道ナポリタン
王都が「北への街道封鎖」という自滅的な経済制裁を発動してから、数日が経った。
普通なら物資が届かずに困窮するところだが、ここ辺境ベルクでは、奇妙な現象が起きていた。
「おい見ろよ、今日の市場! 北行牛の特上ロースが余ってるってよ!」
「王都へ出荷する分が全部こっちに回ってきたからな。安く買えて最高だぜ!」
「野菜も新鮮なままだし、王都の連中はこんな美味いもんを食ってたのか」
そう。
物流が止まったことで、本来なら王都の貴族たちが独占していた最高級の食材が、すべて地元で消費されることになったのだ。
結果として、ベルクの食卓はかつてないほど潤っていた。
そして、その恩恵を一番受けているのが、私の店『陽だまり亭』だ。
「いらっしゃいませー! ただいま満席となっております!」
今日も今日とて、ランチタイムは大盛況。
安くて質の良い食材が手に入るおかげで、私は採算度外視のメニューを提供し続けられている。
厨房では、三つのコンロがフル稼働し、美味しい湯気を立ち上らせていた。
平和だ。
王太子殿下の嫌がらせが、まさかこんな形でプラスに働くなんて。
私は心の中で「ありがとうございます殿下、おかげで商売繁盛です」と皮肉な感謝を捧げつつ、フライパンを振っていた。
――その時だった。
バンッ!!
店のドアが、蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで開かれた。
賑やかだった店内の空気が、一瞬で凍りつく。
またジークハルト様が不機嫌で来たのかしら? と思ったけれど、違った。
入り口に立っていたのは、季節外れの派手なピンク色のドレスを着た、小柄な少女。
フリルのついた傘を振り回し、肩で息をしている。
「見つけたわよ……っ! こんなド田舎に引きこもって、のうのうと暮らしているなんて!」
キンキンと耳に響く高い声。
私はフライパンの手を止め、目を細めた。
見間違えるはずもない。
私を陥れ、王太子殿下の婚約者の座を奪った張本人。
聖女ミリアだ。
(なんでここに!? 街道は封鎖されてるはずじゃ……)
ミリアはズカズカと店内に入ってくると、客席を睨みつけ、最後にカウンター越しの私を指差した。
「レティシア! あなたね、私の邪魔をするのは!」
「……ミリア様。お久しぶりです。営業妨害ですので、お静かにお願いできますか?」
「うるさいっ! あなたが変な呪いをかけるから、王都のご飯が不味くなったじゃない! カイル様もイライラして私に当たってくるし、パンケーキも膨らまないし、全部あなたのせいよ!」
支離滅裂だ。
どうやら彼女は、自分に都合の悪いことは全て「悪役令嬢レティシアの呪い」だと脳内変換しているらしい。
お客さんたちが「なんだあの変な女は」「頭大丈夫か?」とヒソヒソ話し始める。
その時、店の一番奥から、絶対零度の冷気が漂ってきた。
「……騒がしいな」
いつもの特等席で優雅にコーヒーを飲んでいたジークハルト様が、ゆらりと立ち上がった。
その顔は、不愉快さを隠そうともしていない。
彼はミリアの前に立ちはだかった。
「誰の許可を得て、この地に入った? 街道は封鎖されているはずだが」
「ひっ……!」
巨躯のジークハルト様に見下ろされ、ミリアは一瞬怯んだ。
けれど、すぐに気を取り直して胸を張る。
「わ、私は聖女よ! 検問なんて『聖女権限』で通ってきたわ! 公爵様こそ、なんでこんな女を囲っているのよ。騙されてるのよ!」
ミリアは私を睨みつけ、勝ち誇ったように言った。
「私知ってるんだから。あなたが作ってる料理、それ『日本』の知識のパクリでしょ?」
ドキリとした。
やっぱり。
薄々感づいてはいたけれど、彼女もまた「転生者」だったのだ。
だからこそ、私の作る料理や、前世の知識を使った内政チートに過剰に反応していたのか。
「オムライスもハンバーグも、この世界にはなかったものよ。あなたが考えたわけじゃない。ズルイわ! 私も知ってるのに、どうしてあなただけチヤホヤされるの!」
彼女の主張は、あまりに子供じみていた。
知識があることと、それを再現できることは別だ。
私は前世で修行し、この世界でも魔法の研究を重ねてきた。
それを「ズルイ」の一言で片付けられるのは心外だ。
「……それで? 私にどうしろと?」
「勝負よ!」
ミリアは高らかに宣言した。
「料理勝負で私と戦いなさい! 私が勝ったら、この店は私のものにするわ。そして公爵様も、私が貰ってあげる!」
「は?」
私とジークハルト様の声が重なった。
店を奪う? 公爵様を貰う?
思考回路がどうなっているのか理解不能だが、彼女は本気らしい。
「くだらん」
ジークハルト様が吐き捨てた。
「誰が貴様などの料理を食うか。衛兵を呼べ。不法侵入で叩き出す」
「待ちっ! 逃げるの!? レティシア、自信がないのね。所詮は偽物の知識だものねー!」
ミリアが煽る。
安い挑発だ。乗る必要なんてない。
でも――。
「……いいですよ。受けましょう」
私はエプロンの紐を締め直した。
ここで彼女を追い返しても、また王都であることないこと吹聴されるだけだ。
ならば、料理人として完膚なきまでに叩きのめし、二度と口出しできないように「わからせる」必要がある。
「レティシア、本気か?」
「はい。ジークハルト様、審査員をお願いできますか? 舌の肥えたあなたなら、公平なジャッジができるはずです」
「……君がそう言うなら」
彼は不承不承といった様子で頷き、席に戻った。
店内のお客さんたちも「面白くなってきたぞ」「レティシアちゃん、負けんな!」と野次馬モード全開だ。
「ふん、後悔させてあげる。お題は『パスタ』よ! 私が王都で流行らせる予定だった、最高にお洒落なパスタを作ってあげるわ!」
ミリアは持参した鞄から、高価そうな食材を次々と取り出した。
トリュフ、キャビア、金箔……。
どこから調達したのか、食材だけは一級品だ。
対する私は、厨房の冷蔵庫を開けた。
取り出したのは、ソーセージ、ピーマン、玉ねぎ、マッシュルーム。
そして、自家製のトマトケチャップ。
どこにでもある、庶民的な食材ばかり。
「あらあら、そんな貧乏くさい材料で勝てると思って? やっぱり偽物ね」
「材料の値段で味が決まるなら、料理人はいりませんよ」
勝負開始のゴング(店員が鍋の底を叩く音)が鳴った。
ミリアは手際が悪かった。
包丁の使い方は危なっかしいし、パスタを茹でるお湯の塩加減も適当。
茹で上がったパスタに、高級オリーブオイルをドボドボとかけ、刻んだトリュフとキャビアを乗せ、最後に金箔を散らす。
所要時間十分。
それは料理というより、ただの「高級食材の盛り合わせ」だった。
「完成よ! 『宝石箱のラグジュアリーパスタ』!」
見た目だけはキラキラしている。
でも、香りがしない。熱気がない。
パスタは冷めかけで、ソースと絡んですらいない。
私はため息をつき、自分の調理に集中した。
私が作るのは、日本人が愛してやまない喫茶店の味。
そう、ナポリタンだ。
まずはパスタを茹でる。
アルデンテ? ノンノン。
ナポリタンに限っては、表示時間よりも長く茹でて、あえて「モチモチの太麺」にするのが正義だ。
茹で上がった麺は、一度冷水で締めてから、サラダ油をまぶして少し寝かせる。
これが、あの独特の食感を生む秘訣。
フライパンを熱し、斜め切りにしたソーセージと野菜を炒める。
玉ねぎが透き通り、ピーマンの鮮やかな緑色が油で艶めく。
そこへ、寝かせておいた麺を投入!
ジャァァァッ!
強火で炒め合わせる。
そして、ここからが一番のポイントだ。
具材と麺をフライパンの端に寄せ、空いたスペースにケチャップを直接投入する。
ジューーーッ!!
ケチャップの水分を一気に飛ばす。
「焼く」のだ。
酸味を飛ばし、甘みと旨味を凝縮させる。
少し焦げ目がつくくらいが丁度いい。
香ばしいトマトの香りが立ち上り、厨房を一瞬で「懐かしい洋食屋」の空気に変える。
焼けたケチャップを麺と具材に絡める。
フライパンを振るたびに、麺が赤く染まっていく。
バターと牛乳を少しだけ加え、まろやかさをプラス。
塩、黒胡椒、そして隠し味のウスターソースで味を引き締める。
仕上げは、器だ。
直火でガンガンに熱した、黒い鉄板(ステーキ皿)を用意する。
そこへ、溶き卵を流し込む。
ジュワアアアアアアッ!!!
卵が鉄板に触れた瞬間、半熟の薄焼き卵になっていく。
その上に、熱々のナポリタンを山盛りにドーン!
粉チーズとタバスコ(自家製辛味ソース)を添えれば――
「お待たせしました! 『熱血! 鉄板焼きナポリタン』です!」
審査の時間だ。
ジークハルト様の前には、二つの皿が並べられた。
一つは、冷めて脂が浮き始めたミリアのパスタ。
もう一つは、今もバチバチと音を立て、香ばしい湯気を噴き上げている私のナポリタン。
勝負は、食べる前から決まっていた。
ジークハルト様はまず、ミリアのパスタを一口食べた。
無表情で咀嚼し、飲み込む。
「……冷たい。油っぽい。トリュフの香りが強すぎて、何を食べているのかわからん。ただのエサだ」
バッサリと切り捨てた。
ミリアが「そ、そんなはずないわ!」と叫ぶが、彼は無視して私のナポリタンへフォークを伸ばした。
鉄板の上で、まだソースが沸騰している。
フォークで麺を巻き取ると、下の半熟卵も一緒に絡みついてきた。
フーフーと息を吹きかけ、パクリ。
「――――ッ」
彼の目が、幸福に細められた。
口いっぱいに広がる、焼けたケチャップの香ばしさと甘み。
モチモチの太麺が、濃厚なソースをしっかりと受け止めている。
シャキシャキのピーマンの苦味が、甘めの味付けに対する絶妙なアクセント。
そして、底で固まりかけた卵と一緒に食べれば、マイルドなコクが加わり、味が劇的に変化する。
熱い。でも、止まらない。
口の周りを赤くしながら、彼は無心で食べた。
ソーセージの塩気、玉ねぎの甘み、全てが渾然一体となって、「美味しい」という感情だけを脳に送り込んでくる。
これぞ、B級グルメの王様。
気取った料理には出せない、魂を揺さぶる味だ。
「……美味い」
完食したジークハルト様は、満足げに息を吐いた。
そして、ミリアに向き直り、冷徹に告げた。
「勝負にならんな。レティシアの料理には『愛』がある。食べる者の体を気遣い、温めようという意志がある。だが貴様の料理にあるのは、自己顕示欲だけだ」
「なっ……愛ですって!? そんな精神論!」
「精神論ではない。技術だ。素材の良さを殺し、冷めたものを客に出すなど、料理人失格だ」
ジークハルト様の言葉に、周りのお客さんたちも一斉に頷いた。
「帰れ! ここは美味い飯を食う場所だ!」
「お呼びじゃないんだよ!」
四面楚歌。
ミリアは顔を真っ赤にして、地団駄を踏んだ。
「キィィィッ! 覚えてなさいよ! カイル様に言いつけて、こんな店潰してやるんだからぁ!」
捨て台詞を吐いて逃げ出そうとした彼女の首根っこを、ジークハルト様がガシッと掴んだ。
「逃がすか。不法侵入と、領主への暴言、そして私の大切な料理人への侮辱罪だ。……たっぷりと絞って、王都の情報を吐かせてもらう」
その時の彼の笑顔は、間違いなく「氷の公爵」のものだった。
ミリアは「ひいぃっ」と白目を剥いて気絶した。
哀れ、聖女様。
美味しいご飯の敵になったのが運の尽きだ。
ミリアが騎士たちに連行されていった後、店には平和が戻った。
私は鉄板を片付けながら、ジークハルト様に苦笑いした。
「容赦ないですね」
「私の店を守るためだ。……それに」
彼はナプキンで口元を拭いながら、少しだけ照れくさそうに言った。
「君を誰かに渡すつもりはないと言っただろう。たとえ聖女だろうと、王太子だろうと、邪魔する者は排除する」
「……はいはい。頼もしい限りです」
顔が熱くなるのを誤魔化すために、私は洗い場に向かった。
でも、背中で感じる彼の視線は、鉄板よりも熱かった。
こうして、聖女ミリアの襲来イベントは、ナポリタンの熱気と共に幕を閉じた。
王都側の切り札(?)を失ったカイル殿下が、次にどんな手に出るのか。
そして、ミリアから得られる情報によって、事態はどう動くのか。
まだ予断は許さないけれど、とりあえず今日のところは。
「お代わり、あるぞ」
「はい、ただいま!」
目の前の大切な人に、美味しいご飯をお腹いっぱい食べてもらう。
それだけで、私は最強になれる気がした。




